第369話

 フィリップたちに与えられた課題──いや依頼は、至極簡単な害獣駆除だった。

 森に棲み着いた中型草食獣数種類の全滅。シカとかイノシシとか、作物を食い荒らす農村の厄介者だ。


 これが先生が用意した模擬依頼だったら、適当に行って適当に殺して──それこそミナが片手間に殺し、エレナが手慣れた狩りを見せ、フィリップが炭の塊を作って終わりだ。しかし、これはもう単なる課題ではなく、仕損じれば困る人の出る本物の依頼。

 基本的に真面目なフィリップとしては、楽な仕事だとは思っても、手を抜いていい仕事だとは思えない。


 更に、指定された場所は王都からそこそこ遠く、また近辺に重要な町もない辺鄙な場所で、近くへ向かう乗合馬車の類が無いところだった。


 そんなわけで、いつものようにフレデリカの家に向かったのだが、残念ながら不在だった。

 買い物にでも出掛けているのだろうかと暫く待っていたら、近所の人に「レオンハルト様なら、一週間くらい所領の方に戻られているよ」と言われて、そういえば彼女も侯爵位を継承する貴族の嫡子だったと思い出した。今更ながら。


 ならば元Aランク冒険者だという衛士団のジェイコブ辺りに話を聞こうと、衛士団の詰め所に足を向ける。ついでに、依頼の場所に詳しい人が居たら地図でも描いてもらおうと。


 近づくにつれて剣戟の音が大きくはっきりと聞こえてきて、フィリップはぼけーっと詰所の方の空を見上げた。


 「訓練かな? それにしては……」


 なんだか音が雑然としている気がする、と首をひねるフィリップ。

 日頃ルキアたちと行っている訓練と二度の軍学校との交流戦の経験から、なんとなく感じる。剣と剣、鉄と鉄のぶつかり合う音の感触が、模擬戦闘っぽくない。


 相手が万が一受け損じた場合でも寸止めできるよう配慮された打ち込みと、ただ相手をぶちのめし斬り伏せることだけを考えた打ち込みでは、力の込め方が同じでも音の質が微妙に変わる。


 いや、正確には、力の込め方が微妙に変わるのだ。意思、意識が、そのまま身体操作に影響を及ぼして。

 だから意識的に使えない部分の運動神経を鍛え、意識に直結した身体操作を可能とするほど研ぎ澄まされた戦士であればあるほど、音の違いは明瞭になる。


 聞く方にもそれなりの素養は必要になるが、フィリップにも少しは分かる。


 これは──模擬戦の音とは違う。


 「……衛士団に絡む馬鹿がいるのか。大変だなぁ」


 何か手伝えることがあるかもしれないと、フィリップは少しだけ歩調を速める。

 とはいえ衛士団は大陸最強の武装組織の一つ、王国最強の兵士たちだ。フィリップ風情の助力が、まさか必要になるとは思えないけれど。


 そんなことを考えながら詰所に入ると、苦虫を嚙み潰したような顔の受付役が出迎えてくれた。フィリップが捕まった時に看守役だった衛士だ。

 衛士たちは基本的に全ての持ち場をローテーションで受け持つから、今日はたまたま彼の日だったということなのだが、妙な縁でもあるのだろうか。


 「……やあ、カーター君。何かトラブルかい?」

 「いえ、学院の課題のことでジェイコブさんに相談があったんですけど……あの、というか、そちらこそトラブルが起こってませんか?」


 建物の中に入ると流石にかなり軽減されるが、それでも剣戟の音はずっと続いている。というか、詰所の裏くらいから聞こえている気がする。

 ここまで近づくと色々と情報が読めてくるが、どうやら一対一ではない。もっと乱戦のようだ。


 「あぁ……この音か。裏の訓練場に行けば分かるよ。ジェイコブもいる。……あいつだけでも救ってやってくれ」

 「え……?」


 受付役の表情や態度といい、鳴り止まない剣戟の音といい、何かが起きているのは確実だ。

 言葉からすると流石に人死にが出るような状況ではない……のだろうか。本当に? 激しい戦いの音は、全くそうは言っていないのだけれど。


 とにかく言われるがまま、案内されるがままに訓練場に行き──死屍累々。その言葉を、視覚に依って体感した。


 縦横50メートルほどの、塀に囲まれた訓練場。

 舗装されていない剥き出しの土の上に、何十人もの鎧を着た男たちが倒れ伏している。ある者は剣を握ったまま、ある者は無手で、ある者は折れた槍を両の手にそれぞれ握って。


 「……!?」


 彼らの纏う鎧には共通の意匠がある。

 王都衛士団の紋章──王国最高の戦士たちである証が。


 魔術行使の跡だろう、地面や塀には焼け焦げも見て取れて、ほんのりと熱を持った空気が石の焦げる独特の匂いを鼻腔へと届けた。


 その中心に、悠然と立つ男が一人。


 フルプレートメイルに身を包み、フルフェイスヘルムで顔を隠した偉丈夫。

 右手にはオーソドックスなロングソードを持っているが、滅茶苦茶に刃毀れしていて最早使い物になりそうもない。


 「……」


 かち、と、スイッチの切り替わる音を聞く。

 幻聴だ。実際にそんな音は鳴っていない。

 

 しかし明確に、フィリップの意識は切り替わる。


 眼前の何者か。彼が衛士団を悉く叩き伏せたのは間違いない。必要な情報はそれだけだ。それだけ分かれば、あとは簡単な一問一答。


 Q,こいつは何者か。 A,敵だ。


 敵をどうする? なんて設問は、愚問に過ぎる。答えは一つ、間違えようもない。


 A,殺す。


 「『萎縮シューヴリング』」


 即断即決、即行で即死魔術をぶっ放す。

 鎧にも盾にも弾かれない内部干渉型、内臓も肉も脱水炭化させる『萎縮』。カルト相手ではないから、苦しめるための『深淵の息ブレスオブザディープ』など使わない。


 しかし、相手は依然として健在だ。

 魔術行使に対して身構えたものの、持ち前の魔術耐性か、或いは鎧に魔術防御力を高める付与魔術でもかけてあるのか、不思議そうにしているだけで何の痛痒も感じていない。


 それも想定の内だ。

 というか、フィリップの魔術能力ではそうなる可能性の方が高い。

 

 魔術が効かないと見るや、フィリップは入り口のすぐ傍に置かれていた模擬剣の一本を取り上げ、拍奪の歩法で駆け出した。

 一見して長剣と分かる龍貶しドラゴルードは王都内を歩くときには帯剣できないから置いてきたが、こんなことになるなら服の下にでも隠して持ってくればよかった、なんて後悔は、流石に無駄だろう。


 こんな状況、学院を出る前に予想できようものか。


 相手の得物はボロボロのロングソード。こちらの防具は普通に王都の二等地で買ったシャツとズボン。

 こちらの得物は刃引きされたロングソード。相手の防具は重厚なフルプレートメイル一式。恐ろしいことに、鈍い鋼色の鎧には傷一つない。


 武装差はあるが、状況としてはそう悲観するものでもない。


 相手の得物は剣だ。点攻撃か線攻撃しか使えない。

 そんな相手、拍奪使いの敵ではない。


 そしてフルプレートメイルに対して効果的な武器の一つに、メイスがある。

 短めの柄の先端に重りを付けたハンマー状の鈍器で、鋭利な刃や棘などは無くとも、フルプレートメイルを陥没させ、骨を砕き内臓を潰すほどの威力を誇る。頭を狙えば一撃即死も有り得る恐ろしい武器だ。


 刃引きされたロングソードも、まあ、重心がややリア寄りのメイスみたいなものだろう。簡単に考えれば鉄の塊だ、人間を殴り殺すのには十分使える。


 男に急接近したフィリップは、男の脛を狙って模擬剣を振るう。

 頭を狙えば一撃必殺も有り得るが、如何せん、フィリップは地面を這うような超前傾姿勢で、相手は身の丈2メートルにも届こうかという偉丈夫だ。狙えないというか、単純に手が届かない。


 だが戦士にとって、足は第二の心臓だ。

 走る、踏ん張る、剣を振り盾を突く。ありとあらゆる動作の根幹となる部位。最悪寝転がった状態からでも爆撃できる魔術師はともかく、剣士は足が折れたらお終いだ。


 地面の上に打ち倒してしまえば、頭は後からグチャグチャに出来る。


 応戦する男は、すっと片足を上げる。

 そして重心を下げ──その動きを見た瞬間、フィリップは全力の制動を掛けた。


 見覚えのある動きだ。

 身体操作によって重心を集め、下げ、そして中心軸に乗せて叩き付ける技。エレナは『熊脅し』と名付けていた、当てないストンプ。所謂、震脚。


 根の浅い木なら真横に打つだけで倒すほどの威力を誇るあれは、流石にエルフの筋力とエレナの身体操作精度があってのことだろう。

 エレナはあれをパンチの助走代わりのように、前動作として使っていたけれど、そもそも木を倒すほどの勢いで踏まれるだけでとんでもないダメージだ。


 ズドン! と、土の地面を踏んだだけとはとても思えない大音響に、少し遅れて脛が痺れるような衝撃が伝わる。

 焦りから上体を起こしていたからその程度で済んでいるが、あのまま走り続けていたらバランスを崩して転んでいたかもしれない。


 危なかった、なんて安堵したフィリップは、視界の端に鈍い鋼の色を見た。


 「──ッ!?」


 気付いたときには、フィリップは右脇腹に激痛を抱えて飛んでいた。

 5メートルも吹っ飛んで、倒れていた衛士の上に落下すると「ぐえ」と苦悶の声も重なる。


 何とか手放さなかった模擬剣は握ったままで、しかし立ち上がらず、フィリップは呆然と空を見上げてぱちぱちと目を瞬かせた。


 なんだ今のは。

 同じ疑問が、複数の項目に向けられる。


 まず、今の蹴り。

 喰らった瞬間はそれはもう痛かったのだが、今はもう殆ど痛くない。矮躯の子供とはいえ人間を吹っ飛ばす威力だったのに、骨にも内臓にもダメージが通っていないようだ。そりゃあ鎧で蹴られたのだから、表皮はまだ痛むけれど……運動量と浸透力にダメージが伴っていない。蹴り飛ばされたというのに、まるで投げ飛ばされたような感覚だ。


 あの震脚を踏み込みにして撃った蹴りにしては、あまりにも生温い。

 更に追撃が無いのも妙だ。鎧の男はフィリップが起き上がるのを待っているかのように、一歩も動いていない。


 そして、フィリップの下敷きになった衛士から聞こえたような、呻き声。


 「……生きてるんですか?」

 「いや、四分の三ぐらい死んでる……むしろ四分の五ぐらい死んでる……ってその声、カーター君?」


 死人が喋ったらこんな声だろうと思わせる魂の抜けたような呻きに、訓練場に散らばっていた死体たちが次々に顔を上げた。


 「え? フィリップ君?」

 「カーター君だって? なんで?」

 「なに? フィリップ君がいるだって? そりゃ死んでる場合じゃねぇ……!」


 続々と起き上がる死体たち。

 中には気絶していた者もいたが、同僚に小突かれて「イテッ」と呻いてのろのろと顔を上げる。ややあって、訓練場に散乱していた死体たちは一人の例外も無く立ち上がっていた。


 「……え?」


 呆然と呟いたフィリップは、依然として訓練場の真ん中に悠然と立つ鎧の男を見る。


 彼は緩慢な動きでヘルムを取ると、ぞんざいに足元へ放る。

 単なる金属板の加工品では有り得ない、ズン、という鉛の塊でも落としたような重々しい音が鳴った。


 ヘルムが取り払われ露になった顔に見覚えはない。

 王国人にありがちな金髪に青い瞳の、壮年の男だ。顔には年齢を映す皺が刻まれているが、目に宿る野性的な光と口元に浮かぶ獰猛な笑みは、若々しさというより野卑な荒々しさを感じる。


 「途中までは悪くない動きだったが、一発喰らった後の放心はいただけないな。見たことのない敵手、或いは技や武器に相対したら、考えるべきは「それは何か、どういう原理モノか」ではない。「突破できるか」……「倒せるかどうか」だ」


 手甲、脚甲、チェストプレートを順番に脱いでいく。粗雑に地面に置かれるそれらは、全てが外観以上の重そうな音を立てていた。

 音から推察されるとおりの重量なのだとしたら、あれはもう防具ではなく拘束具だ。そう慄いているのはフィリップだけで、衛士たちは皆苦笑いを浮かべている。


 「倒せるかどうかを考えるなら、まず相手がどういうモノなのかを考えなくちゃいけないでしょう? ──


 まさか、とフィリップは目を瞠る。


 「先代、って、まさか先代の衛士団長ですか? 皆さんが「超人」とか「脳筋」とか「変態」とか言ってた、あの?」


 初対面の人間に向けるにはあまりにも失礼な物言いに、筋骨隆々の上半身を剥き出しにした男は豪快に笑った。




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