第365話

 フィリップ個人の戦闘能力は、人間と獣と魔物を全部まとめて考えた場合、概ね中の下から中の中と言ったところだ。


 相手が魔力を持たないなら一撃で殺せる魔術を持つものの、一定値以上の魔力を有する相手だと途端に弱い。また対多戦闘も不得手であり、そのくせ周りに味方がいると切り札が使えなくなるというポンコツっぷりだ。


 攻撃力は貧弱な反面、回避能力は極めて高い。

 並大抵の相手、両目と脳で物を見ている相手が攻撃を当てることは困難で、ルキアやステラでさえ点攻撃を当てようとするのは馬鹿正直すぎると判断する。巨躯のドラゴンにブレスか尾による範囲攻撃を選ばせたくらいだ。


 相手が悪路走破性に長けた四足獣型で『拍奪』の効きづらい四眼の魔物でも、もしかすると森を出てルキアとステラに助けを求めることくらいは出来るかもしれない。


 問題は、フィリップがそれをしたくない──ルキアとステラに余計な心配をかけたくないこと。


 フィジカルから見たフィリップの戦闘適性は前述の通り。

 では反面、メンタルはというと、戦闘には不向きだ。以前にマリーが言った通り、フィリップにあるのは戦闘の才ではなく、の才。


 「正々堂々など知ったことか、勝てば良いのだ」というスタンスのステラと、「無様に勝つくらいなら美しく負ける」というスタンスのルキア、師匠二人のどちらとも違う。


 カルトを除き、フィリップの戦いに対するスタンスは極めて消極的だ。

 痛いのは嫌いだし切り札はやたらとハイリスク、おまけにワンミスで世界が滅びる可能性もあるとくれば、戦いを嫌うのも納得だが。


 しかし理由はそればかりではない。

 根本的に他者の価値がゼロで固定されているフィリップは、“戦うべき敵”という認知が難しい。外神の視座から見て「人間を殺すに能う」と判断される手合いも、その外神の視座からすれば全然全くこれっぽっちも警戒の対象ではないのだ。


 脅威だから戦う、戦って自分の身を守るという意識は欠如し、戦闘思考には重大な欠落がある。


 敵を敵と思えない、敵と判じる脅威判定能力に欠陥を抱えたフィリップのスタンスは、「敵は死ね」──と言うと好戦的に聞こえるか。


 が正しい。

 敵──人も魔物も神話生物も、邪神でさえも、どうせ泡でしかないのだから、手間をかけさせるな。一人で勝手に首を括れ、と。そういうスタンスだ。


 折角“死”という終わりが、終わりという救いが用意されているのだから、それに飛びついておけばいいのに。


 「暑くなると馬鹿が増えるのは仕方ないのかもしれないけれど……魔物もなのか」


 勘弁してくれと言いたげに頭を振るフィリップは、やはり、眼前の魔物を敵と認識していない。

 相手が自分を殺そうと唸っていることも、自分を殺すのに十分な力と爪牙を持ち合わせていることも見ればわかるが、やっぱりどうにもピンと来ない。


 というか、こんな「狼です。鼻利きます。しかも鼻が二個あります」という見た目のくせに、ミナが飛んで離れていくレベルの悪臭に気付かないのか。


 フィリップがそう苦笑した時だった。

 

 「馬鹿とは、心外だな。彼らは人間なんぞより余程賢い。どちらが狩人上位でどちらが獲物下位か、教えずとも理解できるのだからな」


 不愛想で無機質な声。背後からだ。


 思わず魔物を前にしていることも忘れて振り返ったフィリップの前に、木陰から一つの人影が姿を見せる。

 砂の色をしたフード付きのマントを目深に被って人相を隠した人物だ。体格からすると、男か。


 「そして見たところ、君は彼らより下位のようだ。彼我の戦力差を見極める目を持たずによくもまあ──いや、だからこそ、か。盲目の馬鹿でなければ、古龍に挑もうなどとは思わんだろう」


 嘲るような言葉だが、声色は変わらず不愛想で無機質だ。僅かばかりの不機嫌さを除き、感情の揺れを殆ど感じない。

 声だけではない。立ち姿にも、どこか人間味を感じない。明らかにそこに人間が立っていて、フードの下からこちらを見ていて、声まで出しているというのに、木の人形が立っているような感覚さえある。


 気配の遮断ではなく、気配の欺瞞とでも言えばいいのか。

 明らかに、確実にそこにいるのに、そこに居るのが人間ではないような気にさせる技術。


 対人、暗殺向きの技術ではない。気配が妙だろうと何だろうと、敵がいるなら対処するのが当たり前だ。だから大抵の暗殺者は気配を消し、紛らわせ、誤魔化す。メグなんて、同じ馬車の中にいるのに、その存在を忘れるくらいの精度を誇る。

 このレベルで、人間相手の気配欺瞞は漸く及第点だ。


 何なら点が三つ並んでいるだけで顔だと誤認してしまうほど高い同族認知能力を持つ人間を相手に、人形と錯覚させる程度ではまだ足りない。というか、人形がいるだけで不自然極まりないのだし。


 しかし──相手が魔物なら、人間ではないと思わせた時点で無敵だ。奴らの憎悪と殺戮本能は人間に向けたもので、どうしてここにあるのか分からないだけの人形相手には見向きもしないだろう。


 「……暗殺者か。もしかして魔物使い?」


 魔物の挙動は妙だ。

 フィリップを襲うわけでもなく、かといって逃げたり警戒したりもしない。何かを待っているように、じっとこちらを見ている。命令を待つかのように、いつでもこちらを襲えるように見つめている。


 野生ではなく、術者の使役下にあると考えられる動きだ。


 「……“ドレッドリーシュ”。“龍狩りの英雄”、その首級、俺が頂く」


 フィリップの問いに対しては肯定も否定もない。しかし肯定したようなものだろう。


 二つ名持ちか、とフィリップは口元を苦々しく歪める。

 フィリップが知るネームドは『明けの明星』『粛清の魔女』のルキア、『撃滅王女』『恒星』のステラ、『シュヴェールト』のアリア、『椿姫』のメグ、今代の『兵』を襲名した衛士団長。


 人間基準にはなるが、化け物揃いだ。

 この前遭遇した『扇動者』もステラが認める稀有な才能の持ち主だったようだし、生半な強さや技では二つ名は与えられないと考えていいだろう。


 ルキアやステラ、衛士団長といった人外領域に片足を踏み入れたレベルではないとしても、何か特別な技術を持っているに違いない。──それこそ、龍狩りの英雄を殺し得るような手札を隠しているはずだ。


 「ははは……。シルヴァ、二人のところまで全力で走ったら何分かかる?」

 「……ごふんぐらい。しるばだけなら」

 「っ!? びっくりした……! うわ、そんなとこに居たの? いや、枝の上ではないけどさ……」


 ぴょこ、と、フィリップの頭のすぐ上に現れたシルヴァに、フィリップは魔物が出てきたとき以上の反応で飛びのく。

 シルヴァは頭より少し高いくらいの位置にある木のうろにすっぽりと収まって、まだ青々とした葉の付いた枝を持ってカムフラージュしていた。


 確かに、フィリップの目も手も届かない高所ではない。枝もその木本来のものではなく落ちていたものを拾ったようで、葉の所々に土汚れが付いている。もう少し観察力があれば気付くことはできたかもしれない。


 まあ、それはともかく。いま気にするべきはシルヴァの隠れ場所がルールの範疇かどうかではない。


 「まぁいいや、二人に伝言を頼める? 僕が戻るまで魔力視で森を見るのは禁止、って」

 「……わかった」


 素直に頷いて駆け出したシルヴァに意外そうな目を向けていたフィリップは、懐中時計を取り出して現在時刻を確認しつつ『ドレッドリーシュ』へ向き直る。

 

 「そういうわけだから、五分だけ待ってもらえる?」


 なんて、言ってみただけだ。

 フードの下で首が動き、呼応するように魔物が唸り声を上げたって、別に驚きはない。


 「……ま、そうだよね。僕が暗殺者でもルキアと殿下に接触されるリスクは犯せない。なんてったってあの二人、森の外から片手間に僕らを虐殺できるんだから」


 更に言えば、彼の視点ではフィリップが二人に対して「こっちを見るな」なんて命令できるはずがないのだから、何かの符丁や暗号か、或いは「何言ってんだコイツ」と思った聖痕者がこちらを見るように仕向けていると思うのが普通だろう。


 「仕方ない……ッ!」

 「ッ……!」


 フィリップは億劫そうに、欠伸交じりに伸びをして──その動きの流れで、手にした鉄剣を思いっきり投擲した。


 不意討ち。

 それも初動を誤魔化した上で、剣を投げるという意表を突く攻撃だ。


 とはいえ投擲に適した形状をしているわけでもないただの鉄剣だし、速度もそれなりだ。フィリップの先生たちの誰に対しても全く意味のない攻撃だったが、『ドレッドリーシュ』は大仰に飛び退いて躱した。


 鈍臭い動きを笑う余裕も無く、フィリップは踵を返し、完全に背を向けて木立の中へ逃げ込む。武器を手放した時点で、足を止めて時間を稼ぐのは不可能だ。


 「追って殺せ。《サモン》──ツインヘッドハウンド。お前はさっきの子供を追え」

 「ははは……」


 背後から僅かに聞こえた声に苦笑しつつ、フィリップは追い立てる四足獣の足音だけを気にして走り続ける。

 如何な狼型の魔物とはいえ、シルヴァはその気になれば林冠の上を走れる身軽さだ。地を這う魔物がどれほど健脚だろうと追い付けるはずがないし、よしんば追いついたとしても、シルヴァを傷付けたければ対森林級の攻撃が必要だ。


 ドラゴンでさえ、シルヴァを殺したければブレスを撃つしかない。人間一人殺すのに牙を使わねばならないような低次の魔物が、シルヴァを害せるはずがないのだった。


 問題はフィリップの方──そんな低次の魔物にさえ殺されてしまいかねない人間の方だ。スタートダッシュで距離を稼いだって、相手は四足の肉食獣だ。人間なんぞより余程健脚だろうし一瞬で追い付かれるのは目に見えている。

 では隠れるか? いや、目か耳か鼻か、何かしらの手段で見つけられるだろう。フィリップの纏う外神の気配に気付かないとしても、普通に汗なんかの人間の臭いで追跡されるに違いない。あの見てくれで知覚力に欠けることはないだろう。


 逃げも隠れも出来はしない。


 ではどうするか。フィリップは走り出す前に決めていた。


 「……時間稼ぎのつもりか? あのドライアドが森を出ることはないし、お前の仲間がここに来ることもない。観念して降りてこい」

 「一番目と三番目は正解。二番目は零点だ」


 手頃な木に登ったフィリップは、『ドレッドリーシュ』が手を伸ばそうとも、ツインヘッドハウンドが飛び跳ねようとも届かない高さがあることを確認して中指を立てた。


 対するドレッドリーシュは呆れ顔だ。

 その表情は往生際の悪い暗殺対象ではなく聞き分けのない子供に対するものであり、殺意ではなく苛立ちが強く浮かんでいる。


 石でも投げればフィリップを打ち落とすこともできるだろうが、彼の中では、フィリップはもう死人に等しい。

 確かにツインヘッドハウンドは木に登れないが、別にどうとでもなる。木に登れる魔物も、木を切り倒せる魔物だって、彼の使役下にはいるのだから。


 石を投げるのは面倒だが、かと言って、こんな無様な逃げ方をして、剰え樹上が安全圏だと思い込んで煽るような馬鹿相手に全力を出すのも小癪だ。


 まあ、あのドライアドを咥えたツインヘッドハウンドが戻ってくれば、絶望して墜ちてくるだろう。

 その様を見て鬱憤を晴らすのも悪くない。自分が優勢だと思っている馬鹿の嘲笑を、絶望の形に歪めるのはいつだって心が躍る。


 そう考えて待つことを選んだ『ドレッドリーシュ』は、刻々と時間が過ぎ、五分を数えても焦らない。

 五分逃げたモノを捕まえたのなら、帰りも五分くらいかかっても何ら不思議ではないからだ。三分で捕まえたとしても、復路も含めて五分では帰ってこられない。まあ、単純に狼と同等の速度を出せるツインヘッドハウンドから数分単位で逃げたことは褒めてやってもいいが、そろそろ捕まえている頃合いだろう。そう考えて。


 ──もはや言うまでもなく、その判断は間違いだ。

 

 時間の経過を待っていたのは、時間の経過で明確に勝率が上がるのは、フィリップの方なのだから。


 「──さて、五分だ」


 フィリップの声色ががらりと変わる。

 白金の懐中時計を閉じ、大事そうに内ポケットへ仕舞うと、待ちくたびれたというように伸びをした。


 「折角の夏だ、ホットに行きたいところだけれど……森を傷つけるとドライアドに怒られるからね」


 何ならこうして枝の上に立っているだけでも怒られないか心配ではあるけれど──緊急避難だからか、或いは木を重篤に傷付けたわけではないからか、その気配はない。

 

 「降りてくる気になったのか? どうせ助けは来ないんだ、もうしばらく粘ってもいいんだぞ?」


 苛立ちと嘲弄を無関心で薄めたような曖昧な感情を滲ませる『ドレッドリーシュ』。対して、ずっと時間を気にしていたフィリップはもう何も考えていない。


 「うん。次は召喚術勝負にしよう」


 枝の上から降りることなく、フィリップは言う。──実は焦って登るあまり、ひとっ飛びに降りるにはちょっと怖い高さまで登ってしまっていた。


 「……ほう?」


 ふっと、『ドレッドリーシュ』の気配が変わる。

 まるで木を削り出した人形のようだった気配に、僅かばかりの人間味が宿る。木の人形の表面に色が付いた程度の僅かなブレだったが、感情が無いわけではなく、単に制御しているだけだというのは分かった。


 「舐められたものだ。この俺に召喚術で挑むだと? 確かに、俺の魔力規模は並より少し上程度だが──《サモン》!」


 召喚魔術が唱えられ、周囲の空気が僅かに震えるほどの魔力が迸る。

 魔力的異空間と物理次元とを繋ぐ魔法陣が次々と展開され、木漏れ日の差す森に淡い輝きが満ちていくと、さしものフィリップも瞠目を禁じ得ない。魔力規模ではフィリップの5倍、いや6倍にもなるだろう。


 勿論、ルキアやステラには遠く及ばない。しかしそれでも、フィリップが逆立ちしたって出来ないことを為しているのは間違いない。


 「同時使役数には自信があってな。ツインヘッドハウンド4体、ニュームーンウルフ3体、ブラッドグリズリー1体、デモニックバット2体、ラピッドボア2体──総計12体! “龍狩りの英雄”、貴様を殺すには十分な数だろう!」


 名前を挙げるごとに、『ドレッドリーシュ』の周りに魔物が現れる。

 双頭の大犬、凝固した闇のような狼、どす黒い赤色の毛皮をもつ巨大な熊、巨大な鉤爪を持った直立する蝙蝠、凄まじい速さで木々の間を駆け抜ける猪。どれもこれも自然の生物では有り得ないサイズや形状をしているが、見ただけで発狂するような手合いは一匹もいない。どれもこれも、ただの魔物だ。


 12体。シルヴァを追っているもう一体も合わせると13体の同時召喚。

 召喚術が通常魔術に比べて魔力や制御力を必要としないシステムになっていることを加味しても、才能と研鑽無くしては再現できないことだろう。


 そして獣型の魔物というのは、往々にして並の獣よりも性能に勝る。

 大犬4頭、狼2頭、熊1匹、蝙蝠2羽、猪2頭。普通の動物でもこれだけ同時に相手取れる人間はそういないだろう。狼一匹でも十分に危険なのに、熊までいたら大抵の人間は簡単に死ぬ。


 それら全てが強化された運動性能や特殊能力を持ち、更には召喚術師の下で連携して襲い掛かってくるのだから一溜まりもないに違いない。二つ名が与えられるのも納得だ。


 そのうえ。


 「うん、確かに、僕の戦闘スタイルは対多戦闘に向いてない」


 フィリップは対人戦闘ではそこそこやれるが、それでも二対一なら不利だし、三対一なら絶望的だ。特に相手が魔術師だったら、弾幕を張られてあっさり死ぬ。


 ──で。


 それがどうした?

 フィリップは口元を嘲笑の形に歪め、眼下、魔物の群れを従える男を見下ろした。


 「周りに誰もいないなら、僕が態々自分の足で走って、自分の手で殴らなくちゃいけない道理はない」


 


 


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