第364話

 フィリップがその男と遭遇したのは、シルヴァが見つけられなさ過ぎて、いい加減方向だけじゃなく距離も見るべきなのではと諦めかけた時だった。


 低い位置の枝や藪をガサガサと掻き分けながら森の中を進んでくるモノがいることに気付いたフィリップは、音の大きさと乱雑さから大型動物であると当たりを付けた。人間大か、それより大きいくらいのサイズ。そして人間並みの進行速度。

 人間か、小型の熊か。


 どちらの可能性も低い。


 この森を含む湖近郊は一時的に王家が借り上げ、地元の領主貴族でも軽々に立ち入れないよう制限されている。


 いや、制限されている、という言い方は微妙か。別に大部隊がぐるりと包囲して厳しく見張っているわけではなく、観光用に整備された林道に検問が置かれているだけなのだし。

 それでも、森に踏み入った時点で王家領への無断侵入だ。知らなかろうが厳重な処罰が待っているし、もしも凶器を持っていれば、たとえキャンプ用のナイフでも王族暗殺未遂で処刑されかねない。


 だというのに、左手を構えたフィリップの前に現れた男は、森歩き風の長袖と長ズボンの平服姿ではあったものの、腰に長剣を佩いていた。

 整備された道を逸れて森の中にいる時点で怪しいのに、帯剣しているとなれば怪しさは倍増、閾値超過だ。フィリップがステラの護衛だったら今すぐ殺している。


 「……お前が“龍狩りの英雄”フィリップ・カーターで合ってるか?」


 誰何と言うには覇気のない、ただ確認しただけのような問いかけに頷く。

 「先に名乗るのが礼儀だぞ」なんてお決まりの台詞が出て来なかったのは、相手に対する興味の無さの現れだ。


 名前なんてどうでもいい──眼前の人物が誰なのかはどうでもいい。


 重要なのはその目的だ。


 「……そういう貴方は暗殺者ですか? あぁ、動かなくていいよ。二人を呼びに行く必要も無い」


 そういえばこの状況も知っているのだった、と少し慌てつつ告げる。未だシルヴァの位置は分からないままだが、これでも問題なく届いているだろう。

 まあシルヴァが暗殺者──人間を脅威と見做すかどうかは微妙だが、ルキアとステラに「ふぃりっぷがたたかいはじめた!」とか言われても困るからだ。


 ただでさえ昨日の一件でルキアとステラに多大な心配をかけたのだし、これ以上の心労はかけたくない。


 「仲間がいるのか? そんな気配はしなかったが……だがまぁ、お前がそのスタンスなら有難い」


 男は剣を鞘ごと腰のベルトから抜くと、目の前の地面に突き立てる。

 そして、その柄から完全に手を離した。


 「……?」


 抜剣するどころか威嚇さえしない男に、フィリップは漸く不審そうな顔をした。


 「俺は“暗殺者”って言葉が嫌いでね。なんだか陰気臭くて辛気臭いし、卑怯臭い」


 不審がるフィリップを気に留めず、男は旧来の友人同士のように淡々と語る。

 確かに暗殺者というと、専ら黒いフードを被ってナイフを使い、背後から奇襲するようなイメージがある。影のように音も無く近付き、誰にも気づかれることなく標的を葬り去る──そんな印象だ。


 まあ実際にフィリップを襲ってきた──襲おうとした“扇動者”は普通に平民の普段着っぽい装いだったし、フィリップが終ぞ見えることのなかった他の暗殺者たちも、誰一人として黒いローブなんてあからさまなモノは着ていなかったのだけれど。唯一、ギリースーツを着ていた“サドンデス”は例外と言えるかもしれない。

 

 「結局どんな臭いなのか判然としませんけれど……つまり?」

 「つまり、陰からコソコソ、静かにコソコソってのは性に合わないってことだ。俺は“暗殺者アサシン”じゃなく“決闘者デュエリスト”なんでね」


 決闘だろうと不意討ちだろうと政治的意図を持って要人を殺害した時点で“暗殺”と呼ばれる、とステラに教えてもらったものの、男の言わんとするところも分かるフィリップは曖昧に笑う。


 「この鈴が地面に落ちたらスタートだ。お互いにその剣を目指して走り──後は、分かるだろ?」


 所謂貴族の決闘とは違うが、創作の中では割と見掛けるスタイルだ。

 大体の場合においては悪役がズルをして先に動いたり、武器に細工がしてあったりして、主人公が技や経験や根性で乗り越える展開になる。


 確かに正面から向かい合って一応は武器を手放しているだけあって、“暗殺”という言葉からイメージされる陰気さは無いけれど……フィリップにも思うところはある。


 「は、はぁ……子供相手に白兵戦を仕掛けるのは卑怯臭くないんですか?」

 「おいおい、ドラゴンスレイヤー相手に子供だから~なんて言うはずないだろ。体格も年齢も、お前には何の障害にもならないはずだぜ?」


 確かに、相手が両目と脳で立体視しているなら数百年生きた巨大な龍相手でも通用する戦闘技術を持ってはいるけれど……いや、思い浮かぶ反論はどれもナンセンスだ。この場合は男が正しい。


 こと殺し合いに際して、子供だから、年下だからなんて理由は何の意味も持たない。

 経験が浅いことも、身体が小さいことも、力が弱いことも、精神的に未熟なことも、子供らしい何もかもが弱点。


 しかし平時であれば大人たちが守り補助するべきものは、戦場に於いては突くべきものだ。


 「戦闘に於いて、体格や経験の不足は手前がカバーすべきモノだろ? 相手の譲歩やら温情やらを求めるものじゃない」


 友達が下手な冗談を言ったときのような、揶揄い交じりの苦笑を浮かべる男。

 フィリップも「だよね、それは確かに」なんて頷いていて、暗殺者と暗殺対象にはとても見えない。


 しかし、相手は暗殺者だ。

 どれだけ仲の良い相手でも依頼を受けると決めた時点で必殺の覚悟は決めているし、これは単なる話術だ。心理的距離を詰めることで、あわよくば相手の太刀筋を鈍らせるための作戦。盤外戦術という奴だった。


 国の為に龍殺しに赴くほど情に篤い人間なら、多少は悩むはずだ。


 フィリップに語った「暗殺者ではなく決闘者」という信条それ自体に嘘は無い。武器に細工はしていないし、鈴が落ちるまで動くつもりもない。

 しかし隠し武器は持っているし、心理戦だって仕掛ける。これは見抜けない方が悪く、引っかかる方が間抜けなのだ。


 目と頭が悪い、或いは無警戒。それは仕掛けた側が卑怯なのではなく、引っかかった側が弱いだけ。


 そして弱さは、弱いヤツの責任だ。

 体格の優劣や経験の多寡、技の巧拙と同じ。


 「それじゃ……!」


 鈴を放り、腰の後ろに手を隠す。

 剣に向かって走ると見せかけて、フィリップが剣を取り鞘から抜くその一瞬の隙を突いて隠し持ったナイフで攻撃。心臓を一突きだ。


 りぃん、と涼やかな音を聞き、即座に駆け出す男。──フィリップは走っていない。

 しかし動いていないわけではない。コップに手を伸ばすような何気ない仕草で左手を向けている。


 “龍狩りの英雄”について、男はそれなりに調べた。


 曰く、彼は国を守るため、そして衛士団を無為に死なせないために自ら志願して龍狩りに同行した。

 曰く、彼は実際に衛士団を守り、古龍を相手に囮となって時間を稼いでみせた。

 曰く、彼は使い手の限られる特殊な剣術である“拍奪”を使う、速度重視の剣士である。


 間違った情報は一つも無い。


 次期女王であるステラは国の未来そのものであり、“眠り病”の主な感染者だった魔術師たちは国家にとって文明の源泉。国を守ったと言っても過言ではない。


 囮どころか龍の首を落とす一歩手前まで行ったものの、衛士団長が戦線復帰するまでの時間を稼ぐつもりで駆け出したのだし、これも間違いではない。


 そしてフィリップは間違いなく拍奪使いの剣士と言っていい技量を持ち、武器に至っては技量に見合わない超業物だ。


 だから、男の戦術は間違っていない。

 武器を持っていないタイミングで足場の悪い森の中で仕掛け、速度に自信のある相手が先に剣に辿り着く。そして鞘から抜くまでの隙、動きが止まり“拍奪”が使えないその一瞬を狙う戦術は、決して悪いものではない。


 ──相手が剣士なら、という但し書きは必要だが。


 フィリップは剣を使うが、それは手加減のため、そして召喚魔術詠唱の時間を稼ぐためだ。剣は所詮サブウェポンに過ぎない。


 相手を殺すというシーンに於いて、フィリップが最も信頼するのは召喚魔術。次いで──『萎縮』。

 左手を向けて補助しなければ真面に照準することも出来ない、貧弱な魔術適性しか持たないフィリップでも扱える領域外魔術。ある程度の水分を含む有機物を脱水炭化させ破壊する、凶悪な攻撃性能を持った魔術だ。


 服や鎧、盾なんかでは防御できず、また照準補正も極めて強い。フィリップが伸ばした手の延長線上になんとなくいればまず当たる。

 フィリップ本人の魔力が貧弱である故に、魔術師相手ではまず通用しないし、並み以上の魔力がある相手なら距離次第でレジストされるが──剣士相手なら問題なく発動するだろう。


 無慈悲に、無感動に、無意味に、路傍の石を蹴り飛ばすように──フィリップは男を殺そうとした。


 


 未遂だ。

 いくらフィリップの殺人能力が非凡とはいえ、死人を殺すことはできない。


 フィリップが魔術を撃ち込むより早く、男の頸に巨大な黒い狼が取り付き喉笛を嚙み千切ったその瞬間、フィリップは彼を殺すことが出来なくなった。


 「い、お、いや魔物か!」


 犬、と言いかけて、サイズと体格から狼だと思い直して、フィリップのすぐ傍に来た時点で通常の動物ではないことを思い出す。


 今日のフィリップは昨日の逢瀬のせいでミナが何処かに飛んでいくほど臭い。

 ミナもたいそう鼻が利くが、それでも狼とは比較にならない。ミナでダメなら、狼が近づけるはずがないのだ。


 つまり自然の生き物ではなく、常外の戦闘本能と人間への憎悪を持った魔物でしか有り得ない。


 しかし──それこそ有り得ない。

 この森に人間を襲う魔物がいないことはシルヴァが確認した。森の全域を完璧に掌握するヴィカリウス・シルヴァが。


 どう、と倒れ伏した男の頸から大量の血が噴き上がる。

 鮮血のシャワーを浴びて気持ちよさそうに唸る獣は、よく見ると狼でさえ無かった。


 しなやかでありながら強靭な筋肉を纏う四肢に、鋭く地面を捉える爪、鉄板の硬度と絹の柔らかさを兼ね備える毛皮。

 皮膚、筋肉、動脈、頚椎を一咬みで裂き砕く鋭い牙を備えた顎。木陰の暗がりで怪しく光る、の双眸。


 そいつには、頭が二つあった。所謂オルトロス型の魔物だ。


 フィリップは咄嗟に魔物の方へ距離を詰め、地面に刺さったままだった剣を取って構える。

 双頭の犬型魔物は王国の研究機関によって発見・解析が済んでいるものだけで四種類いると冒険者研修で習ったが、サイズからすると、魔王領域に生息する上位二種とびきりの化け物ではない。


 しかし、下位二種でも魔力量はフィリップを優に超える。『萎縮』はレジストされるだろう。

 鞘の下に仕舞われていた刃は何の変哲もない鉄製で、錬金金属製のウルミと龍骸の蛇腹剣を使ってきたフィリップからすると模擬剣同然だが、今はこれしか武器が無い。鉄板どころか錬金金属製の鎧さえ切り裂く龍貶しドラゴルードはコテージに置きっぱなしだ。


 魔物の体高は概ねフィリップの腰か腹と同じくらい。筋力や重心を考えるまでも無く、人間を押し倒して喉笛を噛み千切るには十分なサイズだ。先程の男は奇襲だったが、正面からでも十分に。

 そして傾向から考えると目の数が多い相手には“拍奪”は効きづらく、その上武器が通じるかどうかは未知数ときた。


 「……え? どうしよう」


 切り札を除く手札の大半がゴミになった。──いつものように。




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