第412話

 ゾ・トゥルミ=ゴ。

 それが、近隣住民に「子喰いの洞窟」と呼ばれる鍾乳洞に住み着いていた生き物の名前だ。


 勿論、人類圏で広く通じる名前ではない。

 行っていない場所は無いと豪語する冒険者も、王国や帝国が膨大な予算を注ぎ込んでいる魔物調査機関も、闇の中に棲みつく奴らのことを知ることはないだろう。


 奴らは常に暗闇の中に潜み、決して陽光の下に出ることはない。

 それは完全な闇をも見通す目が、ランタン程度の柔らかな光でさえも正午の日差しの如く苛烈に感じ取るからだ。


 また、絶対数も極めて少ない。

 奴らは生殖能力を持たず、フィリップたちが見たように、人間の子供を変性させて同族を増やす。しかし洞窟の外へ出ることが出来ない以上、繁殖のチャンスは、奴らの棲む洞窟に哀れにも子供が迷い込んだ時だけだ。


 フィリップの感じた通り、神性に連なるものではない。

 奴らの遠い祖先は地底人と呼ばれた古代種であり、ヒトが地上に栄えるずっと前からこの星に暮らしている原生生物だ。


 生態や生息地の関係上、人間と触れる機会が少ないが故に、未だ人類が知らない生き物。

 要は、ただの希少生物でしかない。地底人たちは半生得的に邪悪言語や領域外魔術を使えたから、系譜である奴らもそうであるだけ。


 だが──「邪神に連なるものではない」という要素は、「容易に殺せる相手である」という結論を導く決定要因にはならない。


 輝きのない炎に照らされた洞窟の中に、ぱっと鮮やかな赤色が舞う。

 身を翻す青白いヒトガタ──ゾ・トゥルミ=ゴを、フィリップとウォードは驚愕の目で見つめる。


 フィリップが振り抜いた蛇腹剣は鞭のようにしなり、その先端部は音速を超えて破裂音を鳴らす。革の鞭であればその速度は斬撃にも近しい打擲を齎すが、これは剣。それも金属鎧さえ紙のように切り裂く大業物だ。

 不可避の速度で、防御も叶わない鋭さの刃が襲い掛かる。その刃渡りは四メートルもあり、全身を鞭の一部に見立てる身体操作によって疑似的に五メートル近い射程となる。


 初見で避けるのは極めて難しい。

 ルキアやステラはフィリップの動きを見て魔力障壁を展開すれば防げるが、百般の魔術師の魔力障壁であれば、龍貶しは容易に切り裂く。


 その、初見殺し性能に長けた一撃を、ゾ・トゥルミ=ゴは右手を斬り落とされながらも致命傷を躱していた。


 「っ!?」


 獲った、と。

 フィリップだけでなくウォードも確信する、研ぎ澄まされた一撃だったのに──右腕を犠牲に斬線を強引にずらし、頸部を守るという離れ業で防がれた。

 

 それは流石に予想できない。

 ミナは「別に当たっても死なないけれど」と書かれた顔で面倒そうに躱す。エレナはフィリップの動きを見て、剣を振る頃には軌道上から逃れている。


 だが、相手は初めてだ。ミナはその動きを再現できるが、音速を超える斬撃を見てから避けられる彼女には、その必要性がない。


 「下がって!」

 

 意表を突かれたフィリップに、ウォードが鋭く警告する。

 危うく「凄いじゃん」なんて思って足を止めるところだったフィリップは、『拍奪』を使いながら慌てて下がる。その欺瞞した通りの位置を、ゾ・トゥルミ=ゴの鉤爪が切り裂いた。


 フィリップを庇う位置に入ったウォードは、二匹同時の追撃を弾き、いなす。

 鉤爪から剣へ、そして腕へと伝わる衝撃はかなりのもので、フィリップでは正面から受け止めるのは厳しそうだと眉根を寄せる。ひょろ長いだけで筋肉があるのかも疑わしい腕をしているくせに、出力は完全に人外のそれだ。


 だが──まあ、どうにかなる。


 「ふッ──!」


 鋭い呼気と共に繰り出されたウォードの斬撃は、攻撃を弾かれて体勢が崩れていたゾ・トゥルミ=ゴの胸元を深々と切り裂く。

 傷を受けた個体は衝撃によろめいたように踏鞴を踏んで下がったものの、特に傷を押さえたり庇ったりする様子はない。右腕を失った個体も同じで、欠損に動じることもなく即座に反撃していた。


 フィリップも追撃したいところではあったが、庇ったウォードとの距離が近く、迂闊に蛇腹剣を振り回せない位置だったので泣く泣く見逃した。


 なるほど、とウォードは軽く眉を上げる。

 動きはそこそこ速く、力もそこそこある。そして痛覚が無いか無視できる。外見からでは分からない異常は、どうやらこの辺りだ。


 魔術を撃ってこないということは、使える魔術は光を変質させる魔術と、闇の繭を作る魔術。他にもあるかもしれないが、直接攻撃系の魔術は無いか、実戦域ではない。


 そんな相手、魔物ならいくらでもいる。

 そしてウォードは、そういう手合いを何十匹も倒してきた。そういう手合いを何千匹も倒してきた人に、教えを受けた。


 「フィリップ君、一対一で行こう。そっちの方が安定する」

 「了解です」


 フィリップが攻撃、ウォードが防御という陣形も悪くはない。

 回避力に長け、射程に優れた防御不能級の武装を持つフィリップは、攻撃に特化した運用が向いている。メンタル的にも、死の恐怖がないアタッカーは脅威だ。一応は単騎駆けも出来るように鍛えているとはいえ、ウォードは基本的に衛士や騎士のように分隊で遅滞戦闘を行い、魔術師による掃討攻撃までの時間を稼ぐ盾役として訓練してきた。


 二対二は、二人が得意なことに集中できる陣形といえる。


 しかし、先ほどのように同時に攻撃されるのは避けたい。別に凌ぐのにそれほど苦労はしないが、一瞬でも二対一になるのはリスクだ。


 フィリップもウォードも単騎性能がそれなりに高いのだから、ここは一対一を二つにすべきだろう。

 さっきはオリジナルのゾ・トゥルミ=ゴが醸し出す「異質な存在感」に当てられて、一対一は避けるべきだと判断したが──攻撃を入れてみて、そして受けてみて分かった。これくらいなら、大丈夫だ。


 「フィリップ君、バラけさせてくれる? 僕が右の奴をやるよ」

 「お任せあれ。──ッ!」


 フィリップは二匹のゾ・トゥルミ=ゴのちょうど間に踊り出ると、その場で二回転して蛇腹剣を振り回す。

 ただ風切り音が鳴るだけの、鞭の扱いとしては稚拙な振り回し方だが、武器が武器だ。迂闊に軌道上に入れば、腰から上が真横に落ちることになる。


 ゾ・トゥルミ=ゴは傷の重さを感じさせない動きで逃れ、二人が意図した通り、二匹の距離が大きく開いた。

 フィリップが龍貶しを器用に振って長剣形態に戻すと、背後にいたゾ・トゥルミ=ゴが当然襲い掛かるが、その時にはウォードがフィリップと背中を合わせるように構えていた。


 「今の、凄いね?」

 「思い付きです。良い感じに分断できたでしょう?」

 「あぁいや、そっちは……いや、後でね!」


 会話を切り上げ、ウォードは攻撃の予兆を見せたゾ・トゥルミ=ゴに牽制の一撃を入れ、フィリップから離れるように戦い始めた。


 彼が褒めたのはフィリップの納刀、伸長した蛇腹剣を身体操作だけで長剣形態に戻した曲芸のことだ。その前の牽制とも言えないような隙だらけの攻撃については、対人戦──戦技を持った相手との戦いでは、隙が大きすぎるからやるなと注意したいくらいだった。


 フィリップは首を傾げつつ、自分も隻腕になったゾ・トゥルミ=ゴへ距離を詰める。

 先ほど斬り落とした右腕からの出血は止まっているが、再生する様子はない。この分なら、右側はしばらく攻撃も防御も薄いままだろう。そして重心は左側に寄り続け、ついつい左回りで回避したくなる。


 そのくらいはフィリップにでも想像がつく。簡単な相手だ。


 ウォードの方もそれほど苦戦はしないだろう。

 肩口から腰に掛けて深々と袈裟に切り裂かれているにも関わらず、出血がもう止まっているのは不気味だが──片腕がまともに動いていないのが見て取れる。鎖骨があるのかは不明だが、それに類する腕を動かす部位が損傷したらしい。


 基礎身体能力は人間を上回るようだが、それだけだ。あとは止めを刺すだけの作業。


 フィリップとウォードは背中合わせで同じ思考に至り、同時に足に力を込める。

 瞬発力に長けたフィリップが先んじて動き、直後──二人の後ろから悲鳴が上がった。


 「助けて! ウォード! フィリップ!」


 弾かれたように振り返ると、リリウムが半泣きになりながらこちらに駆けてくるのが見える。その後ろには、四つ足で這うような姿勢で追いかけるゾ・トゥルミ=ゴの姿もあった。


 もう一匹いた──いや、ずっと、フィリップたちの後ろに居たのか。

 フィリップたちを崩落穴に引きずり落とした個体。追撃が無かったから、ミナたちの方へ行ったのだとばかり思っていた、初めからその存在を知っていた個体だ。


 そいつはずっと洞窟の天井に潜み、一番弱い個体が孤立し、強い個体がすぐには駆け付けられないほど離れ、手が離せなくなる状況を──必殺の状況を、じっと待っていたのだ。


 「くそっ──!」


 短い罵倒を残し、ウォードが踵を返す。

 深手を負っているとはいえ依然として戦意を残しているゾ・トゥルミ=ゴに背を向けて。


 馬鹿だ。その思いは、フィリップよりもむしろ相対していた化け物が大きく抱いていた。


 「ぁ、っ──!」


 リリウムが何か言おうとして、ここまで全力で走ってきて酷使された肺に拒絶される。

 たった一声、何を言おうとしたのかは分からない。「後ろ」とウォードに警告しようとしたのか、単に「助けて」と乞おうとしたのか。或いは「後ろ」と警告したら、ウォードが足を止めてしまうかもしれないと思って言葉に詰まったのか。


 だがどちらにしても、ただ一言分の酸素さえ残っていなかった。


 ウォードは振り返らず、全力でリリウムの方へ向かっている。

 背中はがら空きで、背後を守るのは冒険用のユーティリティジャケットだけ。厚手ではあるが、剣を通さないほどではない。その下のシャツなんて誤差だ。ゾ・トゥルミ=ゴの爪と力であれば、きっと骨まで届くだろう。


 それを無視して、リリウムを助けようとしている。


 敵を前に背を向けるなんて馬鹿だと、フィリップは思う。

 追い付かれたら一撃入れられて、最悪リリウムと纏めて殺される。その後はフィリップがゾ・トゥルミ=ゴ三体に囲まれて磨り潰される。


 ここでリリウムを助けに行くのは、馬鹿のやることだ。そして、馬鹿が馬鹿故に死ぬことを、フィリップは悲しいとも思わない。


 だが──愛すべき馬鹿、守るべき馬鹿だ。彼は。

 誰かのために必死になれる、文字通り自分の命を賭け金にできる人間性を、フィリップは何よりも尊重する。


 馬鹿と笑う。愚かと嘲る。無意味と蔑む。


 しかし、讃えよう。その在り方は美しいものだ。


 「行けッ!」


 僕がフォローします、とまで言い切る余裕はない。

 端的な叫びに込められた意図を汲めたか、それとも気にしている余裕さえないのか、ウォードは振り返らない。だが、フィリップはウォードの口角が不敵に吊り上がった気がした。


 とは言ったものの、切り結ぶ距離にいる相手と自分から離れていく相手を同時に相手取るのは物理的に不可能だ。かと言って、ウォードを追う個体をフィリップの位置から牽制するには、蛇腹剣を伸ばして、腰から上を鞭の一部のように見立てる身体操作を使い、最大射程を実現するしかない。

 だが、それではフィリップまで目の前の相手に背を向けることになる。


 ──致し方ない。


 「練習しておいて良かった──!!」


 フィリップは右手で剣を振って目の前のゾ・トゥルミ=ゴを牽制しながら、翻ったジャケットの内側に左手を入れる。右の脇下辺りへと。


 きん、かち、と小さな金属音が連続する。

 そしてシューッと空気の抜けるような音が一瞬だけ鳴り──直後、耳が痛くなるような大きな炸裂音が鍾乳洞に木霊した。


 思わず身を竦ませたリリウムが悲鳴と共に転倒し、ウォードを追っていたゾ・トゥルミ=ゴが横合いから殴られたように倒れる。そしてウォードは勢いのままに走り抜け、今まさにリリウムに爪を振り下ろそうとしていた化け物の頸を斬り落とした。


 ジャケットの背中に小さな穴を開けたフィリップは、目の前でいきなり破裂音を立てられて硬直したゾ・トゥルミ=ゴから大きく距離を取る。その動きに、白煙と火薬の臭いが尾を引いた。


 そして──『拍奪』による相対位置認識欺瞞と、伸長され真の力を発揮した蛇腹剣によって、ゾ・トゥルミ=ゴの最後の一匹は両手と片足を切り飛ばされた後、危なげなく処理された。


 フィリップのジャケットの内側では、木と鉄が組み合わされた機械──フリントロック・ピストルが革のホルスターに収められ、銃口から白煙を立ち昇らせていた。



 

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