第439話

 カノンはナイ神父の管理下にある魔物という扱いで王都に入ったが、出歩くのにナイ神父の同行は必要ない。申請段階でフィリップのパーティーにとして同行させる旨を伝えてあるらしく、依頼受注時に限り、フィリップたちの“武器”として扱われるようになっている。


 これは知性を持たない魔物を使い魔にした時と、概ね同じ扱いだ。魔物が暴走して物や人を損壊した場合、責任は使役者にある。


 自律思考し行動可能な武器なんてどう扱えばいいのか分からないが、責任の所在はフィリップではなく、ナイ神父とレイアール卿にあるらしいので、あまり気にしなくていいだろう。問題が起こったら丸投げすればいい。


 カノンを回収したフィリップは二等地の大通りまで戻り、三等地方面へ向かいながらエレナたちを探す。

 途中、宿屋タベールナの前を通ったとき、女将であるアガタがちょうど玄関先の掃除に出てきた。


 「──あぁ、フィリップ! おはよう!」

 「ん? あ、女将さん! おはようございます!」


 近所の人ならいざ知らず、一時は彼女の下で働いていたフィリップは咄嗟に足を止め、きっちりとした礼を返す。

 心なしか不思議そうにしていたカノンだったが、会話を妨げる気はないようで一歩下がって静かに控えた。


 「もう次の依頼かい? 気を付けるんだよ!」


 アガタはいつも宿泊客の衛士たちにそうするように、気持ちのいい笑みと共に見送ってくれる。

 これまでのフィリップには何の感動も齎さないものだが、彼女の一人娘であるモニカを死なせた負い目があるのか、フィリップは無意識に視線を落としてしまった。


 「……はい」


 笑えていないことを、表情が硬く暗くなったことをフィリップは自覚する。

 応じる声も自分で思ったよりずっと小さく、細かった。


 自分でそれを察した後、フィリップはつい「しまった」と思った。そしてその時には、フィリップの両頬はアガタの片手で掴まれ、ぐい、と顔を無理矢理に上向けられていた。


 「……前向いて、笑顔!」

 「むぎゅ……す、すみません!」


 丁稚時代、寝起きや魔術訓練が原因の精神疲労で表情が暗かった時に、こうして怒られていたことを思い出す。

 そういう時に限ってモニカが近くに居て、アガタからは見えないところで変顔なんかしてきたものだ。大概はバレて、フィリップの五倍ぐらい怒られたのだが。


 そんなことを思い出すと、無理やりに作った笑顔が強張るのが分かる。そしてそれは当然フィリップの目の前にいるアガタにも見えて、彼女は呆れたような溜息を吐いた。


 「モニカのことはアンタのせいじゃない。いつまでもシケた顔してちゃ、お客さんと目も合わせられないでしょうが! そんな風に教えたつもりはないよ!」


 二等地屈指の宿を取り仕切る女将の喝破が大通りに響く。

 道行く人が「おっ、懐かしいな」なんて呟いていたのは、怒られていたフィリップには聞こえなかった。


 「はい! い、行ってきます!」


 フィリップはここまで怒られるのは何年ぶりだろうなんて考える余地も無く必死に答え、顔面が解放されると一礼して慌てて走り去った。

 後に残されたカノンはフィリップの背中とアガタを交互に見て、無言でフィリップの後を追う。


 そして二人ともがいなくなって少しすると、宿の玄関からタベールナの主人にして料理長、モニカの父であるセルジオが姿を見せた。彼は何かの作業をしていたらしく、まだ微妙に濡れた手をタオル拭いている途中だった。


 「……フィリップは、もう行ったのか?」

 「えぇ。まあ、走れば追い付くかもしれないけど?」


 閉まりそうな玄関扉を肩で支えながら問うセルジオに、アガタは揶揄うように大通りを示す。

 夫の運動神経の鈍さを、彼女は何十年も前から知っている。意外なほどの健脚を発揮したフィリップに追いつくのは不可能だろうと顔に書いてあった。


 「……いや、いい。今はまだ……顔を見たら、冒険者を辞めろと言ってしまいそうだ」

 「あの子も気に病んでるみたいだし、今そんなこと言ったら責めてると思われるわよ」


 セルジオは自嘲するような笑みと共に溜息を吐き、表情を切り替えて厨房に戻る。アガタもその背中に呆れたような笑みを向けると、玄関前の掃除を再開した。



 ◇



 セイレーンは海ならどこにでも出没するというわけではなく、それなりに沖の方へ出ないと遭遇出来ないらしい。

 効率を求めるなら、ミナとカノンが飛んで行ってセイレーンを生け捕りにし、エレナが血を採取した後に検体を処分すればいい。フィリップとカノンはそう提起したが、エレナとミナはそれを否定した。


 意外にも否定派の二人の意見は「そんなのつまらない」という大枠で一致していた。

 ミナはセイレーンと戦ったことが無いから試してみたいと言い、エレナはそれは作業であって冒険ではないという主張だったが。


 ともかく、フィリップたちは海を目的地として王都を発った。

 どこか港町に行って宿を取り、船を借りるか相乗りするかして沖まで出て、そこからセイレーン狩りをするというのが当初の予定だった。……のだが。


 「……いや、これは絶対正規の道じゃないでしょ。ほぼ崖じゃん」


 フィリップたちは二頭立てのキャラバン型馬車から降り、元来た道を振り返る。

 いや、そこに道と呼べるものはなく、ごつごつした岩肌の露出した崖があるだけだ。勾配は恐らく70度以上、高さも10メートル以上はある。


 そして前も横も深い森だ。幸運にも少し拓けた空間に落ちたから枝葉で怪我をすることは無かったが、馬車で走破するのは不可能だろうと見ただけで分かった。


 一応、街道沿いの駅宿で「港と宿のあるいい感じの街」を紹介して貰って目的地を定め、国の整備した街道を逸れて地元の道を使うということで地図まで描いて貰ったのだが……この逸脱は流石にリカバリー出来ない。いや、ミナが馬車を持ち上げて飛ぶという解決策はあるにはあるけれど、どうせ「嫌よ」とにべもなく断られるのは目に見えている。


 「ご、ごめん……。馬たちがさも当然みたいに行くから、ボクの位置からじゃ見えないけど道があるものだと……」


 落下前に御者をやっていたエレナが恐縮して頭を下げる。

 フィリップに御者の経験は無いが、単純に馬が前で御者席が後ろにある関係上、視野が劣るのは仕方のないことだと分かった。


 「……というか、ここを駆け降りて無傷なの凄いね君たち」


 二頭の馬はこれまで会った馬の例に漏れずフィリップに嫌そうな目を向けているが、馬車を曳きながら崖を駆け降りたというのに平然としている。

 フィリップが同じことをしたら一歩目から躓いて転げ落ちそうな悪路だし、そもそも勾配と呼ぶのも躊躇われる傾斜なのだが、タフなのか幸運なのか。


 無傷なのは馬だけではなく、馬車に乗っていた五人全員もそうだ。

 馬車が浮遊感に包まれた瞬間にフィリップを抱いて脱出したミナ、それに倣ってリリウムを抱いて飛んだカノン、全員の脱出を確認した後に御者席から跳んで8メートル下に平然と着地したエレナ。五人中三人が人外のフィジカルを持っていて良かった。


 「ありがとう、ミナ。お陰で無傷だよ。パーカーさんは大丈夫?」

 「な、なんとかね……。びっくりしたぁ……」


 ミナに横抱きにされたまま尋ねるフィリップに、カノンの腕から降りたリリウムが答える。

 フィリップの状態に突っ込むことが出来ない程度には動揺しているが、怪我をしている様子はない。カノンは「意外と使えるなこいつ」という感心の籠ったフィリップの視線を受け、機械的に一礼した。


 「すぅ……」

 「あ待ってそれはくすぐったい……はは、あははは!」


 ミナがフィリップの腹に顔を埋めて深呼吸を始め、フィリップは笑いながらジタバタと暴れてミナの腕から逃れる。

 その程度のスキンシップなら一緒に馬車に乗っている時間でとうに見慣れた一行は、「余裕だなあ」と呆れた顔をしていた。


 実際、状況はそれほど切迫していない。


 傍から見れば馬車ごと道を外れて滑落した、紛うことなき遭難だ。

 だがミナとカノンがいれば馬車を持って崖上まで飛ぶことも出来るだろうし、シルヴァとエレナがいて森の中で死ぬことはまずない。……二人から逸れたタイミングで魔物に襲われたりしなければ。


 「地図上だと、森を抜けたら海があるみたいだけど……船が無いんじゃ沖まで出られない」

 「……イカダとか作ってみる?」


 意気消沈したエレナを元気づけようと、リリウムがそんな冗談を言う。


 「いや、確かに木は沢山あるから作れそうだけど、僕たちは海そのものじゃなくて、拠点にできそうな港町を目指してたんだよ?」


 フィリップはポケットから駅宿で描いて貰った地図を取り出し、現在地を確認する。

 道を見失いそうな急カーブは見当たらないけれど、道沿いに行くことを前提に描かれた大雑把な地図だし無理もない。しかし空気に僅かながら潮の香りが混ざっていることを鑑みても、ここが地図上のどの森のどの辺りなのかは判別出来なかった。


 馬車に乗っていた時間から概ねの位置を割り出そうかとも思ったが、止める。面倒だし、街道から目的地の街までは概ね北上するだけでいい。ここが何処であれ、とにかく北を目指せば街には辿り着く。それこそ、筏で海路を行ってもいい。海路を「行く」というか、むしろ「拓く」に近い結構な冒険になる可能性はあるけれど。


 「……ミナ、イカダを作るための木を伐るのと馬車を上まで持ち上げるの、どっちが面倒?」


 どっちも嫌、とでも言いそうに眉根を寄せたミナが表情通りの返事をする前に、フィリップの足元からシルヴァがぴょこりと姿を見せた。

 彼女は小さな手でちょいちょいとフィリップの袖を引き、森の一方を指差す。

 

 「ふぃりっぷ。あっち、まちがある。たぶん」

 「え? そうなんだ? 駅宿の人、知らなかったのかな……」


 フィリップはシルヴァの示した方向を見遣り、「多分?」と首を傾げる。環境内の全情報を把握するヴィカリウス・システムにしては曖昧な物言いだと。


 シルヴァの案内に従って森を抜けると、本当に集落があった。森の外だったから確信が持てなかった──不定期に森に入る人間がいるとか、「集落がある」という直接的な情報以外から推測したのだろう。


 全部で二十棟くらいしか建物のない、小さな村だ。砂浜に木の床を敷いた上に木造の小屋を建てたような家ばかりで、質素だとか貧相だとかいった感想よりも先に、倒壊しないのかという心配が湧き上がる。

 しかし集落内は意外にも活気に満ちていて、井戸端会議に興じているらしい奥様方の笑い声や、子供たちのはしゃぐ声、男の喝破のような怒声と応じる若者の声が聞き取れた。内容までは分からないが。


 空気は常に潮の香りを纏っているが、偶に生魚のような青臭さも感じられた。フィリップはあまり好きではない臭いだが、風が吹くと流れていく。


 なんとなく臭いの元を探して見回すと、家と家の隙間から出てきた子供たちと目が合った。

 鬼ごっこでもしていたのか、息を切らしながらも楽しそうに表情を綻ばせた男の子と、彼より少し余力がありそうな女の子だ。どちらも10歳にも満たないだろう。

 

 二人はフィリップたちを不思議そうに見つめていたが、ややあって、後ろから追いかけてきた女の子に抱き着くようにして捕まえられた。


 「二人とも捕まえた! なんで止まってたの? ……お姉さんたち、だれ?」

 「ボクたちは冒険者だよ。こんにちは、元気良いね」


 微笑ましそうに三人を見ていたエレナが進み出て、片膝を突いて視線を合わせて応じる。


 その後ろで、フィリップは夏物のジャケットの前をそっと開けた。


 「フィリップ様」

 「分かってる」


 警告にしては平坦な声を上げたカノンを、フィリップは小さく鋭い声で黙らせる。

 誰に言われずとも、フィリップに与えられた智慧が教えてくれている──眼前の子供は人間ではない、と。




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