第370話

 「あっはっは! 懐かしい呼ばれ方だな!」


 先代はしばらく体を揺らして豪快に笑っていたが、ふと思いついたように衛士の一人に指を向けた。


 「はぁ、笑った笑った……。と、そういえばマット、戦って勝てる相手かどうかなんて、見りゃ分かるだろ」

 「空飛んでる成龍を見て突っ込んでったアンタの目利きを信用しろってんですか? 冗談でしょう?」


 マットと呼ばれた彼は、フルフェイスヘルムを被っていても声色から分かるくらいに色濃い苦笑を浮かべていた。


 フィリップもその逸話は衛士たちから聞いている。

 王都上空に成龍が迷い込んだとき、先代衛士団長は一人でそれを地に墜とし、撃退したという。


 その時彼は、王都の住民を、そして王城に坐す尊き方々を守るため、盾になる覚悟を決めた衛士たちを前に、思いっきり馬鹿にした顔をしてこう言ったとか。


 「龍の鱗は剣を通さない硬さだ。じゃあ隙間を狙うか、鱗が無いところを狙うか、剣以外の攻撃手段を探すかだ。防御は一つで、対策は三つもある。つまり俺たちの方が三倍有利ってことだ。そんな状況で守りに入る? お前たち、揃いも揃って馬鹿なのか?」


 と。


 そして単身、剣だけ持って突撃したという。

 「俺は飛べないんだから、奴のところまで跳んで跳ねて行くしかない。鎧なんか重くて邪魔だろ?」と言って、上裸で。


 自己保存の本能が異常な価値観である程度マスキングされているフィリップでも、「いやそれホントに最適解か?」と首を傾げる蛮行だ。


 「おいおい、あの時だってちゃんと撃退しただろ? ちゃんと観察すればどんな相手でも……」


 先代は笑いながらフィリップの方を見て、ぱちぱちと目を瞬かせる。そして。


 「……すまん、嘘だった! 君に勝てるかどうかは分からん!」


 それはもう朗らかに、すっぱりと前言を撤回した。

 えぇ……、とそこかしこから困惑の声が上がる。勿論、フィリップも声を漏らしたうちの一人だ。


 「剣士ではあるんだろう。先のアレ、ありゃ拍奪の歩法だな? しかしあの流派の伝承者ってワケでもなさそうだし、初撃に魔術を選んでいた……。だが、かといって魔術師でもない。魔術はその域まで剣術を鍛えた片手間で修められるような甘い技術じゃねぇ。たとえ聖痕者でもな」


 むむむ、と腕を組んで唸る先代。

 観察は正確だが、いま見せた技だけで先代を殺すのは無理だというのがフィリップの正直な意見だった。


 一パーツ何キロあるのかも分からないような鎧状の拘束具は、彼に着けられた枷であると同時に防具としてもきちんと役割を果たしていた。フィリップの腕力で彼の骨を砕くには、きっと一撃では足りなかっただろう。


 しかし先代の動きは鈍重ではなく、一瞬だけフィリップの動体視力を振り切る速度だった。

 そんな高速で繰り出された蹴りは、速く重いはずなのに、瞬間的に痛いだけで骨や内臓にダメージの残らない精密なもの。


 体格、体力、運動性能、そして技術。何もかもが桁違いだ。「無理だろ感」ではミナやディアボリカにも匹敵する。


 僕なんかに勝てないわけないだろと苦笑したフィリップに、先代は歯を剥き出しにするような豪快ながらも明朗な笑顔を返した。


 「流石は“龍狩りの英雄”だな、カーター少年!」

 「……僕のこと、ご存じだったんですね」


 まあそりゃあそうか、とフィリップは一人納得する。

 王都に住んでいる衛士団の関係者なら、龍狩りを終えた衛士団の凱旋パレードは見に来ただろう。沿道からパレードの中心に引きずり込まれて胴上げまでされたフィリップのことを、まさか知らないはずはない。


 そう考えたフィリップだったが、残念、ハズレだ。

 先代はそもそも王都に住んでいないし、30人近い衛士を一人で相手取って鎧に傷一つ付けないレベルの化け物がいるなら、それこそ龍狩りの折に頼っていただろう。


 「名前だけは、実は随分と前からな。二年くらいか? 手紙で近況を聞いたとき、何人かが君のことを書いてたんだよ。命の恩人だってね。いつか会いたいとは思ってたんだが、眠り病の件を聞いて、居ても立っても居られなくなってな。こうして王都に帰ってきたってワケだ」


 帰ってきた? と首を傾げたフィリップに、衛士の一人が「先代は衛士団を引退してから、大陸中を巡って剣術を教えてるんだよ。いつか来る魔王との戦いに備えてね」と注釈をくれる。

 魔王の脅威度については今一つピンと来ないどころか、何なら本格的に人類陣営と魔王陣営で戦争が始まったって参戦する気は更々無いフィリップだったが、ただ人類を守るために活動している人間というのは好感が持てる。


 レイアール卿は一応「人類の最終防壁」らしいけれど、アレは良質な魂を食うためだけにその役に就いているのでノーカウント。


 「ついでに、俺をもっと強くしてくれそうな好敵手を求めてな。いやぁ、見つからんものだ」

 「それが、どうして態々僕に会いに? 好敵手にはなれそうにありませんけど」


 まさかフィリップのようなミーハーではないだろうし、手紙のやり取りをしていたのなら、衛士団が誰も死んでいないのは知っているはずだ。


 そんな的外れなことを考えるフィリップに、先代はズボンで掌を拭ってから右手を差し出した。


 「いやいや、単に礼を言いたかったんだ。俺の過去を、人生を守ってくれたこと、本当に感謝している。ありがとう」


 フィリップは一瞬、何を言われたのか分からず、先代の右手をぼけーっと見つめていた。

 掌だけでなく、手の甲も、拳も、手首までもが分厚く鍛えられた、石のような手だ。


 「君は俺が生涯の半分以上を費やして守ってきたものを守り通してくれたんだ。俺の戦友たちを救ってくれて、俺の主君を、俺の国を救ってくれて、本当にありがとう」


 ふ、と、フィリップは小さく笑った。

 学院の同級生や後輩に先生、果ては何処の誰とも知れない一等地ですれ違った貴族にまで、そんな感じのお礼を言われ続ける時期もあった。


 自分や家族を助けてくれてありがとう。国を救ってくれてありがとう、と。


 それを聞くたびに思っていた──どうでもいい、と。

 フィリップは彼らや国を救うために行動したわけではないし、フィリップが守りたいと思った人間以外はどうでもいい。救えてよかったとも、死んでいればよかったとも思わない。至ってフラットに、生きていようと死んでいようと、何ら感情が動かない。


 フィリップがあの龍狩りを達成して、救えてよかったと感じたのは、ルキアとステラと──。


 「いえ、僕は衛士団に少しでも恩を返せたらと思っただけですから」


 衛士たち。


 彼らにお礼を言われるのは、いつまで経っても慣れないほどに嬉しいことだ。

 達成直後は心の余裕が無くて、彼らの謝辞を素直に受け止められなかったことを思い出すと、ちょっと恥ずかしくなるけれど。


 今もそうだ。

 彼らが「変態」だの「脳筋」だのとふざけた呼び方をしつつも、決して侮らず、絶対に深い敬意と親愛と共に語る人物にこう言われて、嬉しくないはずがない。


 フィリップは先代の手をしっかりと握り返し、謝辞に頷きを返す。


 「そうか。……あぁ! そういえば、さっきのは凄く良い動きだったぞ! もう一戦どうだ? もしかしたら、何かアドバイスできることがあるかもしれん」


 思わぬ申し出に、フィリップはぱっと顔を輝かせる。


 船頭多くして船山に上るとは言うけれど、戦闘経験は多様であるに越したことは無いだろう。特に、普段フィリップを教導してくれるのはエレナとミナだが、二人とも色々と人間離れしているから──人間ではないから当たり前なのだけれど──教えが噛み合わないこともある。

 技の説明が「まずその場で身長と同じくらい跳びます」から始まった時は、エレナに教えを乞うのは止めるべきなんじゃないかと思った。


 ともかく、滅多にない機会だし、なにより衛士たちの中でさえ伝説的な語られ方をする猛者による指導だ。願っても無いことだと頷こうとしたフィリップは、先代の後ろで衛士たちがわちゃわちゃしているのに気が付いた。


 「……?」


 手を交差させたり、首を横に振ったり、両手を前に突き出したりと、人によって動きが違う。口もパクパクと動いているが、声は出ていない。


 「ん? どうした?」

 「あ、いえ……」


 フィリップの不思議そうな顔につられて先代が振り返るが、衛士たちは全員が明後日の方向を向いていた。落ちていた模擬剣を拾って片付けたり、鎧のフィッティングを直したりしている。

 ……そう切迫した用事ではなかったのだろう。あとで聞けばいい。


 フィリップはそう判断して、ボコボコにされてつい先ほどまで地面に転がっていた衛士たちの警告を受け取らなかった。


 「ぜひお願いします!」


 結局、フィリップは怪我こそしなかったものの、翌々日まで何も手に付かないくらい追い込まれた。



 ◇



 そんなこんなで、目的地近辺のことを尋ねることも、地図を描いてもらうことも忘れた結果がこの有様だ。

 トドメになったのは、エレナが持っていた100年前の地図だが。


 その地図が描かれてから100年弱、なら、ギリギリ使えたかもしれない。

 しかし残念ながら、正確には130年くらい前のこと。エレナが彼女の世話役であるリック翁の部屋から引っ張り出してきた、骨董品にも等しいものだ。


 当時、王国と帝国は血で血を洗うような領土戦争の最中だった。

 聖痕者も戦線へと投入され、一方が大魔術を以て山を作ったかと思えば、他方はこれまた大魔術で大河を作る。かと思えば、翌日には山が丸ごと吹き飛んで更地になり、大河は水の全てが竜巻に飛ばされて谷になる。


 その時代に作られた地図は、まあ、歴史的価値はあるだろう。ただ位置情報の指標としてはゴミ同然だった。


 そのゴミに描かれた街道と、街道に見えなくもない枯れた川床が近くにあったのは不運だった。しかし「意外と使えるね!」なんて言ってコンパスを仕舞ったのはただの愚行だ。方位を確認しながら進んでいれば、もっと早い段階で道ではないことに気付けただろうに。


 もう自分たちがどの辺りにいるのか分からなくなって、とにかく水と食料を確保すべく森を目指してはや2時間。漸く辿り着いたフィリップはドライアドへの挨拶もそこそこに、森林内限定だが完璧なナビゲーション・システムことシルヴァを呼び出した。


 「や、やっと着いた……。シルヴァ、水源、川とか泉とかある?」

 「ん! こっち!」


 軽快に木々の隙間を走り抜けるシルヴァの後ろを、フィリップとエレナはぐったりとついていく。

 少し歩くと、幅が十歩も無いような小さな泉があった。


 「助かったー! ……地下湧水かな? このまま飲めそう!」


 嬉しそうなエレナに、フィリップは苦笑を浮かべる。

 確かに水は澄んでいて冷たく、一見して分かるような害はなさそうだ。しかし生水は飲むなと冒険者コースの授業で散々言われている。エレナは大丈夫なのかもしれないが、エルフと人間の胃の丈夫さの違いを検証する気にはならない。


 「それはやめとこう……。けど、これで一旦は水を温存しなくていいね」


 フィリップとエレナは水筒を取り出し、五分の一ほど残っていた中身を全て喉に流し込む。

 万が一にも森の中に水が無かった場合、更に別な水源を探して歩かなければならないからと残しておいたものだが、補給できたので備える必要は無くなった。


 「ぷはーッ! ぬるくなってるけど美味しいー!」

 「だね……うん?」


 水筒を空けて、ふと気づく。いや、思い出す、と言った方がいいか。

 これまでずっと、フィリップは「水は実質無限にあるからな」と思っていたことを。そしてその理由も。


 「……ねぇミナ、もしかして魔術で水出せる?」

 「えぇ。二人とも我慢しているみたいだったから言わなかったけれど」


 うわあ、と頭を抱えるフィリップとエレナ。この二時間ほどの我慢は完全に無駄だった。

 フィリップも途中までは「脱水症状になりそうだと思ったら『ウォーターランス魔法の水差し』で水筒を補充するしかないな」と思っていたのだが、あとどのくらい歩くか分からないし、魔力枯渇で動けなくなるのが一番困るから最後の手段にしようと思って──途中から完全に忘れていた。


 いや、その考えが浮かんだ時点で、もう脱水症状気味だったのだろう。ミナを頼るなんて簡単なことを思いつかなかったのだから。


 「……いや、脱水で頭が回ってなかっただけだから。次からは僕たちが水を温存するって言いだしたら「結構ヤバいな」と思って?」


 ミナが「生物って不便ね」と肩を竦めると同時、フィリップの片手がちょいちょいと引かれた。

 手に感じるふわふわとした小さな感触は、見るまでも無くシルヴァのものだと分かる。


 「ふぃりっぷ、ふぃりっぷ」


 ん? と目線を下げて翠玉色の双眸を覗くと、彼女はぴしりと一方を指差した。


 「にんげんがいる。あっちのほう」


 水を汲んで煮沸するための火を起こそうとしていたエレナが、地面に耳を当てて「ホントだ」と呟く。


 「……ふむ?」


 森の中で色々なモノに出会ってきたフィリップは、シルヴァの情報共有に少しだけ身構えた。

 カルトに吸血鬼、ドラゴンにアサシンだ。友好的なのはエルフとヴィカリウス・システムくらいだった。


 「……この際カルトでもいいや。ここが何処なのか聞いてみよう」


 まあカルトだったらどれだけ親切に道を教えてくれても、懇切丁寧に苦しめて殺すのだけれど。





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