第399話

 馬車の中の空気が当初の二割増しで冷え込み、居た堪れない雰囲気の旅路は数時間で終わる。

 陽気なエレナと物怖じしないフィリップと、元々知り合いのウォードとモニカがいて、旅の前半は和気藹々としていたのだが。


 今日が結成初日のパーティーとは思えない親し気な空気が無くなり、リリウムとモニカから警戒心さえ感じるようになったのは、ミナがヴァンパイアであることを明かしてからだ。


 じき日の入りという頃合いに漸く目的地の洞窟近くに到着した一行は、近くの村で情報収集する班と、前線基地代わりのキャンプを作る班に分かれて行動することにした。


 当初、エレナは「まだよく知らない人と組んだ方がいいよね!」と班分けをランダムにしようとしたのだが、フィリップは「考えがある」と言って、フィリップとエレナとミナ、ウォードとリリウムとモニカという構成に──つまり、元々組んでいたパーティー別に分けた。

 フィリップたちはキャンプ設営、ウォードたちが聞き込みだ。


 キャンプ地は件の洞窟からそう離れていない川岸にした。

 街道からなだらかな土手を降りると砂利の河岸があり、川幅20メートルはあろうかという綺麗な川が穏やかに流れている。下流の方と対岸には森があり、目的地の洞窟は対岸の少し上流の方だ。


 「……で、どうして?」


 ウォードたちが出発した後、テントを立てていたエレナが唐突に尋ねる。ちなみに、ミナはフィリップの晩御飯をってくると言って、シルヴァを連れて森の中だ。

 一応、シルヴァには「変わった事があったらすぐにミナを連れて帰ってきて」と言ってあるが、もう数十分は経っているので大丈夫だろう。森の中には神話生物もカルトもいないはずだ。


 「どうして班分けを同じパーティーだった組で揃えたのか。ミナを怖がってる二人と打ち解けなくちゃいけないのに。って?」

 「……そう。ボクが聞きたかったことそのまま」


 分かっているならどうして、とエレナは不満そうに眉根を寄せる。

 しかし、フィリップだってエレナに対する意地悪で反対したわけではない。


 「逃げるチャンスをあげたんだ。人間が吸血鬼を恐れるのは普通のことだよ。ミナが怖いなら、無理に慣れたり我慢したりする必要はない。僕たちから離れられるこの時間を使って作戦会議なり相談なりして、逃げ出すって結論が出たなら実行できるようにしてあげたんだよ」


 ウォードはともかく、多少なりとも魔術の心得があるらしいリリウムと、実戦経験のないモニカの二人はどこまでミナを恐れるか分からない。

 

 ミナの強さと人間に対する無頓着さを洞察できるだけの地力があり、かつ悲観的で現実的なら逃げだすだろう。

 しかしミナの強さに関して「既に何人も殺している」と又聞きしただけの情報しか持っていないのなら、そして「フィリップと仲良くできるくらいフレンドリーなら」と楽観視できるのなら、或いは逃げ出さないかもしれない。


 モニカは後者っぽいが、リリウムはどうだろうか。


 だがどちらにしても、変に恐怖を溜め込んで不意に爆発されるのが一番困る。

 ミナの寝首を掻こうとしたリリウムが朝起きたら心臓だけ無くなった死体に変わっているとか、恐怖を溜め込み過ぎて発狂したモニカをタベールナに送り届けなくてはいけないとか、そんな面倒は御免だ。


 「……なるほど」


 フィリップの主張に、エレナは重々しく頷く。

 単なる思い付きではないと分かってくれたようで安心だ。


 それから暫くテントの設営や薪拾いなんかをしていると、土手を登った街道の方からフィリップたちを呼ぶ声がした。

 おーい、おーいと、だんだん近づいてくる声の主を確かめると、下り坂を全力疾走で駆け降りたモニカがそのままのスピードでフィリップに突っ込んできた。

 

 「ただいま! フィリップ、フィリップ! 大変!」

 「うわ、あっぶな!? 何事!? パーカーさんだけ逃げたとか?」


 持っていた薪を投げ捨ててモニカを抱き留めるようにキャッチ。

 相手がエレナなら適当に避けているところだが──というか、でないとフィリップが撥ねられる──流石にモニカが勢い余って川に突っ込んで行ったら結構な事故だ。溺れるほど深くは無いようだが、ただでさえ速度が乗っているのにごつごつした岩場で転んだりしたら危ない。


 奔放な姉としっかり者の弟のような光景を展開する二人の後ろから、むっとした顔のリリウムが帰ってきた。ウォードも一緒だ。


 「はぁ? 私が何から逃げるっていうのよ?」

 「ただいま。良い……って言うのは良くないか。沢山収穫があったよ」


 ほう、とつい感心した顔で溜息まで漏らしたフィリップに、リリウムは思いっきり目尻を吊り上げる。


 「ねえちょっと、私があの吸血鬼に怯えて逃げ帰るとか思ってたんでしょ。馬鹿にしないでよね! 私は天才魔術師なんだから、敵でもない相手にビビったりしないわ!」

 「お、おぉ……ごめんなさい……」


 のけぞるフィリップだが、その理由はリリウムの剣幕に押されたからばかりではない。


 リリウムのことを、素直に凄いと思ってしまったのだ。少しだけだが。

 物凄く根性が据わっているのか、物凄く馬鹿なのかは判断しかねるが、凄いことだ。人間が食人種を恐れるのは正常な本能だというのに、見栄や意地で覆い隠せるというのは。


 ……まあ、溜め込んで暴発されるのは勘弁だけれど。


 「それで、収穫って?」


 話を逸らすな! と子犬のように吼えるリリウムから逃げ、盾にしたウォードに問う。


 「みんな揃ってから話すよ。ウィルヘルミナさんは?」

 「狩り……いや、ちょうど帰ってきたね」


 ガサゴソと茂みを掻き分けるなんてかったるいことはせず、魔剣の一振りで道を作りながら森を出てくるミナ。

 その音や気配に振り返ったフィリップは、珍しいほど上機嫌な彼女を見て目を見開いた。


 「良かったわねフィル、今夜はご馳走よ」


 ニコニコと嬉しそうな笑顔のミナは、後ろに大きな茶色い塊を引き摺っていた。

 ぐったりとして動かない、全長二メートルにもなろうかという大きな肉塊。大きな角を持つ四足の獣、まだ新しいその死骸だ。


 「わ、シカ……じゃない!? デカい!?」


 フィリップが知る普通の鹿の倍、いや三倍はある。

 角も太く大きく、テーブルがくっついているのかと見紛うほどだ。


 「うわぁぁ!? グレートアルセスだ!? ふぃ、フィリップ君、これ、滅茶苦茶美味しいよ!」

 「見るからに北の獣だけど……こんな大陸中部に居るのは珍しいね。けど確かに、肉の質は良さそうだ」

 

 大興奮のエレナと冷静に検分しつつも目を輝かせるウォードにつられて、モニカとリリウムも自分より大きな獣の死体に怯えつつ、じわじわと近寄ってくる。


 「血肉を形作る栄養素が物凄く豊富らしいわ。確か、後天的に銀の血を作る実験に使われていたはずよ」


 そんなグレートアルセスの上に乗っかっていたシルヴァがぴょんと跳び下り、フィリップに満面の笑みを向けた。

 

 「しるばがみつけた! これも!」


 どこか自慢げなのは、やはりウォードが言った通り珍しい獣だからだろう。

 シルヴァは胸を張りつつ、グレートアルセスの厚い毛皮の中に仕舞っていたものを取り出してフィリップに見せる。


 「ん、お……? キノコ……?」


 ひょろりと長い平滑な柄に、茶色い無地の傘。対して目立つところのない、痩せたキノコ。

 たった一本のそれを、シルヴァはとても凄いもののように掲げ持ってフィリップに見せつける。


 特に美味しそうとも思わなかったフィリップは困り顔になりつつも、「ありがとう」と笑って手を伸ばした。

 

 「あ、食べちゃ駄目だよフィリップ君。キノコは種類が同じでも採った場所で毒性が──っ!?」


 そんな会話を背中で訊いていたエレナは、ミナから受け取った巨大なシカを解体していた手を止め、呆れ混じりの困り笑いで振り返る。そしてその目にキノコが映った瞬間、青い双眸が極限の危機感で見開かれた。

 

 「待って!!」

 「痛っ!? エレナ!?」


 戦闘訓練中並みの速さで動いたエレナがフィリップの腕を捻り上げ、手からキノコを奪い取る。


 彼女が柄の断面や傘の裏側を検分している間、フィリップは半分極められていた腕を押さえながら恨みがましい視線を向けていた。

 そんなに焦って乱暴に奪い取らなくたって、見たことのないキノコなんか食べやしないのに、と。


 やがて検分を終えたエレナは、慄いたように頭を振る。


 「こ、これ……いや、エルフの掟で詳しいことは言えないんだけど、ボクたちが使う物凄く強力な薬の材料なんだよ」

 「……毒なの?」


 まだ腕を擦っているフィリップに代わり、モニカが問う。

 田舎育ち、というか、狩人を父に持つフィリップとは違い「知らないキノコは摘むな食べるな」なんて教わってはいないだろうが、それでも毒キノコの存在は知っていたようだ。王都ではそうそうお目にかからない代物だろうに。


 エレナは神妙に頷き、それから漸くフィリップの恨みがましい視線に気付いて「あ、ごめんね!」と慌てて謝る。良いから先を続けろとフィリップが視線で促すと、エレナはまた頷いた。


 「猛毒だよ。猛烈な複合毒。体重比を考えるまでも無く、一口でも食べたら戻ってこれなくなるよ。死にはしないだろうけど」

 「死にはしないけど戻れない? あ、あー……幻覚系ですか?」


 フィリップより早く、ウォードが嫌そうに尋ねる。何か思い出でもあるのだろうか。


 その表情に興味を惹かれたのはフィリップだけで、エレナは淡々と答える──頭を振るが、それは単純な否定ではなかった。


 「わかんない」

 「分かんないってどういうことよ?」


 お手上げとばかり両掌を上向きに返したエレナに、リリウムが眉根を寄せる。

 揶揄われていると思ったのだろうが、違う。本当に分からないのだ。薬学に関しては人類以上の知見を持つエルフでさえも。


 「具体的にどんな症状が出たのか分からないんだ。色んな毒素が含まれてるし……含有毒素で一番多いのは確かに幻覚系なんだけど、麻酔……睡眠、麻痺系の毒も含まれてる」


 補足してくれるエレナだが、却って分からなくなった。

 毒の種類が分かっているのなら、その効能も分かるはずだろうに。


 「分析は出来てるけど……あぁ、だからこそ食べた例はないってこと?」


 人類が知る毒草類が大抵は犠牲者の存在があって初めて毒草と発覚したものばかりであることを考えると、やはり優れた薬学者集団であるエルフは格が違うと思わされる。


 しかしフィリップが感心したのも束の間、エレナはさも当然のように「いや、あるよ」と頭を振った。

 上機嫌に鼻歌交じりでグレートアルセスの解体に勤しんでいるミナと、フィリップによじ登って肩車の位置に落ち着いてご満悦なシルヴァを除く三人が、揃って頭上にクエスチョンマークを浮かべる。


 服毒後、自分がどういう状況なのかを言い残すことも出来ない理由として真っ先に思いつくのは、「死んだから」だ。その手の毒は毒を解析するか死体を解剖するかして、漸くどのような毒なのかが分かる。

 だがエレナはさっき、「食べても死なない」と言った。致死毒ではなく幻覚系の毒だと。

 

 三者の怪訝そうな目に見つめられて、エレナは説明不足に気付いて先を続けた。


 「あるけど、食べたが最後、強烈な毒で侵された脳組織は壊滅的な被害を受ける。大抵は廃人になるね。しかも服用から数時間は麻酔と幻覚で物凄いことになる」


 「物凄い?」とフィリップとウォードは異口同音に首を傾げる。


 「周りが全部敵や怪物に見えて、攻撃性が極端なほどに増す。その上、麻酔作用で痛みも苦しみも感じなくなる。所謂バーサーカー化するんだ」


 「なるほど」とフィリップとウォードの声がまた揃う。

 モニカとリリウムは今一つピンと来ないようだが、痛みを感じない相手がどれだけ面倒臭いかを知る二人は物凄く嫌そうな顔をしていた。


 フィリップは動く死体に首を絞められ、小指を折っても目を潰しても脱出できなかったことを思い出して首筋を擦る。恨みなんてとうに忘れたが、苦痛だけはしっかりと覚えていた。


 「まあ、観察から導き出された推論だけどね。服用者は言葉を交わせなくなるし、もしかしたら幻覚じゃなく精神の崩壊とかかもしれないんだけど──とにかく客観的には幻覚を見ているような振る舞いをして、暴れまくる。そして痛みを感じていないように見える」


 ただし本当に幻覚を見ているのか、或いは「実在するが見えないはずのもの」を見ているのか、痛みを感じないのか、「痛みなんて気にしている場合ではないものが見える」のか、それは誰にも分からない。

 本当にただの幻覚だとしても、毒素による一時的なものなのか、毒素が脳細胞を破壊した結果として幻覚を見ているのかさえ分からない。


 服用者が何かを語る前に幻覚に溺れ、暴れ、そして精神が崩壊するからだ。


 「どんな症状だったか喋れた人が居ないってことか……。解毒はできないんですか?」


 ウォードは恐る恐るといった体で問いかける。


 薬の材料にするからには、毒素の抽出や弱毒化の手法がある──とは限らない。

 毒は量だ。効果が完全に発揮される閾値以下の量を使っているだけの可能性もある。


 彼の懸念を肯定するように、エレナは重々しい口調で答えた。


 「食べた瞬間に吐かせればなんとか。毒素の吸収量が閾値を超えたらもう助からない」


 そんなに、とウォードは怯えつつもエレナの手中にあるキノコをまじまじと見つめる。何かの間違いで食べれるキノコと間違えないよう、特徴を頭に叩き込むように念入りに。


 「……でも、これはもっと北の方の高山地帯にしか生えてないはずなんだけど……」

 「きたのはさいきん。きたからもくざいをはこんでくるのについてきた」


 不思議そうなエレナに、シルヴァがさらりと答える。

 森に入った瞬間に、その森の全ての情報を把握できるヴィカリウス・シルヴァの機能は本当に大したものだ。お陰で「カルトが持ち込んだのでは?」なんて深読みをしなくて済む。


 「なるほどねぇ……。で、なんで摘んできたの?」

 「かわったことだから。ほうこく!」


 肩車されたままフィリップの後頭部にもたれかかるシルヴァの顔は見えないが、なんとなく自慢げな表情が思い浮かぶ声だ。


 ぐっがーる、なんて言いつつ頭上の幼女をわしゃわしゃ撫でていると、目を爛々と輝かせたモニカが近づいてきた。


 「……さっきからずーっと気になってたんだけど、何その子!? 妖精? 精霊? かっわいいー!!」

 「妙に静かだと思ったら……」


 呆れたように言うフィリップだが、リリウムも「それは誰?」と言い損ねていたが遂に言ってくれた! と明記された顔でフィリップとシルヴァの方を見ていた。


 





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