第417話

 翌日。

 フィリップとエレナとミナは、再び冒険者ギルドを訪れていた。


 初日のように酔っぱらいに絡まれることはなく、六人掛けテーブルについて待っていると、残りのパーティーメンバーであるウォードとモニカとリリウムも揃う。


 挨拶や雑談もそこそこに、次に受ける依頼を探しに行こうとした時だった。

 きっちりとした制服に身を包んだ女性がフィリップたちのいるテーブルにやってきて、声を掛けてくる。彼女にはこの場の全員が見覚えがある。ギルドで依頼受注に関わる手続きを担当している受付嬢だ。


 手元にバインダーを持っており、フィリップは「授業視察に来た学院長みたいだ」なんて感想を抱いた。


 「Dランクパーティー『エレナと愉快な仲間たち』ですね? あなた方に指名の依頼が届いています」

 「指名? 誰から、どんな依頼ですか?」


 「ねえ何その冗談みたいな名前! ヤなんだけど!」「名前変えるの忘れてた!」と騒ぐリリウムとエレナを無視して尋ねるフィリップ。


 受付嬢は「名前の変更はいつでも可能ですよ」と苦笑しつつ、手にしていた依頼票をテーブルの上に置いた。


 赤カード。

 報酬が比較的に高額になりやすく、受注側にも多様な知識や臨機応変な対応力が求められる委任依頼だ。


 「……調査系の委任依頼です。アーバイン伯爵領のシルバーフォレストという森で発生している異常気象の原因究明、及び解決。既にBランクパーティーが二組失敗しており、相当に高難度であることは明白です」


 Bランクパーティーが? とエレナとミナを除く人間組が眉根を寄せる。

 冒険者ギルドの評価基準は基本パーティー単位とはいえ、CランクからBランクに上がる時には個人の戦闘・探索能力も査定されるという話だ。


 Aランクに至る可能性を認められた、並みの冒険者から一歩抜きんでた強者たち。

 それが二組も失敗したということは、要求されているのは単純な強さや一般的な調査能力ではなく、もっと専門的な知識や経験なのではないだろうか。


 それこそ、あの緑色に濁った湖の例に倣って、研究職の魔術師が送り込まれるような案件のはずだ。


 「それがどうしてボクたちに?」

 「確かに。そういう依頼って、普通は国に報告して研究者が出向くようなものなんじゃ?」


 湖の一件を覚えていたエレナとフィリップが尋ねると、受付嬢は「はい」と頷いて肯定する。


 「はい。その結果、あなた方に依頼すると返答がありました。『森の専門家が一人、戦闘の専門家が一人、異常現象の専門家が一人、森そのものみたいなのが一人。非戦闘員の研究者を送り込むより良い結果を持ち帰ってくれるだろう』……だそうです」

 「殿下だ……」

 「ステラちゃんだ……」


 じゃあ僕たちが行くのが最適解なんだろうなあ、と、フィリップとエレナは顔を見合わせる。


 実際、現場が森であるのならシルヴァ一人で調査は終了、問題解決に武力が必要ならミナ一人で大抵は片付くし、ミナでも勝てないような相手ならフィリップが邪神を呼べばどうにかなる。シルヴァの視点からでは気付けない細々としたことも、エレナなら気が付くだろう。


 変に研究者を送り込んで時間を、或いは人員をも無駄にするよりは賢い選択だろう。


 「報酬額は大元の依頼者であるアーバイン伯爵が提示した金額に加え、かの方より、その倍額が加算されています。つまり、元の三倍……実数値ですと、こうなります」


 受付嬢は依頼票の報酬欄に二重線を入れて消し、桁が一つ増えた数字を新たに書き入れる。

 覗き込んだウォードとリリウムが見慣れない額に「うわ」と声を漏らし、フィリップも「流石、太っ腹だあ」と呻く。人類の金銭感覚に疎いミナとエレナは平然としていて、同程度の額を宿屋の帳簿で見ているモニカは「依頼一回で……」と愕然としていた。


 「これ三回で二等地に家が建ちますね、家具付きで。まあ山分けなので、一人当たりは六分の一ですけど」

 「……“森の専門家”っていうのは、エレナさんのことよね? ミナさんが“戦闘の専門家”で、えーっと、ナントカシステムのシルヴァちゃんが“森そのものみたいなの”。……フィリップ、“異常現象の専門家”だったの?」


 いつの間に? と首を傾げたモニカに、フィリップは「実は初めて会った日から」とは答えず、誤魔化すように笑う。


 「それは多分ジョーク。僕が何でもかんでも知ってるわけじゃないことは、殿下だって分かってるしね」


 確かに異常現象に慣れてはいるし、どんな異常存在に出くわしても発狂することはない。それこそ山一つを消し飛ばしてしまう邪神が現れたとしても、フィリップなら交渉のテーブルに着かせることも、或いは可能かもしれない。

 まあ旧支配者だったら「おのれ外神の尖兵め、ここで死ね!」みたいな反応をして殺しにかかってくる可能性もあるけれど。


 だがどちらにせよ、死ぬことはないだろう。

 それこそ山を一個消し飛ばしてでも、パーティーを全滅させてでも、何が何でもフィリップだけは帰ってくる。その時には問題は解決されているか、消滅しているかだ。


 ステラが求める二つの要素は、必ずクリアされる。


 「? どういうこと?」


 意味が分からないと言いたげに眉根を寄せたモニカに、フィリップは少し考えて答える。


 「……ナイ神父とマザーに色々と教わった、ってこと」

 「そっか! それなら大丈夫ね!」


 案の定と言うべきか、二人の名前を出した瞬間に無条件で納得したモニカに苦笑する。

 ウォードとリリウムはまだ疑問顔だったが、その疑問を口にする前に、ミナが別の質問を投げた。

 

 「……ところでフィル、その大荷物はなに?」


 冒険用のあれこれが入ったリュックの他に、フィリップがもう一つ持っていた大きな紙袋。

 そこにはステラと一緒に出掛けた時に買ったガスマスクが入っている。


 「あ、そうそう。ガスマスクが安かったから、皆の分も買ってきたんだ」

 「ガスマスクが安かったって、日常的なのか非日常的なのか判断に困る台詞ね……」


 はいはいはい、と手早く配るフィリップに、リリウムが苦笑を浮かべた。


 流れでミナにも渡そうとすると、彼女は怪訝そうに眉根を寄せる。


 「私は要らないわよ」


 私が何者か忘れたの? とでも言いたげな一瞥に、フィリップは「まあそうだよね」と言いたげな顔をした。


 「……やっぱり? 一個余った……まあ、予備で僕が持っておくよ。誰か、壊れたりしたら言ってね」

 「言える状態だといいね……」


 苦笑するウォードに、フィリップも「確かに」と思いつつガスマスクをリュックに詰め直す。

 もし強力な毒ガスの充満した空間でマスクが不具合を起こしたら、「あ、壊れたみたい。予備貰っていい?」なんて言っている余裕なく死ぬだろう。


 「ともかく、まずはその森についての情報を確認して、装備を再確認しよう。……あ、一応確認だけど、受けるよね?」

 「当然よ! 指名の依頼なんて、私の力を示す絶好の機会だもの!」


 リリウムが間髪入れずに答えるが、他の誰も異論はないようだ。

 フィリップとエレナは「ステラが言うなら」と受け入れ態勢だし、ウォードとモニカはニュアンスが違えど「王女様直々の依頼なら」と意気込んでいる。ウォードは緊張と使命感で、モニカは興奮だが。ミナはどんな依頼でもいいというか、どうでもいい。面倒ならフィリップを連れて帰るだけだからだ。


 「ところで、異常気象ってどんなの? カエルが降ってくるとかだったら、水辺に棲んでるドラゴンの羽ばたきが原因のことが多いけど」


 エレナの言葉に、ミナを除く一同が「へぇ」と声を揃える。

 そもそも空からカエルが降ってくる現象の存在をたったいま聞かされたのだが、ドラゴンの仕業なら納得だ。特にフィリップは、つい昨日にドラゴンが山一つを消し飛ばした事件を聞いたばかりなのだし。


 「確か、聖典にもあったわよね。空からパンが降ってくる、みたいな話」

 「砂漠を進む聖人に神が与えた聖餅の逸話ね! 神父様に教えてもらったわ!」


 リリウムとモニカの会話に、フィリップは「ナイ神父が神父様みたいなことしてる」と内心ちょっと面白がっていた。


 やや弛緩した空気を纏うパーティーに不安そうな顔をしつつ、受付嬢はエレナの問いに答える。

 

 「いえ、それが──雪が降っているそうなんです」


 へぇ、とエレナとフィリップの声が揃う。

 もう春も盛りを過ぎ、季節は夏に向かい始める頃だというのに、雪。それは中々の異常気象だが、雪が降る原因なんて「寒いから」以外には思いつかない。少なくともカエルが降ってくるよりは原因が明瞭なように思える。


 いや、逆か。


 カエルが降ってくるのはドラゴンの羽ばたきで吹き飛ばされたから。その因果関係は、ドラゴンの存在を確認すれば概ね立証される。


 しかし、春も終わろうかという頃に雪が降るレベルで寒い理由は、流石にぱっとは思いつかない。

 気候操作の魔術なんてものがあるのかは知らないが、あったとしても相当な大魔術だろう。王都の魔術師でも何人が使えるかとか、そんなレベルのはずだ。……まあ、それは後でミナに聞いてみるとして。

 

 「もうそろそろ春も終わろうかというこの時期に? アーバイン伯爵領って、そんなに北の方なの?」


 王国の地理定義に明るくないエレナが尋ねる。

 もしかしたらエレナは過去に訪れたことがあるかもしれないが、エルフと人間では物の名前から場所の呼び方まで違う。


 「いえ、王国中部では北の方、くらいでしょうか。基本的な気候は王都と然程変わらないはずかと」


 受付嬢は少し考えてから答える。


 王都と同じ気候となると、降雪自体がそれなりに珍しい。

 冬の特に寒い日には雪くらい降るが、年に一度積もるかどうかだ。積もった日には子供たちが大はしゃぎで雪だるまを量産している。王都北部の豪雪地帯では逆に見られない光景だ。


 そんな気候の場所で、この時期に雪。

 なるほどそれは、「異常気象」と呼ぶに相応しい。


 ……氷河に立ち込める白き雲のような邪神、吹雪と共に現れ風と共に歩むもの、イタクァとか居たら、フィリップが行った瞬間に襲ってくるか、逃げるかの二択だ。ちなみに逃げるのはイタクァの方。吹雪の速度を持つイタクァから、フィリップが逃げ切れるわけがない。


 「雪以外には、何か情報はないですか? 先行したっていうBランクパーティーからの報告とか」

 「どちらも概ね同じ報告を上げています。猛烈な吹雪で視界も行動も著しく制限され、危険と判断し撤退した、と」


 ウォードの問いに、受付嬢が手元のバインダーを見ながら答える。

 

 想像以上の異常気象に、ウォードは「吹雪? そりゃいよいよ異常ですね」と苦笑気味だ。


 「……他には? 何か特異な魔物がいたとか、変なものを見たとか」


 フィリップが問うと、受付嬢より先にエレナが長い耳をぴくりと震わせて反応する。

 「いえ、特にそういった報告は受けていません」という答えを得ると、彼女はフィリップと同時にほっと胸を撫で下ろした。


 「皆、もう質問はない? ……よし、じゃあ取り敢えずは、防寒具の準備だね。寒冷地用の装備を整えて、出発は明日に変更、でいいかな?」


 エレナがパーティーリーダーらしくそう言うと、一同は一斉に頷いて肯定した。

 「寒いところって苦手なのよね。師のいた山を思い出すから」とぼやいたミナを除いて。




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