第398話
記念すべき初受注となる依頼はどんなものがいいか。
フィリップは「なんでもいい」と言い、エレナは「楽しいのがいい」と言い、ミナは「手応えがあるのがいい」と言った。
単身で成龍を相手取って「まあまあ楽しめた」なんて言い放つミナが手応えを感じるであろう依頼は、幸いにして掲示されていなかった。王国は平和なようで何よりだ。
一応は初めて一緒に戦う仲間が二人もいるわけだし、ここは簡単そうな依頼がいいだろうというウォードの案に乗り、依頼を探した。
対人戦闘──いや、敢えて殺人行為と明言するが、モニカはその経験がない。
となると採集か調査系が望ましいが、あまりにも簡単なものだとミナがすぐに飽きるしエレナも楽しめない。
そこで選ばれたのは──“ダンジョン調査”。
より正確には、川の氾濫によって新たに発見された洞窟がダンジョンであるかどうかの調査。
近隣住民の話によると、洞窟から魔物が出てきたり、近くで子供が行方不明になっているらしい。それが単に自然の洞窟に魔物が住み着いただけなのか、洞窟が魔物を産み落とす仕掛けを持ったダンジョンなのかを確かめろという依頼だ。
ダンジョンである場合、自然形成ではありえない構造をしていたり、オーパーツが出土したりするので多少調査すればすぐに分かる。報告されている魔物も低級のものばかりで、高度な知性や戦闘能力を有する種はいないようだ。
これなら、連携訓練をしていない新造のパーティーでもどうにかなるだろう。
そんなわけで六人パーティー“エレナと愉快な仲間たち”は貸し馬車を使い、件の洞窟を目指して王都を出発した。
王都からほど近いとはいえ、街道沿いに一日かかる旅程だ。馬に死ぬほど嫌われている──実際、勇猛に訓練された軍馬でもフィリップが乗ったら数日で使い物にならなくなった──フィリップ以外が持ち回りで御者役を務め、のんびりと目的地を目指す。
「フィリップとミナって姉弟なの? 親子ってほど年が離れてるわけでもないでしょ? けど、恋人ってほど近くもなさそうだし」
半日ほど進んだとき、リリウムがふと問いかけた。
それほど大きいわけではないキャラバン型馬車の中には各々の荷物が積み込まれ、それなりに身を寄せ合って座らなければならない。
しかし御者役のエレナを除く五人が普通に座れるくらいには空間があるというのに、態々フィリップを膝に乗せて抱きしめているミナを見ての疑問だろう。
「……そう見える? 僕とミナはあんまり似てないと思うけど」
というか、平凡な容姿のフィリップと人外の美貌を持つミナは全く似ていない。
美醜を抜きにしても、ミナは黒髪でフィリップは金髪、目の色だって青と赤だ。血縁関係があるようには見えないだろうに。
「そう見えないから聞いたのよ。どれでもない感じがする」
「それ、私もずっと気になってた! フィリップは銀髪のお姉さんが好きなんじゃないの?」
悪戯心がそのまま顔に張り付いたようなにやけ顔のモニカ。
彼女の知るマザーとルキアのことを言っているのだと察したフィリップは、眉根を寄せて深々と嘆息した。
「……モニカ、そういう否定しづらい事実を口にする行為はそのうち罪に問われるよ」
少なくとも現王とステラの治世でそんな悪法が敷かれるわけはないのだが、思わずそんなことを口走る。
しかし、悪手だ。モニカの言を肯定してしまっている。
いや──否定したとしても、フィリップのマザーに接する態度や蕩け具合を知っているモニカには無意味だっただろう。
少なくともこの話題に於いて、フィリップが反駁できる余地はないのだった。
「ふーん? 事実なんだー?」
ニヨニヨと妙に腹の立つ笑顔を浮かべるモニカに、苦笑を浮かべたフィリップよりもリリウムの方が大きな反応を見せる。と言っても、怪訝そうな顔で問いを投げるだけだが。
「……モニカも結構、フィリップと仲いいわよね。知り合いだったの?」
問われて、フィリップとモニカは顔を見合わせる。
単純に「友達」と言い切れる関係ではない。お互いを大切に思っていたことは間違いないだろうが──フィリップのそれは一般的なものともモニカのそれとも大きく乖離しているが──では友情故かと言われるとそうではない。
親愛だったのか、或いは依存や執着だったのか、年に数日会うかどうかという数年を過ごした今となっては分からず仕舞いだ。
「あー……うん。なんて言えばいいのかな。僕が丁稚奉公に出てた宿の、大将と女将さんの娘さん」
「でも上司とか主従って感じじゃないもんねー? そう、それこそ姉弟みたいな!」
一人っ子のモニカは完全に想像で語っているが、実際に兄を持つ末っ子のフィリップとしても、その関係性は中らずと雖も遠からずといったところだ。
「振り回される感じは確かにお兄ちゃんと一緒かも……サボり癖も」
呆れ混じりに言うフィリップ。
彼が歴史はともかく神学の授業なんて死ぬほど不毛な90分でさえ真面目に出席していたのは、サボり魔たちがすぐ傍に居て反面教師になったからかもしれない。
ばつが悪そうに目を逸らしたモニカとフィリップを見て、リリウムはまたミナに目を戻した。
「……で、二人はどういう関係なの?」
話も戻る。と言っても、特に話を逸らしたつもりはないのだけれど。
フィリップとミナは一度たりとも合図を交わさず、全くの同時に答えた。隠すことなどないと言わんばかりに、淡々と。
「ペットよ」
「ペットだね」
沈黙。
モニカも、リリウムも、言葉を咀嚼して意味を確かめているにしても長い時間をかけて黙考する。
フィリップの好みについての話をニヤニヤしながら聞いていたウォードはばつが悪そうに視線を逸らし、御者席のエレナはさっきから「いいなー楽しそうで」と不定期に呟くばかりだ。じゃんけんで負けた自分を恨んでほしい。
「……は?」
「……え?」
たっぷり10秒は沈黙した後、モニカとリリウムが尋ね返す。
聞き取れなかったわけではないことは考え込んでいたから明らかなのだが、フィリップたちにしてもこれ以上説明を追加する余地はない。
「それ、言って良かったの?」と遅ればせながらウォードが確認するが、フィリップとミナの関係性は国王にまで知られているし、パーティーを組んで活動していたら遅かれ早かれ露呈する。
いや、そもそもこうして同じ馬車に乗って街道を行くこの現状が奇跡のようなものだ。余程の無知か馬鹿、あとは酔っぱらいくらいしか、ミナに近づこうとしないのだから。
「冒険者ならミナのことは知ってるでしょ?」
と、それが決定的な理由であるかのようにフィリップは言う。
実際、フィリップにとってはそれが理由の全てだ。
つまり、ミナが吸血鬼であること。人間に優越する化け物であるから、従うしかない
僕の主張は以上ですが異論は? と目を向けると、モニカもリリウムもきょとんとしていて、フィリップは怪訝そうに目を細めた。
「……え? まさか知らないの? ギルドも衛士団も周知してるでしょ?」
というか、何なら冒険者ギルドには似顔絵付きの警告まで掲示されていた。
特徴も列挙され、先に手を出して返り討ちにされてもギルドや王国は一切関知しない旨、既に上位ランクの冒険者パーティーを含む数名が手も足も出ず殺されたことが書かれていた。
まあ、目を通していないのならそれはそれで仕方ない。情報収集を怠った馬鹿が死ぬのは冒険者の常なのだから。
フィリップの目が柔らかに細められる──嘲笑の形に歪む寸前、リリウムは何かに気付いたようにはっと息を呑んだ。
「ま、まさか、あの吸血鬼ウィルヘルミナ……!?」
まさかと言わんばかりに目を瞠るリリウム。
対して、モニカは「吸血鬼!?」と悲鳴を上げて馬車から落ちるギリギリまで飛び退いた。
今の今まで気付かなかったことも、知らなかったことも、フィリップからするとそれこそ“まさか”だ。
笑いそうになるのを何とか堪えつつ、フィリップは頷いて肯定する。
「そうだよ。あぁ、定期的に僕の血を吸ってるから皆には食欲を向けないと思うし、もし僕が吸血されてるところに出くわしても死なない範囲だから気にしないでね」
「……フィリップ、頭おかしくなったの?」
正気を疑うような目を向けるリリウムの内心を、モニカがそのまま口に出す。
しかし、その問いに対する答えだけは、いつどんな状態でも変わることがない。
「残念ながら正常だよ。ナイ神父とマザーと仲いいんだし、今度「フィリップは狂ったんですか?」って聞いてみたら? ……いや待って、聞くならナイ神父にして。マザーはもしかしたら怒るかもしれないから」
モニカも信用せざるを得ない二人の名前を挙げると、彼女は「むぅ」と小さく唸って黙る。
リリウムは投石教会の神官たちのことを知らないようだったが、彼女の関心はフィリップよりミナの方に傾いている。フィリップの頭がおかしいかどうかなんて気にしている余裕はない。
「吸血鬼ウィルヘルミナって、もう何人も冒険者を殺してる化け物なんでしょ? 龍狩りに貢献したから辛うじて許されてるって聞いたわよ」
恐怖を色濃く映すリリウムの言葉に、フィリップは誰の真似か、ぱちりと指を弾く。
「前半分は正解。でも後ろ半分は不正解。人間の側でミナに裁定を下せそうなのは三人──王都の全人口の内、三人。人間の側がミナの存在を許すとか許さないとか、そんな同格か格上みたいな話ができる間柄じゃないんだよ、ヒトとヴァンパイアはね」
「……そうは見えないけど」
確かに、膝の上に載って撫でまわされているフィリップが言っても説得力はない。
だが、そもそも脅威判定を他人任せにすること自体がナンセンスだ。特にフィリップに任せるのは。
第一、魔術師なら見るまでも無く肌感覚で分かるはずだろう。ミナの持つ膨大な魔力、聖痕者ですら身構える圧倒的な存在感を前に、物理的視界に映るものがどれだけの価値を持つというのか。
「そうですか? じゃあパーカーさんは魔力視の精度が低いから気を付けた方がいいですよ。ルキアや殿下でさえ、一撃必殺の神罰術式抜きだったら“魔術戦が出来る”って言うぐらいなので」
その話をしたルキアもステラも「負けるかもしれない」とは一言も言わなかったけれど。
ちなみにお互いに対しては、ルキアが「普通に闘っても勝ち目はない」と言い、ステラは「拘りを捨てられたらかなり苦しい」と言う。そしてそれらは正しいので、二人の魔術に関する見立てには見栄の類が無く、そして正確だ。
「戦える」というのは、文字通り戦闘の形を取れるというだけ。一方的な虐殺や処刑にならないというだけだ。
途中で白兵戦に持ち込まれない限り、まず勝てる。
しかし聖痕者──人間でありながら爆撃機じみた火力を持ち、魔力障壁によって破城槌の直撃にも耐える超級の魔術師たちと同格か、一歩劣る程度。魔力の質も量も凄まじいの一言に尽きる。
魔術師でありながらそれを感じ取れないのなら、リリウムは感知能力にかなり問題がある。
ルキアやステラのような“眼”を持っていないのだろうとは思っていたが、もしかしたらフィリップ並みの鈍感さかもしれない。
そんなことを考えていると、モニカがフィリップの言葉に食いつく。
「よ、呼び捨てになってる……! のは、後でちゃんと問い質すとして、今はその人の話! ペットってなに!?」
「そうよ! 卑猥だわ! っていうか誰?」
「ルキアや殿下」が、まさか聖痕者のルキア・フォン・サークリスと第一王女殿下を指すとは思わなかったのか、リリウムは知らない人間を引き合いに出されたと思っているらしい。
だがそんなことより、もっと大きな突っ込みどころがあった。
「え……?」
「は……?」
フィリップとミナの表情が同じ困惑の一色に染まる。
フィリップが知る限りの人間の常識、そしてミナが100年間慣れ親しんできた吸血鬼の常識に照らして、ペットを飼うという行為は「卑猥」と表現されるものではなかった。
人によっては、「猟犬は“相棒”だ、ペットじゃない!」とか、「ペットって言うな、家族と呼べ!」とか、そういう主張をすることはある。それならフィリップも聞き覚えがあるし、「あぁはいはい」と適当に流すことも出来た。
だが、流石に「卑猥」と糾弾されるのは衝撃的だった。
「……少なくとも僕の田舎ではペットを飼うことに卑猥さは無かったけど……王都でもそうでしょ?」
「人間を飼ってる人なんかいないわよ!」
キャンキャンと甲高く吼える子犬のように、顔を赤くしたリリウムが主張する。
そりゃあフィリップもそのケースは聞いたことがないし、人間に飼われるとなれば躊躇いなく飼い主の喉笛を噛み千切る所存だが、それでも表現が違う気がした。
「……いや、よしんば人間が人間を飼ってたって、それは“猟奇的”とか“分不相応”って言われるものじゃない? “卑猥”は違うでしょ」
「悪魔みたいに疑似的な性欲がある連中は、愛玩用──性欲発散用のペットを持っているらしいけれど……」
「吸血鬼は生殖じゃなくて増殖、吸血で同族を増やすから性欲もないもんね。その分食欲は強いけど」
そのものズバリ、モニカとリリウムが想像していた通りのケースを引き合いに出された上で否定され、二人は誰とも目を合わせないように顔を伏せて黙り込んだ。
「……」
「……」
誰も、何も言わない。
ミナは不思議そうに──意味不明なことを言った馬鹿を見る目を二人に向ける。フィリップの目は純粋な疑問一色だ。
ウォードはいたたまれなさそうに全員の顔を順繰りに見て、出すべき助け舟を見つけられずに馬車の外に視線を投げた。
御者席のエレナも今は黙っているが、「へぇ、悪魔ってそうなんだ」と呟いていたので、単に知識が追加されただけのよう。居心地の悪さは感じていないようだ。
「で、なんでペットを飼うのは卑猥なの?」
「フィリップ君。もうそれ以上掘り下げないであげてくれ……」
フィリップの100パーセント好奇心由来の追撃を、心底いたたまれなさそうなウォードが遮った。
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