第396話
「パーティー名をちゃんと考えよう!」
ギルド内の四人掛けテーブルに座り、エレナは天板を叩いてそう主張する。
ホワイトアッシュの分厚い木材がびりびりと震えるのを感じ、「早く依頼見に行こうよ」と言いたげな不満顔だったフィリップは、すっと背筋を正してしかつめらしく頷いた。
相当な大音量だったはずだが、周囲の冒険者たちは「うるせえな」という一瞥を呉れるか殆ど無反応で、厚さ10センチもの硬質な木材を振動させる膂力に驚いた様子はない。
「……オーケー。何か案があるの?」
「ないよ! ないけど、さっきのはイヤ!」
フィリップとしても冗談で付けた仮名がずっとそのままになるのは想定外だし、そもそも仮名だ。
良い感じの名前がぱっと思いつかなくて、いつでも変更できると言われたから「パーティー1」とか「Aチーム」といった記号のような名前よりはユーモラスなものにしただけ。
だから変えることに異論はない。
ないが、そもそも今日は依頼を受けるつもりでここに来たのだ。長々と名前について議論するのが嫌で仮名にしたのに、腰を据えた話し合いなんて始めたら本末転倒だ。
「まあ冗談半分だし、仮名称のつもりだったし変えるのはいいけど……いい感じの名前がぱっと思いつくならそれにしてるんだよ、僕は。……15分経って決まらなかったら、先に依頼を見に行こう」
言って、フィリップは懐中時計を取り出して時間を確認した。
時刻は午前九時を少し過ぎたところ。15分と言ったが、遠出する依頼を受けないならもう少し余裕があった。
「……姉さまは?」
ミナは両掌を天井に向け、無言で「特に何も」と示す。或いは「どうでもいいわ」というボディランゲージかもしれないが、どちらにしても有用なアイディアは出てきそうにない。
「うーん……。あ、“トリニティ”なんてどう? エルフとヴァンパイアとヒトの三種族が一つになったパーティーだし」
「いや……ヴァンパイアがいるのに一神教絡みの名前はちょっと」
よくぞこの一瞬でと目を瞠ったフィリップだったが、それこそ一瞬で、すぐに苦い顔で頭を振る。
言葉の響きは確かにカッコいいと、フィリップも認めるところだ。それに“エレナと愉快な仲間たち”よりは冒険者パーティーの名前っぽい。
だが如何せん、本来の意味との相性が悪い。
“トリニティ”とは一神教における三位一体、父と子と聖霊を指す言葉だ。つまり唯一神と、聖人と、天使を示す。一神教の中核、最も神聖であるとされる三要素だ。
「私は気にしないわよ?」とミナは言うが、フィリップは変わらず首を横に振る。
「他の人が気にすると思うよ? 信仰の絡んだ人間って死ぬほど面倒臭くない?」
ヴァンパイアを含むパーティーというだけでほぼアウトというか、王国以外にバレていないからまだセーフ、というレベルの綱渡りだ。レイアール卿が統べる聖国はともかく、一神教や帝国にバレたらそれなりに大きな問題になるだろう。
そして公的機関だけでなく、個人がどう思いどう行動するかも問題だ。熱心な一神教徒には冒涜と思われても仕方のない名前だし、パーティー名を耳にした全員から喧嘩を売られるのも面倒な話ではある。
「……確かにそうね」
覚えでもあるのか、ミナもかったるそうにフィリップの言葉を肯定する。
しかし「駄目かあ」としょんぼり俯くエレナを慰めるわけではないが、フィリップは結構好きな名前だった。
「……でも正直、皮肉が利いてていいセンスだと思うよ。僕もエレナもミナも……パーティーの誰も一神教の熱心な信者じゃないのに、そんな名前なんて。やっぱりそれにしよっか」
一神教を信仰していないエルフと、神敵たるアンデッドの中でも上位の存在であるヴァンパイア、そして“魔王の寵児”のパーティーが名乗るにしては、流石にちょっと綺麗すぎる。
「そんな意図はしてなーい!」と不満そうにむくれるエレナだったが、残念、賛同者はもう一人増える。
「確かに、ジョークとしてはいいセンスね。私も賛成」
愉快そうに笑うミナという珍しいものを見て、エレナは喜ぶべきか迷っているような曖昧な笑顔になった。
「えぇ……。なんか釈然としないなあ……。一神教信者のヒトに絡まれるんじゃないの?」
「かもしれない、って話だよ。というか……」
「絡まれたら殺せばいいだけの話じゃない」
フィリップが敢えて言わなかった先を、ミナは淡々と引き取る。
「それは……うーん……」
言い淀むエレナ。
フィリップはともかく、ミナが人間を殺すのは、吸血鬼という種族である以上当然のことだ。食うために殺し、戯れに殺し、片手間に殺す。
エレナにはそれを否定できない。
彼女の従姉妹である、彼女より強いという理由もあるが、何より、種族が違えば価値観も違うということを理解しているからだ。人間の文明と社会の内で暮らして、エレナはそれをよく分かっている。
とはいえ、まさか「そうだね!」と全面的に同意することも出来ず、エレナは困り果てて唸っていた。
そしてエレナが適切な答えを見つける前に、フィリップは背後から呼びかけられた。
「──あれ、フィリップ君? ミナさんも」
聞き覚えのある声。
振り向く前に「もしや」と当たりを付けた通りの人物が、振り返った先で不意の再会に歓喜の笑みを浮かべて立っていた。
「──ウォード!? お久しぶりです!」
フィリップが三年生の時には交流戦が無かったから、一年以上を経ての再会だ。
満面の笑みで握手を交わす二人に、ウォードとは面識のないエレナと、何故かミナまでもが不思議そうな顔をしていた。
「……きみの知り合い?」
「フィリップ君の友達?」
エレナが魔術学院に来たのは三年生の初めだから、知らなくて当然だ。
だがミナは交流戦の時に会っているし、マリーと一緒に模擬戦をしていたはずなのだけれど。
「……エレナはともかく、ミナは知ってるでしょ。ウォード・ウィレット……さん? 先輩、ではないもんね、一応。まあとにかく、交流戦の時に僕のペアだった人だよ」
「あぁ。きみの一人目の剣術の師匠ね」
思い出したと頷くミナに、ウォードは「ご無沙汰してます」と丁寧に一礼した。
フィリップはウォードのこういうところが好きだ。
こういう──自分の“分”というものを弁えているところが。
「フィリップ君の師匠!? ……え? ホントに?」
目を輝かせたエレナはウォードを頭のてっぺんから爪先まで視線を一巡させ、一転、怪訝そうに目を細めた。
ウォードの戦闘スタイルは腕力と技量を両立させた正統派だし、彼は槍も弓も扱える万能型だ。服の上からでは分からないが、鍛え上げられた身体には師匠との実戦に極めて近い稽古で付けられた無数の古傷がある。
対して、フィリップは基礎筋力こそついてきたものの、主眼を置いて鍛えているのは関節や筋肉の可動域と柔軟性。そしてロングソードはあくまで補助で、メインはソードウィップ。ついでに言うと、負傷した後には
身体の作り方も、身に着けた技も、何から何まで違う。師弟の間柄にはとても見えない──姿勢や仕草から相手の力量や戦闘スタイルを看破できるエレナだからこそ、その違和が強く感じられたのだった。
しかしウォードも流石で、エレナが言わんとしていることにすぐに気付く。
「あ、いや、“拍奪”は僕の先輩が教えたので、僕は剣術の基本を少しだけ」
「なるほど! うん、納得した! ボクはエレナ。よろしくね!」
怪訝そうな表情は霧散し、いつもの明朗快活な笑顔を浮かべたエレナに、ウォードは「よ、よろしくお願いします……」となんとか絞り出すように答えた。
人外の美貌を前に見惚れてしまう気持ちは分かるので、フィリップも揶揄ったりはせず、「どうしたの?」と首を傾げるエレナの追及を遮る。
「ウォードも冒険者になったんですか?」
「“も”ってことは、やっぱり君も?」
どこかほっとしたような空気を漂わせつつ、ウォードは助け舟にありがたく乗る。
「はい。この三人で。ウォードも、まだパーティーを組んでないならどうですか?」
「お誘いは凄く嬉しいんだけど、僕ももうパーティーを組んでるんだ。……っと、噂をすれば、だね」
言って、ウォードはギルド入り口の方を示した。
そちらに背を向けて座っていたフィリップは、多少の興味を惹かれて振り返り──楽しそうに駆け寄ってくる人物の顔にまたしても見覚えがあり、目を瞠る。
「お待たせ、ウォード……って、フィリップ!」
喜ばしくも驚きの再会に相応しい笑顔を浮かべた少女。
「久しぶり! でもないか、二週間ぶりぐらい?」なんて笑う、宿屋タベールナの看板娘。
モニカだ。
「も、モニカ!? パーティーってまさか……!?」
ばっとウォードを振り返ると、「そうだよ」と端的な頷きが返される。
ウォードの衛士団好きと家の立地を考えると、以前から親交があってもおかしくはない。二人が知り合いだったなんて話は聞いていないが、顔見知り程度の関係だったとしても、知り合いのいない冒険者生活を始めるときに一緒に組むことになるのはそう不思議なことではない。
ないが、そもそも、それ以前の問題がある。
「フィリップとエレナさんも冒険者なんだよね! ね、一緒にパーティー組みましょ!」
楽しそうに、「買い出しサボって神父様のところに行きましょ!」と言っていたときの笑顔そのままで、モニカが言う。
それは別にいい。
だがそれ以前の問題があるのだ。
「そうだけど、いや、えっ? 宿の仕事は? 女将さんの後を継ぐんじゃないの?」
「そうよ! でも、それってまだ先のことじゃない? だから私も冒険者になってみようと思って! フィリップの真似!」
真似──拠点にしたいと言いに行ったとき、冒険者になる旨は確かに話した。彼女がエレナと顔見知りになったのもその時だ。
だがあの時は「ふーん」くらいの反応だったし、特段の興味を持ったようには見えなかったのだが。
いや、それはいい。問題は冒険者になろうと思った理由ではない。
サボりと言っても精々が数十分。長くても二時間くらいだった。
あまり長くサボるとみんなが心配すると、フィリップが言うまでも無くモニカも分かっていたはずだ。
カルトに拉致された件もあるし、一般的な親よりもセルジオとアガタの心配は深い。宿泊客であり、モニカのことを妹や娘のように可愛がってくれた衛士たちもそうだろう。
だが冒険者になるとなれば、そんな短時間のサボりではどうにもならない。
日帰りの依頼ならまだ楽な方だ。
「……大将と女将さんは、なんて?」
「心配しなくても、ちゃんと相談したわよ! 流石にサボりの時間だけじゃ冒険なんてできないもの! 社会勉強になるだろうって許可してくれたわ!」
それなら、まあいい。なんて、フィリップは謎の視点から許可を出す。
モニカの方がフィリップより二つ上のお姉さんのはずだが、保護者か監督者のような目線になってしまうのは何なのか。
ナイ神父に惚れ込んでいる馬鹿な人間を憐れんでいる──いや。フィリップの心がまだ人間だった頃の、地下牢で目覚めた時の恐怖を共有した相手だからだろうか。
「……戦えるの?」
とエレナ。
聞くまでもなく分かっているだろうに、態々尋ねるのは初対面の相手に対する礼儀のつもりなのだろう。
いや、或いは戦えなくてもいいと思っているからか。
戦闘面に関して、フィリップたちにはミナという切り札がいる。面倒臭がらず本気を出せば、という条件こそ付くものの、大抵の相手どころか悪魔の軍勢でさえ一瞬で血と臓物の香る花畑に変えられる化け物だ。
冒険は冒険するために。
戦いも探索も、出来る奴がやればいい。エレナはそういうスタンスだ。
「ふふん! ウチに泊まってる衛士さんたちに護身術を教わってるからね!」
「そうなんだ!」
「いや、いくら衛士団仕込みとはいえ、護身術を習った程度のレベルでどうにかなる?」
納得したのか、単に相槌を打って戦力外認定したのかは不明だが、頼りにならなくなってしまったエレナに代わってフィリップが問う。
基本的にフィリップにとって他人は“枷”だ。それが戦えない者であるとなれば「一人で逃げろ」と手放すことも出来ず、それが見知った人間であるとなれば殊更に重い。
「なるんじゃない? 授業で習わなかった? D級の依頼なんて、何の訓練も受けず実戦も経験してないただの力自慢なんかでもこなせるものだって。C級の依頼にしたって、僕らぐらいの強さがあれば大丈夫だよ」
とウォード。
確かに、フィリップ以外を守る気のないミナはともかく、エレナとウォードが居れば大抵の相手からは守り通せるだろうけれど。
モニカは三人の会話を不満そうに聞いていたが、ふと思いついたようにニヤリと口元を歪めた。
「なに、疑ってるの? そりゃ、“龍狩りの英雄”サマには敵わないだろうけどさー」
「やめてよモニカ、小恥ずかしい……。分かった、いいよ。一緒に組もう」
照れ交じりの苦笑を浮かべて折れたフィリップに、モニカはしてやったりと言わんばかりの笑顔になる。
しかし、これで晴れて5人パーティーの結成……とは行かなかった。
「いや、待ってくれフィリップ君。もう一人メンバーがいるんだ。その子の意見も聞いてから決めたい」
それは道理だとフィリップもエレナも頷く。
今日はウォードのパーティーもここで待ち合わせているようだし、じきにメンバーが揃うだろう。
ちょうどそう思った時、ウォードがギルド入り口の方を指して言った。
「……今日は運が良いみたいだ。いいタイミングで来てくれたよ」
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