第395話

 冒険者ギルド、或いは冒険者組合と呼ばれる組織の王都本部は、二等地の大通りにあった。

 二等地最大の建造物である石造り四階建てのギルド本部を、フィリップとエレナは「これが……!」と感動の表情で見上げる。


 エレナはともかく、フィリップも冒険者ギルドという冒険譚ではお馴染みの舞台を前にして興奮気味だ。


 扉を開けると、宴会の後の食堂のような独特の匂い──飯と酒の匂いが鼻を突く。

 広いフロアの最奥に受付カウンターがあり、入口からそこまで伸びる道の左右には、四人掛けや六人掛けのテーブルが所狭しと並んでいて食堂のようだ。


 その二割ほどが埋まっており、冒険者らしき者たちが昼間から酒を飲んでいる。

 フィリップはなんとなく筋骨隆々の男たちが屯しているようなイメージを持っていたのだが、大抵は中肉中背だったし、女性もそれなりに見受けられた。


 三人が中に入ると、酔っぱらいの上機嫌な笑い声が飛んできた。

 

 「ははは! 春だな! またガキか!」


 どういう意味だろう、と思ったのはエレナだけだ。ミナはそもそも人間の鳴き声に注意を払っていない。

 そしてフィリップは言葉の意味を理解して、苦笑交じりに肩を竦めた。


 王都の冒険者ギルドには、王国中の支部からそこでは解決できなかった依頼や国や貴族からの依頼が並ぶ。

 暗黒大陸と接している南端部のギルド支部と、依頼の上限難易度が然程変わらない。

 

 つまりここを活動拠点にするのは素人には難しいわけだが、毎年このくらいの時期になると「冒険者になりたくて」と田舎から出てくる子供が増えるのだ。本で読んだり、実際に田舎の村を訪れた冒険者に話を聞いたりして、冒険者と──王都の素晴らしい住環境に憧れて。


 フィリップは一応魔術学院で冒険者コースを選択し、Cランク冒険者のライセンスが発行されているわけだが、それは見た目からは分からないし無理もない。笑い声はかなり遠くのテーブルからだったし、冒険者に憧れて田舎から出てきた子供にでも見えたのだろう。


 近付いてよく見れば“龍狩りの英雄”だと分かるだろうが。

 もし“英雄”の顔を知らなかったとしても、既に十人以上の冒険者を惨殺している高位吸血鬼と一緒に居る時点で「冒険者志望の田舎者」とは見られないはずだ。


 どちらも知らなければ、それはちょっと冒険者として情報収集能力に疑問がある。未知は大敵だと誰か教えてあげて欲しい。


 「フィリップ君、危ないよ」

 「ぐえ」


 なんとなく声のした方を見ながら歩いていると、エレナが警告と共にフィリップのリュックを引っ張った。

 不意に加わった力に抵抗もできず引っ張られると、身体に遅れた足に何かがぶつかり、目の前でべしゃっと潰れる。


 見ると、ジョッキを持った男が仰向けに倒れていた。


 「っ! おい、いってぇな! てめぇ!」


 ビールを被った赤ら顔の男は、アルコールだけではなく怒りの色も顔に足しながら立ち上がってフィリップに詰め寄る。


 「あ、すみませ……? いや、今の僕が悪いですか? 後ろ向きに歩いてきたそちらの落ち度では?」


 自分の足に引っかかって転んだからつい謝りそうになったが、直前で思いとどまる。

 男は仲間と喋りながら後ろ歩きで向かってきたし、エレナがフィリップを退けなければ普通にぶつかっていた。こちらが謝る必要は無い。


 「なんだと!?」


 呂律の怪しい声を荒げ、男はフィリップに向かって手を伸ばす。

 フィリップは左手を伸ばし、エレナは腰を落として構え、建物の内装を観察していたミナは無感動な一瞥を呉れ──直後、エレナとミナの目線があらぬ方向へと飛んだ。


 いや──飛んでいった男を、反射的に目で追っていた。あまりの速度故に、フィリップが見失った男を。


 胸倉を掴もうとしていた男は消え失せ、その代わりのように、フィリップの前には鎧姿の男が立っていた。


 「──すまない。俺の友人が粗相をした。あれで勘弁してやってくれないか」


 そう語る男の目はフィリップもエレナも見ていない。

 真っ直ぐ逸らさず、睨みつけるような鋭い眼光をミナ一人だけに注いでいる。


 あれ? と男が示す先、フィリップたちが入ってきたドアの方を見ると、入口のすぐ隣の壁に男がへばりついて白目を剥いていた。


 フィリップの動体視力では見切れなかったが、エレナとミナは何が起こったのかを見ていた。

 彼はミナの意識が建物の内装からペットに絡んでいる人間に向いた瞬間、遠くのテーブルから筋力強化と速度強化の補助魔術を使って一瞬でやってくると、絡んでいた男を壁まで蹴り飛ばしたのだ。


 見る限り男は気絶しているようだが、死んではいなさそうだ。

 一緒に居た仲間が駆け寄って介抱しているが、何も言わずに担いで出て行ったから大丈夫だろう。


 ……鎧の男は、どうやらかなりのやり手らしい。

 手加減の巧さもそうだが、ミナが動く寸前で──ギルドのド真ん前に血染めの彼岸花が咲く前に介入した。


 「……あなた、あの人とパーティーを組んでるの? 見た感じ、強さが全然釣り合ってないみたいだけど」


 好戦的な笑顔を浮かべたエレナの問いに、男はフルフェイスヘルムで覆われた頭を振る。


 「いや。だが、以前に一度酒を奢ってもらった。……見るに、そちらのパーティーも強さの格差は大きいようだが」


 言って、男はミナから視線を切り、エレナとフィリップを順番に見遣る。


 「言うまでも無く、そちらの吸血鬼が突出している。だが彼女を省いても、君とそちらの少年には大きな差がある。荷物持ちにも見えるが──拍奪使いだな。だが、彼が君を殺すには彼があと二人必要だ」


 へぇ、とフィリップとエレナは顔を見合わせる。

 フィリップが三人いないと殺せないエレナが褒められたのか、三人程度でエレナを殺せるフィリップが褒められたのか、二人とも判断しかねていた。


 いやまあ、単に感情や意味を交えず事実を述べただけである可能性が一番高いのだけれども。


 そんな二人を他所に、男は淡々と続ける。


 「パーティーは構成要素の強さを均一化するべきだ。君もその吸血鬼も、それを理解できないほど経験が浅いわけではないだろう。ならば……道楽か?」


 依然として顔は見えないが、くぐもった声に僅かな険が籠る。

 身構えたのはフィリップだけだ。エレナもミナも、男に敵意がないことは姿勢や重心の位置を見れば簡単に分かる。尤も、フィリップが身構えた理由も「怒られるのだろうか」と嫌がっただけだが。


 「感心せんな。あそこに並ぶ依頼票の数は、困窮する人の数だ。ここは異種族の遊び場ではない」


 男が指す先の掲示板には、赤と白の紙が所狭しと、重なり合うように大量に貼り出されている。


 遊び、と。言われてしまえばそうなのだろう。

 エレナは冒険するために冒険すると宣言している。ついでに依頼を受けたら人助けまで出来て一石二鳥だと。


 フィリップは言わずもがな、貴族にならずに済む道を探すために──恐らくとんでもなく難しく煩雑であろう勉強から逃れるために、衛士団を目指している。冒険者はただの踏み台……というと聞こえは悪いが、過程に過ぎない。


 ミナに至っては、ペットのお散歩感覚だ。行きたい方向に行かせ、やりたいことをやらせているだけ。度を超えて面倒になったら依頼を放棄して帰ることもあるだろう。


 遊んでいるように見える、どころの話ではない。

 現実に、誰もが遊び感覚でここにいる。


 「それは──」

 「──話が長引くようなら、私とフィルで先に手続きを済ませておくわよ」


 エレナが言い淀んだ隙間に、面倒そうなミナの声が挟まる。

 悠然と歩いて男の隣を通り抜けるミナを、彼は引き留めようとはしなかった。むしろ半歩ほどずれて、道を開けたくらいだ。


 ここでミナに絡むような馬鹿なら、馬鹿が馬鹿故に馬鹿なことをして死ぬだけだっただろう。

 しかしそこまで物分かりが良いと、眼前の男を最低限の思考能力を持った人間であると認めざるを得ない。フィリップもなんとなく申し訳ない気分になる。

 

 「あー……その、なんて言うか、上位者がどこでどう遊ぼうと、劣等種にどうこう言う権利は無いですよ?」

 「ちょっと、フィリップ君!?」


 だからといって、彼の言葉に同意できるほど、フィリップの視座は低くないのだけれど。


 火に油を注ぐが如き暴言一歩手前の主張に、エレナが「何言ってるの!?」と目を剥く。しかし、男は的確な反論だとばかりしかつめらしく頷いた。


 「む。それは確かにそうだな……」

 「納得しちゃった!?」

 「一応弁解しておくと、僕らも遊びに来たわけじゃないです。結構本気でAクラス冒険者を目指してるので」


 去り際に淡々と言い残したフィリップの言葉に、フルフェイスヘルムの正面がエレナを離れる。

 シェードで遮られた視線が追ってくるのを感じて、フィリップも応じるように足を止めた。


 「ほう。それは──」


 男の声が僅かに揺れる。

 口角が笑みの形に歪んだゆえの声の震えだ。


 是非とも詳しく問い質し、語らいたいと、そんな感情も見え隠れしているが──残念ながらフィリップにもその飼い主にも、それに応じてやる理由は無い。


 「──フィル、早くしなさい。パーティー登録するんでしょう?」

 「あ、うん」


 呼ばれるがままトコトコと足早に去っていくフィリップの背中を、エレナは物言いたげな目で見送る。

 心なしか鎧の男もあっけに取られているような気がした。


 「……なんかごめんね? でも、あの子の言った通りだよ。あの子は憧れに惹かれてここに来た。姉さまはあの子を守るためにここに来た。そしてボクは冒険を求めてここに来た。そして勿論、困っている誰かを助けるためにね」


 苦笑を収め、真剣な眼差しでフルフェイスヘルムの奥にある双眸を見透かすエレナ。

 その表情か、声か、言葉の内容か。何が琴線に触れたのかは分からないが、男は上機嫌そうな笑い声を漏らした。


 「ははっ……そうか。引き留めてすまなかったな」


 言って、男はどこか満足げな様子でギルドを出て行く。

 遠巻きに見ていた他の冒険者たちは「喧嘩にはならなかったか」と安堵していたり、逆につまらなそうにしていたりするが、冒険者が一人気絶するレベルで蹴り飛ばされたことには然程注意を払っていない。


 人間を蹴り飛ばす──文字通りなんて並大抵のことではないが、それを目の当たりにしても殆ど無反応だ。

 きっと慣れているのだろうが、あの鎧の男がそれをすることに慣れているのか、自分たちもできるから慣れているのかで評価はかなり変わる。だがどちらにせよ、肝の据わった者が多いようだ。


 「彼は何だったんだろう」とエレナがその背中を見ていたのはほんの数秒で、それ以上何か考える前にハイテンションなフィリップが戻ってきた。


 「エレナ、手続き終わったよ! 早速だけど、良さげな依頼を探そう」


 これエレナの分ね、とフィリップが小さな金属板をエレナに手渡す。

 名前や冒険者ギルドの登録番号、階級などが刻まれた認識票ドッグタグ。武装した状態でこれを持たずに王都内を歩くと捕まってしまう、正規の冒険者であることを示す証のようなものだ。


 「全部やってくれたの? ありがとう! パーティー名は何にしたの?」

 「いつでも変えられるって言われたから、取り敢えず“エレナと愉快な仲間たち”にしておいたよ」


 フィリップは依頼の張り出されている掲示板の方に向かいながら、どんな依頼があるのだろうと弾んだ声で答える。

 パーティーの結成やそのメンバー構成は特にギルド側に申告する必要は無いが、申告しておくとパーティー向けの高難度の依頼を紹介してくれることがあるらしいので申請しておいた。名前は適当だ。


 ……いや、ちょっと悪戯心を出した。


 「あははは! ボクがパーティーリーダーだから? ……え、ホントに?」


 冗談だと思って笑っていたエレナだったが、フィリップがエレナの方を見もしないことと、ミナが訂正しないのを見て真顔になった。


 「別に、なんでもいいじゃない?」


 本当に一片の興味も無さそうに言ったミナの顔を見て、エレナはカウンターに飛びつくような勢いで踵を返した。

 




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