卒業式

第387話

 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 ボーナスシナリオ『卒業式』 開始です。


 推奨技能はありません。


 チャプター1『魔術学院編』最終シナリオです。


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 カエルを模した粘土細工が点在する田舎の村で起こった事件から数か月。

 フィリップたちのパーティーが更なる事件に巻き込まれることはなく、平穏無事な日々を過ごした。


 そして刻々と、その時が近づいてきていた。


 フィリップたちの魔術学院卒業の時が。


 「とうとう卒業式まであと一か月となりましたねー。長いようで短く、短いようで長い三年間だったと思いますけれどー、皆さんには最後の関門が待ち受けていますぅ」


 朝礼の倦怠感に満ちた空気を更に気怠くさせる、媚びるように間延びした幼い声が教室に響く。


 鈴を転がすような声を幸せそうに聞くだけのクラスメイト達も、こいつ何かの間違いで死なないかなと言わんばかりの冷たい目をしたフィリップも、結局三年間変わることは無かった。両隣のルキアとステラは慣れてきて、当初のようにフィリップにくっつくことはなくなったけれど。


 それにしても、関門とは嫌な言葉だ。

 つい先日、修了試験──卒業資格テストを死ぬ気でパスしたばかりだというのに。


 「……試験も実習ももう無いですよね?」


 うんざりした顔のフィリップが問う。

 実技が壊滅的なフィリップは筆記試験で八割以上を取らなければ卒業できないので、ルキアとステラだけでなくフレデリカにまで協力してもらい、何とか追試にもならず一発でパスした。


 それでも総合点数が赤点ギリギリ、学年内順位は下から数えた方が早いというのだからつまらない。もう二度とテストは御免だ。


 「試験も実習ももうありませんしぃ、この関門をクリアできなかったからといって卒業できないなんてことはありませんからー、心配しなくてもいいですよー、フィリップくん」

 「……じゃあ何です?」


 ナイ教授は猫耳をぴこぴこさせてにっこりと笑うだけで、質問に答えない。

 いや、質問に答えるのに必要な前提の説明から始める。


 「これから卒業式のプログラムについてご説明しますねー」


 魔術で浮かべたチョークが黒板を滑り、丸みを帯びた可愛らしい文字を書いていく。


 式次第。

 一、学院長による式辞。二、来賓紹介。


 入学式を経験した大多数の生徒は「こんなのだったな」と懐かしそうにしているが、途中編入だったフィリップだけは「ふむふむ」と真面目に聞いている。


 「来賓はトップシークレットですので、本番のお楽しみですよぉ」


 勿体ぶるなー! とヤジの一つでも飛ばしてやろうかと、フィリップはのんびり考える。


 しかし特段興味もない情報のために声を上げる必要は無く、右隣に座るステラが指折り教えてくれた。


 「確か今年は……我が国からはお母様と宰相、帝国からは皇妃とアルシェ、聖国からはレイアール卿が参加する。それからお父様、帝国皇帝、教皇からの祝辞が手紙で届く手筈だったか」

 「……それって豪華なんですか?」


 相槌を打ちながら聞いていたフィリップは最後まで聞き終えると、レイアール卿を除くと国の最重要人物は誰も直接参加しないのかと首を傾げた。


 しかし国際的な催しでさえなく、あくまでも一個学校機関の、一世代の卒業式にこれだけの人物が揃うのは極めて異例だ。


 「まあ、私とルキアの卒業を祝うのに見合った顔ぶれではあるな」

 「アルシェっていうのは、帝国の水属性聖痕者ノア・アルシェよ。確か、フィリップも面識があったわよね?」

 「え? いや、無いですよ」


 頭を振って否定するフィリップに、ルキアは怪訝そうに眉根を寄せた。

 

 「修学旅行のとき、カジノで負かしたんでしょう?」

 「……あ! そうでした!」


 修学旅行の最終日前夜、カジノに遊びに行ったフィリップは、持ち前のカード運で参加したポーカーテーブルを荒らしに荒らし、最終的に出禁になった。その時の対戦相手の一人が聖痕者だったはずだ。


 「関門って、これじゃないですよね? まさか私たちに応待しろと?」


 前列に座っていた生徒がきっちりと挙手して質問すると、ナイ教授はにっこりと──度し難い愚者に向けるに相応しい嘲笑を浮かべた。


 「まさかぁ。そんなことさせるわけないじゃないですかぁ」


 そりゃあそうだ。

 社会性を示すため自発的にやるならともかく、ナイアーラトテップがフィリップに「人間やマイノグーラに頭を下げろ」なんて言うはずがない。


 「でも、無関係というわけでもないですよー。皆さんには彼らの前でぇ、ダンスをしてもらうのでー」


 楽しそうに──いや、愉快そうなナイ教授の言葉を最後に、一時的に教室の中からありとあらゆる音が消えた。


 しかし生徒たちの表情はまちまちだ。

 初耳だと愕然としている者、何を言われたのか分からないし分かりたくもないと呆然とする者、そういえばそうだったと頭を抱える者。


 一部、あぁそうかと当然のことのように受け止めている者もいるが、ルキアとステラも含めたごく少数だ。

 フィリップはというと、勿論、初耳だと瞠目している。


 「……まあ、そうだな。魔術学院が卒業舞踏会を開くのは例年のことだ」

 「舞踏会……まあ、そうね。社交場としての機能を持たないダンスパーティーをそう呼べるのならだけど」

 「不満か?」

 「いいえ。全ての舞踏会がそうなって欲しいわ」


 平然と会話するルキアとステラに挟まれて、フィリップの視線は二人の顔を行き来する。

 そういえば二人とも今年の入学式には聖痕者として、来賓枠で参加していたらしいし、卒業式に参加したこともあるのかもしれない。


 説明が、説明が欲しい。

 そう明記された顔を向けられて、ステラは微かに口元を綻ばせながら応じる。


 「単なるセレモニーだよ。魔術学院に入学する年齢の貴族は、大抵がデビュタントやお目見えを済ませている。今後舞踏会を経験することも無い平民に多少の教養をつける目的かもしれんが、必要とは思えんな」


 デビュタント? お目見え? といつもの無理解の境地に至った虚無の笑顔になったフィリップに、ルキアが「どちらも簡単に言えば社交界デビューのことよ」と注釈をくれる。

 デビュタントは貴族の子女が正式に社交界へ参加することを表明するパーティー、お目見えは15歳を迎え正式に貴族社会への参入を認められる貴族の子息が国王へ拝謁する場のことだ。


 魔術学院の入学年齢は14歳──15歳になる年だ。

 三年生の大半が17歳になっているから、殆どの貴族出身者はダンスパーティーの経験がある。ルキアやステラも言わずもがなだ。


 Aクラスの生徒には貴族が多く、焦燥の理由も「そんな面子の前なんて」というものが多い。

 しかしフィリップを含めた平民出身の生徒は、もっと根本的な問題と焦燥を抱えていた。


 「……ところでフィリップ、貴方、ダンス出来るの?」

 「教養の授業で習った程度には」


 ちなみに授業で教わったのは基本的でポピュラーな曲とその特徴、基本となるステップ、そして歴史と文化的な価値について。

 全て座学だ。


 「それは出来るとは言わない。……練習するか? 私が支配魔術で無理やり踊らせることはできるが──」

 「ノアにはバレるわね。そして恐らく、レイアール卿もいい顔はしない」


 一応、王国では支配魔術の対人使用は禁じられている。

 勿論王族であり法の軛を外れた立場であるステラにその制限は適用されないが、それでも公の場で同級生に向かって撃つような魔術ではない。相手が救国の英雄なら猶の事だし、その恩恵を帝国も聖国も受けているのだから尚更だ。


 支配魔術で遠隔操作すれば、ダンス経験のないフィリップでもフロアを虜にするほど優美なステップが踏めるのだが。


 「……踊らなければいいのでは?」

 「そうね。私もパーティーで気乗りしないときは踊らないし」


 駄目元で言ってみただけだったが、意外にもルキアが肩を竦めて同意する。

 ダンスパーティーで踊らないなんて選択肢があること自体、そう言った行事と縁のないフィリップには驚きだった。


 「そりゃあ舞踏会ならそれでもいいが、セレモニーだぞ? 卒業生は必ず踊ること、みたいな決まりが──」

 「ありますよぉ、フィリップくん」


 教壇で卒業式について説明していたナイ教授が、にっこり笑顔でフィリップたちの私語に釘をさす。


 が、二年半もそんなことを繰り返していたから流石にステラも慣れて、怯えて喋れなくなるようなことにはならない。


 「だそうだ。まあ舞踏会の最中、こっそり回遊して誰にも声を掛けられないでいられる秘策があるなら別だが……この場合の“誰にも”には当然、レイアール卿とナイ教授も含まれる」


 それは無理だとフィリップは諦観に満ちた苦笑を浮かべる。

 

 三次元世界の外からこちらを見ているような奴らは、言うなればガラスの水槽に飼われた小魚を観察する人間。見失うはずがないのだ。そしてその気になれば、指を突っ込んで捕まえられる。

 別にダンスをしなかったからといってフィリップが死ぬわけでもなし、強硬に干渉してくることはあるまいが。


 「あ、そうそう。パーティーには皆さんの保護者の方もお呼びしますよぉ」


 ふーん、と適当に相槌を打ち、フィリップは「保護者」という単語が一般には親を指すことを思い出した。

 書類上の保護者はナイ神父とマザーになっているし、ステラに「お前の保護者」と言われて真っ先に出てくるのが邪神連中だから、ついそっちで考えていたが──まさか。


 「……ねぇ待って? それって?」


 どういう意味かと問われてもおかしくない意図も意味も不明瞭な質問に、ナイ教授は異常に整った顔に輝くような笑顔を貼り付けた。


 「勿論、お父さんとお母さんのことですよー」


 それは、踊っている場合ではないのではないだろうか。

 

 

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