第393話
フィリップがステラを探してダンスフロアを彷徨い歩いていると、物凄い勢いで近づいてくる人影が目に留まった。
エレナだけではなくフィリップのことも守ってくれるのか、或いは端から“龍狩りの英雄”の護衛なのか、マリーが止めようと動く。しかしこちらも見覚えのある近衛騎士団長の息子、金髪七三のアルバートがマリーを制した。
相手が手を出すまでは様子を見ろ、という感じではない。その人なら通していいから、と宥めたような感じだ。
突進してくる人影に目を凝らすと、なんとそちらにも見覚えがある──というか、実の母親だった。
「ねえフィル、あんたの交友関係どうなってるの!?」
「うわぁ!? お、お母さん!? 体調はもういいの?」
平民に許された色であるベージュ色ベースのセミアフタヌーンドレスに身を包んだアイリーンは、先ほどまで体調を崩して別室に居たとは思えないスピードでやってくると、フィリップの肩をがっしりと掴んだ。
もう大丈夫なのかと問う必要も無いくらい元気そうだ。
「体調なんて! 控室で休んでたら、色んな人がお見舞いに来たのよ! あんたの担任だって言う小っちゃい子とか、学院長はまだいいわ。王妃殿下に、聖国王陛下、第一王女殿下とサークリス聖下までいらっしゃって、聖痕者様の前でおちおち寝ていられないわよ!」
ちょっと泣きの入ったアイリーンに、流石のフィリップも同情する。
というかフィリップも「なんかしんどい」とか「なんかお腹痛い」とか、ちょっとした体調不良で欠席しただけでルキアとステラが見舞いに来るのは居心地が悪かった。
我慢して出席しようとすると、ミナが真っ先に気付く。彼女が寝ている隙を見計らって早めに教室に行っても、歩き方や姿勢でエレナにバレる。エレナが他の生徒と喋っていて気付かなくても魔力の流れでルキアとステラに悟られる。これ以上先に進んだことは無いが、多分、HR開始まで誰にも気付かれなかったとしてもナイ教授に保健室送りにされる。
まあ、そもそもテストでもない限り体調不良を我慢するなんて苦行を、痛いのも苦しいのも嫌いなフィリップはしないのだが。
「いや、学院長も聖痕者……待って? ナイ教授が?」
何もしてないだろうな、と一瞬だけ思ったものの、ナイ神父は実家に泊まったこともある。
化身が違うと性格も微妙に違うが、本質的には同一の存在だ。その在り方や行動原理は一貫している。……慇懃無礼の権化たる
だがまあ、どちらにしてもフィリップを害することはないはずだ。その所有物や、大切な人たちもまた。
思った通り、アイリーンは平然と頷く。
「え? あぁ、物凄く丁寧な子よね。小さいのにしっかりしてて、ちゃんとあんたのことを見ててくれたんだって思ったわ。……いや、そんなことはどうでもいいの! 龍殺しが凄いことだっていうのは分かったつもりだったけど、王女殿下はそれ以前から友人だったって仰られるし、どうなってるの!?」
「確かに……」
「確かにって、あんたねぇ……失礼なこと、してないでしょうね?」
フィリップは沈黙した。
してない、と言いたいところだが、つい先日もダンスの練習中に足を踏んでいる。
それを思い出さなければ「してないよ」と笑えただろうが、フィリップの素直な表情筋は「やばい」という内心をそのまま映し出し、そしてアイリーンも10年間はフィリップを育ててきた。表情の動きも、その意味も十分に分かっている。
「……何したの」
恐る恐るといった風情で尋ねるアイリーンに、フィリップは視線を遠くに投げて思い出す。
「い、色々……。足踏んだり、汗拭いて貰ったり、魔術で水出して貰ったり……」
アイリーンは絶句した。
そしてフィリップもまた黙り込む。
エトセトラ、だ。
この数週間に限ってもこれだけある。
というか、単に第一王女と一平民という立場だけを考えるなら、足を踏んだ時点で無礼討ちに首を刎ねられてもおかしくない。或いは宰相でさえも、相当なペナルティが科せられることだろう。
改めて考えると、ただの平民の子供が随分と舐めたことをしてきたものだ。
──まあ。
「──反省なんて、寂しいことをしてくれるなよ。カーター」
いつの間にかすぐ後ろまで来ていたステラが、揶揄うような、しかし咎める気配も確かに漂わせる声を出した。
対して、フィリップは軽く肩を竦める。
「しませんよ。殿下にとって僕がそうであるように、僕にとっても殿下は必要不可欠な存在ですからね」
フィリップの言葉に、ステラはこれ以上何も言うことは無いとばかり満足そうな笑顔を浮かべる。
対照的に、アイリーンは生温かい、そして何とも言い難いような目を向けていた。
「……フィル、そういうことはもう少し大きくなってから言いなさい」
呆れ声のアイリーンに「なんで?」と明記された顔を向けていたフィリップだが、ちょっと考えて、自分が中々に際どいことを言ったのだと気付いた。
「……口説いたわけじゃないよ!? ただの事実! ね、殿下?」
「そうだな。……っと、最後の曲が始まる。行こう」
クスクスと忍び笑いを漏らしていたステラが、チューニングや楽器の入れ替えが終わったことを察してフロアを示す。
ちょうどその時、人波を割って──淑やかな足取りが聖人の御業の如く人の海を割り、ルキアがやって来た。
「居た。フィリップ、ステラ、最後の曲──あぁ、行くところね。なら呼びに来る必要も無かったかしら」
「いやいや、ありがとうございます、ルキア。……あ、そうだ」
最後の一曲を踊ろうとフロアに入っていく人たちの中、フィリップは出来得る限り恭しく跪き、ステラに手を差し伸べた。
「僕と一曲踊っていただけますか、マイフェアレディ」
単なる思い付きの悪ふざけ。
ただし所作はナイ神父とフレデリカを真似て、台詞は以前に読んだ本からの引用だ。間違いがあるはずもない。
だがフィリップのキャラではない。
ステラに「急にどうした?」と苦笑され、ルキアも何も言わずに苦い笑いを浮かべるだけだろうと予想していたフィリップだったが、しかし、ルキアはステラに正気を疑うような冷たい眼差しを向けた。
「…………私が教えたんじゃないぞ? その死ぬほど軽蔑した目をやめろ。私が蛇だったら冷気で死んでる」
身体を傾けるほど思いっきり引いているルキアに、ステラが慌てて弁解する。
あのステラが慌てるほど、ルキアの表情は冷たい軽蔑の一色だった。
なんか間違えたかな? とフィリップは二人の顔を交互に見て首を傾げる。そっと立ち上がったとき、アイリーンは少し離れたところで震えていた。顔を真っ赤にして、聖人二人の前で噴き出さないように必死に堪えている。
「本で読んだんですけど、変ですか?」
「……そうね。私たちの年では使わない言い回しというか……」
ルキアが言い淀み、擁護のしようがないレベルで間違っていたのだと察しが付いたフィリップは、苦みの深い照れ笑いを浮かべるほかない。
「長年連れ添った者相手に使う呼び方だな。私たちの年で使うと、なんというか、気取りすぎている感じがする」
「年もそうだけど……いえ、これ以上はいいわ。それより、そろそろ始まるわよ」
ダンスフロアから音が消えている。
音楽が始まる前の、最初の静寂だ。
「そうだな。行こうか、カーター」
ステラが差し伸べた手を取り、絡まり合うようにスタンスを取ってフロアに立った直後、演奏が始まった。
ギリギリ間に合った、と目線だけで安堵を共有し、同時に笑顔を浮かべる。
終宴に相応しいスローテンポな曲に合わせて、身体を寄せ、ステップを踏む。
曲目と順番が発表された時からステラと踊ろうと言っていた曲だ。何度も何度も一緒に練習して、この曲に限ってはステラの癖まで理解している。慌てていても、話していても、間違えることはない。
「……二年と半年、どうだった?」
問われて、フィリップは魔術学院に編入するに至る悪魔の襲撃から、つい先日のツァトゥグア神との遭遇までをざっと思い出す。
三年生になってからは実習続きであまり校内には居なかったが、それでも、学院で過ごした思い出は濃い。
「……色々ありましたね。編入初日に決闘を挑まれたり、下級生に絡まれたり。修学旅行じゃとんでもない羞恥責めに遭いましたし、帰ってきたら吸血鬼に攫われましたねぇ……」
しかも吸血鬼のペットになって帰ってくることになるとは、編入前には想像も出来なかった。
ヴィカリウス・システムなんて超常の存在に懐かれたこともそうだが、意外と想定外の連続だった。──まあ、そもそも盲目白痴の魔王に愛されたこと自体、意味不明なのだけれど。
「あれは驚いたな。お前が夜中に徘徊した挙句低体温症で死にかけていた交流戦ほどじゃなかったが」
「ねえそれまだ言います? 身に覚えがないんですってば」
過ぎたことで怒られるのも揶揄われるのも好きではないが、身に覚えのないこととなると猶更だ。
ルキアがあんなにも取り乱したのだから、もう嘘や冗談だと疑ってはいないが、それでも気に食わない。
覚えていたって誰も幸せにならないのだし、早く忘れて欲しいところだ。
「ははは。それだけ驚いたし、怖かったからな」
落ち着いた笑い声と共に、ステラの手に少しだけ力が籠る。
フィリップは繋いだ手ではなく、腰に添えた方の手に力を籠め返した。
「殿下、僕のこと大好きですもんね」
「そうだな。お前が私のことを好きな程度には好きだよ」
冗談に、即座の冗談が返ってくる。
打てば響く、という言葉が相応しい反応速度は、一片の嘘や誇張も無いからこそだ。
「いえーい、相思相愛ですね」
フィリップが真顔で言うと、ステラも「そうだな」と真顔で頷く。
そしてしばらく、二人とも目を合わせない時間が続いた。
耳慣れない音楽と、身体に染みついた動き。惰性で身体を動かさなければ蹲ってしまいそうだ。
フィリップは斜め下、ステラは斜め上に視線を投げ、口を真一文字に引き締めようと奮闘すること数秒。
二人はほぼ同時に失笑した。
「ふふふ……」
「くくく……」
アイリーンに「口説くならもっと大人になってからにしろ」と言われてから、じわじわと溜まっていたものが遂に決壊したのだった。
恋とか愛とか、二人の関係はそういう色っぽいものではない。
クラスメイトや友人の域は出ているし、親友と称してもまだ足りない気がする。家族よりもお互いのことを知っている──勿論そんなはずはないのだけれど、そんな気がするほどに、心の距離は近い。
しかしお互いに、恋愛的な意味で好きかと訊かれると、「いや別に」と口を揃える。
その口で「でも好きは好き。相手の為なら死ねる」と口を揃えるのだから分からない。並の恋人同士よりも重い感情だろうに。
しばらく笑って、またしばらく踊り、遂に曲が終わる。
お互いに一礼してルキアの方へ戻りながら、ステラがふと口を開いた。
「私の部屋の場所は覚えているな? いつでも遊びに来い」
「勿論。休日のたびにルキアと一緒に行きますよ」
即答だった。
フィリップは冗談めかしているものの、本気で暇さえあれば行こうと思っているし、本気でルキアも巻き込むつもりでいる。毎週末に遊びに行ったとしても、学院にいる時よりずっと会える日が減るのだから。
その本気度を声や表情から読み取り、ステラは呆れ混じりの苦笑を浮かべた。
「それはちょっと私のことが好き過ぎないか?」
ルキアは公爵家で内政補佐、ステラは今までも学業の傍らでこなしていた公務に専念。そしてフィリップは勿論、冒険者になる。
三人とも王都にいる時もあれば、誰もいない時もあるだろう。
これまでのように毎日顔を合わせるどころか、毎週末でも難しいかもしれない。休日だって、王都外から戻ってきたフィリップは公爵邸の大きなベッドから出たくないかもしれないし、ルキアやステラも疲れ果てているかもしれない。
だが、そんなのは知ったことじゃない。
どれだけ疲れていても、もう何もしゃべれないくらい疲労困憊でも、何も喋らなくても、何もしなくても、ただ一緒に居るだけで心は安らぐ。
ルキアとステラとフィリップは、そんな不思議な関係だった。
「殿下が僕のことを好きな程度には好きですよ」
先の言葉をそのまま返され、ステラは「そうだな」と軽く肩を竦める。そして。
「まあ、あと二年もすればお前は所領と王都を行ったり来たりする身になるわけだが」
無慈悲にそう宣告した。
ちょうど合流したルキアは「もうちょっと余韻に浸ったら?」と呆れ笑いだ。
フィリップもルキアにつられて笑みを浮かべたが、心中には強い決意の炎が燃えていた。
「絶対に逃げ切ってやる……!」
──なんて。
ステラが宣言し、ルキアが何も言わない時点で、まず無理なのだけれど。
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キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』
ボーナスシナリオ『卒業式』 ノーマルエンド
チャプター1『魔術学院編』終了です。
GMは妥当な量のボーナスを与えることができます。
次回からチャプター2『冒険者編』が始まります。
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