第392話

 ステラの所に戻ろうと人波を縫って歩いていると、目の端に眩い光が突き刺さった。

 シャンデリアも、装飾ガラスから差し込む日の光も、じっと見つめでもしなければ目が眩むほどではない。


 何事かと目を向けると、絢爛豪華という言葉がこのホール以上に似合う人影がこちらに歩いてくるところだった。


 「我らが寵児。またお会いできる今日という日を心待ちにしておりました。この歓喜の一片でも貴方に伝わらぬことを願います。でなければきっと、貴方様が燃え朽ちてしまうでしょうから」


 黄金の──文字通り純金製だという全身鎧に身を包んだ騎士王、レイアール・バルドル卿だ。

 パーティーの場であるにも関わらずフィリップの前に膝を突き、手を取って額を当てた。フルフェイスヘルムに阻まれる口付けの代わりだろう。


 鎧は単純に考えて鉄製の鎧の2.5倍の重量、約80キロの重さがあるはずだが、流れるような所作からはそんな気配は微塵も感じられなかった。


 「その馬鹿みたいな鎧の反射光で燃えそうなんですが。というかなんで全身鎧に帯剣まで許されてるんです? 王女殿下も王妃様もいる空間ですよここ」


 腰に佩いた黄金の長剣、何かを掴んだ手の骨のような意匠のある魔剣インドラハートは、抜けば周囲の空気を毒に変えるのだという。

 正確には強烈な放電によってオゾンを発生させるのだが、糜爛性の毒ガスと考えればフィリップの認識に間違いはない。


 どう考えても即刻この場からつまみ出すべきなのだが、残念ながら、彼女は「守られる側」だ。


 「私も聖国の王ですので」

 「……あ、そっか」


 言われて漸く思い出す程度には、フィリップは目の前の黄金の騎士を対等に考えていた。


 「というか、お考えの通り、私は神なのですけれど」

 「神であることを前面に押し出すなら今すぐこの世界から出て行ってくださいね」


 にっこり笑顔のフィリップだが、その声に阿る色は一切ない。

 眼前の存在、黄金の騎士王は自分の言葉に従う。何の疑いも無くそう確信している──いや、


 「おっと、これは失言でしたね。それはそうと、我らが愛しき子よ。一曲踊っていただけませんか?」


 壇上をちらりと見遣ると、楽器の入れ替えや再調整中だ。もう間もなく次の曲が始まるだろう。


 片膝を突いた騎士の姿は、純金の鎧というふざけた格好でも見惚れるほどに動きが洗練されている。これほど自信満々でなくとも、素晴らしい舞踏を魅せてくれるに違いないと期待できる。

 できるが──中身の体重が50キロだと仮定しても、総重量130キロオーバーだ。万が一足を踏まれでもしたら、ステラと踊れなくなるかもしれない。


 「……僕がステップをミスしても絶対に足を踏まないって約束してくれるなら、いいですよ」

 「勿論ですとも」


 レイアール卿はさも当然のようにフィリップの腰に手を添え、リードの姿勢だ。一応は女性の化身を象っているマイノグーラだが、ここは騎士王として振舞うつもりか。


 変に抵抗して足を踏まれるのも怖いので、大人しくリードと音楽に身を任せることにする。


 先のルキアほどではないが近めに抱かれ、しかし一切の危なげなく、人形でも操るように巧みなステップを踏むレイアール卿。

 いつの間にかフルフェイスヘルムが消え失せており、フィリップが見上げた先にはナイ神父と同じ浅黒い肌と漆黒の髪が露になっていた。


 黒い、いや、色が判然としないほどに昏い目からは、敬愛と、もうすっかり慣れてしまった愛玩の念が感じられる。


 「時に、我らが寵児よ。学院を卒業した後は冒険者になるそうですが、聖騎士などに興味はありませんか? いえ、聖国に来て頂けるのなら、聖騎士でも騎士団長でも王配でも国王でも教皇でも、どんな椅子でもご用意いたしますよ」


 ほう、とフィリップは興味深そうな吐息を漏らす。

 ナイアーラトテップとシュブ=ニグラスはともかく、外神の中でもはぐれ者のマイノグーラがここまでの拘泥を見せるとは思わなかったからだ。


 ここまでの、と言っても、人間社会の中での地位なんて、外神にもフィリップにも大した価値は無いのだけれど。それでも、条件を提示して勧誘するというのは意外だった。


 「……結論から言うとどれも要らないし行きません。ところで僕を教皇にして何を崇めるんですか? アザトース? あれは信仰されてることを知覚するだけの知能も知覚力もありませんよね?」

 「貴方自身に決まっているではありませんか。勿論、貴方がお望みならばシュブ=ニグラスでも一向に構いませんけれど」


 それはそれでアリですので、と笑顔を浮かべるレイアール卿だが、フィリップにとっては全くナシだ。現行の人類文明、人類社会が一神教を基盤として成立している以上、その崩壊はイコール、人類社会と文明の崩壊だ。

 そんなことが可能なのかは別として、人類がその営みによって唯一神を排するならともかく、外神の手で歪められるのは許容できない。


 というか、フィリップ自身を信仰したとて、神ならざるフィリップにはなんの返報もできない──いや、唯一神も碌な返報をしないし、大抵の邪神もそうなのだけれど。


 「僕を……信仰……? それはアレですか、聖人信仰的な……?」

 「まさか。貴方の価値が分かる者だけを集めた星にするのですよ」


 なるほど、と頷きかけたフィリップだったが、そもそも“魔王の寵児”が意味するものを理解できる時点で、それなり以上に智慧があることの証明だ。


 「カルトと邪神しかいない星になると思うんですけどその辺どうですか? 僕の敵になりたいなら面倒なので一人で勝手に死んでほしいんですけど」

 「ふふふ。勿論冗談です」


 クソみたいな冗談だった。

 相手が全身鎧を着ていることも忘れて思いっきり足を踏みつけてしまう程度には。


 勿論、レイアール卿には何の痛痒も無く、舞踏は緩やかな曲調に相応しい穏やかな終わりを迎えた。

 

 「ありがとうございました。また機会がありましたら是非に」


 フィリップの手の甲に口付けを落とし、顔を上げた時にはレイアール卿の頭はフルフェイスヘルムで覆われていた。

 恭しく一礼して去っていく後ろ姿に胡乱な目を向けていたのは数秒で、鬱陶しいほどに目立つ鎧姿は掻き消えたように人波に紛れてしまう。


 あれを見失う目ならシュブ=ニグラスの血でも注すべきだと自嘲していると、入れ替わりのようにぱたぱたと軽快な──この場には相応しからぬお転婆な足音が近づいてきた。

 振り返るまでも無く足音の主には見当がつく。 


 「あ、フィリップくん! ボクとも踊ろうよ!」


 探し人を見つけたと満面の笑みで手を振りながらやってくるエレナに、周囲からは生温かい視線が向けられる。

 人外の美貌の持ち主ではあるものの、エレナは「綺麗」というよりは「可愛い」と評すべき容姿だし、立ち振る舞いもそうだ。子供っぽい仕草が良く似合う。


 白いトーガ調のドレスはエルフの正装らしく、物珍しさから目を向けている者も多い。


 「エレナ。勿論いいよ」


 フィリップはちらりと足元に目を向け、エレナの靴がウエッジヒールであることを確認してから頷く。

 普段ミナが履いているようなピンヒールだったら普通に拒否するか、どうしてもと言うならヒールを折れと強く主張するところだったが、ウエッジソールなら踏まれても大丈夫だろう。


 ……多分。


 「今日は残念だったね、お父さんとお母さん……いや、国王陛下と王妃殿下? が来られなくって」


 手を取り合い、アップテンポな音楽に合わせて跳ねるようにステップを踏みながら、フィリップはそんな話題を選んだ。


 エレナの保護者と言えばリック翁が真っ先に思い浮かぶフィリップだが、エレナはどうやら両親とミナを会わせたかったらしい。

 ダンスの練習をしていたとき、ステラにエルフ王と王妃を招待したいと言いに来たくらいだ。


 ただ結局、その目論見は失敗に終わった。


 「うん……。まさか父様たちの方がダメって言うなんて」


 仕方ない。

 エルフが国交を回復したのは人類国家のうち王国ただ一つだけ。それもフィリップと衛士団を見て「まあ、こいつらなら……?」と妥協した末の国交回復だ。


 彼らの中には今も、以前の首都を焼かれた恐怖と憎悪が根付いている。長命種であればこそ、百年以上も前の惨劇の実体験を持つ者が多く生きているのだ。


 特に下手人の所属していた帝国への憎悪は大きい。

 尤も、彼はかつて帝国の魔術師であったというだけで、その時にはどこにも属さない流れ者だったのだが。


 「ところでフィリップ君、気付いてる? ボクたち、囲まれてるよ」

 「……はい?」


 やっぱりディアボリカはクソ野郎だな、なんて考えていると、エレナが顔を寄せてとんでもないことを囁いた。


 「ボクの後ろ、テーブル傍の赤いドレスのお姉さん。パンツスタイルのお姉さん。金髪七三のお兄さん。オールバックのおじさん……他にあと四人」


 言いながら、エレナはフィリップをリードして体勢を変えつつ周囲を確認させる。

 確かにエレナの言った通りの特徴の人間が、ダンスフロアを囲むように踊りもせず立っているのは確認できた。


 八人。それは不味い。非常に不味い。

 フィリップはいま非武装だし、動きづらいタキシードでは『拍奪』もまともに使えない。相手が魔術師なら領域外魔術も耐性で弾かれるだろう。


 戦闘になれば勝ち目は薄い。

 この場にはレイアール卿──マイノグーラがいるが、ルキアもステラもいる空間で、空気を毒ガスに変えるあの剣を抜かせるわけにはいかないのだ。


 「ルキアと殿下は?」

 「大丈夫。二人とも護衛に囲まれてるから。……凄いよ、あの人たち、さっきから二人の方に誰も近づけてない」

 「ならいい」


 見る限り、ルキアもステラも包囲に気付いた様子はない。

 何処の誰がどんな目的で取り囲んでいるのか知らないが、取り囲む時点でほぼ攻撃準備状態みたいなものだ。


 でなければそれこそ護衛──と、そこまで考えたとき、フィリップは視界の端でこちらに一礼する人影を見つけた。会釈程度だがはっきりと目を合わせて。

 エレナの言った、赤いドレスを着た女性だ。


 「……いや、多分、僕たちの方も気にしなくて良さそうだね」

 「赤いドレスの人と金髪七三の人、見覚えがある。殿下の親衛隊の人と、近衛騎士団長の息子さんだよ。殿下の……いや、もしかしたらエレナの護衛なのかも」


 フィリップが言うと、エレナは顔全体を綻ばせて安堵を示した。


 「味方なんだ、よかった……。皆凄腕みたいだし、あのパンツスタイルの子とか、結構やるよ。卒業生みたいな顔してるけど、絶対違う」

 「へぇ……え? あれマリー先輩じゃん。僕に蛇腹剣とかウルミの使い方を教えてくれた、軍学校のOGだよあの人」


 エレナがそう言うのだから、それはもうとんでもなく腕が立つのだろう。

 そう思って顔をよく見ると、なんと、そのお姉さんにも見覚えがあった。マリー・フォン・エーザー、マイナー武器の伝道師だ。


 彼女もフィリップの視線に気付くと、悪戯がバレた子供のようにニヤッと笑い、ウインクを飛ばした。


 「あ、ウインクしてくれた。……覆面の護衛とか?」

 「ふくめん……はちょっと分かんないけど、敵じゃなくてよかった」


 よかったと言いつつ、先ほどの安堵はどこへやら、今度は好戦的な目をしているエレナ。

 フィリップはそんな彼女に呆れたような溜息を吐きつつ、ダンスを最後まで踊り終えて礼を交わした。


 「なんでちょっと悔し気なのさ。……あとでミナと僕と二対一でもする?」

 「するー……。ドレスもヒールもそうだけど、やっぱり“お行儀よく”っていうのが無理……」


 お行儀良くして疲れちゃったよ、とでも言いたげだったが、さっき走ってきたのを見ているのでなんとも言えない。


 いや百歩譲ってそれはいいとして、ストレス発散の方法がステゴロというのはお姫様としてどうなのか。


 「お転婆プリンセスだなぁ……」


 そのくらいの方が楽しくていいけれど。



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