第351話

 馬鹿なことをした馬鹿の馬鹿な親から訴えられるという些細なトラブルはあったものの、無事に旅行出発の日を迎えたフィリップは、休暇中の宿であるタベールナの一室で目を覚ました。

 不明瞭な呻きと共に伸びをして、大きな欠伸を一つ。そして──死ぬほど不機嫌そうな目で部屋の扉を睨んだ。


 「フィリップ君! お願いだから起きて、早く来てくれ! 大変なことになる! というかもうなってる!」

 「早く起きろ、丁稚くん……元丁稚くん! またぞろ俺たちを過労死させる気か!」


 ドアの向こうに何人かの従業員がいて、かなり強めにドアを叩いている。ノックどころか、寝ているフィリップを叩き起こす勢いだ。当然、気持ちの良い朝の微睡みを邪魔されたフィリップは不機嫌にもなる。


 フィリップは一応臨時手伝いという扱いだが、休暇中は客として泊まっている。

 そして客を相手にこんな無作法を働く従業員は、女将にボコボコにされても文句は言えない。というか、客にボコボコにされるだろう。


 フィリップも理由次第では蹴り飛ばすつもりでドアを開け──目の前には鎧姿の女騎士が立っていた。

 白銀のフルプレートアーマーは、胸元の辺りに五つの赤い十字が組み合わされたような意匠が飾られている。


 ステラの聖痕と同じもの。それを胸に掲げる部隊は一つしかない。


 「親衛隊の……? なんの御用ですか?」


 女騎士の後ろには、フィリップも良く知るタベールナの客室担当が二人。先ほどの声の主だ。

 二人とも無言だが、しきりに外を指したり、「早く!」と口の動きだけで言っているので、何か重要な用事なのだろう。


 「おはようございます、カーター様。たったいまお目覚めになったところとお見受けいたしますが、既に集合時刻を過ぎております。王女殿下とサークリス聖下が表の馬車でお待ちです」


 女騎士は呆れの感情を完全に封殺した、機械的に無感動な声で言った。


 寝起きで頭が回っていなかったフィリップは、不機嫌そうに緩慢な動きで部屋の中に戻り、ベッドサイドに置かれていた懐中時計を取り上げる。そしてハンターケースを開き、二秒後。


 「……うわ、ホントだ!? 寝坊した!!」


 寝起きとは思えない大絶叫が迸った。


 「お荷物を先に馬車へお運びしましょうか」

 「是非……いや待って! パジャマを入れるので!」


 呆れ顔の女騎士の前でドアを閉め、どたばたと慌ただしく着替えを済ませたフィリップは、着替え諸々の入った鞄を持って部屋を出た。所要時間は2分以下と言ったところか。素晴らしい。集合時間が三十分前でなければ。


 「……ボタンを掛け違えておられますが」

 「おっと。ありがとうございます」


 親衛騎士に荷物を運んでもらい、自分はぷちぷちとボタンを直しながら──つまり、普通に歩くよりやや遅いくらいのペースで玄関に向かう。

 開けっ放しの扉の外には、四人乗りサイズの大きな箱型馬車クーペが止まっていた。あと、荷物を運ぶためのキャラバン型馬車が二台と、護衛の騎兵が八人。馬はクーペに二頭、大型キャラバンに二頭ずつ、そして騎兵が一人一頭。


 軍馬が総計十四頭。全身鎧姿の親衛騎士が八人と、御者役に三人で総計十一人。


 フィリップにとっては結構な大所帯だし、それは大抵の平民視点と一致する。

 極めつけに、馬車には王室の紋章が掲げられているし、騎士は全員が第一王女の親衛隊となれば、馬車の中におられる御方がどなたであるかなど考えるまでもない。


 おめでとう、大衆宿屋タベールナ。二年前の公爵令嬢の来訪に引き続き、今年はなんと王族までもがお出ましになるという付加価値ができた。

 勿論、一部始終を見ていた人は「あぁ、例の龍狩りの英雄を迎えに来ただけか」と納得するだろうが、人間の情報伝達能力は決して高くない。三人目の伝聞者辺りからは「あそこの宿に公爵家の人と王族が来たらしい」みたいな伝わり方になるだろう。


 二年前の夏休みも大変だったらしいが、まあ、どちらもフィリップには関係のないことだ。


 親衛騎士の案内に従ってクーペに乗り込むと、中にはルキアとステラ、道中の世話役なのだろうメグがいた。


 「おはよう、フィリップ。……寝癖を直してあげるわ、いらっしゃい」

 「おはよう。遅刻だぞ、カーター」

 「おはようございます、カーター様。お嬢様、ヘアケアセットはこちらに」


 三者三様の挨拶にそれぞれ答えつつ、誘われるがままにルキアの向かいに座って頭を向ける。傍目にはルキアに向かって謝っているような恰好だが、ルキアはメグから受け取った櫛や蒸しタオルを使って寝癖を整えていく。その慈愛に満ちた手つきや微笑みを見れば、彼女が然して怒っていないことは明らかだった。


 何気なく取り出された蒸しタオルだが、メイクバッグの中から取り出した時には乾いていた。ルキアが受け取り、フィリップの頭に当てるまでの間に魔術を使って濡らし、温めたのだろう。

 こういうところを見ると、やはり魔術とは便利なものだとつくづく実感する。


 「はい、出来たわよ」

 「ありがとうございます、ルキア」


 欲を言うならもう少しスタイリングしたい、と明記された顔のルキアだが、口には出さない。どうせフィリップが嫌がるからだ。


 寝癖の取れた頭を触って確認しながら、フィリップは窓の外を見て馬車が動き始めていたことを知る。

 フィリップが変な姿勢で頭を触られていたという理由もあるだろうが、乗っている人間に動き出したことを感じさせないのは凄まじい。馬も御者も、どちらも高度に訓練されているのだろう。勿論、馬車自体もいい作りに違いない。


 「お前が寝坊なんて珍しいじゃないか? 旅行が楽しみで眠れなかった、なんて性質タチでもないだろう?」

 「いや、そんな感じの理由ですよ。ベッドに入ってから妙に寝付けなくて……やっぱり昼寝しすぎると駄目ですね」


 子供か、と呆れたように笑ったステラだったが、子供か……とニュアンスの違う呟きと共に嘆息する。

 もっと大人になればともかく、17歳と12歳の差は大きい。ステラ達から見たフィリップは、年齢的には子供だ。


 年相応以上の落ち着きを備えてはいるが、昼休みの校庭でルキアの膝枕で昼寝をしている時の顔なんかは幼気で可愛らしい。しかし邪神絡みのこととなるとスイッチが切り替わったように頼もしくなるし、カルトが絡むとルキアですら怯えるほど昏い悪意を纏う。


 子供なのか、そうではないのか。

 ルキアもステラも判断に困るが──なんであれ、二人はフィリップのことを対等な友人として扱っていた。目下の子供ではなく、敬遠すべき化け物でもなく。


 「……と、そういえば、ミナは? お弁当は用意してませんし、一緒に来ないと」

 「後から来るらしい。わざわざ魔術学院に寄って迎えに行ってやったのに、『馬車はつまらないから先に行きなさい』だぞ? カーター、お前はああはなるなよ」

 「あはは……。まあ、ミナの飛ぶ速度って馬車の比じゃないですから。馬車は遅いし退屈っていうのは分かります」


 苦笑交じりにフォローするフィリップ。

 ミナは御者をやるのは好きだが──今までやったことがないから楽しいのだそう──馬車に乗って移動するのは、実はあまり好きではない。楽だったり早かったりするならともかく、何のメリットもない乗り物になんて乗っていられないわ、とのこと。フィリップがいるなら愛玩して時間を潰すこともできるが、ルキアやステラが一緒だと、大抵の場合において彼女たちにフィリップが取られる。


 「まあ、お陰でメグが御者席じゃなくてこっちに乗れたのは良かったけれどね」

 「親衛騎士の方と二人旅というのは、あまり楽しそうではありませんしね……」


 世話役のメイドは他にも何人かいるらしいが、メグが乗る予定だったのは他のメイドが荷物と一緒に乗っているキャラバン型馬車ではなく、このクーペの御者席だった。ミナの分の席が空いたことを聞いて、これ幸いと同乗を申し出たのだ。


 御者席より快適そうですし、なんていうのは、彼女にしか口にできない理由だろう。他のメイドは羨ましがるどころか、仕える主人と次期女王、そして龍狩りの英雄と同じ空間に長時間居続けることを恐れて手を挙げなかった。


 多少の粗相で首を刎ねるような狭量な者はいないのだが──フィリップはともかく、ルキアとステラはその域、多少の粗相で首を刎ねられかねない貴人だ。個人がどうこうではなく、家格だけで気後れする。


 ルキアとステラだけなら、まあ、どうとでもなる。二人とも従者風情と仲良くお喋りするような教育は受けていないから、たとえ同乗したとしても家具のように──正しく扱ってくれるだろう。

 問題はフィリップだ。安穏とした空気を纏うこの少年は、従者にも気さくに話しかけて──公爵令嬢と第一王女の会話に、従者を引き込んでくるのだ。善意にも満たないただの気質由来の行為なのだろうが、非常にやめてほしい。


 だから誰か一人乗るとしたら、ルキアの護衛として特に親密なアリアとメグの二人のうちどちらかだ。

 そしてアリアはこういう時に「是非」と出張るタイプではないので、当然の流れでメグが入った。


 だが、メグとて高位の従者だ。 


 「メグ、親衛騎士さんたちのこと嫌いなんですか?」


 なんて質問は、プロフェッショナル相手には愚問以外の何物でもない。

 個々人の好き嫌いなど捨て置き、身も心も主人に捧げて奉仕する。それが王都のメイドの心構えであり、ルキアが「そうしろ」というのであれば、嫌いな相手と肩を並べて5日間の旅路を行くことに否やはないのだ。


 そして、質問を文字通りに受け取ったとしても、答えはNOだった。


 「私ではなく彼女たちの方が、私のことを嫌いなんです。私、王宮では第一級警戒対象として周知されていますので」

 「あぁ……殿下がいなければ玉座の間で国王を暗殺できる、でしたっけ? 見張りの誘導とか鍵開けは凄かったですけど……実はメグは結構強い魔術師だったりするんですか? 魔術系アサシンみたいな?」


 暗殺の──誰かを隠密裏に殺す場合の武器に、魔術は意外と不向きだ。

 魔術師は魔力を五感で知覚するから、無詠唱無挙動の魔術行使でもバレないことはまず無い。ルキアのように優れた才能と努力を以てしても、ミナのように感覚の鋭い相手には感付かれる。


 だから暗殺には物理的な手法が使われることが多い。オーソドックスなところだと、やはり刃物や毒だ。


 「中らずと雖も遠からず、ね。より正確には、魔力──待って?」

 「あぁ、私も今思い出した。カーター、一つ真面目な話がある」


 スイッチが切り替わったように表情を引き締めたステラに、フィリップは「怒られる?」と身構える。実際にステラは少し怒っていたが、その宛先はフィリップではない。


 「お前に刺客が差し向けられている。勿論、一人や二人なら対処は簡単だが、今回のは少し厄介だ」


 すっごいコト忘れてるじゃん、と愕然とするフィリップ。

 死にかけたことは何度かある──実際には死なないだろうと高をくくっていたことはさておき──フィリップだが、暗殺者に狙われるのは人生初だ。そんな情報を聞けば流石に驚く。


 一応明記しておくと、命を狙われている実感も、それに対する恐怖も無い。

 ヨグ=ソトースの忠誠を目の当たりにした以上、その守りへの信頼には、これまで程の疑念はないのだから。……まあ、過剰防衛になる懸念はあるけれど──ディーチ伯爵には「防衛に過剰もクソもあるか」なんて言ったが、外神相手に危惧される過剰さはスケールが違う。人間一人殺せばいいのに、適当にやったら三次元世界が滅んじゃいました、なんてことも有り得るだろう。


 だがそれはそれとして、暗殺者の襲撃なんて人生初の大イベントであることに変わりはない。そんなことを忘却していた二人に、フィリップは驚き呆れていた。二人は、まあ、慣れているのだろうけれども。


 「冒険者には彼らを統括し依頼を斡旋する冒険者ギルドが存在するが、暗殺者の間にも似たような組織が存在するんだ。暗殺者ギルド、と王宮では呼んでいる」

 「あら、復活したんですね。足抜けするときに上層部を皆殺しにしたのですけれど」


 さらりと物凄いことを言ったメグだが、彼女自身も含めて誰も反応しない。

 ルキアとステラは既知の情報だったから。そして三人とも、人間の集団を鏖殺することに特別感を見出さない特大戦力だ。フィリップは他人任せというか、邪神任せだが、そもそも人間が何億集まっていようと『泡』以上の価値認識にならない。


 「殺すなら上役ではなく実務役を殺すべきだったな。斡旋や連絡のシステムは問題なく機能しているようだぞ」


 暗殺者界隈にやたら詳しいメグもだが、そんな裏世界のことを詳細に知っているステラも怖い。

 いや、国王暗殺すら条件次第では可能な腕利きの元暗殺者と、国家の中枢たる次期女王だ。そういう情報にも詳しくて当然なのだけれど。


 「ともかく、その暗殺者ギルドを通じて、不特定多数のアサシンに向けて暗殺依頼が出されている。標的は“龍狩りの英雄”。暗殺の方法、日時、場所、全て不問。とにかくお前を殺せばいい、という依頼だな。報酬金額は大したことがない……相場で言えば地方貴族の暗殺くらいだから、二つ名持ちの大物なんかは出て来ないだろう」

 「……なんか、やけに詳しいですね?」

 「そりゃあ、暗殺者の斡旋組織なんて、王家が監視していないわけがないだろう? 依頼を差し止めようと思えば可能だが、それをやると所属する暗殺者たちも王家の影に気が付くだろうから、悪いがナシだ」


 この国で一番暗殺されそうなのが誰かはさておき、一番暗殺されたら困るのは間違いなく王家の人間だ。

 だから王宮が暗殺者を管理は出来ずとも監視するため、暗殺者ギルドは敢えて放置されている。勿論、ギルドに属さず依頼人と直接やり取りをするタイプの暗殺者だって居るので、監視は完璧ではない。だが別に、王宮の暗殺対策はこれだけではないから構わないのだ。


 今回はその暗殺ギルドへ依頼が持ち込まれ、王宮の設計通りに報告が上がったわけだ。王国の重要人物が暗殺の標的になっている、と。


 「なるほど」と軽く頷くフィリップに、ルキアとステラは薄い笑みを浮かべる。

 物分かりが良くて助かるし、頼もしいと。


 唯一、元は暗殺者ギルドに所属していたらしいメグだけが首を傾げていた。


 「……あっさりと受け入れてしまわれるのですね? 普通はもっと不安になったり、なんで、と食い下がるものかと思いますけれど」


 フィリップは隣のステラと向かいのルキアそれぞれと顔を見合わせ、「何を言っているんだろう」とでも言いたげに首を傾げる。


 「まぁ……そりゃあ、敵なら全員殺せばいいだけですしね」


 怪訝そうな顔で、当然のことのように言う。


 全人類が敵に回ったら、という想像で、敵の多さではなく敵の中に自分が殺したくない人間が含まれることを嘆くフィリップだ。

 暗殺者ギルドが総勢で何人いて、フィリップ暗殺の依頼を受注するようなのが何人いるのかは知らないが、そんなことはどうでもいい。


 敵なら殺せばいいのだ。

 カルト相手と違って拘りもないし、適当に邪神を召喚して昼寝でもしていれば勝手に片が付く。


 「まあ暗殺者なら返り討ちにしたって文句は出ないでしょうし、捕まえてミナのご飯にするのもアリですね。吸血鬼にとっては心臓の半分に入ってる血液が一番おいしいらしいですよ」

 「使いどころに困る知識ね……」

 

 暗殺対象になったことへの衝撃も収まり、妙な蘊蓄を披露するフィリップ。

 暗殺者? 全員殺せばいいじゃん……と、その程度の認識しかできない人間しか、クーペには乗っていなかった。



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