第400話

 ミナとエレナが解体してくれたグレートアルセスの肉は、直火でなら焼き加減をレアからウェルダンまで6段階に調節できるフィリップが調理した。

 いや、焚火にかけて焼くだけの行為を「調理」と呼んでいいものかは疑問だが。


 スレンダーな体形の少女どころか筋骨隆々の大男だったとしても「凄い」と称賛されるほどの健啖家であるエレナと、育ち盛りのフィリップとウォードがいてもなお平らげられないほど、グレートアルセスの可食部は多かった。


 月と星の明かりの下、肉の余りを燻製にしながら、フィリップは一行にシルヴァとのなれそめを語り終えた。

 とある森で出会ったこと。封印されていた吸血鬼と戦ったこと。はぐれドライアドだと思って連れ帰ったこと。王都についてからヴィカリウス・システムについて知ったこと。


 「で、それ以来僕と一緒に居るんだ。ちなみに、その封印されてた吸血鬼がミナのお父さん」


 フィリップが語り終えたとき、エレナとミナ以外の、初めてその話を聞いた全員が同じ表情をしていた。


 ──どこからどこまでが本当なんだ? と。


 勿論フィリップは嘘も誇張も無く、どころか部分的には──主にディアボリカを一撃で倒し得る切り札があったという部分なんかを──隠していたのだが、それでも十分に異常だ。


 たかだか十二歳の子供が、弱っていて遊び半分だったとはいえ上位のアンデッドである吸血鬼を相手に十数分も耐えられる時点でまずおかしい。

 森の管理人であるドライアドの全滅? 環境の代理人? 封印されていた吸血鬼の復活? 冒険譚にしても出来すぎだし、盛り過ぎだ。 


 「……その話は僕も初耳だったな。てっきり魔術学院で召喚術を習ったんだとばかり」


 食べ過ぎたとばかり腹を擦っていたウォードがなんとか絞り出したように言う。


 以前の交流戦でシルヴァを目にしてはいたが、彼はそもそもフィリップが「召喚術を暴走させて魔術学院にぶち込まれた」ことを知っている。拘束代替措置──召喚術を学ぶために魔術学院へ編入させられたことも。


 だからこそ、シルヴァをフィリップが召喚した精霊か何かだと思っていたのだろう。授業の中で遂に召喚術を会得したのだと。


 そんなウォードの反応の大きさは、三人の中で真ん中くらいだった。


 一番小さいのはモニカ。

 彼女はフィリップが話す内容が凄いのかそうでないのかも微妙に分かっていないところがあった。


 そして一番大きいのは、思いっきり眉根を寄せて怪訝そうにしているリリウムだ。 


 「……は? あんた、魔術師なの?」

 「いや、違いますよ?」


 嘘、ではない。

 フィリップは魔術師なのかと訊かれて「そう」だと答える者は、魔術への理解度が一般人並みだ。“魔術が使える”ことと、職業或いは戦形が“魔術師”であることとは一致しないというのは、魔術学院生なら一年生でも知っている。


 フィリップが使える魔術は初級魔術が数種類。どれも実戦に堪える威力は無く、ステラは「戦闘中なら石でも拾って投げた方がいい」とまで言う。それだけで、ルキアの「召喚魔術用に魔力を温存すべきね」というオブラートに包まれた同意を聞くまでも無く、どれだけお粗末なものか分かるだろう。


 魔術戦どころか、非魔術師相手にだって有効打にはならない魔術を、魔術師たちは“魔術”と呼ばない。


 まあ例外的に領域外魔術という手札はあるが、これも態々自分から明かして自慢するようなものでもない。召喚術も言うに及ばず。


 「……そうよね。入学年齢って14歳だし」

 「15の年だから、僕の場合だと来年ですね。入学資格は満たしてなかったし、許可は下りなかったでしょうけど」


 何事も無ければ──あの地下祭祀場で地獄を見なければ、魔術学院に入ることもなかっただろう。ルキアにもステラにも会わなかったし、こうしてミナやエレナと一緒に冒険することもなかったに違いない。


 そう考えると、悪くない気が──いや、しない。全然、全く、これっぽちもしない。

 あの美しい世界の中でなお悍ましかった魔王の姿を思い出すだけで吐き気がするし、甚振ることもできず液状化して死んだカルトを思うと腸が煮えくり返る。

 

 そんなことを考えて不意に肌のひりつくような怒気を迸らせたフィリップに気付いてか、或いは単に話の流れか、ウォードが明るい声を出した。


 「それなのにあんな召喚術が使えるなんて、凄いよね!」

 「ナイ神父のお陰よね!」


 ウォードだけでなく、モニカもハイテンションだ。

 まあフィリップは丁稚奉公をしていた時分からナイ神父に魔術を教わっていたし、間違いではない。


 人間スケール、自衛スケールの魔術は頑なに教えてくれないのは不満だが。


 「……まあ、そうだね」


 ものすごく嫌そうに顔を顰めながらの肯定に、モニカとミナ以外が不思議そうな顔をした。


 ただリリウムの興味はすぐに移る──いや、戻る。


 「召喚術? どういうこと? やっぱり魔術が使えるの?」


 重ねるように問われ、フィリップは「もう聞かないでくれないかなあ」と言わんばかりに憂鬱そうな顔だ。

 

 ルキアやステラだけでなく、ディアボリカやミナのような本当に優れた魔術師を知るフィリップにとって、「魔術が使える」というのは彼ら彼女らのレベルだ。


 魔術に関して、フィリップはほぼ無能だ。


 空中に魔力で文字を書く魔力操作は、魔術の腕は平凡以下とされていたフレデリカでさえ簡単にやってのけるが、フィリップが成功するのは三、四回に一回くらい。


 そりゃあ理論分野はルキアとステラだけでなくフレデリカの教導を受けて並み以上になったが、実技方面は最後まで最底辺だった。


 別に「だから何?」程度の話ではあるが、それでも自分の弱点をつつかれていい気はしない。


 「実戦可用域にないものを“使える”と言っていいなら、イエス。魔術戦が出来るかと言われたら、ノー」


 語気を強めて言い切り、「この話はやめよう」と言外に匂わせる。

 しかし、モニカはフィリップの不機嫌に気付かなかったように、


 「実戦かぁ……。流石、魔術学院の卒業生は考え方が違うわねー」


 なんてぼんやりと呟く。もしかしたら満腹で眠くなっているのかもしれない。

 

 すると当然、リリウムも食いつく。


 「ちょ、ちょっと待って。さっきから話が支離滅裂よ!? 結局、あんたは魔術師なの? 魔術学院の卒業生? どういうこと?」

 「あぁ、はい、一から説明します」


 こうなったらヤケクソだ。

 魔術学院の授業内容も交えて、僕がどれだけの無能か徹底的に講義してやろう。


 そんなことを考えて立ち上がり、リリウムの隣に座り直そうとしたフィリップだったが、ほぼ同時にウォードが立ち上がって剣を取った。


 「──いや、フィリップ君。それは後にしよう」

 「お。いいカンしてるね、ウォード君。……魔物だ」


 エレナもすっと立ち上がり、川下の方を向いてファイティングポーズを取る。


 星と月の明かりがあるとはいえ、焚火から離れた場所まで明瞭に見えるほどではない。二人が睨む方向には夜の闇しか見当たらないが、エレナがそう言うのなら間違いないだろう。

 フィリップが立ち上がると同時にリリウムも表情を引き締めて立ち上がり、その後にミナが、最後にモニカが続いた。


 「ミナがいるのに近寄ってきたってことは、無知性の低劣……じゃなくて、低級の魔物だね。何が何匹?」

 「ジャイアントスパイダーとデモニックバット、ビースト・スケルトン。数は……全部で十かな」


 フィリップの問いに、「そこまでは」と頭を振るウォードに代わり、耳をそばだてていたエレナが答える。

 ジャイアントスパイダーは大型犬サイズの蜘蛛。デモニックバットは体長70センチくらいの直立する蝙蝠で、大きな鉤爪を持っている。ビースト・スケルトンはオーソドックスなアンデッドであるスケルトンの獣版で、骨格は通常の獣のどれとも一致しないが、なんとなくオオカミっぽい。


 「洞窟とは反対側よね? 森から出てきたのかしら」

 

 じわじわと夜の闇から染み出すように姿を現す魔物の群れを目の当たりにして、リリウムが僅かに肩を震わせながら言う。

 心なしか声も震えているが、それに気付いたのはミナだけで、そして彼女はそんな情報に一片の価値も見出さなかった。


 「折角だし、連携の訓練と行こうか。エレナ、指揮をお願い」


 とフィリップ。

 

 予想通り、どれも実習レベルの低級の魔物。相性も何も考えずギルドで再会したから組んだだけのパーティーが連携を確かめるには、ちょうどいい弱さの魔物だ。


 「オッケー! 姉さまとウォード君は前衛、ボクとフィリップ君はリリウムちゃんとモニカちゃんを守りながら遊撃、後の二人は後衛ね!」

 「ミナ、魔剣解放も魔術もナシね! 僕もロングソード状態しか使わないから」

 「はいはい。怪我しちゃ駄目よ」

 

 エレナが獰猛な笑みを浮かべ、ミナは欠伸交じりに血で編まれた直剣を握る。

 敵の位置次第だが、伸長すれば刃渡り4メートルにもなる蛇腹剣を使えば、低級の魔物くらい5匹纏めて撫で斬りにできる。それをしないのは、単純に戦闘を長引かせるためだ。


 瞬殺してしまっては連携も何もない。練習にならないからだ。

 

 「……モニカ、あれって何なの? なんで魔物の群れを前にして「真面目に闘うな」なんて言ってるの? もしかして自殺志願者?」

 「わかんない……。でも、フィリップもミナさんもすっごく強いはず」


 フィリップがドラゴン相手にデコイを務めるほどの戦士であること、ミナとウォードがその師匠であることは知っているモニカが言うが、声には自信がない。

 龍狩りの話は衛士たちに聞いているが、フィリップが戦うところを見るのは初めてなのだから。


 それに、ウォードとリリウムと冒険するのはまだ三度目。

 十匹単位の魔物の群れと遭遇したのはこれが初めてなのだった。怯えてしまうのも無理はない。


 そんなモニカとリリウムに気付くこともなく、フィリップたち実戦経験者組は陣形を確認していた。


 「パーカーさんは僕の、エレナはウォードの援護をメインにしようか。お互いの知らない相手の戦形を把握しておこう」

 「お、ボクが言おうとしてたことそのまま! フィリップ君も分かってきたねー!」


 ミナを最前線にして、フィリップとウォードが遊撃としてその援護。その少し後ろにエレナが陣取り、後衛ポジションからリリウムが、それぞれペアの相手を援護する。非戦闘員のモニカを最後方に置く、A型、或いは魚鱗と呼ばれる陣形だ。


 フィリップはエレナと笑みを交わし、龍骸の蛇腹剣龍貶しドラゴルードを抜き放つ。


 鞘走りの音は夜の空に似合いの澄んだ涼やかさ。水色の燐光を纏う刀身が月と星に照らされ、背後から二つ、息を呑む気配がした。





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