第435話
「……さあ、遺品を集めるなら早くしなさい? 依頼は達成したのだし、帰るわよ」
「あ、うん」
ミナに言われて、フィリップはやや億劫そうに二人の死体の方へ向かった。
まだリリウムが泣きじゃくっている死体の傍ではなく、なんとなくその周りを歩いて良さげな遺品を探す。
ほんの少し歩くだけで、フィリップは求めていた物を見つけられた。
剣だ。
ウォードが持っていた、王都製の普通の業物。程よく切れて程よく頑丈な、よく手入れされた逸品。
それが刃の中ほどで砕けるようにして折れ、柄側の半分だけが雪に刺さるようにして落ちていた。
拾い上げると、柄に巻かれた革がかなり新しい物であることに気付く。刃には研磨と修繕の跡が数多く残り、古強者のような風格を醸し出しているのを見ると、まだ少しだけ光沢のある柄革はちぐはぐだ。ウォードがこれを大切に扱っていたことの証だろう。剣がここまで摩耗するほどに使い込み、何度も何度も柄革を擦り切れさせて、その度に巻き替えて使い続けていたのだ。
その最期が、主人より先に折れたのか、それとも主人を守って折れたのかは分からないが……ウォードの遺品にこれ以上のものはないと思える。
「ウォードのはこの剣でいいとして……モニカはどうしよう」
剣士だったウォードとは違い、モニカには彼女の在り方を示す物品がすぐには思いつかない。
いや──フィリップの中で、彼女は数年前の姿のままで止まっている。困ったことにサボリ癖があって、更に困ったことにナイ神父に懐いてしまった、二つ上のお姉ちゃん。
肉体的にも精神的にも成長して、聞くところによると衛士たちから護身術を教わっていたらしいけれど、結局、技の一つも見せて貰う前に死んでしまった。
二人とも、フィリップはそれなりに大切に思っているつもりだった。
仲は良かったし、話も合った。ウォードには色々なことを教わって尊敬していたし、モニカのことは守らなければならないと思っていた。
けれど──いざ死なれると、思っていた以上に何の感情も湧かなかった。
そのことが、何度も何度も、数十秒おきに頭を過って刺していく。刺されている、はずなのに──自覚している自責でさえ、心に何の痛痒も与えない。
「……血を小瓶に入れて持ち帰るというのはどう?」
「うーん……? ちょっと違うかな……。死んだ人を想うための、思い出の品みたいな感じのものがいいかも。オーソドックスなものだと、十字架とか。まあ、どうせ身体の代わりに埋葬するんだけどね」
とは言っても、あまり適当なものだと遺族に叱られてしまう。
そんなことを考えて──仲間が死んだというのに叱られることなんかを気にしている自分に気付いても、何の感情も抱かない。
「……フィリップ君、死体は死んだ場所に埋めていいの? 人間式の埋葬方法とかってある?」
問う声のした方に目を向けると、こちらを向いたエレナの向こうでリリウムがしゃくりあげながら穴を掘っていた。服や手袋が汚れるのにも構わず、雪を掻き分け、泥を掘り除けて。エレナは左手だけで器用にシャベルを使い、リリウムを手伝っているようだ。
「え? あ、いや、それでいいかな。……意外と早かったね、復帰」
そんな益体のない興味に、自問も自責も掻き消される。
結局のところ──二人の死は、泡が弾けた程度のイベントに過ぎなかった。
「そうかな?」
「もっと悲しみに浸るものかと思ってた。いや、前の……テレーズの時も立ち直るのは早かったっけ」
言いながら、フィリップは少しだけ焦る。
エレナが思ったより早く立ち直ったことは関係ない。テレーズの名前を思い出すのに若干の時間を要したことに焦ったのだ。
「お別れするのは寂しいし悲しいけど、くよくよしてたって死んだ人は生き返らないでしょ? 生き残ったボクたちが考えるべきは、二の轍を踏まないようにすることだよ。それが最大の弔いだもん」
淡々と、とは言えないまでも涙の色を感じさせない声で語るエレナに、フィリップは意外そうな目を向けた。
「……? な、なに? 何か変な事言った?」
「いや、意外とポジティブな死生観で驚いただけ……」
ポジティブというか、むしろ本能的と評すべきだろうか。
知的生物が同族の死骸を忌避するのは、それが警告になるからだ。捕食者や異常環境などの脅威があることを知らせる標示に。
エレナの考え方は、その本能的認知によく即している。
フィリップがカルトの死体を足蹴にすることを嫌がったかと思えば、こういうところはドライだ。死者への敬意と、生死の間にある絶対的な隔絶を同時に知っている、ということだろう。
森の中という自然の中で、しかし高度な社会性を持つ文明を築いて生きているエルフらしい価値観だ。
「……正直、「連れて帰らなきゃ!」とかゴネるかと思ってた」
「ボクのこと何だと思ってるの? フィリップくんやリリウムちゃんが病気になるようなリスクは持ち込まないよ」
エレナに胡乱な目を向けられ、フィリップは曖昧に苦笑して誤魔化す。
彼女は更なる追求をしようと口を開くが、その前にリリウムが話しかけてきて機を逃した。
「……ねえフィリップ、スコップ無い? 私の荷物、森の外に置きっぱなしなの」
見ると、リリウムは革の手袋や服の袖を泥だらけに汚していたが、掘られた穴は人間の上半身が入るにはまだまだ不足だった。
泥の下には早くも硬い土があり、手では限界が来たようだ。
「あぁ……。いや、僕も使うんだけど。……まあいいや、ミナに作って貰うよ」
言って、フィリップはリュックから折り畳み式のシャベルを取って渡した。
野営時にはテント設置のための簡易整地からトイレ掘りにまで幅広く使っている小ぶりなものだが、王都製だけあって鋭利で頑丈だ。少女の力でもすいすい……とまでは行かないが、それなりの効率で掘り進められるだろう。
魔術を使わないのは土属性に適性が無いのか、墓穴は手で掘りたいという感傷か。
「埋めちゃうんですか。食べちゃ……駄目ですよね! ごめんなさい! 黙ります!」
フィリップとエレナに睨まれ、論外なことを言ったカノンが慌てて両手を挙げる。人間が一般的に使う降参を示すポーズではなく、高々とY字に。
「フィル。これは何? 一見魔物みたいだけど、魔力がないし別物よね?」
「ん? あー……、説明が難しいんだけど、そうだね、魔物モドキって感じ」
興味深そうにカノンを見つめるミナだが、目の中に友好的な光はない。
あるのは珍しい虫を観察するような冷たい感情。その虫が害虫ではないか、針や毒を持たないかを見定め、必要とあらば靴底の汚れに変えるという冷たい殺意。
「……敵ではないの?」
「うーん……」
「うぇ!? 悩まないでくださいよ!? というか、敵対するなら私も抵抗しますよ! 王都まで行かないといけないので!」
格闘戦の構えを見せるカノンだが、フィリップとミナの目は冷ややかで、応じるように構えたりもしない。
抵抗も何も、エレナ相手に圧勝できないカノンが、ミナ相手に抵抗らしい抵抗を出来るはずがないのだ。今ここで戦闘が始まったとしても、カノンは秒殺される。
「王都に?」
「あぁ、うん。ナイ神父とマザーに会いたいんだって。案内してくれって言われて、どうせ帰り道だし、面白い子だしいいかなって」
フィリップの言葉に、ミナは「そう……」と呟く。
一応同道を認めてはくれるようだが、ナイ神父とマザー──フィリップに悪臭を擦り付けていく原因と思しき二人に、態々会いに行くというカノンには気持ち悪いものを見る目を向けていた。
◇
フィリップたちが王都に戻ってから一週間もしないうちに、ウォードとモニカの埋葬式があった。
初夏のよく晴れた、気持ちのいい日だ。二等地の外れにある墓地に、フィリップとリリウムは喪服姿で赴いていた。エレナは埋葬式という文化が肌に合わないと辞退し、ミナはそもそも弔意がないのでパス。
墓守が掘った深い穴に収められる棺の中に、死体はない。
殆ど空の木棺の中には、それぞれ柄から数センチしか残っていない壊れた剣と、鳥の意匠の髪飾りが静置されている。
「親愛なる兄弟姉妹たち、我々は今日、勇敢な冒険者であったウォード・ウィレットとモニカ・カントールの魂を神に捧げるために祈ります。彼らはこの世を去りましたが、いずれ来る復活の日に新しい命を得るまで、天国で長い安寧の時を過ごします」
モニカが生まれたときに洗礼を施したという、二等地ではそこそこ大き目の教会の神父が、厳かに弔辞を述べる。
普通、埋葬は同じパーティーの仲間であっても同時には行わない。
そもそも送別に立ち会うのは家族と、後は精々特別に仲の良かった数人程度。参列者は多くても十数人に留めるのが一般的だ。
一神教に於ける“死”は悲しむべきものではないとされる。
死者はいずれ来る審判の日に神と共に地上へと再臨するのだから、別れは一時的なものに過ぎない。死者が旅立ち、会えなくなってしまうことは寂しいことではあるが、神の元へ行く死者に悲しみを向けるべきではないと。
だから別れを告げる儀式である埋葬式も、そう大仰である必要は無い。
神父が弔辞を読み上げて、遺体を納めた棺を埋めて終わり。特に別れを惜しむ家族や仲間だけがいればいいし、それ以上は過剰だ。
ウォードとモニカの葬儀は、その“一般”の枠から外れていた。
モニカはこれまでのカントール家の人々と同じ墓地の、祖父母の墓の近くに葬られる。正確には「彼女の遺品は」だが。遺体は王都から遠く、シルバーフォレストに埋まっている。
彼女の両親、アガタとセルジオはフィリップの斜め前で身を寄せ合って涙を流している。その周りにはタベールナの従業員が数人と、親戚だという夫婦が一組いた。
「彼らは生涯を神と人々に仕えることに捧げた勇猛な冒険者であり、多くの人々に一時の安らぎを与える宿屋の子でありました。彼らの善行と信仰は、我々の心に深く刻まれています」
神父が読み上げる弔辞は、フィリップの耳を滑って流れていく。
その視線は、モニカの墓の隣、ウォードの墓に向いている。その墓前にいるのはフィリップとリリウムの二人だけだった。
「我々は彼らのために、また彼らの遺族のために、慈悲深い唯一神に祈り求めます。神よ、あなたの子であるウォード・ウィレットとモニカ・カントールの魂を、あなたの栄光のもとに迎え入れてください。彼らに永き眠りと平和を与えてください」
死後生か、とフィリップは雲一つない快晴の空を見上げる。
もしも本当に天国や地獄や辺獄というものがあるのなら、そこが現世と絶対的に隔絶されていることを願うばかりだ。
死後に意識など無く、そこが生命・魂魄の終焉であればそれがいい。だが霊魂が尚も存在し続けるのだとしたら、せめて現世を、フィリップとその周囲の邪神たちを目にしないでいて欲しい。
まあ、どのような隔絶であれ“外側”からの干渉に耐えうるものではないだろうけれど、それでも、死後くらいは平穏であることを願おう。
「……僕のせいで死者が二度死ぬなんて、流石に夢見が悪いからね」
フィリップの呟きは誰に届くことも無く、気持ちのいい初夏の風に攫われた。
そして、埋葬式は恙なく終わる。ウォードの家族は最後の最後まで姿を見せなかった。
埋葬式を終えた帰路。
リリウムと別れて歩いていたフィリップの前に、複数の騎兵に護衛された大ぶりな馬車が停まった。錬金術製の装甲板に覆われ、王家の紋章を掲げたクーペだ。
フィリップの臭いに怯える立派な軍馬を御者が苦労して宥めると、随行していた騎士が馬を降り、その扉を恭しく開けた。
「お乗りください」
促され、中で待つ人物に一人しか心当たりのないフィリップは騎士に会釈して素直に従う。
当然ながら、フィリップの前に座っていたのは予想通りの人物、ステラだった。
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