第423話

 「どっちとごうりゅうする?」


 フィリップたちを先導して歩き出したシルヴァは、足を止めずに振り返り、後ろ歩きで進みながら問いかける。

 足元の雪に薄く足跡を残してはいるが、足を取られるような素振りは微塵もない。流石の運動神経だ。


 「どっちって?」

 「みなとえれな。べつべつにいる」


 あっちとあっち、とシルヴァは左右をそれぞれ示す。

 どうやらフィリップたちはちょうど二人の間にいるらしい。ノフ=ケーから逃げる時に散り散りになってしまったのか。


 「……ん? 待って? 他の三人は?」

 

 何故、ミナとエレナの二択なのか。

 というか戦闘能力的に、むしろ優先すべきは他の三人だ。特にモニカとリリウムは、戦闘能力が無いといっても過言ではないのだし。


 まさか、もう既に死んでいるのか? なんて心配になったフィリップだったが、そうではなかった。


 「ん? うぉーどともにかがみなといっしょ。りりうむはえれなといっしょ」

 「あぁ、そういうこと? それなら……」


 フィリップは暫し黙考する。


 この場合の最適解とは何だろうか。

 取り敢えず前提として、全員と合流してまず森を出る。ノフ=ケーとやらの駆除はその後、ハスターにでもやらせればいい。いま、皆が森の中にいる状態で邪神を呼ぶのは危険だ。


 どちらと先に合流するべきか。考えるのはそこだ。


 戦力的に心許ないエレナとリリウムの方に先に合流し、その後戦力的に余裕のあるミナたちと合流するのが案A。

 こちらは安定択だが、ミナがウォードとモニカを守ってくれるかは正直、微妙だ。彼女は常々、「面倒な相手が出てきたら飛んで逃げる」と言っている。シルヴァが言うには今のところウォードとモニカを捨て置いてはいないようだが、なるべく早く合流するに越したことはない。


 ではそちらと先に合流し、エレナとリリウムを後回しにする案Bにするか。

 いや、ノフ=ケーの戦闘能力を暫定的にミナと同等とすると、二人の方が危険だ。最悪ミナたちの方がノフ=ケーの襲撃を受けたとしても、ミナが応戦してくれて無事に終わる可能性がある。しかしエレナとリリウムの方が襲われた場合、為す術もなく死ぬ可能性が高い。


 ミナがさっさとフィリップの方に飛んできて、さっさと飛んで帰ろうとしないうちは、まだ余裕がある──ウォードとモニカを見捨てるほどの面倒臭さは感じていないようだし、ここは案Aでいいだろう。エレナとリリウムを優先だ。

 ……と、その決定を下す前に最終確認。


 「シルヴァ、ミナはどのぐらいイラついてる? ウォードとモニカは大丈夫そう?」


 いや、ウォードは多分大丈夫なのだが、モニカは意外と物怖じしないところがある。──悪く言えば、身の程を弁えない向こう見ずだ。

 「フィリップを助けに行くわよ!」とか「皆を探しましょう!」とか言い出しかねない危うさがある。迂闊に動いてノフ=ケーと遭遇した時、一番危ないのは彼女だというのに。


 「わかんないけど、まだいっしょにいる。まりょくしがつかえないから、ふぃりっぷがごうりゅうするまではにげられないっていってた」

 「魔力視が? ……あっ、あー……そうか、そうだった。全員ブチ殺して満足して忘れてたけど、カルト狩りに行ってくるって言って出てきたっけ」


 魔力視は使わないで、とは言ったし、見たら死ぬし死ななくても殺す、みたいな話も、城にいたときにしたような気がする。

 

 「……まあ、それなら好都合か。先にエレナとパーカーさんを保護しよう」


 りょうかい、と言って、シルヴァは少しだけ進行方向を変える。


 フィリップはその後に続きながら、「こいつがもうちょっと人間っぽい外観だったらなあ」と、口惜しげにカノンを見遣る。


 鱗のある甲殻に包まれた四肢、蝙蝠のような翼膜のある翅、そしてガスマスクに隠された異形の口──並みの魔物なんかより余程異形だし、もしかしたら多少正気を損なうかもしれない。魔物として対峙する分には「気持ち悪いなあ」くらいだろうが、いきなりマスクを取って顔を見せられたりしたら、フィリップでも物凄くビビるだろう。


 彼女がもう少し人間らしい見た目だったら、エレナとリリウム宛ての言伝でも持たせて、フィリップはミナたちの方に行く、という別行動案もあったのだけれど……無理だ。ミナの目に留まった瞬間に、妙な魔物として殺されるだろう。


 ノフ=ケーの動向を完璧に把握できるナビ役のシルヴァをお使いに出すわけにもいかないし、フィリップたちも固まって動くほかない。

 

 「そういえばフィリップさんは、どうしてここに? さっきは王都にお住まいだって言ってましたけど」

 「異常気象の原因調査と解決。確認だけど、雪とか吹雪の原因はノフ=ケーってことでいいんだよね?」

 

 宛先を絞ることなく聞くと、二人ともが「そうですよ」「ん」と肯定を返してくれる。


 となると、原因解明はクリア。あとは解決──ノフ=ケーの排除。

 殺すか、森を追い出すか、具体的な手段はまだ決めていないが、まあどうでもいいし殺すことになるだろう。


 しかし、今すぐ「じゃあよろしくね」というわけにもいかない。森の中にはパーティーメンバー五人がいる。


 「まずエレナたちと合流してから、ミナたちを回収してノフ=ケーを避けながら森を出る。その後、ハスターを呼んで駆除だ。何か意見は……あ、いや待って? ノフ=ケーって雪山の生き物か。じゃ君の仮想敵でしょ? 駆除できるよね?」


 カノンの強さは今一つ不明瞭だが、ミ=ゴが棲む場所の確保──の制圧と排除を目的として作られているのだから、雪山に棲む生物の大半は相手取れるようになっているはずだ。

 オオカミ、クマ、大型のシカなんかは勿論だが、ノフ=ケーだって同じ環境に棲息しているのだし、当然仮想敵の一種として想定されているはず。フィリップならそうする。


 その推測に間違いはないようで、カノンはぐっと拳を握ってドヤ顔を浮かべ──ふい、と視線を逸らした。


 「勿論です! ノフ=ケーなんかちょちょいのちょい──と言いたいところですけれど、あれはちょっと厳しいですね。明らかに暴走してたので、ちょっとやそっとの攻撃や痛みは意にも介さないと思いますし」

 「……このポンコツ、人しか殺せないのかな。原住生物殲滅兵器の名が泣く声が聞こえそうだよ」


 さっき「古龍を殺した」とは言っていたが、「自分が」とは言っていなかったし、いよいよ名前負け感が強くなってきた。

 何もあらゆる原住生物の始祖にして終末因子であるウボ=サスラを殺せとまでは言わない。ルーツを辿れば外神ザズル=コルース、そしてアザトースに至る、あのツァトゥグアを殺せというのも無理だと分かっている。他の旧支配者や旧神もだ。


 王龍が神格に片足を突っ込んでいるなら、まあ、それも例外として認めよう。


 でも神格と何ら関係のないノフ=ケーとかいうただの原住生物まで殺せないのなら、それはもう原住生物殲滅兵器の名を返上すべきだろう。キメラ番犬、とかで十分だ。


 「ポンコツって言わないでください! ……というか今、アルデバランの王を呼ぶって言いました? 邪悪の皇子にコネなんかあるんですか?」

 「まあ、ちょっとね。……暴走?」


 口に出てたか、と苦笑したフィリップは、笑ってばかりもいられないワードに眉根を寄せる。


 どういうこと? と視線を向ける先は、カノンではなくシルヴァだ。


 「たべたどうぶつがきょうぼうかするきのこがある。それのせいかはわかんないけど」

 「……あ、この前エレナが言ってたやつ!?」


 尋常ならざる毒性を持つキノコについては、頭の片隅に引っかかった知識があった。もうあの時エレナがなんて言っていたかは殆ど覚えていないが、確か、強力な幻覚作用と鎮痛作用があるとか、なんとか。


 「凶暴化するキノコ? あー……メス・オピ系モリモリのアレですか。確かに、こんな環境なら育つかもですね」


 メスとかオピとかはフィリップには分からないが、雪山に棲んでいたカノンも頷いている。恐らく、低温環境下でのみ繁殖するのだろう。

 

 凶暴化──エレナは何と言っていたか。幻覚と鎮痛がどうとか、バーサク化がどうとか。

 フィリップはしばらく思い出そうとしたが、ややあって、「まあいいか」と諦めた。どうせハスターに丸投げするのだから、自分には関係ないことだと。


 「凶暴化してたらミナの臭いも僕の臭いも知ったことじゃないってわけか。……ところでちょっと聞きたいんだけど、ノフ=ケーってもふもふ?」

 「もふもふ? 毛並みの話です? さあ、感触を気にしたことはないですけど、ナイフくらいなら弾きますよ」

 「……ごわごわ」


 振り返って「こいつ正気か?」という一瞥と共にシルヴァがくれた答えは、残念ながらフィリップの気に召すものではなかった。

 そして重ねて残念ながら、フィリップは絶対に正気だ。


 「……そっか」


 じゃあハスターに野生の獣の毒抜きと躾を頼む必要はなさそうだ、と、フィリップはしょんぼりと肩を落とした。


 それからしばらく雑談しつつ歩いていると、木立の合間に不自然な煌めきを見つけた。

 ほんの一瞬だが、雪や水滴の輝きではない。緑と茶色と白の混ざり合った視界に、眩く輝く金色だ。


 目を向けても何も見当たらず、気のせいかと思ったフィリップだったが、シルヴァが向かう先もちょうどそちらだ。ややあって、フィリップは木の枝や雪を被せて藪のように偽装されたテントを見つけた。


 「とうちゃく!」


 シルヴァが雪の上でぴょんと跳ねてテントの上に乗ると、一つの人影がテントの中から慌てたように転がり出てきた。


 「……フィリップ君! 良かった、合流出来て!」

 「エレナこそ、無事でよかったよ。パーカーさんは?」


 輝かくような笑顔を浮かべるエレナの髪が、梢から差し込む薄い陽光を受けて煌めく。フィリップがさっき見たのはそれだ。


 リリウムはテントの中にいるのだろうが、出て来ないのは少し不思議だった。

 

 「それが……って、それ何?」


 エレナは初め、フィリップが少女を連れているのだと思った。

 カルト狩りに行った道中や最中に出会ったとか、或いはカルトに囚われていた子を助けたとか、カルトの一人と何かの理由で仲良くなったとか。そういう具体的な理由には見当が付かなかったが、とにかく「誰か」と一緒だと。


 しかし、改めてその人影に目を向けると、およそ人間とは思えない特徴を多数備えていることに気が付く。


 ごつごつした鱗のある手足、背中でぱたぱたと動く翼、立ち方と歩き方から見て、骨格と筋肉の配列か内臓配置のどちらか──或いはどちらともが、人間やエルフのそれではない。


 見た目も、そして恐らく内側も、人間ではない。


 エレナが僅かに立ち方を変えたことに気付く者はいない。

 その動きが攻撃の準備動作であることにも、当然、誰も気付かない。妙な動きをしたら、エレナの長い足はそのリーチを最大限活かした槍のように繰り出され、謎の存在の頭蓋を熟れた石榴のように弾けさせる。


 しかし。


 「それとは失礼な! ……とか言ってみちゃったりして! 代名詞とか助数詞なんて言語間で全然違いますし、なんでもいいですけどね!」


 カノンがけらけらと明朗な──状況を全く理解していない馬鹿っぽい笑い声を零すと、エレナは愕然として目を見開いた。


 「喋った!? な、なに? 上位の魔物?」


 普通、魔物は言葉を解さない。

 それは吸血鬼や人狼や悪魔のような、優れた知性を持つ上位の魔物──場合によっては「魔人」や「魔族」と称される、ごく一部の種にのみ見られる特徴だ。


 正確には、大半の魔物は知性どころか明確な意思を持たない。戦闘本能と殺人本能に突き動かされ、衝動によって動く野獣ともいえる。

 言語を解するだけの知性も、言語を介して伝えるような意思も、魔物は持ち合わせていない。


 明確な人外でありながら、明らかに人語を解し使用している。それは眼前の存在が、一般的な魔物の範疇外にあることを示していた。


 しかし、フィリップは「うーん?」と首を傾げる。


 「……まあ、そんな感じ? 上位かどうかは別として、知性は……会話するぐらいの知能はあるよ。王都の神父様に用があるらしいから、帰り道を一緒に付いてくるんだって」

 「なんで言い淀むんですか! 知性に疑う余地は無いと思いますが!」

 「本当に知性がある人はね、カノン、自分の知性を疑うものなんだよ」


 フレデリカを思い浮かべながら言うフィリップに、カノンは「そ、そうなんですか……」と真剣に頷いている。

 フィリップが「どうして言い淀むのか」という自分の問いに答えていないことに、誤魔化された馬鹿は気付かなかった。


 「……悪い子じゃなさそう、かな? カノンちゃんって言うんだ。ボクはエレナ。よろしくね」

 

 軽く手を振るエレナに、カノンも「どうも!」とフランクに手を振り返す。意外と波長が合うのだろうか。


 エレナはにっこりと笑っていたが、すぐに表情を引き締めてフィリップを見据える。


 「それで──シルヴァちゃんからどこまで聞いてる?」



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