第373話

 取引は無事に成立し、リール家で一夜明かした翌朝。

 目を覚ましたフィリップは、隣で寝ていたエレナがいないことに気が付いた。と言っても、狭い家だ。探そうとするまでもなく、少し首を動かせば見つかった。


 エレナはリール氏のベッドサイドに腰掛け、何かの薬草を乳鉢で磨り潰している。そして、リール氏はベッドの上で上体を起こしていた。

 まだ顔色は優れないようだが、ベッドに横たわり激痛に呻くことしか出来なかった昨日とは大違いだ。


 「あぁ、おはようございます。えぇっと、カーターさんで間違いありませんか?」

 「はい、フィリップ・カーターです。おはようございます、リールさん。屋根をお借りしたのに、ご挨拶が遅れてすみません」

 「いえ、とんでもない。娘から聞きました、貴方たちが私と娘を助けて下さったと……。本当にありがとうございます」


 リール氏はベッドの上で深々と頭を下げる。

 短く切り揃えられた亜麻色の髪を見て、フィリップはテレーズと彼の血の繋がりを感じた。


 「リールさんが目を覚ましたのは一時間くらい前だよ。テレーズちゃん、殆ど寝ないで看てたみたいだから、今は安心してぐっすり」


 エレナの示す方を見ると、ベッドの一つに毛布に包まった小さな塊があった。父が目覚めたことを確認して一頻り喜び、後は何とかベッドに潜り込んだところで力尽きたといったところか。

 

 「エレナは何を作ってるの?」


 ツンとした臭いを漂わせる乳鉢の中には、緑と紫の混ざり合ったペーストが入っている。

 フィリップの田舎では使われていなかったレシピのようで、原料や薬効は全く分からない。


 「化膿止めと、最悪の場合に備えてドーピング用の薬をね。正直、エルフ用の薬をヒトに使うのはお勧めしないんだけどね」

 「薬のことはよく分からないから、その辺りはエレナに任せるよ」

 「うん。ボクに出来るだけのことはするよ」

 

 答えるエレナはどこか無念そうだったが、すぐに作業に集中する薬師の顔になり、フィリップに悟られることは無かった。

 彼女の無念は、エルフの技術を以てしても、大きく抉り取られ焼かれまでした深い傷を完璧に治すことはできない無力感が原因だ。いや、患者がエルフであればやりようはあるのだが、エルフでも強烈な副反応の出る強い薬を使うことになる。脆いヒトが耐えられるものではない。


 ミナの血なら或いはとも思うが、本人がどれほど軽んじていようとも、あれは血なのだ。議論の余地なく。フィリップが傷ついてあれを使うとき、ミナもまた傷ついているのだ。どれほど軽微であっても、確実に。

 自分の力量不足を補うために誰かを傷つけるなど、善良なエレナが許容できるはずがなかった。

 

 「……お二人は、ずっと冒険者をやられているんですか?」


 なんとなく空いた会話の隙に、リール氏が問いかける。

 エレナは作業の手を止めないまま、端的に頷いた。


 「ボクは80年くらい? 冒険者っていうか、爺とボクで冒険してただけなんだけどね」


 予想を上回る歳月に、リール氏の目が見開かれる。

 

 「は、はちじゅう……。ははは、エルフは本当に不老長寿なのですね。つい、16,7歳かと……」


 気持ちは分かる。

 長命種は老化だけでなく精神の成熟速度まで緩慢だから、エレナも外見通りに16,7歳くらいの精神性だ。勿論、百年弱の経験がある分、戦闘センスなんかは相当に研ぎ澄まされているけれど。


 「そうですね」と頷いて同意を示すと、まさか、という顔がフィリップの方に向いた。


 「……僕は13歳です」


 リール氏は露骨にほっとした顔になった。

 実年齢以上にしっかりしているとはよく言われるフィリップだけれど、外見は実年齢そのままだ。年齢に相応しい愛嬌があるとはとても言えない目をしているが、顔立ちが老けているわけではないし。


 「よし、出来た。こっちの緑色の小瓶が化膿止め、つまり、傷が悪化するのを防ぐ薬ね。一日一回、水浴びをして清潔にしてから患部に塗ること。あ、川の水とか絶対ダメだよ。一度沸騰させてから冷ました水ね」


 言って、エレナはベッドサイドに拳大の瓶を置く。中には緑色のどろりとしたゲルが満杯になっている。

 瓶はもう一つ。こちらは指一本にも見たない、瓶というよりは小ぶりな試験管だ。青紫色のペーストが僅かに入っている。


 「こっちの青紫のがドーピング用。もしも高熱が出たら、スプーン半杯分を首筋に塗ること。規定より少ない分には問題ないけど、多すぎたら最悪死ぬから、くれぐれも気を付けて」


 最悪死ぬ、というのは、オーバードーズを抑制するための脅しでも何でもない、ただの事実だ。

 エルフは長く人間と交流していなかったからヒト用の薬を作らなくなって久しいし、エルフ用の薬は人間に完全には適合しない。……そりゃあそうだ。寿命からして違う異種族なのだし、ただのパンチで生木を抉る肉体強度の異種族に使われる薬なんか、脆い人間が使っていいものではないし。


 「リールさんは大丈夫そう?」

 「毒は無力化できたよ。でも、内臓がかなり傷ついてるし、脚の傷も浅くはない。多分、しばらくは真面に踏ん張ることも出来ないと思う」


 神妙に頷くリール氏の左足、ふくらはぎの辺りにはきっちりと包帯が巻かれている。その下には、そこそこ深く広く抉られて焼かれた凄惨な傷がある。


 「蛇に咬まれたら傷口の周りを切り取ればいい、なんて馬鹿な風説、誰に聞いたのさ? 知見のある医者ならまずそんなことはしないよ?」

 「誰にというか、そういうものだと思って育ってきたので……」


 お恥ずかしい限りです、とリール氏。

 フィリップも学院で習うまでは「毒を吸い出す」という馬鹿げた応急処置が有効だと思っていたので、微妙に目を逸らした。


 「そ、そういえば、皆さんはいつまでこの村に?」

 「明日までかな」


 昨日の夕食のとき、リール夫人に村の大まかな位置と最寄りの街道の方向を聞いてある。

 幸いにして駅宿が近くにあるらしく、村を出るのが夕方になっても野宿する必要は無いそうだ。


 エレナがこの村に二日間滞在したいと言ったのはリール氏の予後を見るためだから、投薬からぴったり48時間後、明日の夕方くらいまではここに居るはずだ。


 答えを聞いて、リール氏はぱっと顔を輝かせた。


 「明日ですか! ちょうど良かった! 実は、明日が収穫祭なんです! 皆さんも是非参加していってください!」

 「そういえば、奥さんもそんなこと言ってたね。収穫祭ってなに?」


 王国だけでなく大陸中でポピュラーな祭りのはずだが、エルフの文化にはないらしい。まあ農耕種族ではなく採集・狩猟種族なので当たり前だが。


 フィリップの田舎にも収穫祭はあったが、あれは「是非参加してほしい」と主張するような面白味のあるイベントではない。ちょっとした出店なんかがあったり、大人たちが昼間から酒を飲んだりして、クライマックスには大きな篝火を囲んで踊るくらいだ。そしてその年で一番出来のいい作物を炎にくべて、煙に乗せて神への感謝を示す捧げものにするのだとか。


 実家が宿屋だったフィリップはむしろ祭りが終わってからが本番というか、いい感じのカップルだけ通して、泥酔した女性によからぬことをしようとしているヤツは衛兵に通報して、出来る限りの速度で部屋の掃除をして、エトセトラ。何も面白くない。


 でも宿のないこの村ではアレはどうするのだろう、などと益体のないことを考えるフィリップだったが、土地が変われば風習も変わるのが普通だ。


 「はい。色々と工程はあるんですが、私がお勧めしたいのはメインのイベントで。全ての畑から今年一番の出来の作物を集めて料理して、それを村の皆で分け合うんです」


 へぇ、とフィリップとエレナが同時に頷く。

 エレナは「そういうお祭りがあるんだ」程度の理解だったが、フィリップは感心している。


 神への感謝なんて意味の分からない理由で折角の傑作を炎にくべてしまうくらいなら、皆で分け合った方がずっと有意義だと。

 宛先が唯一神なら尚更だ。集合無意識に寄生する概念存在が、まさか煙を食って生きているわけではないだろうし。


 「それに、その前に皆で篝火を囲んで踊るんですが、テレーズの踊りは村で一番なんですよ。親の私から見ても妖精のように愛らしくて」

 「わかるかも! テレーズちゃん、可愛いもんね! ね、フィリップ君!」


 「子煩悩だな」と苦笑しかけていたフィリップは、慌てて接客用の笑顔を張り付けて同意した。

 テレーズの顔立ちは確かに整っているが、人類の最大値を18として数値化するなら、まあ15か16といったところ。間違いなく美少女の部類ではあるが、人類以上の美貌を持つエルフを前に「妖精のよう」なんて形容できるのは、親馬鹿以外の何物でもない。


 だからといって「それは言い過ぎでしょう」なんて、まさか言えるはずもないのだけれど。

 

 と、雑談したり朝食を摂ったりしているうちにテレーズも目を覚まし、一行はテレーズの案内で村を回ることになった。

 豊かに実る田園風景に風光明媚を見出し心洗われるタイプは一人もいないが、狭い家の中で何もせずぼーっとしていられるタイプもまたいない。


 テレーズを先頭に、エレナ、フィリップ、ミナと列になって村を回る。

 広場を中心に円形に家々が並び、魔物除けの柵に囲われ、更にその外に広大な農作地帯が広がる典型的な小規模農耕集落といった感じだ。


 普段なら見るべきものは多くないのだろうが、収穫祭という一年を通して最大規模の催しを明日に控えていることもあり、村全体が陽気な活力に溢れていた。

 まだ前日の昼前だと言うのに、広場の真ん中にはフィリップが中で踊れるくらい大きな篝火の木枠が設置されているし、家や木々が布切れで飾り立てられている。修学旅行で訪れた大洗礼の儀のジェヘナとは比べ物にならないが、この村では精一杯の飾りつけなのだろう。


 「まだ準備中だけど、明日は篝火の前に祭壇が置かれて、そこに今年一の作物が山盛りになるの! すっごく豪華なのよ!」


 共に一夜を明かして打ち解けたテレーズが楽しそうに語る。

 ちなみに彼女はフィリップと同い年だった。この年頃は女子の方が成長が早いことを考えると、彼女はやや童顔な方だ。


 「今年一番のやつを皆で分け合うって、なんか良いね。僕の村じゃ、神様に捧げるって言って燃やしてたよ」

 「私たちも神様に捧げるよ? その後で、みんなで食べるの!」

 

 まあそりゃあ、神が下界に手を伸ばして食い物を漁るなんてことはしないだろうし、「神に捧げたが残されてしまった」とか「我々に下賜してくださった」みたいな認識になるのかもしれない。


 そんなことを考えているフィリップの耳元に、ミナがそっと唇を寄せて囁く。


 「唯一神って、麦とか野菜を食べるの?」

 「そもそも食事が必要なのかさえ怪しいと僕は思ってるけど……ま、この手の儀式を通じて高められた信仰は食えるんじゃない?」

 「信仰起源説? きみ、意外と博識ね? 始祖の蔵書の中でも相当古い古文書に載っているような仮説よ、それ」


 小馬鹿にしたような口調で会話する冒涜者たち。

 まあフィリップはともかく、ミナは唯一神に敵対する魔王の陣営で一個種族の長として君臨していた身だ。天使の軍勢に襲撃されたこともあるそうだし、唯一神に対しては具体的な敵愾心があるのだろう。


 唯一神にも魔王にも特別な感情を持っていないエレナは、二人の会話以上に興味を引かれるものを見つけていた。


 「ねえテレーズちゃん、あれは何? 来た時にちらっと見たけど、畑の方にもあったよね?」


 エレナが指した先には、両手で抱えるくらいの大きさのカエルを模した置物がある。

 フィリップもこの村を訪れた時から気になっていたものだ。それはこの村の全ての家の前にあり、更には畑の傍にも点在している。一つ二つなら、そう気に留めることも無い粘土細工だが、流石にこの数は異常だ。大流行である。


 「カエルの置物だよ。川で取れる粘土を使って作ってるの」


 カエル……どことなく愛嬌のある、サイズを調整してデフォルメしたアマガエルっぽい感じだ。作者によって微妙に個性が出ていて、ぬぼーっとした顔のヒキガエルっぽいやつもいれば、ハート柄とかお花柄とか、自然にはいないだろう模様のものもある。

 カエルを模した陶芸品。それぐらいは見ればわかる。エレナが聞いたのは原材料と産地の話ではなく、モノの話だ。


 勿論、テレーズもそれは分かっている。今のはただの前置きだ。


 「収穫祭の祭壇にもカエルの像があるんだよ! カエルはね、神様なの!」


 どういうことだろう、とエレナに疑問を抱かせる、いい語り方だ。

 この後の説明を聞けば、きっとこの村のことが良く分かるのだろう。カエルの置物を沢山作って並べる理由も、この村の文化のことも、収穫祭のことも。


 テレーズは当然、促されるまでも無く先を続けるつもりだった。


 しかし──ぽん、と肩に手が乗せられる。

 父以外の異性に触れられることにも、そもそも村にはいない同年代の異性にも不慣れなテレーズはびくりと肩を跳ねさせ──誰にも触れられていないエレナまでもが同じ動きをした。


 それはテレーズの肩を掴んだフィリップの表情に見覚えがあったからだ。


 「──詳しく聞こうか」


 なんて言うフィリップの酷薄な笑みは、あの汚濁した湖で見たものと全く同じものだった。


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