第429話

 エレナは自己強化系の魔術を使える分、フィリップより魔術適性に長けている。

 しかしどうやら、耐性の方はお粗末だ。勿論『深淵の息』が耐性貫通能力に長け、魔力の貧弱なフィリップでもある程度の相手までなら効かせられるというのもあるだろうが。


 とはいえ、魔術の貫通性能も術者が弱くては弱体化する。

 並大抵の魔術師相手なら十メートル以内で撃たないとほぼ弾かれるし、魔物くらい耐性が強いとゼロ距離でもレジストされてしまう。


 手応えからすると、エレナには効く。効かせられるが、しかし。


 ──10メートル。


 格闘技術と人外の運動性能を併せ持つ化け物を前にそれは、あまりにも近すぎる。


 いや、万全を期すなんて贅沢を言うのなら密着だ。

 あのエレナとの白兵戦を制し、彼女の制空権を突破して、肺の真上、彼女の胸に触れた状態で詠唱したい。

 

 「カノン、僕を援護して彼女を殴れる距離まで近付けて」

 「それは構いませんけど、フィリップさん、あんなパンチ喰らったら爆発しますよ? ばっちゃーん! って」


 さも簡単なことのように言うフィリップだが、カノンは難色を示すを通り越して正気を疑うような目を向ける。


 水溜まりに飛び込んだみたいな擬音だが、多分、比喩抜きでそんな音がするのだろう。その音が伴う光景も想像がつく。


 「「僕を援護しろ」って云うのは、その冗談みたいなパンチを僕に当てさせるなって意味だよ」

 「えー……。もう、仕方ないですねえ」


 当たっても文句は言わないでくださいね、とカノン。

 エレナの本気の攻撃が当たったら、文句を言う暇もなく死ぬ。それこそ「ばっちゃーん!」という音を鳴らすことになるだろう。

 

 援護しろ、とは言ったものの、フィリップに距離を詰める策はない。

 『拍奪』を全開にして突っ込むのは一案だが、それだと詰めた後がない。後が無いというか“先”が無いというか、とにかく至近戦闘でエレナに圧倒されて詰む。


 エレナの最大射程は足の長さ、70~80センチ。

 フィリップの最大射程は腰から上プラス伸長された蛇腹剣の5メートル。だが加減の効きやすいロングソード形態なら腕プラス剣形態で最大2メートル。実戦可用域なら一メートル強。


 間合いだけならフィリップが勝るが、白兵戦の技量はエレナが圧倒的に上だ。

 剣対素手の模擬戦で一度も勝ったことがない以上、武装差があるからと迂闊に突っ込みたくはない。


 「──ッ!」


 フィリップがジャケットの前を開けた動きに反応し、エレナが大きく下がる。

 それがクイックドロウの前準備であることを、彼女はきちんと理解していた。


 「行くよカノン。僕に一撃も当てさせず、エレナに触れる位置まで連れていけ」

 「わあ、面倒なオーダー。でも逆らってはいけない気がするのはどうして……?」


 その会話を最後に、膠着が崩れる。


 エレナは前に。

 一息に二十メートルを跳躍する脚力は爆発的な加速を生み、フィリップの望む交戦距離である十メートルに踏み入ると、次の瞬間にはエレナの交戦距離である一メートルにまで詰め寄っていた。


 フィリップは後ろに。

 カノンを盾にしながら必死に下がり、エレナの手足の間合いからどうにか逃れようと試みる。


 自分から距離を詰めるつもりだったから、エレナの接近速度や予備動作の無さ以上に、自分から接近してきたことに意表を突かれてしまった。


 慌ててエレナの間合いを逃れるフィリップの眼前で数度、剣戟のような金属音が連続する。

 人間の頭蓋を容易く砕く威力のパンチは甲殻に包まれた腕に弾かれ、邪魔者を排除するために繰り出された貫手は喉の寸前で払われる。


 流れた姿勢を利用したハイキックに首を刎ねられそうになり、カノンは「ひょえ」と不安になる悲鳴を上げた。


 だが防げている。……エレナからすると、防がれている。


 「……っ」


 エレナは苦々しく表情を歪め、フィリップへの追撃を諦めてカノンへ意識を集中した。


 効果が出なかったらしいとはいえフィリップが何か魔術を使った以上、遠距離で戦うのは愚策だ。


 フィリップは独り言のつもりだったようだが、自信ありげな「十メートル」という呟きも、エルフの優れた聴力で聞き取っている。十メートル。それが魔術の効果圏なのだと、エレナはそう判断した。


 本当なら石でも拾って投げつけて、アウトレンジで仕留めたいところだが、相手はフィリップだ。

 「拍奪」はミナ相手でさえ効果を発揮する攻性防御だし、得物「龍貶しドラゴルード」はミナの魔剣にも匹敵する特上の業物。そしていつの間にか熟達していた遠距離攻撃武器フリントロック・ピストルを持つ。


 戦いの主導権──より正確には、間合いの決定権を渡していい相手ではない。


 そしてフィリップも、エレナが懸念している自分の優位性は理解している。

 エレナはパンチやキックで戦う以上、距離を詰めるしかない。対してフィリップは至近戦ではロングソード、中近距離ではソードウィップ、そして遠距離ではフリントロックという多彩な手札がある。


 しかし。

 

 「──ふぅ。流石に詠唱する隙が無いな」


 カノンがエレナを妨害している隙に間合いから逃れたフィリップは、翻ったジャケットを正しながらぼやく。

 たった一度の攻防で──ではなく、これまでの何十、何百回もの模擬戦の記憶から、エレナに触れながら魔術を詠唱することの難しさは十分に理解していた。


 見守る先ではカノンが羽を動かしてその場で滞空し、両足を揃えたドロップキックでエレナを大きく後退させながら、自分も宙返りしてフィリップの傍まで下がってきた。


 彼我の距離は十と三、四メートル。

 エレナとカノンは一足で詰められる距離だが、フィリップはそうはいかない遠距離だ。


 ちょっと詰めれば魔術の効果圏かもしれないが、そろそろ魔力残量が本格的に怪しい。

 いざという時のために『エンフォースシャドウジェイル』と『ハスターの招来』をそれぞれ一発分。それらを使った上で、脱力や眩暈、吐き気などの最低限の自衛戦闘に支障を来す魔力欠乏症状が出ない程度には魔力を残したい。


 『深淵の息』は魔力消費量が少ないとはいえ、それでも下手に試して一発分無駄にするよりは、多少無理をしてでも距離を詰め、ゼロ距離で撃ち込みたいところだ。


 「それで切っちゃえばいいじゃないですか。それともその剣、飾りですか?」


 人の手にあらざるものクリエイテッドの魔剣のように特殊な能力こそないものの、それでも魔剣と打ち合える大業物に随分な言い種だ。

 戦闘中でなければ先っぽをちょっと突き刺してやりたいところだが、エレナから視線を切るのは流石に怖い。


 「古龍と成龍の素材で作った剣だから、君の親戚みたいなものだけどね」

 「わあ、よく見たら凄くカッコ良くて性能も高そう! まるで私みたいですね! ……って何言わせるんですか! 剣なんかと一緒にしないでくださいよ!」


 冗談だと思ったのか、カノンはフィリップの警戒も知らず笑いながらバシバシと背中を叩く。

 加減はしているようだが、エレナと打ち合えるだけあって馬鹿力らしく、かなり痛かった。


 「イタッ、痛い……何も違わないでしょ?」


 叩かれながらも、なんとかエレナに切っ先を向け続けることに成功したお陰か、彼女がカノンの隙を突いて攻めてくる気配はない。


 「大違いです! そんなこと言い出したら、水分とタンパク質で出来てる人間は牛乳の親戚──ってフィリップさん、前!」

 「──っと!」


 警告と同時に慌てて顔を逸らすと、耳元で鋭い風切り音が鳴った。

 エレナが予備動作なく足を振り、小石をフィリップの顔面目掛けて蹴り飛ばしたのだ。


 姿勢が崩れたその隙を突き、エレナが雪煙を上げて突っ込んでくる。


 流石、自分の勝ち筋をよく理解している、とフィリップは後退しながら苦々しく顔を歪めた。

 庇う位置に躍り出たカノンが構えると、エレナは速度や慣性を殆ど感じさせない動きでバックステップを踏み、間合いを取り直してナイフを抜く。


 そして逆手に持って背に隠すと、そのまま急加速して再接近し、踊るような動きで斬りかかった。

 

 間合い隠しコンシール。エレナは距離感覚に優れた肉食獣や魔物との戦いで身に付けた技だが、人間の中ではむしろ暗殺者の技術として一部に認知されている技法だ。

 交戦、いや相手が防御する直前まで刃渡りを隠し、防御や回避を困難にする。下手に小さく避ければ刃が当たり、大袈裟に防げば隙が生じる。基礎的な格闘能力があってこその搦手と言えるだろう。


 エレナはカノンの突破を諦め、まず彼女から処理することにしたようで、左脇を狙ってナイフを隠した右手を振り上げる。


 カノンは甲殻に覆われた左腕で難なく防ぎ──甲高い金属音と共に左腕に手応えを感じたときには、エレナのナイフは喉元を狙って突き出されていた。

 防がれた反動を利用し、そして「防いだ」というカノンの意識の虚を突く二段構えの攻撃。それも脇下という急所狙いの攻撃をブラフに、喉というより危険度の高い急所を狙うとは、フィリップも傍目に見ている分には感心してしまう連撃だ。


 標的になっていたカノンは感心どころではなく、「ひょえぇ!?」なんて間抜けな悲鳴を上げる。

 咄嗟に右手でナイフを掴み、鉄製の刃をぐしゃりと握り潰すと、得物を失ったエレナは柄を手放して大きく後退した。バックステップに石を蹴る動作を忍ばせていたが、流石にそのくらいはカノンにも見えて、フィリップ目掛けて飛来した石は難なく弾かれる。


 「大丈夫? 生きてる?」

 「な、なんとか! いやあ、凄い。速いですね! 目で追いきれませんでしたよ!」


 カノンはエレナの動きにギリギリ付いて行ったようにフィリップには見えたが、本人がそういうのならそうなのだろう。

 胸を撫で下ろし、一息ついたカノンは、今度はマチェットを抜いたエレナを真っ直ぐに見据えた。


 「……?」


 カノンの纏う空気が変わる。

 フィリップには分からない変化だが、エレナにははっきりと感じ取れる。


 それは殺気だ。


 獣、魔物、人間、吸血鬼。

 様々な種族と戦ってきたエレナには、同族であるエルフ以外の殺気をも感じ取る鋭敏な感覚が備わっていた。

 

 「では──」


 徐に呟いたカノンの目が開く。

 瞼が、ではない。


 赤い瞳と白目が瞬膜のように目尻側へ収納され、本当に文字の通り目を開き、その下にあったものを露にする。

 それは言葉の通り、「目を開ける」ことでもあった。


 そこにもまた、目があった。

 目があった。目が、目が、目が、目目目目目目目──数える気にもならない無数の、米粒大の眼球が、眼窩にぎゅうぎゅう詰めになっている。


 超ミニチュアサイズの人間の眼球がびっしりと並んだそれを、昆虫の複眼と同列に語るのは憚られる。何故ならカノンのそれは、眼球の一つ一つが独立して動いているからだ。


 「さあ、続けましょうか。これでもう振り切られたりは──ん? どうしました、フィリップさん。ちゃんと前見てないと危ないですよ」


 両目と、口と。

 人間が顔を認識する三要素のうち、口は完全に人外のもの。一見してそれが口であると認識する方が難しい、花弁のような形状の大顎だ。


 そして目もそのはずだ。眼窩に無数の眼球が詰まった人間など、フィリップは見たことがない。

 だが眼窩の位置が変わらず、大顎の下にある第二顎が人間のそれとよく似ているせいか、一見した印象はだった。もっと振り切れた、獣や爬虫類っぽい顔とか、頭蓋骨が剥き出しになったスケルトンくらい、明らかに魔物であってくれたほうがまだ精神への負担が少ないと思える外見だ。


 「あぁ……うん、そうだね……」


 こいつ自分の顔面でエレナの正気を吹っ飛ばしたこと、もしかしてもう忘れたのか? とフィリップは怪訝を通り越して愉快そうな目を向ける。


 「一応確認しておくけど、エレナを殺しちゃ駄目だからね?」

 「……え? あ、も、勿論分かってますよ! フィリップさんのお仲間ですもんね! ……なるほど、だから剣を使ってなかったんだ」


 最後の呟きまでばっちり聞き逃さず、フィリップはこいつマジかと言わんばかりの愕然とした表情を浮かべる。

 前提ともいえる条件を共有できていなかったこともそうだが、何より、今の今までエレナを殺す気だったのに殺せていないことの方がショックだ。


 フィリップもそれなりに戦闘慣れしてきたから分かるが、殺す気で戦って殺すのは簡単だが、殺さないように制圧するのは難しい。

 先のカルト──戦闘慣れしていないほぼ一般人みたいな相手でも、逃げ出されると加減を間違えた。


 だからエレナとカノンが戦って、殺す気のエレナと加減しているカノンだったら、まあエレナが勝つのも已む無しと思っていたけれど……。


 「そ、そんな顔しないでくださいよ! 分かってましたってば! ……複眼も解放してませんでしたし、反応刺胞装甲も使ってませんでした! ほら、全然本気じゃない!」


 叱られた子供が言い訳するように並べ立てるカノン。

 全力ではなかったらしいが、それは本気ではなかったことを証明しない。


 「ちなみに僕を守りながらって制限が無ければ、エレナを殺さず制圧できる?」


 問うと、カノンは複眼を一斉に明後日の方向に向けた。口の形状が人間と同一なら口笛でも吹いていそうな白々しさだ。


 フィリップは乾いた笑いを零すと、深々と嘆息してエレナに視線を戻した。

 距離を詰めかねているのはフィリップだけでなくエレナも同じようで、彼女はフィリップたちの隙を探して足を止めている。


 「……反応刺胞装甲って、刺さったら即死する?」


 フィリップは苦々しい表情で問いかける。

 グラーキの細胞を培養して作られたという情報だけで──あの湖を汚染していた存在に由来するもの、刺した相手をアンデッド化させる棘をベースにしているというだけで、使いたくない気持ちで一杯だが、そうも言っていられない状況だ。


 出し惜しみすれば二人ともボコボコにされる。

 いや、擬音が不適切か。「ばっちゃーん!」されて、高所から落とした水袋のような死骸を晒すことになる。


 「いえ、傷口が腐敗するので放置すれば死ぬと思いますけど、攻撃自体はただの棘ですよ?」


 幸いと言うべきか、残念ながらと言うべきか、カノンは「何言ってんの?」と言いたげな声色で否定した。


 「腐敗かあ……。まあエレナなら薬とか作れるだろうし、最悪ミナに頼ればいいか……。よし、手足の先に当てるだけならそれ使っていいよ。それなら勝てる?」

 

 大譲歩だと言わんばかりのフィリップの問いに、カノンは「……頑張ります!」と両の拳を握った。

 「馬鹿にしないでください!」と言われる想定で「ごめんごめん」と適当な謝罪を喉元に用意していたフィリップは、その言葉の代わりに呆れ笑いの溜息を零す。


 事が終わったら「原住生物殲滅兵器」という言葉が誤訳ではないか、そして彼女との意思疎通が本当に正しく出来ていたのか、確かめる必要があると強く思ったフィリップだった。




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