第353話

 目を覚ました女は、ミナに小脇に抱えられたまま暴れ藻掻いて抜け出そうとしていた。

 吸血鬼の速度で奇襲されては、何が起こったのか分からないうちに気を失ったに違いない。そして目が覚めたら、化け物に捕まって鎧騎士に囲まれている。慌てふためくのも無理はない。


 「い、いやっ! お願い、殺さないで! 私はあいつらの仲間じゃないの! 捕まってただけなの!」


 妙なことを言う女に、騎士たちが身動ぎするように反応する。

 しかし最も反応が苛烈だったのは、意外なことにミナだった。


 彼女の双眸が血よりも赤く輝いたかと思うと、女の動きが完全に停止する。震えていた声も、藻掻いていた手足も、瞬きも、心臓の動きさえ。


 「……こういう喧しいのを見ると、フィルが大人しい子で良かったと思うわね」


 女を持っているのとは逆の手を伸ばし、フィリップの頭を撫でるミナ。

 対フィリップ最強とされる──フィリップの自認なので、信憑性は五分五分──“拘束の魔眼”だ。女の全身は細胞呼吸に至るまで完全に停止している。


 しかし、それでは困るのだ。彼女にはまだ聞きたいことがある。


 「……ミナ、魔眼を解いてくれない?」

 「やぁよ。五月蠅いじゃない」

 「僕が静かにさせるから。お願い」


 静かにさせると言っても、フィリップは恐慌状態の女性を宥めるノウハウなんて持っていないので、物理的に口を塞ぐか、脅すか、殴るぐらいしか手立てがないのだけれど。

 

 それはミナも分かっているはずだが、彼女は「仕方ないわね」と肩を竦めつつも魔眼を解除する。

 「カーターに甘い女ばかりで、将来が少し心配になるな」なんてステラは言うが、彼女も大概フィリップには甘い。 


 幸いにして、フィリップが生まれて初めて女性の顔面を殴る必要は無かった。


 「な……なんなの、今の……」


 茶髪の女性は身体を震わせて縮こまり、ミナを見上げている。抵抗するだけの気力は完全に失われ、顔面蒼白だ。


 気持ちは分かる。

 フィリップもあれを喰らった後は「これどうしようもないな」と諦めて……普段の諦観を数倍して諦めていたものだ。というか、未だに対抗策を思いついていない。


 単純に魔術で縛り上げるとか麻痺させるとか、そういう「分かりやすい拘束」ではないのに、全身がピクリとも動かせないことと、その絶望感だけはじわじわと精神を苛み続ける。寸前まで抱いていた他の恐怖なんて押し潰すほどの恐怖だ。


 「お久しぶりですね。お元気そうで何よりです。確か……『扇動者』でしたか?」


 安穏とした──或いはこの場で一番無警戒なフィリップ以上に安穏とした声は、ルキアを庇うような位置に立ったメグのものだ。

 その声にはっとしたように、幾人かの鎧騎士がステラとミナの間に割って入った。


 フィリップは「セン・ドーシャ? 珍しい名前だな」なんて呆けたことを言っているが、それは勿論、本名ではない。

 ギルドや国家などから与えられる“二つ名”。自分で名乗ったり勝手に呼ばれていたりする通り名とは訳が違う、極めて優れた能力を持つ者の証。


 そしてその名前は、王宮にまで届いていた。轟いていた、というほどではないが、確実に。

 

 「……ある女を知っている。そいつは人心の掌握に非凡な才能を持ち、政治思想を掲げる集団や、不満を持った農民の寄り合いに紛れ込んでは活動を過激な方へ誘導してきた。領主貴族と税率を交渉するための農民団体をテロリズムへ傾倒させ地方領主を私刑にした。ある時は文字の読めない者に聖典を読み聞かせる慈善団体を極めて排他的な狂信者集団へ変貌させ、田舎の教会にいた司祭を火あぶりにした。恐るべきなのは、女自身は何一つとして過激な思想や信仰を持っていないところだ」


 凄い、とフィリップは目を瞠る。

 ステラの知識量もそうだが──常に暗殺を警戒しているのだから当たり前だが──語られた内容もだ。


 「女は依頼を受け、特定個人を殺すために不特定多数の人間を狂乱した暴徒へ変貌させる。刃物遣い、毒遣い、罠遣い。暗殺者にも色々と種別はあるが──そいつは、言うなれば“人間遣い”だ」


 人間は愚かだ。

 先の裁判沙汰でそれを痛感し、人間が論理性や合理性とはかけ離れた行動を取るところを目の当たりにしたフィリップは、人間を誘導することがどれほど難しいかを想像できる。


 親密な特定の個人であれば、思考パターンを読んで多少の誘導は出来るだろう。ステラは常に利益を最大化する最適解を選択するし、ミナは逆にどれほど大きな利益を生む選択肢でも面倒なら選ばない。


 そこまで考えて目を輝かせているフィリップだが、ステラと、勿論『扇動者』に言わせれば、人間は数が多い方が誘導が楽だ。


 基本的に多数派に従う傾向のある人間という生き物は、集団の半分弱を誘導すれば勝手に追従する。肝要なのは、集団に浸透したあとすぐに半数を誘導するのではなく、まずは小さなグループを作ること。


 そしてじわじわと静かにグループを拡大し、集団の半数近くを取り込んだ段階で大声を上げる。あとは声の大きい方に従う馬鹿と、声の大きさで人数が多いと錯覚した馬鹿を取り込んだら、もうそれでいい。賢い者は異変に気付いてとうに集団を抜けているか、関わってこないが、そういう手合いは無視だ。


 『扇動者』が潜り込む集団は、馬鹿だけで標的を殺すのに十分な数が揃う集団。

 司祭を殺したときは13人中8人。地方領主を殺したときは31人中17人。それだけいれば十分な、簡単な依頼だった。


 今回は王女の親衛隊が警護する要人の暗殺とあって、『扇動者』はかねてより浸透を続け完全に自らの麾下に置いた、総勢58名の傭兵団を使うことにした。聖痕者は無理でも、物理型らしい“龍狩りの英雄”一人くらいならどさくさ紛れに毒矢を当てることくらいできるはず。

 成功すれば、彼女はギルド内で優秀とされるA級、いや最優秀とされるエースにまで上り詰められることだろう。


 そう思っていた。


 まさか空から吸血鬼が降ってくるとは思わなかったが──まだだ。まだ、自分自身が生きている限り、失敗にはならない。


 「──流石は第一王女殿下。博識であらせられる」


 かちりとスイッチが切り替わったように、落ち着いた声を出す『扇動者』。

 急に冷静になった女に驚くフィリップだが、ルキアとステラは虚勢に過ぎないと看破していた。


 だが、虚勢でもなんでも落ち着いて話が出来るなら構わないと、ステラは顎をしゃくって先を促す。


 「未だ即位されておられぬ今でさえ賢君と名高い貴女様であれば、きっと頷いて下さる交渉がございます。私の今後一生の忠誠、此度の件の依頼者の情報を奏上致しますので、命だけはお助け下さい」


 命乞いとしては妥当な条件、というか、オーソドックスな条件のように思える。


 しかし、ステラは鼻で笑った。


 「依頼者を売る暗殺者を信用しろと? ナンセンスだな」

 「ご尤もです。ですが──暗殺者ギルドの口の堅さはご存じでしょう? 貴女様にとって有益となるのは私を措いて他に無いと存じますが」


 ステラは今度は「ふむ」と頷いた。

 

 「……嘘を吐くなよ」


 おや? と首を傾げたフィリップだが、ルキアに制されて何も言わなかった。

 尋問相手に「嘘を吐くな」なんて、それこそナンセンスだと思うのだけれど。


 『扇動者』はステラがただ釘を刺したか、或いは「嘘だと感じたら殺す」という警告だろうと思いつつ、素直に答える。ここで嘘を吐くという選択肢はない。僅かにでも嘘を交えれば、全ての貴族を従える王家の人間は即座に看破してくるだろう。


 「はい。依頼者はヴェルデ伯爵夫人、メロウ・フォン・ヴェルデ。──ディーチ伯爵の実の姉君でございます」


 答えを受けて、ステラの目がすうっと据わる。

 しかし意外感を覚えている様子はない。事実、彼女にとってその答え、その人物は想定の範疇だった。


 ステラはぐーっと伸びをして、

 

 「んっ……ふぅ。ところで言い忘れていたが、お前の生殺与奪の権を握っているのは私じゃない。交渉するなら私とじゃなく、そちらとするべきなんだが……お前は肉を食べる前、家畜と交渉するか?」


 と、至極冷静に──冷酷に、言った。


 「……私のおやつを取る気なのかと思ったわ」

 「冗談。頼んだって、カーター以外に分け与える気なんて無いだろう」


 不機嫌そうなミナに、ステラは「まさか」と笑う。

 ミナはペットが自分の食事を自分で用意できないのなら、労力を費やして用意することに否やは無い。場合によっては自分の食糧を分け与えもするだろう。それが飼い主の責務であると思っているからだ。


 だが、ステラが「そいつが持っている情報が欲しい」と言ったところで、そんなのはミナの知ったことではない。


 「正解。まあ、フィルは、というか、人間は人間を食べないらしいけれど……試してみる? 銀の血ならイケるかもしれないわよ? 非処女だから、万全の味じゃないでしょうけど」

 「いらない。前にも言ったけど、人間は共食いすると病気になるらしいし」


 安穏と会話するフィリップとミナ。

 二人を和やかに見つめるルキアとステラ。そして、街道の外に魔術で穴を掘り始める親衛騎士たち。


 誰も『扇動者』の言葉に──その身命に価値を感じていない。

 人間の中に潜み、幾人もの人間を自らの言葉で操ってきた彼女は、それをはっきりと感じ取っていた。


 誰の目も“自分”に向いていない。誰の耳も“自分”に向いていない。何の感情も“自分”に向いていない。


 ただ一つ──自分の血液に対して向けられた、化け物の食欲を除いては。


 「お、お待ちを……お待ちください、王女殿下」

 「──伝令兵」

 「はっ」


 声を震わせる『扇動者』を無視して、ステラは親衛騎士の中で特に武装の薄い、純魔術師然としたローブ姿の女性を呼び出した。


 彼女はステラの命令を受け、召喚魔術を行使する。


 「《サモン》──スティンガーイーグル!」


 フィリップが使う「呼びかけ」とは違う、使役術式と召喚術式による本物の召喚魔術だ。

 事前に契約した生物や魔物を呼び出し、命令に従事させる。ルキアとステラは学院の授業の一環で、狼と使役契約を結んでいる。


 召喚されたのは、フィリップが抱きかかえるほどもある大きさを誇る漆黒の猛禽だ。

 烏なんかとは見間違えようもない速度で車列を一周し、召喚術師の女が掲げた剣の鞘に止まった。


 飛行型魔物スティンガーイーグル。

 全魔物を強さ順に並べると、真ん中よりやや上くらいに位置する魔物だ。剣や槍の届かない高度から急降下し、鋭い爪を備えた強靭な足で一撃を加え、すぐに離脱するという戦法は、魔術師のいないパーティーなら敗走も有り得る。


 が、攻撃手段はそのくらいだ。魔術も撃ってこないし、武器を使ったりもしない。


 しかし、ある明確な強みがある。


 ステラは紙とペンを受け取って何事か書き記すと、別な親衛騎士が捧げ持っていた薄い金属の筒に入れて蓋をする。

 それを渡された召喚術師がスティンガーイーグルの足に筒を括り付けるのを見て、ミナが「賢いわね」と感心を露にした。


 説明を求めるように見上げるフィリップの頭を撫でながら、ミナは飛び立っていくスティンガーイーグルを目で追いかける。至近距離ならフィリップの動体視力を振り切るほどの初速だ。


 「見ての通り、スティンガーイーグルは飛行速度だけなら私たち以上よ。情報伝達にはうってつけの魔物ね」


 スティンガーイーグルの飛行速度は全魔物の中で最速とされる。

 一瞬の最高速度を競うならまだまだ上がいるし、戦闘中のミナの速度だってそうだ。だが一定距離を飛行し移動するという計測方法であれば、吸血鬼であろうと、ドラゴンであろうと、スティンガーイーグルには劣る。


 つまり、吸血鬼やドラゴンに襲われても逃げ切れる可能性がある運び屋、というわけだ。


 「お父様に知らせておいた。旅行が終わって帰ったころには、処刑も終わっているだろう」


 一件落着とばかり肩を竦めて馬車に戻ろうとするステラ。

 その背中に縋る声は、言うまでも無く『扇動者』のもの。


 「で、殿下!? いま私を殺すのは、どう考えても……だって、私が嘘を吐いている可能性が──」


 先ほどまで何とか繕っていた冷静さは消え失せ、目尻に涙を滲ませて叫ぶ女暗殺者。

 言葉の内容はフィリップも「確かに」と頷くだけのものだったが、ステラは鼻で笑った。


 「それは無い。私は言ったはずだぞ、と。まさか気付いていなかったのか? 自分が支配魔術の影響下に落ちていることに」

 「ステラが秘匿していたとはいえ気付かなかったとなると、魔術適性がフィリップ並み……なら、魔術無しであれだけのことをしたのよね? それ、結構凄くない?」

 「あぁ、凄いな。カーターが貴族になった時、或いは役立ったかもしれんが──」


 残念ながら、フィリップの周りには合理や利益では動かない手合いが多い。

 ステラがここで彼女の利用価値を認めても、フィリップを殺そうとした暗殺者を許すルキアではないし、人間の論理で動くミナではない。


 「“人遣い”……暗殺者っていうか、テロリストじゃないですか? 暗殺ってもっとこう、誰にもバレないよう静かにこっそり殺すものなんじゃ?」


 場違いなほど安穏としたことを言うフィリップに、ステラは軽く笑って頭を撫でた。


 「まあ言葉からそういうイメージを持つのも無理からぬことだが……厳密には、特定の要人を政治的目的で殺害することだ。無人の夜道で後ろから刺そうが、白昼堂々決闘を挑んで殺そうが、パレード中に爆殺しようが、意図次第では暗殺と呼ばれる」

 「決闘でもですか!?」


 妙に食いつくフィリップに困惑しつつ、ステラは軽く首肯する。


 「状況次第だよ。実力の近い者同士がやむを得ずではなく合意の上で、正々堂々と戦うなら、それは普通に決闘だ。だが状況に恣意性があったり、強い側が弱い側に一方的に挑む場合には暗殺とされることもある。……今になって、暗殺対象になった実感でも湧いてきたか?」

 「それは微妙ですけど、決闘は結構身近だったので」


 フィリップの答えに、ステラは今度は困惑せず、むしろ納得した。嫌な納得の仕方だが。


 「あぁ……後で決闘の細かいルールについても教えてやるから、正当性のない決闘を挑まれたらすぐに私かルキアに……いや、私に教えるように」


 了解です、とサムズアップするフィリップ。

 「どうして私を省いたのか教えて頂けるかしら?」「お前は一番駄目だ。お前の行動スタンスでカーターが動いてみろ、そのうち大陸が吹っ飛ぶぞ」なんて二人の耳の痛い会話には耳を塞ぎつつミナの方を確認すると、ミナはもう飛び去っていて、ミイラのように萎びた死体を親衛騎士が埋葬しているところだった。






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