第388話

 卒業式に向けた特別授業──予行演習やダンスレッスンなどが始まったある日の放課後。

 フィリップは外出届を提出し、二等地の民家を訪れていた。


 もはや冒険実習の手助けだけではなく、茶飲み友達になりつつあるフレデリカの家だ。

 今日も今日とてお菓子を持ち込み、お茶を貰って駄弁っているのだった。


 「卒業式か。つい去年のことなのに、凄く懐かしいなあ」


 フィリップと向かい合う形でローテーブルを囲み、優雅にティーカップを傾けるフレデリカ。

 アンティーク調のソファやティーセットは舞台俳優のような彼女にとても似合っていたが、シンプルなブラウスの上に白衣を纏った実験着姿では微妙に浮いていた。


 そんな恰好でも構わず招き入れてくれる辺り、フレデリカも大概フィリップと仲良くなってきたようだ。


 「先輩もダンスパーティーに出たんですよね? どんな感じでしたか?」

 「私たちの代には聖痕者も王族も居なかったから、あまり参考にはならないと思うよ? むしろ、第一王女殿下が来賓枠で来て下さったくらいさ」


 在校生代表──ではなく、王国の代表としてか。

 そういう話を聞くと「そういえば“殿下”だったな」なんて、渾名か愛称のように呼んでいるのがかなり特別な部類に入る敬称だということを思い出す。


 まあ思い出すだけで、そこから先には何もないのだけれど。


 「まあ、これでも侯爵家の次期当主だ。デビュタントもとうに済ませているし、力にはなれると思うよ」


 確かに、彼女の普段の振る舞いを真似るだけでエスコートの基礎くらいは身に付きそうではある。


 だが、今日ここに来た目的はフレデリカの淹れる美味いお茶やお菓子でもなければ、ダンスやマナーのレッスンでもない。


 「そっちはまた今度お願いします。今日は──」

 「あぁ、分かっているさ。……これのことだね」


 ゴトリと重い音を立て、机上に置かれたのは前腕ほどのL字型木材──それと鉄の部品と機械が組み合わされた道具。

 蛇人間が持っていた鉄礫射出装置。フリントロック・ピストルだ。


 「機構は凄く単純だ。金属の筒の中に火薬を入れ、小さな火打石で着火。爆発の勢いで鉄の礫を飛ばしている。……使われている火薬は未知のものだったけど、解析の結果、材料自体は簡単に手に入るものだった。製法もすぐに分かると思う」

 「じゃあ、再現できるってことですね」


 再現。

 恐らくはあの村の付近で手に入るものを使って作ったのだろう、低質な素材のこれを、錬金術で再現する。


 それがフィリップがフレデリカに──王国最高の錬金術師に持ち込んだ依頼だ。


 ミナには初見の不意討ちでも通じなかった武器だが、それでも遠距離攻撃手段に欠けるフィリップには有用なはずだと信じて。


 「うん。……ただ、君の依頼に応じるにあたって、いくつか条件を付けさせてほしい」


 ティーセットを置き、真剣な顔で語り始めたフレデリカに、フィリップも神妙な顔でクッキーを飲み込んだ。


 「まず、無闇に人前で使わないこと。そして、その出処や製法、機構なんかを誰にも明かさないこと。そして鹵獲されそうになった場合、なるべく原型を留めないように破壊することだ」


 要は、情報を徹底的に秘匿しろということか。

 態々細かく羅列してくれたフレデリカの言葉を、フィリップはそう端的に解釈する。


 「知っての通り、これは遠距離攻撃武器だ。しかもクロスボウより小さく、ポケットや服の中に簡単に隠せる。そして威力も、ウィルヘルミナさんによれば頭蓋骨を砕くほど高い。何より、この武器の存在を知る者が極めて少ない。大きな音が出るとはいえ、物凄く暗殺に向いている武器なんだ」


 確かに、初見殺し性能は拍奪+蛇腹剣と同等──いや、遠距離攻撃であることを考えれば上回る。


 フィリップやエレナだって、ミナがいなければ一発目で死んでいただろう。

 ルキアやステラなら魔力障壁で弾けるし、撃たれる前に魔術を撃つことも可能だが、それでも不意討ちで撃ち込まれたらどうしようもない。


 「……じゃあ、むしろ公表すべきなのでは?」

 「駄目だね。これは威力──攻撃力という意味じゃなく、秘匿性や暗殺適性を鑑みた“能力”に対して、機構があまりにも簡易だ。ごく少量で高威力を発揮する火薬を作るのは簡単なことじゃないけど、それは大型化である程度誤魔化しが効く。もっと……そうだな、本体を傘くらいの大きさにすれば、火薬が現行の物でも機能すると思う」


 現行の火薬と言っても、大砲用のものだ。そして現代戦における大砲の価値はかなり低く、火薬を作る技術はそれほど発達していない。


 フリントロック・ピストルのガワだけを複製しても、火薬が低質で殺傷力が十分に得られないのだ。

 それはフィリップも知っている。火薬を買ってきて試したから。


 結果は失敗──弾丸は満足に飛ぶこともなく無様に落下した。しかも実験の中で錬金術製の高性能爆薬──鉱山の発破作業に使うような代物まで試したせいで、二丁あったフリントロックのうち一つは完膚なきまでに吹き飛んだ。

 フィリップの右手はミナがすぐさま治してくれたのだが、人気のない荒野に散らばった木と鉄の破片はどうしようもなかった。


 それはともかくとして。


 「……えっと、つまり?」

 「つまり、ある程度の技術力があれば誰にでも──町の鍛冶屋にだって作れる代物なんだ。この武器が公表されて広まれば、誰もが初級攻撃魔術を準備したような状態になる。ただし、魔術耐性を貫通する物理攻撃だ」


 初級魔術は非魔術師相手なら十分に脅威だが、逆に、魔術学院に入れるレベルの魔力があるなら大抵は魔術耐性で逸らされるか掻き消される。

 魔術師同士の戦闘において、中級以上が攻撃魔術の基本になるのはそのためだ。ステラを相手にするなら、ルキアでさえ上級魔術を基本に神域級魔術を切り札に据える。


 戦術の基礎、常識となるレベルで、魔術師にとって魔術耐性の存在は大きい。


 そして大抵の魔術師は、中級以上の魔術は発動の予兆を感覚で察知できる。魔術を用いた暗殺は、実のところ警戒が容易なのだ。

 

 しかし、それは違う。

 音は派手だが、それは「撃ったときの音」だ。音が聞こえた時には攻撃は終わっているのだから、それから警戒しても遅い。

 

 高い暗殺適性を持つ武器──高い奇襲性能を持つ武器だ。


 「……殿下が迂闊に外を出歩けなくなる、ってことですか?」

 「王女殿下だけじゃない。私のような貴族も、君のような重要人物も……いいや、この世の誰もが外を歩くときには怯えなくてはならない世界になる」


 道を歩く誰もが攻撃準備を完了している世界。

 いや──それを疑わなくてはならない世界、か。


 魔術発動前の魔力の流れすら視認できるルキアやステラでさえ、目の前の人間が敵かどうかを一目で看破できなくなる。それはきっと、とても大きなストレスだ。


 だが、それなら、全員が怯えればいい。

 

 「大量生産できるなら、全員がこれを持てばいいのでは? 国が配るとかして」


 相互確証破壊──国家対国家戦争に於いて、聖痕者の軍事投入は敵方の応報を以て地形変動級の大戦争に発展するという状態を指す言葉として、その概念はある。


 それを個人間レベルで適用させてしまえばいい。

 それを使うなら相手も同じものを使う。誰もがそう理解している状況、拮抗状態を作ってしまえばいいのではないだろうか。


 そう安直に考えるフィリップに、フレデリカは重々しく頭を振る。


 「……ウィルヘルミナさんのことを考えてみて」


 意外な名前を出されて、フィリップは怪訝そうに眉根を寄せる。

 暗殺を警戒しなくてはならないステラやルキアならともかく、ミナは飛来する弾丸を素手で掴んで握り潰すような化け物だ。


 そして手が間に合うなら魔力障壁の展開も間に合うだろうし、そもそも一発喰らった程度で命のストックが削れるかも怪しい。よしんば削れてもストック総数は10万を超える。


 フィリップの知る中でそれ銃器の普及に最も価値を見出さないのは彼女だろうに。


 「彼女は吸血鬼だ。人間を食い、殺す化け物だ。人間を殺すことに一切の罪悪感を覚えず、淡々と作業のように殺す。……それはどうしてだと思う?」

 「そういうものだから……あ、“簡単に殺せるから”。殺すことを意識する必要も無いくらい、簡単に──指の一振りで磔刑にできるから、ですか?」


 言うと、フレデリカは神妙に頷いた。


 勿論、ミナが本当はどういう理由で人間に価値を見出していないのかは分からない。

 食料を製造・貯蔵している自立歩行型タンク、みたいな認識かもしれないし、群れて邪魔だが食える虫ぐらいの感覚かもしれない。


 だが人間を殺すという行為にも、人間そのものにも意味や価値を感じていないのは確かだ。


 「これを蔓延させたら、全ての人間がそういう価値観になる。指をちょっと動かすだけで人間を殺せるようになり、価値観が破綻していく。勿論、道徳心や他人を害することへの恐怖心で、そうはならないかもしれないよ。けれど──人間は、目的のためならどんな残酷なことでもする生き物だろう?」


 フレデリカの青い双眸に僅かな憤怒の色が宿る。

 その極めて優れた記憶力を有する脳裏には、凄惨に殺された祖父の姿が今も刻まれているのだろう。


 「確かに……。力が価値観を狂わせた例も、身近にいますしね」


 ルキアも、ステラもそうだ。

 まああの二人はフィリップからすると「正常な人間の価値観」ではないだけで、「正常な価値観」ではあるのだけれど。


 「君には恩も縁もある。未知の火薬、未知の武器を研究するのも楽しい。だから、君の頼みには可能な限り応えたいけれど──出来ないというのなら、この話は無かったことにしよう」

 「情報の徹底秘匿……。ルキアと殿下にだけは教えてもいいですか? あと、衛士団にも」


 フィリップはフレデリカを信頼している。彼女の頭脳を、その判断を、ステラの次くらいに。


 だから彼女が止めておけというのなら、それに従う。


 「先の二人はいいよ。王女殿下もこれの危険性は分かってくれるはずだから。でも、衛士団は駄目だ。彼らに伝えれば本格的に軍事的な研究が始まる。そして有用性が認められれば、国の財力と人員を以て大量生産されることになる」


 そうなればいくら王国が技術の独占に強く拘泥しているとはいえ、流出と蔓延は避けられない。

 後に待つのは価値観の崩壊と治安の悪化、か。


 ルキアやステラが安心して外を出歩けなくなる世界は、フィリップも望むところではない。


 「……分かりました。ルキアと殿下以外、誰にも言いません」



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