第436話
二等地の外れにあっては場違いな存在感のある馬車に乗り込んだフィリップは、促されるがままステラの対面に座る。
馬車の座席は長時間の移動も苦にならないような柔らかさで、普通に座っただけのフィリップの口から思わずと言った風情の感嘆の息が漏れた。
「こんにちは、殿下」
「あぁ。久し振りだな、元気そうで何よりだ」
いつぞやのように自己嫌悪に溺れているということもなく、平然と笑っているフィリップにステラも安堵の笑みを浮かべる。
彼女は勿論、フィリップがパーティーメンバーを死なせた程度で悲しんで落ち込むとは思っていない。だが、それを悲しめないことを悲しむ可能性は気に掛けていた。
その悲哀も数日の旅路で完全に霧散しているようで、ステラとしては安堵するところだ。本人がどう思うかはともかく。
「……ご用件は?」
馬車が動き出さないことを察し、フィリップをどこかに連れて行くことが目的ではないと気付いて尋ねる。
ステラは顎に手を遣って何事か考えたあと、端的に言った。
「警告だ」
と、不穏なことを。
フィリップは眉根を寄せ、首を傾げる。
ステラがフィリップ相手に何かを警告するとき、大抵は王宮に関係した内容で、かつ彼女の領域であるはずの宮廷に於いて絶大な権力を持つステラではなく、フィリップ自身が気を配らなくてはならないほどのことが起こっている。
王様が呼んでいるからどうにか取り繕えとか、貴族がフィリップの家族を狙っているから注意しろとか、これまではそんな内容だった。
ただ一人彼女の上に坐す国王の言葉に抗うことは出来ないし、誰かと接点を持つために先ず家族へ接触を試みるというのは普通に使われる手法だ。これを咎める法はない。
今回もまた、そういうケース──ステラではどうしようもなく、フィリップ自身がどうにかするしかない事例だ。
「今回の一件は王国にまで報告が上がってきた。王国が斡旋した依頼だから当然と言えば当然だが、通常、王国は冒険者の生死にそれほど関心を持たない」
今回の一件とは、ステラが“エレナと愉快な仲間たち”に依頼を出し、犠牲を出しつつ失敗したことだろう。
フィリップは言われるまでもなくそう理解し、頷いて先を促す。「頼んでおいて何なんだ」とは思わなかった。
「だが、お前は違う。今回の一件は王家を含む中枢で、それなりに問題視されている」
「問題視?」とフィリップは眉根を寄せる。
ミナに襲い掛かった冒険者にミナが反撃して殺し、フィリップが責任を問われ、超法規的裁判である御前論奏にまでなったことは覚えている。
尤も、そういう事があったと覚えているだけで、誰を殺して誰が怒っていたのかは、とうに忘れたけれど。……ともかく、「問題視される」ことが「面倒」に繋がることは覚えていたフィリップは、またあんなことになりませんように、と宛ても無く祈った。
その祈りが誰かしらに届いたわけではないだろうが、ステラの声にあの時のような硬さはない。あくまで警告段階の話のようだ。
言葉は続く。
「お父様はお前の冒険者活動のことを……まあ、困った趣味程度に考えていた。お前が望むなら、そして危険が無いのならやらせておいても問題ないだろうと。どうせ15歳までは叙勲しない方針だし、お前とミナに限って万が一もないだろうと、そう考えて」
そりゃあそうだとフィリップは深く頷く。
叙勲が決定事項のように語られるのは不満を通り越してちょっと怖いけれど、少なくとも今のフィリップは一介の平民に過ぎない。貴族のように生き方を定められていない自由な身分のはずだ。
勿論、貴族であれ平民であれ王の命令に逆らうことは出来ないし、「冒険者を止めろ」と言われたら従うしかないのだけれど、そもそも王が平民を相手にそんな命令を下すこと自体が異例だ。だから今のところ、フィリップの活動には何の口も出されていない。
「だが、覚えておけ。お前は事情を知る魔術師にとって命の恩人だし、王宮には魔術師が多い。お父様にも私にも前々から上申はあったが、今回の一件でかなり増えた。私も……私はお前が大怪我をしない限りは庇ってやるが、お父様はお前のアレを知らない。今回のようなことはあと一度か二度が限界だと思っておけ」
アレとは単一のものではなく、邪神絡みの全てを指しているのだろう。
邪神召喚という強力な切り札のこと、フィリップを守護する別格の邪神たちのこと、フィリップの異常な精神性のことだ。
仲間が何人死のうが知ったことではなく、むしろ全滅してくれた方が心置きなく切り札を使えるし、切り札が発動すればフィリップの生存は確定する。そういった諸々を知っているのは、ルキアとステラだけだ。
それを知らない相手にでも一度か二度は説得を通せる辺り、ステラの人望と交渉能力は破格だが、やはり限界はある。
「……それは、つまり」
苦々しい表情で尋ねるフィリップに、ステラは真剣な面持ちで頷く。
「冒険者活動の強制終了。いや、正確には叙勲し、土地を宛がって封じ込めると言った方が正しい。お前が危険なことをしないよう、お前に危険が及ばぬよう、綺麗な館と多数の使用人で守ってしまえということだな。統治能力の不足を鑑み、宰相は自らの次女──つまりルキアを補佐に付けると言っている。我が国の宝であり強大な戦力でもあるお前たちを一か所に纏め、戦いやすく守りやすくするのは良い戦略だ」
それは、とフィリップは嘆息して馬車の天井を見上げる。馬車に窓は無く、外を見るのは不可能だった。
危ないとか守るとか、正直、余計なお世話だとは思う。
人間風情が何を言っているのかと、嘲笑と軽蔑が脳裏をよぎる。
しかし、好意や善意からの行動だと思うと、どうにも怒る気になれなかった。
「……まあ、パーティーを組まなければいいだけの話ですよね?」
元々、フィリップはミナとエレナと三人で冒険者活動をするつもりだった。ウォードたちと組んだのは成り行きだ。
今回の件でリリウムはフィリップたちと一緒に冒険するのを嫌がるだろうし、戦闘能力に欠ける余分は省ける。問題はエレナだが、彼女はフィリップが心配するなんて烏滸がましい程度には強い。精神面に若干の不安はあるが、見ただけで発狂するような手合いは、そもそも易々と遭遇できるようなありふれた存在ではない。余程のことがない限り大丈夫だろう。
そんな甘い計算を、ステラは半笑いで否定した。
「楽観的だな。今回の件、宮廷の者を不安がらせたのはお前のパーティーが半壊したことではなく、お前とミナがいて犠牲が出たことだ。人間の感情とは時に不合理で、理不尽だ。お前が赴いた先で全く関係のない人間が死んだだけで、不安を爆発させるかもしれないぞ?」
「えぇ……」
フィリップは不満そうに眉根を寄せる。
いや、まあ、気持ちは分かる。
フィリップだって「二人を置いてきたから早く戻ろう」というミナの言葉を「ルキアとステラが危険だ」という意味に誤解した時は、何もかも投げ出して飛んで帰るところだった。ハスターに乗って、道中で何人狂死するかなど気にも留めず。
フィリップ自身がそこまで大切にされる理由は“龍狩り”の件なのだろうけれど、正直、あまり実感はない。その「宮廷の者」たちと大した面識もないのだから尚更に。
「それじゃつまり……」
「そう。「なるべく人を死なせてはいけません」ということだ。難題だな?」
本当に難題だと苦々しく表情を歪めたフィリップを見て、ステラは鈴を転がすように上品に笑った。
◇
公爵邸まで送るというステラの申し出を残念そうに断ったフィリップは、馬車を降りて二等地を歩いていた。
用があるのは宿屋タベールナ……ではなく、投石教会だ。
墓地のある外れから見慣れた通りまで戻ってくると、見慣れた顔を見つけた。いや、彼は──先代衛士団長はそこで、フィリップを待っていた。
「フィリップ少年。少し、時間を貰えないか」
「あ、先代。お久しぶりです。勿論いいですよ」
神妙な面持ちの先代に、フィリップは朗らかに笑いかける。
まだ喪服の、埋葬式の帰り道の人間が浮かべるには不似合いな笑顔だが、先代は然して気にした様子は無かった。
「パーティーのことは聞いた。残念だった」
「あ、どうもご丁寧に」
頭を下げた先代に、フィリップも礼を返す。
お悔やみを言いに来ただけならそれこそご丁寧なことだが、彼の用事はそれだけではない。
「それで……君に渡すものがあってな」
そう言った先代がフィリップに差し出したのは、王都製の真っ白な紙で作られた封筒だ。
表面には「親愛なるフィリップへ」と宛名が、裏面には「ウォード・ウィレット」と署名があり、一見した印象通り手紙であることはすぐに分かった。
「……先代、ウォードと知り合いだったんですね」
「あぁ。あいつは俺の弟子だ」
ほう、とフィリップは興味深そうな吐息を漏らす。
「そうだったんですか。……ウォードの強さの理由が分かりました」
「強さ、か。生き残った君が……すまん、詮無いことを言った」
白髪混じりの頭をガシガシと乱暴に掻いた先代に、フィリップは曖昧な笑みを返す。
生き残ったフィリップがそれを言うのか、という謗りは、残念ながら的外れだ。
フィリップが生き残ってウォードが死んだのは、フィリップの方が強かったからではない。分け目になったのは、あの森で一番強かったミナの庇護を受けられたかどうか。人間程度が強さを競ったところで、体長5メートルの熊と、10万の命を持つ最上位吸血鬼の前ではどんぐりの背比べ。意味はない。
相手がその二者の間にも割って入れそうな、成龍を撃退したという先代でなければ、内心をそのまま口にしているところだ。
フィリップは頭を振って思考を切り替え、封筒を開ける。中には手紙が一通、それだけだった。
内容に目を落とした直後、フィリップの口から深々とした溜息が漏れた。表題しか読んでいないが、表題だけで気が滅入って読む気が失せる。
……『遺書』などと言われては。
『もし君が僕のことを友達だと思ってくれているなら、若しくは、僕の家を焼いたことを気に病んでいるのなら、僕の妹のことを頼みたい。余裕があったらで構わない。君はこれから貴族になって、お金も権力も手にすることになると思う。これを読んでいるということは、僕はもう死んでいて、妹のことを守ってやれないのだろうから、使えるものは何でも使わせてもらうよ。君との友情や君の善性も、大いに利用させてもらう。
僕のことを卑怯者と罵ってくれていい。妹にも、僕は君の罪悪感を利用したクズ野郎だと言っていい。けれどどうか、あの子が自立して一人で生きていけるようになるまで、見守ってあげて欲しい。
勘違いしないように言い添えておくけれど、何も「責任を取れ」と言っているわけじゃないんだ。ただ、妹の後見人にするなら、僕の友達の中で一番偉くなって、一番お金持ちになるであろう君を選ぶのは賢い選択だと思ったからだ。
僕は君が衛士団と一緒に悪魔と戦ったことを、今でも凄いと思ってる。家には父さんとの思い出もあったけど、父さんだって、僕たちが無事ならそれで善しと笑ったはずだから、気にしてない。
これを書いている時点で君と過ごした時間は、きっと全部合わせても二か月くらいにしかならない。けれど僕は、君のことを尊敬しているし、友達だと思っている。君と過ごした時間は楽しいことばかりじゃなくて、怖い体験も、死ぬかと思ったこともあったけど、君と友達になれてよかったと思ってる。合理じゃなく心情から言っても、君に僕のたった一人の家族を託したい。
どうか、頼む。
それから、君はきっとずっとサークリス聖下と一緒にいると思うけれど、彼女は絶対に怒らせちゃ駄目だ。』
読み終えると、フィリップは口元を僅かに歪めて笑おうとしたが、笑いきれずに重苦しい溜息を吐いた。
冒険者に限らず、衛士や騎士は戦地に赴く前に遺書を認めるという。むしろ、身の丈に合わない依頼を受けなければいいだけの、自分の意思で死のリスクを排除できる冒険者の方が、遺書を書く習慣は無い。
これは衛士を真似たものだろうな、なんて思っても、まだ笑えなかった。
最後の一文は、ただの冗談だろう。
これを書いた時点で、ウォードは死ぬつもりなんて全くなかったはずだ。大真面目なことを書いて気恥ずかしくなったのか、自分が死ぬ前に見られた場合のことを想定して笑いどころを作ったのか、それは分からないけれど……全然全く、これっぽちも笑えなかった。
「……先代は、中身を?」
「いや、まだだ。見てもいいのか?」
フィリップは無言で頷き、手紙を渡す。
先代はそれなりに時間をかけて読み終えると、フィリップ以上に重々しく嘆息した。
「確かに、あいつには妹がいる。今は俺が保護者だが、うーむ……?」
腕を組み、難しい顔で視線を彷徨わせる先代。
ウォードの遺言の是非を考え込んでいるように見えたが、そうではなく、彼はその可否について考えていた。
「俺の記憶が正しければ……、つまり、大体50パーセントぐらいの確率でなんだが、後見人になるには15歳以上だか20歳以上だかの制限があったはずだ」
へえ、とフィリップは頷くことしか出来ない。
ステラがまだ居てくれたら「そうなんですか?」と聞くだけで、先代の言葉の正否からフィリップが応じるべきかどうかまで教えてくれただろうが、残念ながらフィリップの法知識はほぼゼロだった。
法的拘束力のない、口約束的な「後見人」になることは出来るだろうけれど、もしもその“妹”が魔術学院や軍学校に入学する場合、書類上の保護者でなければ差し障ることが出てくるだろう。
レイアール卿からのお小遣いは完全に手付かずだし、誰かを支援するどころか、養うことだって可能だ。金銭的には、という但し書きは必要だが。
今のフィリップはただ金銭的に裕福なだけの、責任能力のない子供でしかない。
「まあ、すぐにどうこういう話じゃない。あいつも俺の弟子だし、まだまだ教えなくちゃいけないことだらけだ。しばらくは俺のところで預かっておく。君が爵位を貰ったら、そしてその時に応じるつもりがあったなら、改めて連絡をくれ」
「……その時が来たら、ルキアと殿下に相談してみます」
努めて明るい声を出した先代に、フィリップは難しい顔で頷いた。
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キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』
シナリオ18 『White Out』 ノーマルエンド
技能成長:なし。或いは使用技能に妥当なボーナスを与えてもよい。
特記事項:同行者『ウォード』『モニカ』死亡。
ヨグ=ソトースが介入するような事案は発生していない。
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