第383話

 「質問がまだあと二つある。一つ目は、ここの人たちは君の同族、或いは同類のカルトなのかってこと」


 ミナから借りたままの漆黒の長剣をくるくると弄びながら尋ねるフィリップ。

 その声色に期待の色が滲んではいないかと気にする者は、この場にはいない。


 蛇人間は相変わらずの無機質な顔で首を傾げる。

 瞼も唇も鼻梁も無い爬虫類の顔だ。表情なんて読み取れるはずも無いが、どことなく怪訝そうに見えた。


 「……私の答えは、貴方の行動を左右しうるのですか?」


 自分の言葉に耳を貸す気はあるのかと問われ、フィリップはにっこりと笑う。

 

 「勿論。僕は智慧あるモノの言葉に耳を傾けることの大切さを知っている。それこそが無知を払うことだとね。僕はそうじゃないと思っていても、君がそうだというのなら調べ直すくらいはするさ」

 「光栄の至り……ですが彼らは、未だ無知なるまま。私は“失敗”したのです」


 どこか懺悔するような気配を漂わせた蛇人間の言葉に、フィリップの笑顔が強張った。

 

 「……訂正するよ。質問は全部で三つだ。それで二つ目だけど、君はどうしてこの村に住み着いたの? もっと快適で、もっと人の多い村や町はいくらでもあるだろう? それともこの村には、ずっとツァトゥグア信仰があったの?」


 蛇人間はまた長い首を揺らして頭を振る。

 なんだか、だんだん可愛く思えてきた。この個体はここで殺すが、同族がいたらちょっと珍しい魔物として愛玩動物化できるのではないだろうか。


 並の人間より賢いし強いし、邪悪言語で喋るから体調を崩しかねないほど不愉快だし、おまけに人類の絶滅と星の支配者に返り咲く野望を持っていると、問題は山積みだけれど。


 「いいえ。この村のカルティズム……信仰とも呼べぬ低次の共同譫妄は、純粋にカエルを崇めるものでした。それを先代の司祭が今ほどまでに希薄化させ、私がそこに一滴の真実を混ぜ込んだのです」


 ほう、とフィリップは感心の息を吐く。

 先代の司祭を殺したのか支配魔術の類で従わせて取って代わったのかは知らないが、上手いやり方だ。


 この村に、過去には本当にあったらしいカエル信仰のカルト。それを希薄化させた先代の司祭は、きっと一神教に帰依させようとしたのだろうけれど……文化を完璧には拭いきれなかった。

 そして残ったカエルの神像を祀る収穫祭と云うイベントを、ツァトゥグアへの祝詞によって汚染し──いや、もしかしたら祭壇や楽器にも細工がしてあるのかもしれないが、とにかくツァトゥグアへの交信儀式に仕立て上げた。


 「そして今回の降臨を以て、村人たちの蒙を啓くつもりだった?」


 蛇人間は長い首で頷いた。


 「降臨……いえ、正確には交信儀式ですが……ともかく、あれは何度も試しましたが、成功したのは今日が初めてです。……ツァトゥグア神のお目覚めになられているタイミングと一致しなければ、そもそも不発に終わる儀式ですから」

 「そりゃそうだ。……それじゃ最後の質問だけど──」


 核心に触れる。

 眼前の蛇人間はどうあれ殺すが、どう殺すかを決定づける問いを投げようとしたフィリップだったが、その寸前で、落ち着いたを通り越してダウナーな声が背に触れた。


 「──フィル」


 振り返るまでも無く、飼い主の声であることは分かる。

 しかしその声に、いつもの天地万物が面倒臭いと言いたげな気配だけではなく僅かな怒りまでもが感じ取れて、フィリップは思わず口を噤んだ。


 振り返ると、ミナと一緒にエレナもこちらに向かってくるところだった。どうやら先に二人で合流していたらしい。


 エレナは所々に生垣の葉っぱや小枝なんかを付けたフィリップを頭の先から爪先まで眺めまわして、深刻そうに唸る。


 「不味いなあ、結構キツめの脳震盪か、それより深い損傷があるかも。姉さま、お願いできる?」

 「言われるまでも無いわ。……フィル、こっちにいらっしゃい」


 有無を言わさず、ミナの双眸が血よりも赤く輝く。

 “契約の魔眼”──支配魔術にも匹敵する他者操作能力が発動し、フィリップの身体は不随意に歩いてミナの腕の中に収まった。


 「脳震盪?」とエレナに胡乱な目を向けるフィリップだったが、間違いなく脳震盪にはなっていたし、まだ思考の回転速度が遅い。


 大抵の者が不愉快な音の羅列としか認識できない邪悪言語話者と普通に会話している時点で、疑われるのは正気の喪失か、意識の混濁だ。前者を疑われていないだけマシだろう。


 「……深い傷はなさそうだね」

 「軽いもの、柔らかいものに何度かぶつかって衝撃が和らいだんでしょうね。真っ先に石壁にぶつかってたら、背骨ぐらい簡単に砕けていたわよ」


 言って、ミナは抱きしめたフィリップの頭頂部に唇を落とす。

 赤い──血に濡れた唇を。


 「だよねー。ボクも受け身を取ろうと思ったら左肩が脱臼してさー。まだちょっと痛いや」


 吸血鬼の血の生命力によって傷の癒えたフィリップは、また胡乱な目でエレナを見つめる。

 仰る通り、机と生垣がクッションになってなお脳震盪を起こすレベルの衝撃だったし、ミナなんか石の壁をブチ抜いていたのだから、エルフの強靭な身体でも脱臼するのは分かる。


 だが脱臼した直後は「ちょっと痛いや」なんて笑っていられるレベルではなく痛い。というか全然ちょっとではない。


 「それで……さっきの猿獅子頭は、もう殺したの?」

 「いや、逃げちゃった。そっちの蛇頭をこれから殺すところだよ」


 ヴーアミ族、と言ったか。

 三人を吹き飛ばしたツァトゥグアの司祭にミナは珍しく明らかな殺意を抱いているようだったが、追いかけて殺すほどではないようで、逃げた方向を聞いたりはせず「そう」と残念そうに肩を竦める。


 良かった。

 「どっちに逃げたの?」とか聞かれたら「下……?」としか答えられないし、どうせ追いかけようもないのだけれど。


 「そう。なら……久しぶりに競争しましょうか。ハンデはいる?」

 「剣はこのまま貸して。あと、全速全力は出さないでほしいかな。競争の余地は残してほしい」


 どちらが先に首を落とせるか。

 ターゲットは蛇人間、勝利賞品も蛇人間だ。正確には、胸中の苛立ちを発散する権利と生きた巻き藁だが。


 「テレーズちゃんを攫おうとしてたヤツも、協力してたあなたも、許さないよ! 投降するなら今が──」


 エレナの言葉に耳を貸さず、蛇人間の短い手が動く。

 一瞬だけ錆色の鱗に包まれた空の手指を向けているのかと思ったが、違う。掌中にはL字型の棒のようなものが握られていた。


 木製の握把、黒い金属製らしき筒、後部には一見して単純そうな機械仕掛けがあり、先端の黒々とした穴がじっとこちらを見つめている。


 ──それは、未だ人類が発明していない武器。

 魔術の発達した現代においてその道具が生まれるだけの需要は無く、魔術が存在しなかったとしても数百年後に漸く至る発展形。人類とは違う時代を生き、人類とは違う文明を築き、人類以上の大繁栄を誇った蛇人間の武器。

 

 ナイアーラトテップ辺りが見れば、それを称してこう言うだろう。


 ──燧発式拳銃フリントロック


 「っ!?」


 乾いた炸裂音がしたのとほぼ同時に、フィリップの眼前にはミナの真っ白な手があった。

 フィリップが握り込まれた拳の甲を視認した後に、漸く腕が動いて生じた風が髪を揺らす。そんな速度で動いたミナは、驚愕と期待が綯い交ぜになった目で蛇人間の持つ拳銃を見つめていた。


 「──火薬か何かで鉄の礫を飛ばしたようね」

 

 ミナが握り込んでいた拳を開くと、掌中には確かにぐにゃりと曲がった金属塊があった。

 撃った衝撃で曲がったのか、握って曲げたのか──きっと後者だ。撃った衝撃で曲がったのなら、狙った位置に飛ぶはずがない。


 「攻城兵器の大砲と理屈は同じでしょうけど……サイズを小さくして個人に携行させる。面白い発想ね」


 ミナは悲惨な形になった弾丸を弄びながら、蛇人間が未だこちらに照準し続けている武器を興味深そうに示した。


 「……そうなの?」


 しかし、フィリップはミナと興奮を共有できなかった。


 大砲が、そもそも前時代的な武器だと学院で習った。ステラにも。


 弱くはない……歩兵相手なら。ただ、大抵の軍事的重要建造物が錬金術製の堅固な建材を取り入れているし、そもそも本体も砲弾も弾薬も重い大砲をえっちらおっちら運ぶくらいなら、火力に長けた戦闘魔術師一人を運んだ方が楽だし、早いし、隠密性にも優れている。その上汎用性も高い。


 魔術師一人のやることを非魔術師数人で再現できる、という点でステラは多少の評価をしていたけれど、如何せん格差が大きすぎる。

 地形そのものを変える聖痕者のような例外は抜きにしても、大砲一発分の攻撃魔術なんて、正規の戦闘魔術師にとっては切り札にもならない。宮廷魔術師クラスならジャブ代わりに撃てる者もいるそうだ。


 大陸を二分する大国たる王国と帝国が領土を争っていた時代も、今も、大砲が役に立った戦闘は殆どない。

 魔術で砲撃を防がれるわ、砲撃音や煙で位置が割れて魔術爆撃が降り注ぐわ、鹵獲されたら敵方に金属資源が奪われるわ、散々だ。


 「私が契約の魔眼や魅了の魔術で王都の一般人を全員支配下に置いて衛士団に襲い掛からせても、きっと止められるわよね? けれど、その全員がアレで武装して不意を衝けば──衛士団でも殺し切れると思わない?」

 「どうだろう。でもそんなまだるっこしいことしなくたって、ミナが魔術をぶっ放せば終わりでしょ?」


 フィリップの問いに、ミナは「まあね」と肩を竦める。

 しかしミナにとって、人間を殺せるなんてことは当たり前なのだ。


 そして大抵の知性ある生き物にとって、「当たり前」になったことは、次は「どれだけ楽にできるか」という思考に繋がる。


 「そりゃあ同じ結果を出すことは私一人でも出来るけれど、私が動くのと同じ結果を、そこいらに生えている人間が持ってくるのよ? それなら、そっちの方が楽でいいじゃない?」

 「小が大を兼ねるようになる道具、ってことか。そう聞くと物凄く便利に思えるね」


 今一つ銃の強力さ──特に、人類にはほぼ知られていない隠密性の高い飛び道具という人間にとっての脅威には、フィリップもミナも思い至らない。


 しかし一軍の長、一個陣営の長であったミナには、それが「技」ではなく「道具」であるという点が素晴らしく輝いて見えた。


 「でも……要らないわね。見る限り連射も利かなそうだし、五月蠅いし、威力も低い。よく考えたら兵隊を揃えるのがまず面倒だし」

 「ははは……ん? 待って? 衛士団を殺し尽くそうとか考えてるの?」

 「物の喩えよ」


 言って、ミナは蛇人間に向かって血の大槍を投射した。

 城壁にさえ突き刺さる、それこそ大砲じみた一撃を。


 空気を裂いて飛翔する深紅の槍は一秒と経たずに彼我の間を駆け抜け、そして──紫電が迸り、あらぬ方向へと逸れた。


 「……障壁?」

 「……違うわね。あいつは魔術を使っていなかった」


 エレナとミナの会話に耳を傾けつつ、フィリップは鼻を突くようなオゾンの臭いに顔を顰めた。





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