第438話

 フィリップたちは王子の依頼を受けることをパーティー内で共有し、異論がないことを確かめた後、一度荷造りの為各々の拠点へ戻った。

 リリウム以外はサークリス公爵邸の自室で、必要なものを長距離移動用の大型バッグに詰め込んでいる最中だ。


 『セイレーンの血の収集』。

 カール王子からの依頼は、その実行依頼だった。何処へ行けばセイレーンがいて、どうやれば収集できて、セイレーンの何が脅威なのか。そういった情報が全て依頼票に載っている、調査の必要が無い依頼。冒険者としては有難い形式だ。


 セイレーンとは海棲の魔物で、人間の女の上半身と猛禽の下半身、海鳥の翼を持つ。

 陸地や船上のみならず、空中戦の能力もそれほど高くないため、直接戦闘での危険性は低い。戦闘に長けた冒険者でなくとも、屈強な船乗りが櫂でぶん殴れば倒せるだろう。


 戦闘能力だけなら、『龍狩りの英雄をC級依頼なんかで無駄遣いするのは不合理だ』と言った王子が持ち込むほどの難易度ではない。


 セイレーンの脅威は戦闘能力ではなく、その歌声にある。

 作用機序は不明ながら魔術耐性をある程度無視する精神支配能力を持つ歌声を発し、船乗りたちが自ら海へ身を投げるように操ってしまうという。


 対抗手段は現在、三つ発見されている。


 一つは耳栓。音を介した精神干渉なら音を遮断すればいいというのは、魔物についての研究が発展する前から経験則的に分かっていた。


 一つは先制。歌が聞こえてくる前にセイレーンを見つけ、遠距離魔術攻撃で仕留める。


 一つは抵抗。歌声は魔術耐性を完全に無視するわけではなく、また強靭な精神力によっても自死衝動に抵抗できることが判明している。魔術的なものか根性かは人によるが、要は歌を聞いても我慢するということだ。


 フィリップたちに──正確には、カール王子が戦力と見込んでいるであろうフィリップとミナに期待しているのは、恐らく「先制」と「抵抗」。

 自ら龍殺しに名乗りを上げる強靭な意思の持ち主であるフィリップと、ルキアやステラでさえ警戒する魔術能力の持ち主であるミナであれば、問題なく事を進められるはずだと。


 まあ耳栓をしてしまえばいいだけの話なので、やっぱり難易度はそれほど高くない。

 これは試金石だ。今後、より難度の高い相手を任せられるかどうかを測る試験なのだろう。


 そんなことを考えながら荷造りを進めていると、トランクの底から見覚えのある紙束が出てきた。


 「……ん? うわ、懐かしい」


 もう三年ほど前になるか。

 フィリップが魔術学院に編入した直後、ナイ神父から送られてきた手紙の束だ。フィリップが特定の状況に陥った時にのみ開封できるようになっており、その中の一つはフィリップに『深淵の息』と『萎縮』を覚えさせた魔導書の類だった。


 残る手紙の表題は『逃げ出したいときに開く』『守るべき者の前でのみ開く』『大切な者を失くした時に開く』。

 なんとなく『大切な者を失くした時に開く』の封筒を取り、龍貶しの刃に滑らせてみたが、封は開かなかった。


 「……開かないか」


 まあそうだろうな、という端的な納得で興味を失ったフィリップは手紙を纏めて机の引き出しに仕舞い、思考を荷造りの方に戻した。


 「えーっと、あとは……浮き輪? いや要らないか……」


 


 ◇




 出発する時、ルキアはオリヴィア公爵夫人と何事か難しそうな話をしていたが、態々中断して玄関まで見送りに来てくれた。

 お互いに心配そうな顔を向け合うフィリップとルキアを、エレナは呆れ混じりに、ミナは欠伸混じりに待っている。


 「ステラの警告なんて気にしないで、貴方の心身の安全を最優先に考えてね、フィリップ」

 「はい。やらかしちゃってもルキアが補佐してくれるって聞いてますから」


 ルキアを安心させるための完全な嘘というわけではなく、フィリップはそれなりに心を込めて頷く。

 あの湖での一件以来、フィリップは死への憧れを持っていない。ルキアとステラの為に、この無価値な泡沫の世界で生き続けようと思えている。


 「行ってきます」「行ってらっしゃい」と手を振り合って公爵邸の敷地を出ると、フィリップたちは取り敢えず二等地へ向かう巡回馬車に乗った。


 「それじゃ、今度はカノンを取りに行こう……僕が行ってくるから、二人は先にパーカーさんと合流してて。ついでに馬車も借りておいてくれるとスムーズ」

 「オッケー」

 「あまり長居しないようにしなさい」


 嫌そうにを通り越して不愉快そうに眉根を寄せたミナに苦笑し、フィリップだけが投石教会に向かう。

 あまり良い出会い方をしなかった、あの(自称)環境整備用兵器、原住生物殲滅用(誤訳の可能性あり)生物複合戦闘機は、今は投石教会に置かれていた。




 帰ってきたとき、勿論、甲殻と翼を持ち襤褸切れだけを身に付けた、あからさまに人間ではないカノンは王都に入る前に衛士に止められた。


 「あー……、フィリップ君、ソレはちょっと中には入れられないな。使役下にあることを証明するか、専用の檻に入れて貰わないと」


 フルフェイスヘルム越しでも困り顔が透けて見えそうな声で呼び止められ、フィリップもそう言えばそうだったと思い出す。

 王都内に魔物を入れる場合の規定は、何もミナのようなとびきり強大な相手にだけ適用されるものではない。蹴飛ばして潰せる下級のスライムであろうと、聖痕者が立ちはだかるまで暴虐の限りを尽くせる最上位吸血鬼であろうと、同じ“魔物”という括りだ。


 「は? なんですか、このヒト。ここまで来てお預けなんて絶対イヤなんですけど、殺していいですか?」


 不愉快そうに言うカノンに、衛士は苦笑しつつも律儀に剣の柄に手を掛けて「動くな」と警告する。

 彼とカノンの一対一なら、反応刺胞装甲の不意討ちが決まればカノンが勝つ。しかし、王都の外壁上から魔術型の衛士が二人、既に上級攻撃魔術の照準を完了していた。


 待機状態の魔術がカノンを殺して余りある威力だと見て取ったミナは、衛士を殺すのと、フィリップを引っ張って余波の範囲から逃がすのと、どちらが楽だろうかと考える。


 そしてフィリップは何の躊躇も警告もなく剣を抜き、カノンの胸元へ突き立て──その寸前で、カノンの姿が反転した。

 上下に。足を上に、頭を下にして。


 人外の外皮を貫くつもりで本気で突いた剣の先は、細くしなやかな浅黒い手指に挟まれて止まっていた。


 「──フィリップ君は既に、君に警告していましたね。あぁ、数々の不敬を重ねた君が、今更彼に二度同じことを言わせた程度で私は怒りませんよ。ええ、絶対に。なんせこの化身からは“怒る”という機能を取り除いてありますので」

 「本体、というか真体の方がブチ切れてませんか? それ……」


 カノンの足を掴んで吊るしたナイ神父が、温厚な笑顔に似合いの穏やかな声で言う。


 その突然の出現に、フィリップを除く全員がびくりと肩を跳ね上げ、ミナに至っては吐きそうな顔で口元を覆う。今にも斬りかかりそうだったので、フィリップは慌てて抱き着いて自分の身体を枷にした。

 

 ミナがフィリップを傷つけないギリギリの力で振り払って飛び去った直後、逆さ吊りにされたカノンの声が「しゃめっしゅ! にゃる゛っ!?」と中途半端なところで途切れる。

 見遣ると、彼女の頭が完全に地面に埋まっていた。


 「コレは私が監督します。あ、これ書類です」


 ナイ神父は丁寧に巻かれて封蝋の押された白い紙を衛士に手渡す。

 いきなり現れたかと思えば人間離れした腕力を見せつけ、謎の魔物を完全に沈黙させたナイ神父には流石に驚いたらしく、紙を受け取る衛士の声は「は、拝見します」と震えていた。


 「……っ! なるほど、そういうことであれば、我々に異存はありません。お任せします。通っていいよ、お帰り、フィリップ君」


 書類に目を通した衛士が目を瞠り、ナイ神父へ敬礼する。

 フィリップは「ただいまです」とフィストバンプを交わしつつ衛士の様子を窺うが、特に様子のおかしい感じはしない。


 「……何したんですか?」とナイ神父に問うと、「書類手続きを少々」という胡乱な答えが返ってきた。



 あれから数日。

 ルキアと一緒にステラのところに遊びに行ったり、フレデリカとお茶会をしたりしてそれなりに忙しかったフィリップは、久しぶりに投石教会を訪れる。


 代わり映えのしないバシリカ型教会の玄関扉を開けると、相変わらず眩いほどの美形が二人、フィリップを出迎えた。 

 

 「やあ、こんにちは、フィリップ君」

 「久しぶりね、フィリップ君。今日も会えて嬉しいわ」


 淑やかに、しかし歩調とは明らかに異なる速度で近づいたマザーに抱きしめられ、そのまま長椅子に座った彼女の膝上に抱かれる。

 柔らかさと温かさと匂いと、最早嫌悪感を覚えなくなってしまった彼女シュブ=ニグラス特有の気配に包まれて、これから冒険に出かけるというのに眠ってしまいそうだった。


 「確かに君は耳栓を買う必要はありませんが、パーティーメンバーに不信感を抱かせない方がよろしいのでは?」


 言って、ナイ神父はケースに入った耳栓を差し出す。

 耳栓それ自体は何の変哲もない代物のように見えるが、高級感のある光沢を放つ黒いケースを見るに、そうではないのだろう。


 それを差し出したのがルキアやフレデリカだったら値段を気にするところだったが、フィリップは「どうも」と端的に礼を言って、耳栓をポケットへと無造作に突っ込んだ。


 「それで、カノンの調整は終わったんですよね?」

 「はい、恙なく。アレの不具合は製造後の教育の過程で生じたものですので、私の方できちんと教育し直しておきました。勿論、ミ=ゴの方もね」

 「ミ=ゴはどうでもいいです。カノンを連れて行きたいんですけど?」


 教育と聞いて、フィリップは王都に帰ってきた直後のことを思い出す。

 ただでさえ不意討ちで見たら精神的ショックを受ける顔だったのに、今のカノンはそこから更に顔面か頭部が陥没していたって不思議はない。尤も、その方が見られる顔である可能性はあるけれど。


 「えぇ、存じております。既に準備も完了していますよ。すぐに持って来ましょう」

 「流石……」


 話が早くて結構なことだと苦笑し、フィリップはマザーの手が自分を抱き寄せ、頭や身体を撫でるのに身を任せた。


 「マザーは、カノンに対して怒ってないんですね」

 「うん? えぇ、そうね。もう怒っていないわ」


 シルバーフォレストではシュブ=ニグラスも相当にご立腹だったが、もう怒りが収まったのだと思っているフィリップ。

 対してマザーの答えは「十分に発散したから」という一節が抜け落ちていたので、微妙にすれ違っていた。


 その勘違いが正される前に、礼拝堂奥の居住スペースへ続く扉からナイ神父とカノンが姿を見せた。

 カノンは以前に見た襤褸切れではなく、罪人か巡礼者のような白い貫頭衣を身に付けている。だが、フィリップがあげたガスマスクはそのままだ。


 彼女はフィリップの前まで来ると、折り目正しく一礼した。


 「原住生物殲滅用生物複合戦闘機・タイプ1・試作実験機・機体固有名“カノン”です。人格形成段階で外的なミスがあったことにより、フィリップ様には大変なご迷惑をお掛けしました。大変なご無礼を働いたことと併せてお詫びいたします」


 機械的で無感情な声に、フィリップは思わず目を瞠る。

 以前の彼女とは全く違う。なんというか、今の彼女には以前まであった「性格」のようなものが感じられない。個性や性格と言った個人を完全に排した機械のような印象を受ける。


 「……だ、だいぶ性格変わったね?」

 「はい。ミ=ゴたちは私という装置に性格を設定せず、単に命令を実行する道具として設計しました。この時点に於ける私は、戦闘行為に最適化された肉体や優れた技術力に基づく強力な武装を持った兵士個体のミ=ゴと連携することを前提とした、自律思考する盾でした。しかし、複数体のミ=ゴが性能を飛躍的に向上させ得るブースターとして「感情」を導入したことにより、私は自己意識ではない強固な自我を得ました。これは自律兵器としてより進んだ形であるとされ、私は連携ではなく投入し暴れさせる形の鏃型単独行動兵器としての運用を視野に入れた改造計画が持ち上がるほどでした。フィリップ様に初めて拝謁した時の私はこの状態です。残念ながらハードウェアの性能が追い付かず、運用方法を改めるまでには至りませんでしたが。対して現在の私はナイアーラトテップのオーバーホールにより、道具・兵器としてより純粋な形のソフトウェアを──」

 「──ごめん、ちょっと分かんない。もうちょっと簡単に、端的にお願い」


 意味の不明な単語複数を含む情報の洪水に押し流され、フィリップは両手でカノンを制する。

 彼女はちょっと考える素振りを見せ、最終的に「要は、あるべき姿に戻ったということです」と至極単純に纏めた。


 「ふーん……。性能は変わってない? 「使い捨てられるエレナ」ぐらいの働きは期待したいけど」

 「戦闘能力は弄っていません。ですが、色々と知識と機能を追加しておきました」


 フィリップはカノンに聞いたつもりだったが、答えたのはナイ神父だった。

 かなり酷いことを言われたはずのカノンは全く動じていないようで、フィリップとしては少し寂しい。以前までの彼女なら「エルフと同列にしないでくださいよ!」とか、食って掛かってきそうなものなのに。


 「へぇ。例えば?」

 「どのような種類、サイズ、調理台であっても、完璧なミディアムレアに仕上げることが出来ます」


 ふーん、と頷きかけて──戦闘能力が据え置きな時点で、どんな追加変更でも大して意味がないから半ば聞き流すつもりで訊いたからだ──用意しておいた適当な相槌すら出せなかった。


 「は? いや、確かに僕の好みの焼き加減ではあるけど……。他には?」

 「ミルクティーの淹れ方のデフォルトが「ぬるめ、砂糖多め、ミルク少な目、紅茶濃い目」で設定されています」

 「僕好み──、え? 食方面に特化したの? 嘘でしょ? 」


 元は仮にも「原住生物殲滅兵器」であったはずだが、これではただの……いやかなり優秀な、給仕かシェフだ。

 まあ、元々名前負けしていたというか、所詮は支援兵器、ミ=ゴが拠点にする洞窟や峡谷の周辺から害獣を駆除する番犬でしかなかったけれど。


 「ほ、他には?」と僅かに声を震わせながらフィリップが問う。その震えは戸惑いばかりではなく、笑いの成分も多分に含んでいた。


 「フリントロック・ピストルの装填及びメンテナンスが可能です。装填速度は停止状態のフィリップ様のおよそ1.5倍です」

 「君はどう考えても装填役じゃなくて前衛でしょ?」


 エレナと互角程度に戦える格闘能力と反応刺胞装甲がある以上、敵の群れに単身突っ込ませる方が運用として正しい気がする。

 少なくともフィリップの隣でフリントロック・ピストルを撃つまで待機させるよりは、ずっと有用だ。


 「他には?」とフィリップは問いを重ねる。今度は戸惑いも笑いもなく、むしろ落胆の空気を漂わせていた。


 「ナイアーラトテップがフィリップ様には不要と判断した知識、シュブ=ニグラスの視座では知覚し得ない劣等存在の情報を与えられています」

 「おぉ! いいね、そういうのを求めてたんだよ!」


 直接教えてくれとは思うものの、確かに、フィリップが求めていたものではある。

 シュブ=ニグラスがフィリップに与えた知識は、外神と、外神から見て人間を殺すのに十分であるモノ。外神の目に留まったモノだけだ。


 面倒なことに、これは「智慧に無いものは智慧にあるものより弱い」という意味ではない。

 かつてゾス星の住人であったダゴンとハイドラの末裔である「深きもの」と、先日遭遇した吹雪を呼ぶ大熊「ノフ=ケー」。前者は智慧にあり後者は無いが、一対一で戦えば勝つのは後者だろう。


 だからフィリップが知らないことを補完してくれる存在は有難かった。特に、もうなるべくパーティーメンバーを殺さないようにと意識した今では。


 「ありがとうございます。また、最上位命令権保有者はフィリップ様に設定されています。主要な変更点は以上です」


 淡々と説明を終えたカノンに、フィリップはマザーに抱かれたまま頷きを返す。

 総じて微妙、という感じだ。「主要でない」変更は細々とあるのだろうが、どうせ「猪より鹿を優先して狩るように設定されています」みたいな、割とどうでもいいものだろう。


 そんなことを考えて、フィリップはふと閃いた。


 「ん? つまりミ=ゴを絶滅させろって命令したら従うの?」

 「えぇ、勿論です」


 カノンは淡々と、自らの造物主に何ら思うところが無いかのように頷く。

 彼女はミ=ゴの技術力に対してそれなりに誇りを持っていたはずだが、それが単に自尊心のようなものだったのか、帰属意識から来るものだったのかは不明だ。変化、と一概には言い切れない。


 まあ、一個種族を絶滅させるのにカノンなんか使わないので、ただの興味本位の質問だ。

 興味ついでに、フィリップはもう一つ訊いてみる。


 「ナイアーラトテップを殺せ、とかでも?」

 「えぇ、勿論です」


 実現可否は分かり切っているが、実行できるかどうかは別だ。

 信仰対象へ攻撃できるかという意地悪な質問に、カノンではなくナイ神父がにこやかに答えた。






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