第440話

 「冒険者? でも、そっちの人は魔物みたいに見えるよ?」

 「……うん。僕たちは冒険者だよ。これは王都にいるなんかすごい神父様の、なんかすごい祈りの力で仲間になった魔物なんだ」


 子供の一人がカノンを指し、不思議そうに問いかける。

 神話生物が魔物を気にするのか、と少し笑いそうになったが、エレナとリリウムは彼らのことを人間だと思っている。ならばフィリップもそのように振る舞うべき──二人の中にいらぬ疑念や恐怖を生むべきではない。そう考え直して、フィリップは適当に返した。


 「ふーん、そうなんだ! 凄い神父様なんだね!」

 「お姉さんたち、もしかして「旅の冒険者」? 魔王を倒しに行くの!?」


 興奮気味な少女の言葉に、フィリップは僅かに苦笑する。

 魔王を倒せるのは勇者だけ──正確には勇者のみが扱えるという聖剣による一撃無くしては、どんな攻撃も無効化されるという。しかしこの話は、学院の特別授業でヘレナに聞いたことだ。一般にはあまり知られていない。


 だから「魔王を倒しに行く冒険者」というモノは、居てもおかしくはないが、可笑しくはあった。


 「え? いや、魔王は100年前に封印されたでしょ? ボクたちは依頼の途中で……そうだ、ここって宿とか船はある?」

 「宿は無いけど、船なら山ほどあるぜ! 船が無いと俺たち、海藻しか食うもの無くなっちまうじゃん! あははは!」


 男の子が愉快そうに笑う。

 どうやらこの村は自給自足が成り立っているらしく、町へ買い出しに行く習慣はないようだ。或いは、船を使って別な町まで買い物に行くのかもしれない。


 そんなことを考えたフィリップは、一呼吸置いてからエレナに胡乱な目を向けた。


 「船と宿……ってエレナ、ここをベースにするの? 見たところただの漁村だし、もう少し大きめの街の方が補給しやすい……あれ? ミナは?」


 援護射撃を求めて飼い主を探した視線が周囲を一周し、ヒール込みで190センチを超える長身を見つけ損なって戸惑いに揺れる。


 ここでミナと逸れるのは不味い。

 眼前の子供も含めて、これまで目に付いた村人はどいつもこいつも人間ではない。外見こそヒトじみているし、王国人にありがちな金髪の個体が殆どで、注意して見たところで彼らを人外だと判別するのは難しいだろう。


 しかし、誰もが奇妙に似通ったやや魚っぽい縦長の顔をしていて、誰もが例外なく緑色の目をしているのは不自然だ。閉鎖的で小規模な村が代を経ると親戚ばかりになるケースはあるが、ここは違う。


 彼らは「深きものディープワン」。

 以前にステラと共に閉じ込められたナイアーラトテップの試験空間にもいた、旧支配者クトゥルフやダゴンの末裔であるとされる、ゾス星系にルーツを持つもの。


 ここにいる個体──例えば目の前の、10歳くらいの子供たちなんかは、きっとこの星で、この村で生まれ育ったものだろう。だがその本質、その遺伝子は間違いなくこの星の外から齎されたものだ。


 そして──フィリップに分かるのはここまでだ。

 彼らが人間に擬態しているのか、人間と交配した果てに生まれて人間状なのかは分からない。後者であるとして、身体・魔術性能がどれほどのものか、一生涯人間的外観なのか、それとも何かを切っ掛けにあの魚人じみた外観を取り戻すのか。何も分からない。


 そんなことを、シュブ=ニグラスは気に留めていない。智慧はただ、微かなダゴンの神威の残滓を感じ取り、その存在履歴を小さく訴えているだけだ。


 それはともかく、ここは明確に人外の領域と言っていい場所だ。

 恐らく彼らの信仰するダゴンやクトゥルフに関する儀式場か祭壇のような場所が、人里の教会くらい堂々と置かれているだろう。


 何かの間違いでミナがそこに興味を持ち、触れて、発狂してしまえば──そして以前のエレナのように敵対してしまえば、後に待つのは大虐殺だ。それに、その危惧を抜きにしても、なるべくミナには発狂してほしくない。


 今すぐにミナを“呼ぶ”べきかと真剣な表情で自らの左手に目を落としたフィリップに、エレナは不思議そうに首を傾げた。


 「姉さまなら、さっき飛んでったよ? 「磯の臭い……と言うのかしら。これ、嫌いだわ」だってさ」

 「えぇ……!? ついさっきまでセイレーンと戦いたそうにしてたじゃん……」


 前にもこんなことがあったような、と頭を捻るまでもない。グラーキの──正確にはその破片の──いた湖でも、彼女は臭気に堪えかねて飛び去った。

 恐らく、フィリップについた外神の気配の残滓を感じ取るのと同じで、空気中に漂う邪神の気配を嗅覚刺激として感じ取っているのだろう。神威非物質が臭い分子を持つわけが無いし、錯覚の一種だ。


 しかしまあ、フィリップとしては好都合だ。

 昨日はミナに血をあげていないので、もしかしたら彼女が飛び去った先で吸血鬼の襲撃事件があるかもしれないけれど……フィリップの知らないところで知らない人がどんな死に方をしようと、そんなことはどうでもいい。


 「……空を飛ぶ魔物相手に有効打を持ってるのがカノンだけって、結構キツくない?」


 思わず漏らしてしまった安堵の息を誤魔化すように、フィリップは困ったような表情を作って言う。


 実際、空から音響攻撃を仕掛けてくるというセイレーン相手に、フィリップはフリントロック・ピストル以外の対抗手段を持たない。エレナは、もしかしたらジャンプでどうにかなるかもしれないけれど。


 「ちょっと! 私のこと忘れてない!?」とリリウムが甲高く吼え、「いやいや、ははは……」と誤魔化し笑いを零すフィリップは、彼女のことを本気で忘れていた。

 危なかった。ステラの警告まで忘れていた。そういえば──人を死なせてはいけないのだった。


 「まあ吸血鬼が人を喰うのは仕方ないこととして……」


 フィリップは口元に手を遣り、独り言ちながら思考する。

 さて──もしもこの村で何かしらの問題が発生した場合、村人を全員消し飛ばしたら猶予カウントは減るのだろうか。


 “人”は殺さない。ここにいるのは人外か、人外と人間の交雑種。フィリップに言わせれば、どちらであれ純粋な人間ではない。

 しかし、そう説明したところで理解してくれるのはステラくらいだろう。フィリップが説得しなくてはならないのは彼女ではなく、何も知らない宮廷の人間だ。


 そしてフィリップに、無知な人間に人類領域外存在のことを明かして説明するという選択肢はない。無知な者は、そのまま幸せに死ぬべきなのだから。


 まあ最悪の場合はハスター辺りに大波でも起こさせて、「村が存在した痕跡」ごと海の底に沈めてしまえばいい。

 フィリップがそんな投げやりな結論を出したとき、近くの家から杖を突いた老人が出てきてフィリップたちに目を留めた。


 「んん? 外の方ですか。これは珍しい!」


 好々爺然とした笑顔を浮かべた、白髪頭のお爺さんだ。

 子供たちは「こんにちは村長!」と挨拶し、二言目には「村長おやつ!」と群がっていた。村長は笑いながらポケットから煮干しを取り出し、子供たちに与える。フィリップからすると「おやつ感」のないメニューだが、三人ともパリパリと小気味の良い音をさせて幸せそうだ。


 フィリップは村長の顔を不愉快そうに観察し、エレナは真剣な表情で同じものを見ている。

 村長の両頬にはっきりと浮かぶ、魚の鱗のような異物を。


 「おじいさん、それ、『魚鱗癬』……うわ、これって人語でなんて言うの?」 

 「そのエルフ語がまず分かんないんだけど……」


 唐突にエルフ語を挟まれ、フィリップは苦笑交じりに肩を竦める。

 彼女が何に気を留めたのかは察しが付くが、それが取るに足らない、何の変哲もないただの病気であると説明するには、フィリップには医学知識が乏しすぎた。そんな症状を呈するを、フィリップは知らない。


 「あぁ、これのことですか。お目汚しでしたかな」と、村長は頬の鱗を掻いて苦笑する。


 「あ、ごめんなさい。そういうつもりじゃないよ! ただ、ボクは薬に詳しいから、もしかしたら力になれるかも」


 エレナは慌てたように手を振って弁解する。

 フィリップは子供たちに囲まれて一緒に煮干しを食べているリリウムを一瞥し、あちらは平和そうだと判断して視線を戻した。


 エレナが本格的に検分を始めたら面倒だ。

 彼女の知識と観察眼、そして経験を以てすれば、村長の頬に浮かぶそれが皮膚病などではなく、本物の魚鱗であることが分かるだろう。


 勿論、その前に村長の方から正体を明かす可能性はあるけれど──そうなったら、彼の脳幹部に風穴を開けるだけだ。人間だろうが魚だろうが、そこをブチ抜けば活動は止まるはずだと信じて。


 そんな投げやりな殺意とジャケットの前が開いている意味に気付いたわけではないだろうが、村長は心配無用と断った。


 「生まれつきで、痛みは無いのでお気になさらず。それより、冒険者とお見受けしますが、この村にはどういった御用で? 見ての通り小さな村で、ギルドの支部なんぞもありませんが」

 「……セイレーンの血を集めるのに沖に出なくちゃいけないから、港町を探してたんだ。もし使ってない船とかがあったら貸してくれない?」


 患者の意見を尊重したのか、エレナは治療に拘りを見せなかった。

 それはフィリップとしても有難いが、どうやら本気でこの町を拠点にするつもりのようだ。


 「使っていない船、は流石にありませんが、そういうことなら誰かの漁に付いていくのが良いでしょう。私たちは海に生きる民、毎日誰かは海へ出ますから」


 やった! とエレナは暢気に喜ぶ。子供たちに魔術を見せて一躍人気者になっていたリリウムも「じゃあテント張らないとね!」と乗り気だ。


 フィリップは二人を順番に見遣り、小さく嘆息した。

 別に、何が何でもこの村を離れたいわけではない。二人がここでいいのなら、それに従おうと。


 「……如何なさいますか、フィリップ様。あまり智慧のある個体ではないようですが」

 「如何も何も……害意が無いなら見咎めはしないよ。王都からも遠いしね」


 カノンの問いに含まれた「殲滅するか」という疑問を正確に汲み、フィリップは苦笑と共に棄却する。

 人類領域外の存在だからという理由で殺すほど、フィリップは狭量ではない。


 とはいえ。


 「……でも一応調べておこうかな」


 調査は必要だ。

 彼らが本当に害意を持っていないのか。この辺境の漁村でただ生きているだけなのか、いずれ人類領域へ進出していくつもりなのか。或いは、もっと別な人類社会を損なうような計画を持っていないか。


 恭しく一礼して了承の意を示したカノンに興味薄な一瞥を呉れたフィリップは、リリウムが「調べるって、何を?」と問いかけるまで、彼女が自分のすぐ後ろに来ていることに気付かなかった。


 「ん? あー……この村にどういう文化があるのかとか、成り立ちとか、気になってさ」

 「ふーん……」


 100パーセントの嘘ではなく、むしろ本当に疑問だったことを例示して言うと、リリウムは興味を失ったようだった。顔に「つまらなさそう」と書いてある。


 フィリップだって、学院の社会科目で習ったような地方文化や歴史に興味があるわけではない。むしろ、その手の授業は退屈に過ごしてきた。

 だが──もしもここが、あの憎たらしい“啓蒙宣教師会”に関係した集落であるのなら、そんな場所を拠点にすることはできない。場合によっては何泊かして、何食か口にすることになる。そんなことは、できない。


 もしもそうであるのなら、依頼も警告も無視して虐殺することになる。


 「まあ、あいつらが絡んでる可能性は低いだろうけど」


 自分を落ち着けるように、フィリップは小さく呟く。

 “宣教師会”は智慧なき者に智慧を授けることを目的とした、「カルトを教導するカルト」だ。多少なりとも智慧を持ち、正しく智慧を使う神話生物に対して干渉することはないだろう。


 最優先で確認すべきは、この村に邪神を祀った祭壇のような、エレナやリリウムを迂闊に近づけるべきではない劇物が無いかどうかだ。


 「カノン、エレナとパーカーさんを……いや、待てよ? 嫌なこと思い出した……」


 言いかけて、数週間前の冒険が脳裏に閃いた。

 発狂と戦闘。死ぬほど面倒なことを乗り越えて、その先には報酬どころかパーティーメンバーの死があったこと。


 「……ここは一緒に──あれ?」


 結局、フィリップはカノンにエレナとリリウムを任せて単独で調査することは諦める。

 しかし振り返ると、そこにはエレナもリリウムも、村長も子供たちもいなかった。


 視線を遠くに投げると、皆、少し離れたところで手を振っていた。


 「フィリップ君、何してるの? 早く早く! 子供たちが村を案内してくれるんだって!」


 楽しそうなエレナの声に、フィリップは同質の感情を含む苦笑を浮かべる。


 「……まあ、害意は無いっぽいしいいけどさ」


 何が正解なのやら、フィリップには判断しかねる。

 フィリップは過去に「深きもの」と遭遇した経験がある。人間とは明らかに違う、立ち上がったカエルと魚が交わったような気色の悪い姿を、本来の姿をした個体とだ。ナイアーラトテップの用意した試験空間で。


 その記憶に照らすと、彼らは正しく智慧のある種族だ。外神や、宇宙に犇めく様々な旧支配者のことを知っていながら、「種族の伝統だから」「恩恵がありがたいから」とクトゥルフやダゴンを信奉している。

 智慧の使い方に正解も不正解も無いだろうとフィリップは過去に言ったが、彼ら「深きもの」は智慧を正しく“使っている”。自分たちが恩恵を受けるために活用しているのだ。


 カルト染みているとは思わない。

 彼らにとっては祖霊・先祖を信仰しているようなものだし、恩恵目当てならある意味では道具のようなものとも言える。フィリップだって利便性を求めてハスターやクトゥグアを使うのだし、「深きもの」たちが豊漁を願ってダゴンに仕えたって咎めはしない。


 勿論、信仰の徒たる彼らに言わせれば、フィリップと彼らの在り方は全く似ていないのだけれど。


 ともかく、彼らにとっての邪神信仰はただの日常生活だ。そして人間やその社会について知っているのなら、フィリップたち村の外の人間には隠そうとするくらいの知恵はあるだろう。

 フィリップたちの排除や、それに類する傷害行為に及ばないのであれば、フィリップが即座に邪神召喚を切ることは無い。そして彼らがここで慎ましく生きていくだけなら、フィリップはそれを許容する。


 「……彼らの態度が演技であった場合、エレナとリリウムの心身に危険が及ぶ可能性があります。それはフィリップ様の危惧する冒険者活動の即時終了に繋がるのではありませんか?」


 危惧を示すには平坦な声で紡がれたカノンの言葉に、フィリップは冷たい値踏みするような目を向けた。


 「そうだね。だから、エレナとパーカーさんの心身を守らなくちゃいけない。ナイアーラトテップの“教育”の成果、見せて貰うよ」





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