第422話

 カルト狩り直後のハイテンションも収まり、襲撃前に隠しておいたリュックを回収したフィリップ。

 中身をゴソゴソ漁ると、まず小ぶりなポーチを取り出し、それから両手に収まるくらいの黒い塊を新たな同行者へ投げ渡した。


 「……これは?」

 「ガスマスクだよ。あげる」

 「むっ。それくらいは見れば分かりますよ! ミ=ゴの技術力を馬鹿にしないでください!」


 フィリップが彼女に放ったのは、王都で買ったガスマスクの余りだ。

 口と鼻を覆い隠すハーフフェイスタイプで、防毒防塵用のキャニスターが左右に一つずつ付いている。


 「一旦僕の仲間と合流するから、それ着けといて。手足とか羽もアレだけど、一番隠すべきは口元だから」


 というか、手足と羽はもう隠しようがない。だが幸い、ごつごつした鱗に包まれた腕はヒトガタで五指だし、羽も蝙蝠のそれにやや近い。明らかに人間ではない様相ではあるが、常識外れの外観ではない。


 問題はやはり、二重の口元だ。

 外顎は開き方からして禍々しいし、開いたときに口の内部粘膜が見えるのも気色悪い。第二顎は一見して人間のそれに似ているが、こちらも粘膜のすぐ下に筋肉と骨があるのが分かる、いやに生々しいものだ。


 フィリップでさえ、一目で化け物であると──魔物ではなく、人類領域外の存在であると判断する外見だ。ビヤーキーやショゴスや、ゾ・トゥルミ=ゴの同類だと。

 

 しかし重ねて幸いなことに、口を閉じた状態なら、顔の輪郭自体は人間のそれと変わらない。ガスマスクは問題なく着けられるはずだ。


 「隠す? ……それは? 火薬と、鉄球ですか?」

 「武器の準備。そのノフ=ケーとやらに遭遇した時に、すぐ戦える状態にしておかないと」


 取り敢えず敵ではないという判断をしたフィリップは、先込め式銃の定めである面倒な再装填作業に取り掛かる。

 銃身内の火薬ススをクリーニングロッドで拭い、装薬を入れ、弾をロッドで押し込んで搗き固める。それから火薬漏れ防止の燃焼性に優れた紙を詰め込んでまた押し固める。火皿に点火薬を入れ、フリズンを閉めて密閉を確認。火打石の摩耗と角度を確認して、撃鉄を起こし、安全装置を掛けて完成だ。


 作業をじっと見ていた「ミ=ゴの兵器」は、フィリップがホルスターに仕舞った銃器を指して笑う。


 「ぷーすす! フリントロックピストルなんて、やっぱりこの星の文明は遅れてますね! 時代は電気銃ですよ!」

 「中々興味を惹かれる名前だけど……君、口元隠したら可愛いね?」


 意外──でもないか。

 直立二足歩行を想定するなら左右のバランスには気を配るだろうし、顔を含む身体の均整が取れているのは当たり前かもしれない。


 人間基準の「可愛い」という評価をどう捉えるべきか測りかねたか、彼女は垂れ目がちな双眸を怪訝そうに細めた。


 「え? はあ、ありがとうございます……?」

 「それじゃ、行こうか。シル……あっ、君の名前もそれっぽいの考えないと。「原住生物殲滅兵器云々」とか、そもそも長すぎて呼び辛いし」

 「ほう。ではお手並み拝見といきましょうか! 兵器っぽくてカッコイイのをお願いしますよ!」


 何か案は? と水を向ける前に、先に彼女がぴっとフィリップの顔を指差した。

 甲殻に包まれた指の先端には鋭利そうな爪があるし、そもそも普通に失礼なのでやめろと言いたいところだったが、「何視点のどういうテンションなのさ」という突っ込みが先に口を突いた。


 兵器らしくてカッコイイ? とフィリップは素直に首を捻る。

 そもそも何かの名前を付ける行為自体不慣れだというのに、妙な追加注文まで付けないで欲しい。古龍を殺して腑分け取った素材で作った剣を「龍貶しドラゴルード」と名付けたのはフレデリカだし、フィリップの実績と言うと「エレナと愉快な仲間たち」くらいのものだ。まあ、あれはふざけ半分だけれど。

 

 「兵器……兵器?」としばらく唸って、ふと閃いた。


 「……“カノン”」


 名案でしょ、と指を弾いたフィリップに、ガスマスクで目元しか見えない少女はにっこりと笑い。


 「なんですか、私が無駄に金属資源と火薬と人員を使うだけ使って、そのくせ魔術師一人分の火力も出ないかもしれないポンコツ兵器だって云うんですか!」

 「うわ、バレた!? クソ、この星の兵器事情に詳しいなこのポンコツ……」


 威嚇するように両手を振り上げたかと思うと、フィリップの肩を掴んでがくがくと前後に揺する。

 フィリップは意図した皮肉がきちんと伝わったことにちょっとした喜びを感じ、言葉に似合わない愉快そうな笑みを浮かべた。


 「あ! ポンコツって明言しましたね!? ゆ、ゆるせん……!! こうなったらジャンケンで勝負です! はいじゃんけんぽん!」

 「は!?」


 「ミ=ゴにもその文化ジャンケンあるんだ!?」という異文化交流による衝撃と、「いきなり何!?」という単純な驚きに襲われつつ、フィリップは鍛えられた反射神経で咄嗟に手を出す。


 結果……フィリップはパー。鱗に覆われたゴツい手はグーだった。


 「……え? こういう時ってパー出すのが定石じゃないの? ミ=ゴは違うの?」


 確か、いきなり早口で捲し立てられて力んだ人間は、つい咄嗟に力が入りやすいグーを出してしまうから、仕掛ける側はパーを出せば勝率が高いとか、なんとか。

 フィリップが何度か兄に仕掛けられ、仕掛け返したこともある、割と有名な話だ。


 「し、しまった!?」


 ついうっかり! と自分の両手を見下ろすポンコツ兵器。


 鋏の手を持つミ=ゴは、開くチョキ閉じるグーの二択が殆どだ。

 人間の手指以上に複雑で器用な作業用付属肢を持つ個体もいるが、そういう個体はそもそも試作実験機と遊ぶことをしなかった。つまり──彼女はグーを出せば絶対に負けない環境にいたのだった。


 ほぼ勝ち確の勝負だと思って仕掛けたら、咄嗟に慣れで対応しただけの相手に負けた。


 「……ねえポンコツ、まだ何か文句ある?」

 「ありません……。機体固有名“カノン”で結構です……」


 がっくりと肩を落とした「ミ=ゴの兵器」改めカノンに、フィリップは愉快そうに笑った。


 「よし。それじゃシルヴァ、案内お願いね」

 「ん! どちらまで?」


 フィリップの足元からぴょこりと出てきたシルヴァ。口調は貸し馬車の御者の真似だろうか。


 「キャンプまで……キャンプ出来てるかな。いや流石に出来てはいるか……」


 リリウムとモニカは放っておいたら雪合戦とか始めそうなテンションだったけれど、エレナとウォードがいれば問題ないだろう。


 ただ、こうも雪の酷い環境だと、良い感じの薪がなさそうだ。

 火のないキャンプは流石に想像がつかないが、辺り一面雪景色で、明らかに平常な気温ではない。毛布や防寒具の追加はあるが、焚火無しは流石に厳しい。


 それでもエレナは冒険経験の豊富なスペシャリストだし、ウォードもきちんと野営の訓練を受けたはずだ。どうにかしてくれるはず……どうにかしてくれてるといいなあ、と、半ば現実逃避気味の期待を口にするフィリップ。


 しかし残念ながら、シルヴァは頭を振って否定する。それ以前の問題だと。


 「もりのそとだからわかんない。……けど、たぶんできてない」

 「え、嘘? なんで?」

 「みんなもりのなかにいる。……のふけーにおそわれたのかも」


 森の外で戦ったのなら、シルヴァの掌握圏外だ。

 かも、というふわっとした言い方になるのも無理はない。だからそれは別にいいのだが、無視できないこともある。


 「ミナがいて負けた──敗走したってこと?」


 だとしたら不味い。物凄く不味い。

 ミナのトップスピードはフィリップの動体視力を容易に振り切り、邪神召喚を使う間もなく首を刎ね飛ばせる。


 そのミナが負けた……とまでは言わずとも、圧勝できない時点で、敵の脅威度は窺い知れる。

 いやまあ、ミナは余程のことがない限り面倒臭がって本気を出さないし、そもそも本気で戦わなければならないような相手からは逃げる。そんなかったるいことはしていられないと。


 「まあ、ノフ=ケーは自分の周囲半径100メートルに吹雪を起こして、その中を泳ぐみたいに近づいてくる狩人ですからね。こちらの最大視程は3メートル。碌な身動きも取れない風圧に、叩き付ける雪の礫、そして指先からじわじわ凍り付いていくような低温環境……。人間の戦士は目を潰されても研ぎ澄まされた肌感覚で空気の流れを感じ取り、聴覚と組み合わせて“気配”を把握しますけど、吹雪によるホワイトアウトは視界だけでなく聴覚と肌感覚も奪います。人間が勝てる相手じゃないですよ」

 「うーん……?」


 同じ寒冷地の生き物だけあって詳しいカノンが言うが、フィリップは納得しかねたように首を傾げる。


 列挙された環境要素はフィリップや、或いはエレナにさえも強烈な悪影響を与えるだろうけれど、ミナの敗北要素になるかと言われると怪しい。いや、ノフ=ケーが、その分の弱体化がミナの敗北要因になる程度には強いのか。


 ……本当に? 成龍を単身相手取り「まあまあ楽しめた」なんて言い放つ、化け物中の化け物である彼女が?


 いや、そもそもミナ相手に喧嘩を売ること自体、かなり異常だ。

 

 「……ノフ=ケーってこの星の生き物なんでしょ? 僕とかミナの臭いなんか、近付きたくもないレベルのはずなんだけど」

 「え? フィリップさん、すごくいい匂いですよ? まあ、ちょーっと匂いが強すぎるというか濃すぎるというか、香水樽にでも入ったの? って感じですけれど」

 「香水樽に入った人を見たことないから分かんないけど、同じ空間に居たくないレベルなのは分かった」


 そりゃあナイアーラトテップとシュブ=ニグラスを信仰しているのなら、そしてその神威を知っているのなら、フィリップの臭いは最高級の香水みたいなものだろう。


 だがこの星の生き物にとっては悪臭だ。野生動物は逃げ出し、ドラゴンでさえ駆除のためにブレスを使うほどの。

 それは「夜の香り」や「月と星々の匂い」と呼ばれるものに似ており、吸血鬼に特有の気配とも多少似ている。フィリップもミナの匂いの中に、マザーのそれと通じる何かを感じる。


 状況が判然としない。

 カノンはさっき「ノフ=ケーはなにかおかしい」と言っていたが、その異常はこれか?


 気にすべきこと、考えるべきことは山ほどあるが──まずはどう動くべきか、何を目的として動くべきかを決めなくてはならない。


 最優先事項であるカルト狩りは達成したから、次点は依頼目標である「異常気象の原因解明と解決」か? いや、原因はノフ=ケーだろうし、解決といっても殺せば終わりだろう。

 ミナを森の中に追い立てるような化け物だと仮定すると、見つけてから邪神を呼んでいる暇はない。森の中にいるというパーティーメンバーを全員回収し、森の外へ退避させ、その後ハスターに丸投げ……というのが最適解に思える。


 となると、第一の目標は。


 「一先ず、皆と合流しよう。シルヴァ、ノフ=ケーに遭遇しないルートを探せる?」

 「よゆう」


 ぴっとサムズアップするシルヴァに、「お願いね」と頷きを返す。

 カノンは「おや」「これはこれは」と呟きながらシルヴァの周りをぐるぐると三周し、最終的にフィリップの後ろに隠れるような位置で止まった。


 「それ、ヴィカリウス・システムですか? ほえー……星の表層って聞いてましたけど、人間なんかに懐くんですねえ」


 ヴィカリウス・システムのことを知っているのか、とフィリップは軽く眉を上げる。その前で、シルヴァもこてんと首を傾げた。

 

 「いがいとものしり? にんげんなんかをかみとみまちがえたふしあなにしては」

 「う゛っ……!!」


 カノンが身体をくの字に折り曲げ、鈍い呻きを漏らす。

 まるでシルヴァの言葉が質量を持って鳩尾に突き刺さったようだ。


 かと思うと、フィリップの後ろに隠れ、ぴっとシルヴァを指差して「フィリップさん、生意気ですよこの子! ちゃんと躾けてください!」なんてキャンキャンと吼える。


 「うるさいよポンコツ。というか存在格差を考えるなら、生意気なのは君の方でしょ」

 「ポンコツって呼ばないでください! せめてカノンって呼んでください!」


 気に入ってくれたようで何よりだと笑ったフィリップは、何も言わずに歩き始める。

 シルヴァは先導するように少し前に出て、カノンは「無視しないでくださいよ!」などとギャーギャー吼えつつも、フィリップの後ろに従った。





 

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