第416話

 ステラも一緒にお茶会を楽しんだ後、レオンハルト邸を後にしたフィリップとステラは、そのまま二等地の大通りへ出た。

 王城とサークリス公爵邸、どちらも一等地だし帰路は同じだが、二人の進む方向は微妙に遠回りだ。まだ日も高いし適当にぶらぶらしようと──もっと一緒に過ごそうという思いを、二人は言葉も無く共有していた。

 

 フィリップが今更王都の店に目を惹かれることはない──なんてことはなく、いつも新たな発見があるのがこの王都だ。

 昨日はなかったものが今日は店先に並び、明日にもあるかは運次第。昨日作られたもののアップグレード版が今日売られている。技術と文明の湧出地である王都は、そんな場所だった。


 良いものしかない。

 悪いものの混ざる余地がなく、半端なものは即座に淘汰される。


 その確立されたシステムと安心感が王都の市場としての価値を高め、「王都で通用する品である」というステータスを求め、王国中──時には国外からさえ自信を持った商人や職人がやってくる。それが王都に相応しいものであれば定着し、相応しからぬものであれば当然、淘汰される。


 安穏とした平和な空気の漂う大通りの裏では、そんな熾烈な競争が日夜繰り返されているから、王都に慣れたフィリップでも見慣れないものの一つや二つはいつでもある。


 「……お?」

 「どうした?」


 鍛えられた体幹を感じさせる動きでぴたりと止まったフィリップ。手を繋いでいたステラは手が引かれる前に、その動きを察知して止まる。一歩先行する前に反応している辺り、やはり尋常な反射神経ではない。


 「なんか珍しいもの売ってますよ、あそこ」


 フィリップが示した先には、周囲のように建物を構えた店ではなく、出店などで使う移動式屋台があった。

 手書きの看板──王都でも二等地の大抵の看板は手書きなのだが、プロの装飾職人の手に依るものが多い。しかし、フィリップが見つけたそれは素人感丸出しの、単純で無骨なものだ。


 看板には『ハーフフェイス・ガスマスク』とある。


 「……ガス用マスク? 王都で?」


 と胡乱な顔をするステラ。

 戦術兵器としての毒ガスさえ実用化・実戦投入されていない現代に於いて、ガス用のマスクは対魔物ガスを扱うときか、鉱山や火山などの有毒ガスの危険がある場所へ赴くときくらいしか使わないものだ。


 どちらも王都では需要に欠ける。鉱山地帯にでも行けば大きな需要があるだろうに、と。


 しかし、フィリップは思いっきり食いついていた。


 「二つ買うとオマケで一つ無料で、しかも単品価格が普段より1割ぐらい安い! 滅茶苦茶お買い得ですよ! すみません! これ四つ買ったらオマケは二個ですか!?」


 なんでこいつは普段の単品価格を知っているのだろう、とステラはぐいぐい手を引いて屋台の方に行くフィリップに怪訝そうな一瞥を呉れる。


 ちなみに、単純にかっこいいからだ。

 ファッションで買って着けるには高いから──勿論、龍狩りの報奨金総額からすると何百個買おうが誤差みたいなものだけれど──手を出していなかったが、今は買うには十分な大義名分がある。


 既に財布を取り出して買う気満々のフィリップを見て、無骨な職人然とした壮年の店主は顔を綻ばせた。


 「おぉ! 買ってくれんのかい、坊ちゃん! そうだな、オマケは二つ……六つも持ってってくれるなら、四つも二割引きでいいぞ!」


 ほう、とステラは屋台に張り出されたガスマスクのスペックシートを眺める。

 幾つかステラの知らない評価基準があるが、概要としては鉱山作業用の防毒・防塵用マスクらしい。目を守るゴーグルとは別にすることで気密性を最大限に高めたハーフフェイス型、だそうだ。


 王宮の課した対ガス・対粉塵性能評価検証スコアについても書かれているが、流石にステラの専門範囲外だ。しかしまあ、王国が認めたのなら性能に関しては問題ないだろう。


 そう思って頷いたステラだったが、フィリップは露骨に顔を顰めて財布を仕舞った。


 「……いや、やっぱりいいや」

 「いや待ってくれ! 確かに今のは怪しいが! 詐欺でも粗悪品でもないから!」


 あーはいはい、と適当に手を振って立ち去ろうとするフィリップ。

 安かろう悪かろうは王都外では常だし、学院の冒険者コースでも教わった言葉がある。


 『防具の値段は命の値段』だ。


 そりゃあ自分の命にも他人の命にも価値なんてないが、フィリップが安い粗悪品を買ったせいでパーティーが全滅しました、なんてのは寝覚めが悪すぎる。

 それに、ガスだろうが何だろうが、毒ならきっと苦しいだろう。フィリップにはもう希死念慮はないし、そうでなくても苦しいのも痛いのも嫌だ。


 まあ、自分から「詐欺」だの「粗悪品」だのと大声で、こんな往来で叫ぶような間抜けな詐欺師もいるまいが──なんて考えていると、そんな如何わしい叫びに気を取られて足を止めた人の一人が、ニコニコ笑って手を振りながらやって来た。


 「おーい! フィリップ少年じゃないか。久しぶりだな!」

 「ん? え? 先代!? お久しぶりです!」


 王国人にありがちな金髪に青い瞳の、壮年の男。フィリップも知っている、先代衛士団長だ。

 顔には年齢を映す皺が刻まれているが、獰猛な笑顔のせいで年季や落ち着きより野性を感じさせる。平服姿でも威圧感を醸し出すほど鍛え上げられた筋肉が、簡素な半袖シャツの下で激しく主張していた。


 「王都にいらっしゃったんですか」

 「あぁ、弟子の一人が最近独り立ちしてな。顔を見に来たんだ」


 弟子、というと、衛士の誰かだろうか。或いは新しく衛士団に入った誰かとか。

 そんなことを考えるフィリップと先代は笑顔で握手を交わす。そして先代は表情に苦笑の成分を混ぜ、ガスマスク屋の店主を親指で示した。


 「で、コイツだが、心配しなくていいぞ。ついこの前、金山が一つ閉鎖になってな。そこに卸すはずだったモンだよ、これは。正真正銘王都製の、命を預けられる逸品だ。まあ、王都内で売れるはずのない代物でもあるんだが」

 「鉱山の連中以外に売る伝手もねぇのに、どうしろってんだクソが」


 先代と店主は以前から知り合いなのか、揶揄う先代にも中指を立てる店主にも、友人同士に特有の気安さがあった。


 フィリップは「ふむ」と暫し考え、再び財布を取り出した。


 「……じゃあ四つください!」

 「まいどあり! ……ところで六つも何に使うんだ?」


 鉱山の作業員や管理者に売るときはダース単位だが、逆に個人で六つは不自然に多い。それが十歳そこらの子供なら尚更だ。

 不思議そうな店主に、フィリップは端数の小銭を探しながら答える。


 「僕、冒険者なんです。パーティーメンバーに配ろうかと」

 「冒険者! そうか、その手があった! ギルドに置いて貰えないか交渉してくる!」


 言って、店主はフィリップに紙袋を渡した後、屋台を引いて元気よく走り去っていった。彼も彼で、中々外見からは想像の付かないバイタリティだ。

 冒険者だってガス地帯まで出向いたり、魔物駆除にガスを使うようなのは一部だろうけれど……二等地の大通りで野菜だの香辛料と並ぶよりはいい売り場だろう。


 「……五つで良かったんじゃないか? ヴァンパイアは呼吸しなくてもいいだろ?」

 「あ……まあ、貰えるものは貰います」


 先代の言葉で、フィリップは今更ながらミナがアンデッドであることを思い出した。

 というか彼女に効くレベルの毒を使ってくるような魔物は、それこそドラゴンとか、後は魔王の支配域である暗黒大陸に生息する超上級の魔物くらいだろう。毒が効かないなら普通に殺せばいいじゃない、を実行してくる化け物ばかりだ。


 「ところで、そっちのお嬢さんは君の……え?」


 水を向けられたステラは帽子のつばを上げ、先代と目を合わせる。

 直後、「恋人か?」なんて揶揄おうとして悪戯心に満ちた笑みを浮かべていた先代の顔が、“拘束の魔眼”でも喰らったのかと思う勢いで硬直した。


 「ステラ王女殿下? ななな何故こんなところに、碌な護衛もお連れにならずに……?」

 「護衛ならいるだろう?」


 当然のように応じるステラに、フィリップはきょろきょろと辺りを見回すが、それらしい人影はない。 

 だが、もしかして僕のことじゃないよな、と思ったのは一瞬だ。


 「五人ぽっちではありませんか。私が仕込んだ者もいるようですが、警備は分かりやすく威圧する方が効果的です。もっと馬鹿にでも分かるくらい大袈裟なら言うことはありませんな」

 「友人と出掛けるのに一個中隊を引き連れていられるか」


 五人? とフィリップは再び周囲を確認するが、やはりそれらしい人影はない。

 二等地の大通り、それも平日の昼下がりということもあって人通りはかなり多く、店先以外で立ち止まっているのは井戸端会議中の御婦人方くらいだ。


 隠密護衛──それも恐らく、怪しげな人物を見つけたら、往来の誰にも気付かれずに排除できるような、暗殺者のような護衛だ。つまり隠形のプロ。フィリップがちょっと探した程度で見つけられるものではない。


 それに、フィリップにはそんなことより、もっと気になっていることがあった。


 「……話は変わるんですけど、金山が閉鎖って、なんでですか?」

 「ん? あぁ、近くの山が消し飛んだから、作業員の安全のために一時封鎖するんだ」


 平然と語るステラに、フィリップは思わず「へぇ」なんて相槌を打ちかけた。


 だが、流石に聞き流せない。


 「……はい? 山が? 消し飛んだ?」


 フィリップが知る中で最大の火力を持つ魔術は、ルキアの『明けの明星』。光をエネルギー化して槍のように撃ち出し、射線上のあらゆる全てを破壊する。最大射程と貫通力に優れ、そして極大のエネルギーが引き起こす二次爆発も甚大な威力となる。

 今のルキアが全力でアレを撃ってどのくらいの威力が出るのかは知らないが、山一個を消し飛ばすのに、まさか一撃ということはないだろう。


 山を消し飛ばす、なんて、ルキアでさえ切り札を複数回行使するような馬鹿げた行為だ。


 だが──例えばクトゥグアなら、多少大きめの化身で来るだけで、山の一つや二つ消し飛ぶだろう。


 つまり、人間なんかより、邪神がやった可能性の方が高いということだ。


 そう考えて眉根を寄せるフィリップに、ステラは安心させるように笑いかける。


 「お前が心配するようなことじゃない。王龍が気紛れを起こしただけだ」

 「……原因が分かってるなら早く言ってくださいよ」

 

 焦って損した、と嘆息するフィリップだが、その新情報も手放しで安堵できるものではなかった。


 「王龍って、最上級のドラゴンですよね? なんでまた?」

 「さあな。だが、数十年も眠っていた王龍が寝惚けて山を抉るとか、町一個を巨大なクレーターに変えるなんてことは、歴史を見れば珍しくもないことだぞ」


 淡々と語るステラに口調には、特別な感情は何も乗っていない。

 基本的に、龍種による被害は災害と同じだ。地震、噴火、大雨、竜巻、その手の自然災害と同じく、発生そのものを止めるのは不可能だと分かり切っている。


 「傍迷惑な……」

 「全くだ。とはいえ、王龍は流石に手に負える相手じゃないからな……」


 苦笑するフィリップに、先代も深々と頷いて同意を示す。 

 一応、二人とも龍種と戦ったことのある身だが、先代は自分の経験から、そしてフィリップは知識から、王龍と戦うのは無理だと分かっていた。


 王龍にも種類というか、個体差はある。全部で何匹いるのかは知らないが、一匹や二匹でないことは確かだ。

 そしてそのうちの一体は、あのミナに剣術を教え、そしてあのミナが10000回戦って1,2回勝ち、2,3回引き分けるのが精々だという化け物以上の化け物だ。


 多分、フィリップは1億回戦っても一度も勝てない。邪神を呼ぶ暇もないだろう。


 そんなことを考えるフィリップの横で、ステラも顎に手を遣って考え込んでいた。


 「金山は他に幾つもあるし、王国としては痛くも痒くもないんだが……道具職人の手が空くのか。何かに使えそうだな……」

 「……そういえば殿下、どうして突然会いに来たんですか?」


 公務の息抜きに出てきたのかと思っていたが、そんなことを考えているということは違うのだろうか。或いは単にワーカホリックなのか。

 後者だったらルキアに告げ口して休ませよう、なんて考えていたフィリップの頭に、ステラの手がふわりと乗った。


 「お前があの二人以外とパーティーを組んだと聞いて、どんなものなのか、お前の所見を聞いてみたかったんだが……上手くやれているようで良かったよ」


 そりゃあ、パーティーメンバー分もガスマスクを買い揃えるなんて、仲良くなければしないけれど……そんな母親みたいな心配をされるとは。


 「余計なお世話、とは言わせないぞ?」


 ステラが先代という他人がいるから「お前はルキアと同じで対人認知能力に問題があるからな」という言葉を飲み込んだことをフィリップは鋭敏に感じ取り、頭を撫でられたまま器用に顔を背けた。




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