第414話

 フィリップが最後の一匹を斬り伏せて蛇腹剣を長剣形態に戻し、鞘に納めると、背後から大きな溜息の音が聞こえた。

 空間内にいた全てのゾ・トゥルミ=ゴの沈黙を確認したウォードと、戦闘の終息を理解した瞬間に腰が抜けてへたり込んだリリウムが、全く同時に深々と安堵の息を吐いたのだった。


 二人は顔を見合わせて、照れと安堵が綯い交ぜになった笑みを交わす。


 それから「服がケムい……」「でも脱いだらモロに見えちゃうしなあ……」とぼやきながらジャケットをぱたぱたと振っている──無駄な抵抗をしているフィリップの方にやってきた。


 「ありがとう、フィリップ君。助かったよ……。さっきのは一体? 何かの魔術?」


 いえ、と素直に否定しかけたフィリップは、ギリギリのところで「まあ、そんな感じです」と頷くことに成功した。

 邪神の死骸が無数に転がった地獄のような場所で、時間の感覚を失いながら身に付けた、銃を抜かず背後の敵を撃つドロウレス技術は魔術と言うより曲芸みたいなものですけど。なんて軽口も思いついたが、そもそもフリントロックについて明かすことが出来ないのでボツだ。


 「凄い音だったし、あいつを一撃でやったのよね……? どんな魔術なの? っていうか、そんな魔術が使えたの?」


 とリリウム。

 魔術と訊いて好奇心と対抗心を抱いたようだが、どちらかと言えば錬金術だ。それに正規の戦闘魔術師なら初級魔術でも同等の威力が出せるし、もっと静かだし、何より煙臭くもならないので、素直に自己研鑽に努めてほしい。


 ……まあ、才能の伴わない努力では意味がないのだけれど。


 「確か、フィリップ君の魔術も魔物相手には効かないって言ってなかった? あぁ、でも魔物って言っても耐性が弱いヤツもいるもんね」

 「んー……、内緒です。国の偉い人に言われてるので」


 薄い笑みを浮かべるフィリップに、リリウムは言い知れぬ恐怖を感じて息を呑む。


 「偉い人……」


 慄いたように呟くウォードの脳裏に閃いたのは、ルキアとステラのどちらだろうか。

 正解は代替わりのタイミングで侯爵位から公爵位になるとされている大貴族レオンハルト家の御令嬢、次期当主にして当代随一の錬金術師と名高いフレデリカ・フォン・レオンハルト卿なのだが、それも言えない。


 ミナはそれが動作するところを見ただけで凡その仕組みを理解していたから、「これです」と見せるのも大きなリスクだ。


 「もしかして、例の魔術事故に関係した話? 聞いたら牢屋に入れられたりする?」


 意外と鋭い直感で「踏み込み過ぎるのは不味いらしい」と気付いたリリウムが、恐る恐るといった風情で尋ねる。


 「さあ、どうだろう。でも僕がパーカーさんたちが“それ”を探り当てたと感じたら、エルフの超すごい自白剤を使って尋問することになるかな」


 いや、エルフが自白剤を作れるかどうかは知らないし、何ならエレナは「仲間なんだから大丈夫だよ!」とか言いそうなので、実際はミナの『契約の魔眼』かステラの支配魔術を使うことになると思うけれど。


 「フィリップ、偶に怖いこと言うわよね……。まあ、「バレたら殺す!」とか言われなくて良かったけど」

 「ははは……」


 そりゃあそうだ。その場で即座に殺したら、もし他人に情報が流れていたときに気付けない。だから尋問して情報の流出域を絞り込んでから殺す。


 そこまでやる必要性は、正直、分からない。

 だがフィリップはフレデリカの頭脳を、ステラの判断能力を、自分の思考なんかより余程信頼している。二人が「そうすべきだ」と言うのなら、フィリップは「そうすべきだ」と信じよう。


 エレナも今のところはフレデリカの言葉を信じているし、何より大元の出処を聞かれた時に困るから、彼女もウォードたちには黙っている。

 時間の問題かもしれないとフィリップは危惧しているものの、エレナだって馬鹿ではない。ルキアやステラを危険に晒す技術がエレナから漏出したのなら、フィリップが、延いてはミナまでもが殺意を向けてくることなど、少し考えればすぐに分かる。


 「……こいつら、なんだったの? 倒したのに死体が消えないし、魔物じゃないの? さっきは人間が……」


 単に話を変えたのか、或いはフィリップの“魔術”なんかよりそっちが気になるのか、リリウムは少し離れた地面に転がった死骸を一瞥する。

 ひょろりと長い四肢は完全に脱力し、蒼褪めた肌からは想像できないほど鮮やかに赤い血を垂れ流す、ゾ・トゥルミ=ゴの死体。それはどう見ても人間ではないのに妙に人間味があって、形容しがたい忌避感と嫌悪感を催させた。


 「さあね。魔物の研究者どころか駆け出し冒険者の僕らが、ちょっと考えて分かるような相手じゃなさそうだけど」

 「うん。今はとにかく、他の皆と合流しよう。ウィルヘルミナさんはこの洞窟にこいつら以外の魔物はいないって言ってたけど、こいつらで全部とは限らない。伏兵に注意して、さっきみたいに誰かが孤立しないように動こう」


 先程はエレナと意味ありげな会話をしていたフィリップも何も知らないと分かり、リリウムは落胆したように肩を落とす。


 しかし、知らないことを責めたり「じゃあさっきの会話は何?」と問いを重ねる好奇心より、この洞窟から出たいという思いが勝った。


 「でも、合流って、どうやって? 穴のところまで戻っても登れないわよ?」

 「確かに。まだあいつらがいるかもしれないから大声は出したくないし、ミナを呼ぶのも、モニカが危なくなるかもしれないし……」


 リリウムとフィリップの言葉に、ウォードも「確かに」と頭を捻る。

 フィリップたちが落ちた陥没穴は、深さは大したことはない──体感的には5メートルほどだった──けれど、陥没穴と下の池は断面図で考えると壺型だ。剣だのリュックだのを持って、登攀補助装備ゼロでオーバーハングを超えるのは不可能だろう。


 そこまで考えて、ウォードはフィリップの「呼ぶ」という言葉が「呼びかける」ではなく「呼び出す」というニュアンスだったことに気が付いた。


 「呼ぶって、もしかして召喚魔術?」

 「いえ。あー、いや、うん、そんな感じです。でも、ミナとエレナはモニカを守ってるわけだし、あんまり迂闊なことは出来ないですよ」


 召喚、ではある。

 ただし一般的に使われている使役術やら何やらとは全く違う、強制拘束術式だ。それに、そもそもフィリップの魔術ではなくルキアとミナの合作で、フィリップは魔術式も作動機序も何も知らない。


 だが、そんなことを魔術学院生でもない二人に言ったって何にもならないし、「ふーん」と無理解なりの相槌を貰うのが精々だろう。


 そんなことを考えていたフィリップだったが、ウォードの関心は魔術そのものではなく、それが脱出の足掛かりになるかどうかだ。


 「……戦ってみた感じだと、エレナさん一人でもどうにかなりそうじゃなかった? 滅茶苦茶強いでしょ、あの人」


 確かに、エレナは強い。

 単純にフィジカルの出力が人間を遥かに凌駕していることもあるが、身に付けている技術が多彩で繊細なのが強い。パンチと一括りで言っても、骨で打つとか筋肉で打つとか体重で打つとか脚力で打つとか、フィリップが覚えきれないくらい種類が豊富だ。


 だからミナを召喚できるなら召喚すべき、と言いたいのだろうが、ミナの都合を無視して強制的に呼び出す関係上、迂闊に使うと致命的なことになる。


 例えば彼女がエレナとモニカを抱えて空を飛んでいるタイミングで召喚術式を作動させると、ルキアの魔術はミナの耐性を食い破り、その身柄をフィリップの影の中に縫い留める。抱えていたエレナとモニカは上空に置き去りだ。

 

 流石に洞窟の中で致命的な高度を飛行することはあるまいが、例えばミナがモニカを庇って戦っている最中だったり、彼女がいるから魔物が手出しできないという状態だった場合、抑止力が唐突に消失した後の混乱は計り知れない。敵味方共に。


 「僕らの中だと二番目、ミナの次に強いですけど、戦闘中かもしれないので……ん?」


 リリウムとモニカを任せてきたのだし、そちらに注力していてほしい。


 そんなことを思いつつ、ふとフィリップたちが来た横穴の方に目を向けると、ちょうどミナが姿を見せた。

 魔力視でフィリップの位置は分かっていたのだろう、角を曲がった時の足取りに迷いはなく、フィリップを見ても「見つけた」という反応はしない。


 驚いたのはフィリップの方だ。

 相手の素性も数も分からないから、最大戦力である彼女と次席のエレナをモニカの護衛に付けたというのに、どうしてこんなところに居るのかと。

 

 「何をしているの、フィル。こんな汚いところで」

 「ミナ!? モニカとエレナは!?」


 「こんなところで何をしているの」はこちらの台詞だとばかり愕然とするフィリップ。

 いや、ミナがフィリップのオーダーに従う理由は無いし、ペットのおねだりも面倒さが勝てば拒否するのは知っている。だが、モニカとエレナと一緒にいるのも襲ってくる魔物を倒すのも、彼女が面倒だと判じるほどのことではないと思っていた。


 判断を間違えたかと眉根を寄せたフィリップだったが、彼女は庇護対象ではない相手の護衛という面倒事を、丸ごと放り投げてきたわけではなかった。


 「上の村よ。あいつらは光に弱いみたいだし、洞窟の外なら安全でしょう」


 何か確信があるかのように言うミナに、三人は揃って怪訝そうな顔をする。


 「ミナ、あいつらのこと知ってるの?」


 さっきはそんな素振りは全く見せなかったのに。

 そう思った三人だったが、ミナの判断は知識ではなく洞察によるものだ。


 「見ていれば分かるじゃない。態々攻撃の前にランタンの光を魔術で妨害したり、攻撃能力皆無の火球なんかで逃げ出すほど怯んだり」

 「なるほど……」


 言われてみれば確かに、とフィリップとウォードは頷く。

 リリウムとウォードは少しだけ悔しそうだが、その理由は二人で違っている。リリウムは「私の魔術はやっぱり効いてなかったってこと?」と拳を握り絞め、ウォードは「落ち着いて考えてたら……いや、自惚れか?」と腕を組んで考え込んでいた。


 フィリップは相手の弱点を探るという思考に、そもそも至っていなかった。

 敵なら殺す。問題になるのはその害の程度、ルキアやステラや衛士たちに、どの程度の影響を及ぼし得るか。気にしていたのはそれだけだ。


 「そんなことはどうでもいいのよ。フィル、早くしなさい」

 「あ、うん。ごめんなさい」


 周りの血文字──吸血鬼からすると、長く放置されていた残飯──に、ミナは辟易とした一瞥を呉れる。


 「それと──」


 ミナが言葉を切ったかと思うと、直後、倒れ伏していたゾ・トゥルミ=ゴの一体が地中から生え出でた血の槍に貫かれた。

 磔にされた死骸の内から放射状に穂先が生え、痙攣していた標的を完膚なきまでに殺し尽くす。


 唐突な魔術行使に目を瞠るフィリップたちだが、ミナはフィリップに呆れたような目を向けた。


 「暗がりで目が利かないなら、少し過剰なくらいに殺しておきなさい。止めを刺し損ねるよりマシだから」


 どうやら殺し損ねていたらしい個体は、フィリップがフリントロックで撃ったヤツだった。

 生物相手に撃ったのは──マザーが作り出した化け物を除いて──これが初めてだから、威力を見誤ったのかもしれない。心臓か肺を撃ち抜いたはずだが、肉と骨で弾道が曲がったか。一応、射撃毎の弾道誤差が少ない距離だったはずだし。


 まあ、それは帰ってからナイ神父にでも聞けばいいだろう。銃に問題があるならフレデリカに改良して貰えばいい。


 今は洞窟を出るのが優先だ。

 そう思ってミナと一緒に元来た方へ足を向けたフィリップだったが、後ろについてきたのはリリウムだけだった。


 「……ウォード?」


 リリウムが不思議そうな声を上げ、フィリップもウォードが反対方向、ホールの奥に足を向けていることに気付く。

 呼びかけられたウォードは何をするのかと胡乱な顔の二人に振り返り、神妙な顔で肩を竦めた。


 「……子供たちの遺品だけでも、持って帰ってあげない? 多分、あれがそうだと思うんだけど」

 「えっ……まあ、いいんじゃないですか? 僕は手伝いませんよ」


 それは感傷で、自己満足だ。

 遺品を持ち帰ったところで、子供たちがどんな死に方をしたのかさえ伝えることは出来ない。少なくとも真実は教えるべきではないだろう。


 真実にしろ嘘にしろ、教えたってどうにもならない。それで死人が生き返るわけでも、喪失の悲しみが癒えるわけでもないのだから。


 フィリップが言い淀んで呑み込んだ言葉を、ウォードはそういう批難だと受け止めて俯いた。


 「あぁ。こういうのの考え方は人それぞれだからね。フィリップ君の言いたいことも分かる。けど僕は、何も知らないまま待ち続けて、じわじわ絶望していくよりずっとマシだって思うから」


 言って、ウォードはゾ・トゥルミ=ゴたちが一か所に纏めて放置していた子供たちの衣服やランタンなんかを検分し始める。子供は四人攫われたと言っていたし、一人につき一種類ずつ、服の血の付いていない部分の切れ端だけでも持ち帰ってあげたいらしい。

 ナイフを取り出して汚れた服を裁断している彼の所へ、リリウムも何も言わずに近づいて行って手伝い始める。


 なんか汚い感じがするから触りたくない、と言う理由で協力を断ったフィリップは、ミナと共に二人の背中に物言いたげな一瞥を呉れた。


 「石鹼、テントに置いてきちゃった……」



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 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ17 『子喰いの洞窟』 グッドエンド


 技能成長:【拳銃】+50


 特記事項:『エレナ』『ウィルヘルミナ』『ウォード』『モニカ』『リリウム』が同行者に固定されました

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