第413話

 蛇人間が栄華を誇った古い時代、彼らは雷撃にも等しい高電圧を放つ電気銃を発明していた。

 そして数千万年の時が経ち、現代で目覚めた一匹の蛇人間は、伝承の中にある古い武器を──かつての栄華を象徴する文明を取り戻すため、大前提となる武器を作った。


 火薬を使って鉄礫を撃ち出す、大砲の超ミニチュアモデルとでも表すべき武器。火打石を使って炸薬に着火する、燧発式拳銃フリントロック・ピストル


 そして彼は殺され、彼を殺した者が興味本位で持ち帰ったそれは、当代最高と称しても過言ではない錬金術師の手によって再現される。


 人類圏外から持ち込まれた武器を手にした彼は──フィリップは、冒険者デビューを果たすほんの二週間ほど前にそれを手にして、意気揚々と教会へ向かった。


 投石教会は珍しく──いつもフィリップが来るときのように、他の信徒が一人もいない。

 その代わり、教会の管理者であり超絶美形であるとご近所に人気の神父だけでなく、こちらも超美形ながら滅多に会えないという喪服姿の大修道女の姿もあった。


 「おはよう、フィリップ君。今日も会えて嬉しいわ」

 「おはようございます、フィリップ君。荷物と外套をお預かりしましょうか」

 「おはようございます、マザー。あ、ナイ神父、丁度いい位置です。そこで止まって立っててください」

 

 ちょうどフィリップが玄関扉を開けたタイミングで信徒用の椅子から立ち上がったマザーに挨拶を返し、どことなく嫌な存在感を放つ頭部のない聖女像の前に立っていたナイ神父を片手で留める。


 そしてフィリップは肩掛け鞄をゴソゴソと漁り、既に装填が完了しているどころか、火皿に火薬を入れ終えているフリントロック・ピストルを取り出した。


 フレデリカモデルのフリントロックは、フィリップが冒険に持って行くことを想定して設計されている。

 先込め式ではあるが、フリズン──薬室内の炸薬に着火するための点火薬が入った火皿の蓋で、火打石が火種を作るために擦れる打ち金を兼ねている──が高い密閉性を持っており、持ったまま走ったり跳んだりしても火薬が零れたりしないようになっている。


 また、火打石のついた撃鉄はフルコック状態──引き金を引くだけで撃てる状態──でロックできる安全装置が付いており、射撃準備が完了した状態でも安全に持ち運ぶことが出来るようになっている。咄嗟の時には親指で安全装置を外せば、あとは引き金を引くだけで撃てるわけだ。


 「新しい武器を見せびらかしに来ました」


 真っ直ぐ持てば指を差した位置辺りに弾が飛ぶことは、蛇人間が持っていたもので検証済みだ。

 照星も照門もない原始的な銃器だし、フレデリカモデルを撃つのはこれが初めてだが、そう勝手が変わることはないだろう。


 大きな炸裂音が閑静な聖堂の中に響き渡り──ぴん、と、軽く硬い音を立てて、ナイ神父がを弾いた。

 フィリップは勿論、弾丸を目で追うことなんて出来ないが、ナイ神父が中指で爪弾いた鉄の礫は真っ直ぐにマザーの左胸に吸い込まれ、そして豊かな膨らみが衝撃で歪んだかと思うと、ぽよんと跳ねて床に転がった。


 カーペットの敷かれた床に落ちた鉄球は音を立てることもなく、少しだけころころと転がって止まる。


 ミナが握り止めたときとは違い、原型を留めた弾丸を見て何が起こったのかを概ね察したフィリップはなんとも言えない気持ちで銃を下ろす。

 マザーが落っこちた弾丸を拾って「はい」と手渡してきた時には、もう「はい……」と受け取るしかなかった。


 「燧発式拳銃とは、またくだらない玩具オモチャを……。対神格用炸裂徹星弾でも作って差し上げましょうか?」


 珍しく呆れを滲ませるナイ神父だが、それが嘲弄を隠すための仮面だと、フィリップはきちんと分かっている。

 ここで「なにそれすげえ!」と飛びつくと、物凄い量の嫌みと諫言と説教が飛んでくることになると。


 命中すれば一撃で邪神を屠るような弾丸は、そりゃあ外神なら簡単に作れるだろうけれど──そもそもフィリップが邪神相手に発砲できる可能性が極めて低い。

 まあ何となく仮想敵にハスターを据えると、銃を抜いて撃つまでに5回は死ねる。それに、ミナやエレナが避けられるのだから、邪神だって簡単に防ぐなり避けるなりするだろう。


 「結構です。邪神相手に武器戦闘をする気もないですし。……練習場所を貸してほしくて。ここなら周りに音が漏れないように出来るでしょう?」

 「えぇ、勿論。ついでに練習中は外の時間を止めておくわね。あと……貴方の体調も固定する? 喉が渇いたりお腹が減ったりするのって不便でしょう?」


 即答するマザーに、ナイ神父は僅かに眉根を寄せた。

 フィリップは「マザーが人間のことを理解している……」なんて、ちょっと驚きつつ感動している。


 「前々から思っていましたが、君は意外と勤勉ですね。玩具を手に入れた興奮のままに振り回して遊ぶものかと」

 「新しい武器を習熟前に実戦投入するわけがないでしょう。いきなり使いこなせると思いますか? ウルミで散々自傷ケガしてきたこの僕が!」

 「以前にも申し上げましたが、無能を武器にして振り翳さないでください。反論に困りますので」


 大声を上げるフィリップに、ナイ神父は明らかな嘲笑を向ける。

 マザーはニコニコしていたが、愛玩の情が明らかな冷笑だったし、ふと目を向けた窓の外で鳥の群れが空中で静止していたので、あまり空気は弛緩しなかった。


 というか、本当に外の時間を停めたらしい。

 人間が個人で時間を移動するときにはティンダロス領域に触れないよう気を配る必要があるが、曲がった時間でも尖った時間でもない「外側」から干渉する分にはノーリスクだ。よしんば猟犬が出てきたって、ナイアーラトテップとシュブ=ニグラスの目の前だ。どうとでもなる。


 「……練習というと、具体的には何を? まさかとは思いますが、長距離から静止標的を撃つ、だなんて仰らないでくださいね?」

 「駄目なんですか? そういう武器だと思うんですけど」


 トリガーガードに指を引っ掛けてフリントロックをクルクル回していたフィリップが尋ね返すと、ナイ神父は浮かべた嘲笑をより深くした。


 「……低質な火薬に鉄を丸めただけの弾丸、滑腔の銃身。長距離精密狙撃なら弓の方がまだマシですよ。弾丸自体は200メートルくらい飛ぶでしょうが、そもそも拳銃の交戦距離は7メートル程度です。第一、剣を使う君の交戦距離は長くても四メートル程度でしょう? のんびり構えて撃つ余裕がおありですか?」

 「……無いですね」


 仮想敵が誰であれ──フィリップがイメージトレーニングで使うラインナップの中で一番弱いウォードでさえ、フィリップが足を止めた時点で好機と見做して詰めてくる。

 鞄に入れておくのは論外だとしても、剣を左手に持ち替えて右手でベルトに挟んだ銃を抜き、安全装置を外しながら狙いを付けて発砲……その頃には右手か、さもなければ首が落ちているだろう。


 「再装填に足を止めた状態で約20秒。無防備な状態で凌げる耐久力はお持ちですか?」

 「……いいえ」


 平時ではなんてことのない時間だが、戦闘中の二十秒は極めて長い。

 というか、二十秒くれるなら弾込めなんてせず邪神召喚をぶっ放す。


 これはあくまでも領域外魔術の効かない相手、そして確実に殺したい相手への奇襲用の武器でしかない。大っぴらに使うことも出来ない、サブウェポンとも呼べない隠し玉だ。


 「君がそれを使う上で必要な要素は二つ。剣の距離で咄嗟に撃てる素早さ、そして第二射を必要としない正確性です。これは同時に備えなければなりません。それに、先程のように腕を伸ばして慎重に狙っていては、銃を知らない人間でもそれが武器だと分かってしまいますよ」

 「つまり、どうしろと?」


 狙ってはいけない。そんな時間がある戦形ではないから、それは分かる。

 だが必中でなくてはならない。第二射が期待できる武器ではないから、それも分かる。


 しかし狙わず当てろというのは、フィリップにはあまりピンと来ない言い回しだ。

 錬度の高い魔術師や弓兵であれば、なんとなく言わんとしていることが分かるのだが。


 フィリップに求められるのは200メートル先の動く人間の脳幹部をブチ抜く精密狙撃ではなく、蛇腹剣の射程外にいる的へ致命的なダメージを与えるか、止めを刺す隙を作ること。

 7メートル先にいる敵の、頭部か胸部に当たれば十分だ。脳幹や心臓を精密に狙う必要は無い。最悪、腹部や足にでも当たればいい。


 ただし相手も自分も戦闘機動を取りながら、剣を握ったまま──或いは伸長した状態の蛇腹剣を振り抜いた状態からでさえ、相手に遠距離攻撃が来ると悟らせない速度で撃つ必要がある。


 「そもそも鞄に入れて持ち歩くのが間違いです。ホルスターを付けて、クイックドロウとドロウレスの練習をしましょう。勿論、剣を持つのとは逆の、利き腕ではない方の手で」


 ホルスター? とフィリップは首を傾げる。

 ずっとクルクル回していたフリントロックの銃身が冷えたことを確認すると、無造作にベルトに挟み込んだ。


 「簡単に言えば鞘のようなものですよ。素早く抜いて素早く撃つのがクイックドロウ、抜かずに撃つのがドロウレスです。……こちらをどうぞ」


 ナイ神父は何処からともなく革製のベルトのようなものを取り出すと、フィリップに恭しく差し出す。

 それはよく見ると輪が二つあり、片方には銃を入れるための鞘のような部品がある。所謂ショルダーホルスターという奴だ。


 「ナイフの鞘に近い感じですね。脱落防止のベルトがあって……。わあ、サイズもピッタリ。僕にも武器にも。気持ち悪……」


 ナイ神父の手を借りて着けてみると、全く調整しなくていいほど完璧なサイズだった。


 「おや、敢えてズラしておいたほうが良かったですか? わざとらしく調整し直す手間が省ける方がお好みかと思いましたが」

 「そこまで正解なのが本当に気持ち悪いですね。知っててもなお」


 ぶつくさ言いつつも右脇の下にあるホルスターへ銃を仕舞ってみると、銃口は斜め下を向くようになっていた。

 仕舞うときに銃口がフィリップの胸を横切ったのを見て、ナイ神父はフィリップにも分かる明らかな嘲笑を浮かべる。


 「あぁ、そうそう。銃口の向きには常に気を配ってくださいね。ご自分を撃ち抜いたら、なるべく痛い方法で治しますので」


 痛くない方法で治すことも、怪我をする前に時間を戻すことも出来るのに何故、と胡乱な顔をするフィリップだったが、続く言葉に対する反論は出ない。


 「君は痛みを伴う経験が一番覚えやすいでしょう?」

 「……まあ、そうかもしれませんけど」


 確かに、とフィリップは納得しつつも悔し気に目を逸らす。

 ウルミの怪我が悶絶するほどの痛みを伴っていなければ、もう少し習熟に時間がかかったかもしれない。


 「それじゃ、的を作ってあげるわね。……貴方と同じサイズくらいの方がいいかしら」


 言って、マザーは手を一振りして黒い泥の人形を作り出す。

 目鼻や手指のようなディテールは無く、身体から滴り落ちた闇の色の泥が足から吸収され、また身体の表面に浮き出ては滴る。きっと体内へ入った弾丸を排出するための仕組みだ。


 マザーは満足そうに頷くと、「どう?」とフィリップを見遣る。フィリップは二度見──というか、視線がマザーと泥人形を忙しなく行き来する。

 ちょっとやそっとでは壊れないように頑丈に作った……くらいのつもりなのだろうが、感じる神威はハスターをも上回っていた。これ一匹に自我を与えるだけで一個星系を支配できるのではないだろうか。


 「では、まずはビヤーキー程度の運動性能の相手に当てられるようになりましょうか」

 「え? まずは動きの練習とかじゃ?」


 しかもビヤーキーはまあまあ動きが速い部類の神話生物だ。

 馬のような体躯は的としては大きいが、空を飛ぶし、並みの魔物なんかよりずっと俊敏だ。第一歩目としては不適切ではないだろうか。


 そんなことを考えるフィリップに、ナイ神父はまた分かりやすい嘲笑を向けた。


 「静止目標相手に、止まった状態でですか? フィリップ君、私の話を聞いていましたか?」


 いや確かにそんな話はされた。たった今。

 しかしそれは最終目標くらいの認識で、ウルミやロングソードだってまずは身体の正しい使い方から教わったのだから、銃の抜き方から練習するものだとばかり思っていたのだけれど。


 「……なんか、ナイ神父のテンション高くないですか?」

 「あの化身で貴方に物を教えるのが久しぶりだからじゃない?」


 マザーに身を寄せてひそひそと話すフィリップに背を向け、ナイ神父はマザーの作り出した泥人形に命と知性を与え、教会の中を走り回るように命じた。

 命じられた通りのことをする──しかも、きちんと並の魔物より少し早いが決して目で追えないことはない程度の速度で──泥人形に、フィリップは胡乱な目を向ける。


 聖典に描かれる神の御業みたいなことをする、とか、三次元存在の邪神の中でもトップクラスの“的”だけどコレは効くのだろうか、とか、そんな益体のない疑問が頭の中をぐるぐる回っていた。


 「まずは正面の相手にはクイックドロウ、背後の相手にはドロウレスで百発百中になりましょう。一射当たり0.02……とまでは言いませんので、0.5秒を切るくらいはしてくださいね。静止目標相手の精密射撃はその後でも十分です」

 「0.02秒なんか着火から発射までのラグ分ですよ」


 何を想定して何を求めてるんだコイツ、と、フィリップは久々に中指を立てた。


 「なに、時間はたっぷりあります。心行くまで練習なさってください」

 「そりゃ時間は止まってますからね」


 便利なことで、と思いつつ、フィリップはさも当然のように鞄と銃本体をナイ神父に渡す。

 彼も当然のようにそれを受け取ると、熟達した手つきで素早く弾を込め、恭しく捧げ持ってフィリップに返した。


 そして、空腹も喉の渇きも睡眠不足も時間経過も、何の言い訳も通用しない、目標水準到達まで絶対に終わらない、地獄のような訓練が始まった。


 銃口管理の甘さによる自傷が数回あったものの、それは別に地獄要素ではない。

 問題が起こったのは、ナイ神父に「お手本の動きを支配魔術で教えて欲しい」と言った時だ。ナイ神父は「絶対に嫌です」と固辞し、マザーは「いいじゃないそのくらい。やってあげなさいよ」と眉を顰め──それはもう地獄のような殺し合いが始まった。


 化身同士、不死身同士の死ぬほど不毛な殺し合いを他所にフィリップはちまちまと練習を続けていたのだが、撃ち終えた銃を誰もいない隣に差し出すと、毎度毎度タイプの違う美男美女が出てきて弾を込めて手渡してくれたのがいやに記憶に残っている。

 しかも偶にアドバイスをくれるし、集中が切れた頃にはジュースを持ってきてくれたりした。その直後に漆黒の触手が飛んできて、ぐちゃぐちゃの死体に変わったことも一度や二度ではない。


 フィリップも初めは「これ流れ弾一発で僕も死ぬなあ」なんて戦々恐々としていたが、生来の真面目さと視座由来の図太さで真剣に練習していると、爆音も無音も気にならなくなる。

 しかし、良い感じに身体が覚えてきたタイミングで射線を横切った、明らかに人間ではない肉塊に集中を掻き乱され、遂には「お前の主義主張なんかどうでもいい!」と怒鳴ることになった。


 なお、その後ナイ神父は被虐の快楽に満ち満ちたような表情で背筋を震わせ、一転してノリノリウキウキで支配魔術だの領域外魔術だのを使い、フィリップの要望を叶えた。


 

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