子喰いの洞窟
第394話
キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』
シナリオ17 『子喰いの洞窟』 開始です
推奨技能は各種戦闘系技能、【サバイバル】等の野外探索技能、【クトゥルフ神話】です。
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ある春の日の朝。
柔らかく体を抱擁する滑らかな手触りの高級寝具に包まれたフィリップは、機械式壁掛け時計の鐘の音で目を覚ました。
体を起こすと同時にカーテンが開かれ、眩しい朝の光を広い部屋の中に取り入れる。それを後光の如く背負った人影が、フィリップに恭しく頭を下げた。
「おはようございます、カーター様」
折り目正しい所作の中にも敢えて作られた隙があり、それが親しみやすさと人間味を作り出している。
クラシカルなモノクロームのメイド服に身を包んだメグは頭を上げると、寝ぼけ眼でぼーっとしているフィリップに柔らかく微笑みかけた。
「……おはようございます、メグ」
同じ部屋の中にある洗面台で顔を洗って寝室に戻ると、メグは着替え一式を持って待っていた。
着替えはフィリップの私物ではない。
正確には、フィリップが持っていたものではない、と言うべきか。
公爵邸に迎えられてから二週間。
フィリップが今まで持っていた服は殆どが倉庫に押し込まれ、普段使い用のクローゼットには公爵家が用意した仕立ての良い衣服が並んでいた。
下着も含むあらゆる着衣のグレードが数段飛ばしで跳ね上がり、シルクらしきサラサラのパジャマに皺を付けるまいと固まって寝るどころではなかったのも全ては過去の事。今や顔を洗ったときに水が跳ねても気にしていない。
フリル付きシャツとベストに着替えて食堂へ向かうと、既にサークリス公爵家が勢揃いしていた。
「おはよう、フィリップ君」
「おはよう、フィリップ」
長いテーブルの最奥、食堂に入る人間を真っ先に見られる上座に着いた公爵と、一番近くにいたルキアが同時に挨拶する。
フィリップが挨拶を返すと、次席のオリヴィア・フォン・サークリス公爵夫人、その次席、次期公爵にしてルキアの姉であるガブリエラ・フォン・サークリスも手を振りながら挨拶してくれた。
彼女らにも挨拶を返すと、食堂の扉が開いてエレナとミナが入ってきた。
朝っぱらから興奮した様子で頻りにミナに話しかけているエレナとは対照的に、ミナは欠伸を片手で隠していて、まだ眠そうだ。
二人にも挨拶をして、三人とも席に着く。
ミナはごく自然に上座の方に向かったが、途中で自分がゲストであることを思い出してフィリップたちの方に戻ってくる。
席次はサークリス公爵から順に、公爵夫人、ガブリエラ、ルキア、ミナ、エレナ、フィリップの順だ。
つまり公爵夫人とガブリエラ、ルキアとミナ、エレナとフィリップが向かい合う形になる。ルキアとフィリップは斜向かいだ。
「全員が揃うのは珍しいね。初日の顔合わせ以来かな?」
王国の中で間違いなく五指に入るレベルで多忙な宰相と、その補佐のガブリエラ。公爵家内部や所領での内政を執るオリヴィアと、その補佐のルキア。皆忙しく、宰相とガブリエラに至っては帰って来ない日もあるくらいだ。
こうして同じテーブルに着くのは、公爵の言う通りかなり珍しいことだった。
メイドたちがてきぱきとフィリップたちの前に配膳し、もう食事を終えていた公爵一家の分の皿を下げていく。
注文も配膳もなく出されたものを食べるだけの食事にはまだ慣れないフィリップは、学院にいた時のように「水取ってきます」と席を立ちかけて、即座に動いたメグがグラスを持ってきてくれた。
何人かに苦笑されながら座り直し、公爵の言葉に応じる。
「そうですね。皆さんご多忙ですし、エレナも帰ってきたばかりですし」
「ほう。最強パーティー、遂に始動だね」
魔術学院卒業から二週間。
フィリップたちは未だ冒険者として正式に活動を開始していなかった。エレナが近況報告のためエルフの集落に戻っていたからだ。
公爵邸に荷物を移した翌日には王都を出て、帰ってきたのは昨日の夕方だった。
これで漸く、満を持して、フィリップたちは冒険者として動き出せる。
「龍狩りの英雄に、エルフのお姫様、吸血鬼の女王様。すごいパーティーだね!」
楽しそうに言うガブリエラに、公爵も「そうだね。期待の新星だ」と頷く。
「無茶しちゃ駄目よ、フィリップ。常に自分の心身の安全を最優先に考えて」
「そうね。まあ、ウィルヘルミナさんがいれば安心だとは思うけれど」
ルキアとオリヴィアが「いいわね?」とフィリップに念を押すような一瞥を呉れる。
確かにパーティー内でもこのテーブルの中でも、一番弱いのはフィリップだ。ルキアは言うまでも無く、オリヴィアは元宮廷魔術師筆頭、ガブリエラは現役の宮廷魔術師だ。宰相の戦闘力は未知数だが、ルキアの父親なのだから凄まじい魔術適性の持ち主だろう。
しかし、パーティー内で一番危なっかしいのがフィリップかのように言われるのは心外だ。
「はい。……いや、一番危なっかしいのはエレナですけどね?」
「え、ボク? そうかな?」
「無自覚なのが殊更に危なっかしいわね」
パーティー内、フィリップとミナの意見は一致している。
ミナはそもそもとんでもなく強いし、苦戦を強いられる相手──面倒な相手とは極力戦わない。危機管理ではなく単純に面倒臭いからだが、安全が確保されることに変わりはない。
フィリップは危機意識が死んでいると言っても差し支えないが、ミナが「やめておけ」と言えば大抵従う。勿論、カルト相手なら話は別だが、フィリップはそもそもカルト相手に手心を加えない。自力で惨殺できないと判断したが最後、何の躊躇もなく邪神を呼び、殺す。
そしてエレナはと言うと、誰かの為ならたとえ火の中水の中、アトラク=ナクアの次元超越糸で編まれた巣の中にだって飛び込んでいく。他人のために我が身を顧みない善性は凄まじいの一言だ。
その善良さはフィリップも認めるところだが、あまり憧れを抱かないのは、やはり彼女が異種族だからだろう。
カルトを前に敵意と害意を剥き出しにした、ルキアやステラでさえ怯む状態のフィリップ相手にさえ突っかかってくるのだから、かなりの鈍感か命知らずのどちらかだ。
そんな彼女がパーティーリーダーであり、また性格的にも一番アクティブなのだから怖い。
「まあ、最初はCクラスの簡単な依頼しか受けられないし、龍狩りの時よりずっとマシです。そんなに心配しなくても平気ですよ」
その龍狩りの時に自分の身を犠牲にしてまでルキアとステラを助けようとした過去があるから心配なのだが、フィリップは安穏と笑っている。
確かにCクラス冒険者に回される依頼は、難易度的にはそう危険なわけではない。
Dクラス相当となる小型~中型害獣駆除の域を超え、魔物の討伐やダンジョンの調査といった専門知識や戦闘能力が求められる依頼にはなるが、このパーティーなら何も問題はない。
というか、探索はエレナ一人、戦闘はミナ一人で十分に事足りる。
そんなことを考えていると、懐中時計を確認した公爵が「おっと」と慌てたような声を上げた。
「おっと、そろそろ時間だ。行こうか、ガブリエラ」
「はい、お父様。じゃあみんな、行ってきまーす!」
にこにこ笑顔で手を振りながら食堂を出て行くガブリエラの後に、オリヴィアと抱擁と口付けを交わしていた公爵が続く。
まだ食事中だったフィリップとエレナは慌てて口の中のものを飲み込んで「行ってらっしゃい」と声を揃えるが、ミナは一片も気を払うことなく血液入りのワインを楽しんでいた。
二人が食事に戻るより早く、公爵の後を追うようにオリヴィアとルキアも席を立つ。
「私たちもそろそろ始めましょうか。今週中に例の治水工事の件、目途を付けておきたいわね」
「えぇ、お母様。……フィリップは食べ終わったらすぐに出るの?」
ちょうどスープを啜ったところだったフィリップはまず頭の動きだけで答え、嚥下してから言葉も添える。
「あ、はい。荷物の準備は出来てるので、着替えたら」
「そう。お母様の執務室にいるから、出発する前に声をかけてくれる?」
何かお使いでも頼まれるのだろうか。日帰りの依頼を受けるとは限らないので、誰か別な使用人を行かせる方が確実なのだけれど──なんて考えつつ、フィリップは軽率に頷いた。
「分かりました。お仕事、頑張ってくださいね」
「えぇ、ありがとう」
穏やかな微笑を残して食堂を後にしたルキア。
フィリップが彼女の言いつけ通り公爵夫人の執務室を訪れたのは、その30分ほど後のことだ。
厚く固い高級木材のドアを叩くと、もしかしたら部屋の中にノックの音が聞こえないのではないかと心配になるほど重厚な感触が手に返る。
「ルキア? そろそろ出発するんですけど、何か用事ですか? お使いとかだったらメモとか──」
勿論そんなことはなく、フィリップが最後まで言い終えるより先にルキアが扉を開けた。
「そうじゃないわ。勘違いさせたわね、ごめんなさい。ただ玄関まで見送りたかっただけなの」
行きましょう、と先導するように歩き出すルキアに、フィリップは嬉しさと困惑が綯い交ぜになったような曖昧な笑みを浮かべる。
好意で言ってくれているのは間違いないのだろうし、それ自体は嬉しいが、わざわざ見送りに来る意味は分からない。
いや、意味なんてないのかもしれないけれど、だとしたら尚更見送りになんて来なくていい。なんだか忙しそうだったのだし。
「え? いや、いいですよそんなの。お忙しいんでしょう?」
ルキアは卒業以前から「家の用事」と言って欠席することが偶にあったが、卒業してからはフィリップと遊ぶ──もとい、戦闘訓練をつける暇もないほど忙しそうにしている。
時間を見つけて訓練を付けてくれるときも、ふとした瞬間に疲れが見えるのだ。家業に戻っただけとはいえ環境や生活習慣が激変したわけだし、無理もない。
だからこそフィリップの見送りなんて無駄な時間を排して、さっさと仕事を終わらせてゆっくり休んでほしいのだけれど。
「……駄目かしら?」
変わらず微笑を浮かべてはいたものの、どこか寂しそうに眉尻を下げたルキアに、フィリップは妙な罪悪感を覚える。
フィリップとしては真っ当にルキアを案じて尊重したつもりなのだが、なんだか悪いことをした気分だ。
「……じゃあ、お願いします」
ステラは以前「フィリップの周りには彼に甘い女しかいない」と評したが、フィリップも大概、身内には甘いようだ。或いは自称する通り、美人に弱いのか。
ルキアと並んで玄関まで行き、ドアマンが開けてくれた扉を潜る前に、フィリップは振り向いて手を振った。
「行ってきます、ルキア」
「えぇ、行ってらっしゃい、フィリップ。気を付けてね」
なんてことのないただの挨拶、学院に居た頃でも偶にあったなんてことのない遣り取りなのに、フィリップは妙に気恥ずかしかった。ルキアが平然としているから、自分だけが浮かれているようで尚更にそう感じる。
なんというか、家族が──姉ができた気分だ。
兄が居るといっても、遊びに行く時にはずっと一緒だったし、むしろフィリップを引っ張って率先して馬鹿をやるタイプだったから、見送ってくれるのは母くらいのものだったけれど、流石に年齢的にルキアを母親と同一視はできない。
公爵邸の門を出ると、既に準備を終えたエレナとミナが待っていた。
冒険者でも依頼受注前は王都内を武装して移動できないが、そこはミナに『龍貶し』を預けることでクリアしている。
「よーし、準備はいいね? それじゃ、冒険者ギルドに行くぞーっ! 冒険の始まりだーっ!」
エレナの号令に、フィリップも拳を突き上げて応じる。
冒険者としての初仕事がどんなものになるのかは、まだ分からない。
けれど──まあ、どうにか、いや、どうとでもなるだろう。
「勿論目指すはAクラスだけど、目的に囚われないようにね! ボクたちは冒険するために冒険するパーティーだってことを忘れず、楽しんでいこう!」
フィリップとエレナとミナ。
“龍狩りの英雄”にエルフの姫君、そして吸血鬼の女王。
三人で出来ないことなど、あんまりない。
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