第348話

 自己防衛に過剰もクソもあるか馬鹿が──というフィリップの心情を可能な限り柔らかくぼかして伝えたところ、なんとか国王を説き伏せることには成功したらしい。

 しかし、ディーチ伯爵の弾劾はもう一件残っている。


 圧倒的な戦闘能力を誇るミナに挑み、当然のように馬鹿が負けた。

 ミナの一挙動すら要さない、蝿を払うような一撃で。──それ自体が、フィリップを糾弾する理由になる。


 「……しかし、それはあの吸血鬼が自儘に行動していることの──制御下にないことの証言に他なりませんぞ。王国法に則れば、あの吸血鬼めが王都に居ることそのものが、彼を処断する理由となりましょう」


 ミナが自分の意思でその力を振るうことに何の制限も掛かっていない状態。それは、使役者として扱われるフィリップを罪人に貶めるに十分だ。


 法の上では、そうなる。

 しかしこの場は法ではなく、その上位に坐する国王が取り仕切る場。彼の意向が全てを決める。


 宰相は玉座に掛けた主君の顔をちらりと窺い、議論の続行を決定した。


 「ふむ。それはその通りだが……いや、まずは君の……被告の意見を聞こうか」

 「はい。えっと……まあ、そうですね。ミナは僕の制御下には無いです。というか、ミナは僕の飼い主なので……」


 むしろ僕が首輪を付けられてる側なんですよね、と笑うフィリップ。

 しかし、その関係性を明確に理解しているのは当人たちと、あとは精々ルキアとステラくらいだ。国王も公爵も初耳だった。


 「……ん? 飼い主?」と困惑も露な公爵に、フィリップは当然のように頷く。


 「はい。……え? なんか変ですか? 人間と吸血鬼の関係性としては妥当なところだと思いますけど」


 卑屈なのか達観しているのか測りかねることを言うフィリップ。

 実際、両者の力関係を考えれば正しい──フィリップはそう判断したから、ミナのペットに甘んじているわけだ。


 しかし大多数の“人間”に、そんな殊勝さや客観性はない。

 人間は脆弱で矮小だから他の強力な種族に支配されても仕方ないよね、なんて思える人間が一般的だったら、ヒトという種族はこうまで繫栄しなかっただろう。


 「……文字通りの意味だ。カーターはあの吸血鬼の愛玩を受け、その庇護下にある。ミナの方は犬猫に対するような接し方だから、概ね正しい表現だな」


 ステラが公爵に説明し、彼は「そうなのですね」と頷いたが、本当に理解できているかは微妙なところだ。


 「根本的に、人間と吸血鬼だと吸血鬼が上位なんですよね。それを制御しろと言われても──」

 「責任転嫁も甚だし──ぐっ!?」


 フィリップの言葉を遮るように、また机を叩いて吼えるディーチ伯爵。

 しかし、彼の言葉もまた最後まで言い切られることは無かった。


 「──私に二度同じことを言わせるのは、カーター一人で十分だ」


 冷酷な女王の口調で告げられたのは、二度目の、最後の警告。

 まだ強制的に口を閉じさせる程度の命令しかしていないが、三度目は無い。次はこの場で語る格無しと判断し、叩き出す。正確には自分の足で出て行かせるのだが。


 「え、ごめんなさい……」


 怒られたのはディーチ伯爵だが、フィリップまで慄いていた。そんなに苛立ちを募らせていたのか、と。 

 勉強でも戦闘訓練でも、何度目かになる同じ注意をするときのステラは、確かに不機嫌そうではあったけれども。わーい許された、と特別扱いを喜べない程度には、今のステラは険しい顔だった。


 続けて、と宰相に促され、フィリップは素直に頷く。


 「……ミナが龍殺しに協力してくれて、普段は温厚だから──まだ王国が存続しているから勘違いしたのかもしれませんけど、彼女は正真正銘の化け物ですよ? エサでしかない人間の命令なんて聞くわけないじゃないですか」


 フィリップが言葉を切ると、ディーチ伯爵はフィリップではなく国王に向けて吼える。


 「お聞きになりましたな、陛下! 安全化されていない魔物を王都へ引き入れたという王国法違反は明白です!」


 ディーチ伯爵にとってこの場における最優先事項は、フィリップの論破や謝罪を引き出すことではなく、国王を説得することだ。

 だから国王に訴えることは、戦略として間違っていない。フィリップの言葉を遮って会話や討論という形を崩したりしないのであれば、ステラも見咎めることは無い。


 ただ、彼の論理はフィリップにしてみれば甘いものだった。


 「安全化……。ミナは基本的に温厚ですし、定期的に僕の血を飲んでいれば人を襲うことも無いので、十分に安全では? 何かの都合で僕がミナから遠い場所に居ても、魔術で呼び出せるわけですし」


 客観的に安全か危険かで判断するなら、ミナは安全な部類だ。そもそもダウナーな彼女は、積極的に攻撃したり喧嘩を売ったりすることが滅多にない。


 しかし──主観的に「危なそう」ではある。確かに。

 言い換えれば、怖いのだ。羊の群れに狼が紛れ込んでいたら、食べられてしまうのではないかという懸念が生じるように。


 その狼には首輪が無い。躾けられてもいない。ただ満腹であるだけ。


 満腹である以上羊を狩ることは無く、安全だ。

 しかし、安全であることが分かっているのは狼の側だけだ。これでは羊の恐怖心を拭えない。


 そして羊が狼の気分を害したり、空腹になれば、当然──。


 「絶対に人間を害さない、なんて、人間同士でも有り得ませんよ? むしろ自分の都合で人間を害することが無い──そんな何の得にもならない無駄手間を取ることがないミナの方が、力量差も見れずに襲い掛かってくる馬鹿より余程安全だと思いますけど」


 フィリップの言には一理あると、宰相は納得できる。

 彼の娘は二人とも優れた魔術師であり、長子は宮廷魔術師、末子は聖痕者だ。只人の域はとうに逸脱し、化け物にも匹敵する戦闘能力を有している。


 それでも誰一人として彼女らのような魔術師を危険視しないのは、誰もが常識や理性を持ち合わせているからだ。

 どれほど強力な力を持っていようと、同じ人間である以上は対話が可能であり、同じ神を信じる以上は共通した道徳心を持ち合わせている。その前提は、誰もが殊更に思考することなく共有している。


 フィリップにはそれがない。その前提、先入観を持たないが故に、種ではなく個体それぞれを見て判断できるのだ。

 人間だから安全、化け物だから危険、ではなく。安全な奴は化け物でも安全だし、人間でも危険域の馬鹿なら死んで当然。そんな冷静で酷薄な認識を示している。


 「何故だ……。どうして、そんなにも冷酷なのだ……。“龍狩りの英雄”である貴殿であれば……あの吸血鬼を止められたのではないのか……? 私の娘を救えたのではないのか……?」


 王女を救うため、衛士たちを死なせないため。そんな理由で龍狩りに同道した小さな英雄。──そんな逸話を聞いていたからか、無念そうに、そして詰るようにディーチ伯爵が嗚咽を漏らす。


 しかし、フィリップは顔を引き攣らせてのけぞった。

 驚いたような反射行動のあと、ステラに目を遣って怪訝そうに眉根を寄せる。


 ステラはフィリップの素直な表情筋から、「これ狂人ですか?」という殺意一歩手前の疑問を読み取った。

 怒りや悪意があるわけではない。狂ってしまったなら殺してあげよう、という憐憫と善意だ。


 ステラが頭を振って否定すると一応は納得したのか、「ただの馬鹿かぁ……」と呟いて頷く。ステラへの信頼度が高くて何よりだ。


 「……なんでですか?」

 「なに……?」


 理解できない別言語を耳にしたように、ディーチ伯爵は呆然と立ち竦む。

 激昂どころか一片の怒りを抱くこともできないようだ。


 「弱すぎて瞬殺されたとはいえ、一応はミナを害そうとしたんですよ? なんで僕が加害者を守らないといけないんですか?」

 「そ、そんな……弱き者を守ってこその強者ではないか!」 

 「え……? それはなんというか、都合の良すぎる考え方では? 強ければ強いほど判断基準が感情に寄っていくなんて珍しくもありませんし。それに、敵対しておいて「弱者を守れ」というのはバカバカしいにも程がありますよ」


 フィリップの言葉は道理だ。

 だが、道理でしかない。


 容赦、というものが一片も無いのだ。


 「弱者なら何をしても許されるべき、みたいな思想をお持ちなのかもしれませんけど……それは逆ですよ。何をしても許されるのは強者の方です。極論、ここで僕とミナが死刑宣告を受けたって、僕たちが馬鹿正直に断頭台まで歩かなければいいだけの話ですしね」


 フィリップはともかく、ミナは首を刎ねられたとしても「満足した?」とか言いながら落ちた首を拾ってくっつけて、そのまま退屈そうに帰るところも簡単に想像できるけれど……それよりは、刑吏を皆殺しにしてつまみ食いして立ち去るところの方が想像が容易だ。


 まあフィリップもフィリップで、死刑の前に神父に会いたいと言えばどうとでもなるだろう。最期に懺悔する機会は、どんな重罪人にでも平等に与えられる権利だ。


 「国に叛逆するというのか!?」


 囁くような戦慄に、フィリップは薄く笑う。

 

 「その言い方は強弱が逆転していますね。その場合は、人間が吸血鬼に叛逆するんですよ」


 出来るものなら、と但し書きまで付く戦力差だが。


 ……しかし王国と敵対するとなれば、ルキアとステラ、そして衛士団が戦線の中核となるのだろうが──物の見事に対フィリップ要員ばかり集まっている。戦力どうこうではなく、心情的にフィリップが殺せない相手ばかりだ。


 ミナはそんなのは知ったことじゃないとばかり八面六臂の活躍を──衛士団相手になら、出来るだろう。だがルキアやステラの神罰術式に対して、ミナはあまりにも相性が悪い。一撃で塩の柱か灰の山になってしまう。


 そんなことを考えてくすりと笑ったフィリップに、ディーチ伯爵は恨みがましい、しかし恨みばかりではなく慄くような目を向ける。


 しかし彼が何か言う前に、硬質な音が一同の注意を引いた。

 こつこつ、と小さな音。国王が玉座の肘掛けを叩いた、それだけの音は、またヒートアップしかけたディーチ伯爵に一瞬で冷静さを取り戻させ、ゴミを見るような目をしていたルキアに「やっと終わりか」という溜息を吐かせるくらいの効果はあった。


 「両者の言い分は概ね理解した。……フィリップ君、最後に少し、個人的な質問をしてもいいかな? この質問に対する答えは御前論奏の裁定には関与しないから、率直に答えて欲しい」


 嘘だ、絶対関与するぞ、と全員の心が一つになる。

 というか、御前論奏は端から国王の意向で全てが決まる場なのだから、彼の質問や感情が沙汰に影響しないなんて有り得ないのだが。


 かと言って、まさか国王相手に「関係ないなら聞くな。早く帰らせろ」なんて言うほど常識が欠如しているわけではないフィリップは、「何なりと」としかつめらしく頷く。


 「フィリップ君。君は──人間と化け物、どちらの味方なんだい?」


 やさしいおじさんの仮面を被った国王は、穏やかな声で問いかける。

 しかし質問の内容は、一言でも誤れば即死も有り得るようなものだった。もし仮に化け物の側だと答えたら、或いはカルト認定され人権を失うことだってある。

 

 「僕は僕の好きな方の味方です。赤の他人とミナなら、ミナですね」


 ふむ、と国王は軽く頷く。

 質問一つで、フィリップの価値観は概ね理解できた。要は、彼は人間と化け物を分け隔てなく扱うが故に、両者の格差をはっきりと認識しているのだ。


 人間だから、化け物だからという区別はしない。どちらも只人であるかのように、自分が好きか嫌いかで判別する。

 その代わり、人間に優越するのであれば相手が化け物であれ素直に従う。それが人間として正しい姿だと思っているから。


 ……まあ、許容範囲か。と、国王と宰相は一切の意思疎通なく、同じ感想を抱いた。


 「あの吸血鬼とステラなら、どちらだい?」

 「そりゃ殿下です」


 ついでのような気軽さで問われ、ステラが「急に何を言っているんだ」と明記された顔で父親を見遣る。その反応と同時くらいの即答をしたフィリップは、「何を当たり前のことを」と言いたげな半笑いだった。


 「……これは単なる興味だが、サークリス聖下とステラでは、どうかな?」


 穏やかな笑顔で凄いことを聞く、と、公爵は同じ仮面の裏で苦笑する。

 何言ってんだこの人、と思ったのはフィリップも同じだったが、こういう場合でも素直に思考して答えられるのはやはり彼の美点だろう。


 「え? 二人が敵対したら、ってことですよね? ……僕の味方の方? 僕と関係ないところで敵対してるなら、多分殿下の方が正しい理由を持っているんでしょうけど、ルキアの方が僕に寄り添った理由を持ってくれそうなので……うーん……仲直りさせるっていうのはナシですよね?」

 「ははは! うん、そうだね。それはナシだ」


 馬鹿が死ぬのは馬鹿だから、なんて平然と言い放った口から出たとは思えない安穏とした台詞に、国王は愉快そうに笑う。


 喧嘩したなら仲直りすればいい、なんて。

 冷酷で、或いは残酷でさえあるのではという懸念を吹き飛ばすような第一の選択肢だ。


 フィリップは眉根を寄せて唸っていたが、やがて一つの答えを出した。

 

 「うーん……敢えて選ぶならルキアです」


 選択肢として挙げられていたルキアとステラは、答えを聞いても大した反応は見せなかった。

 ルキアは「そうなんだ」とでも言うように頷くだけで、ステラも興味深そうに首を傾げるくらいだ。国王の方を見て、二人にだけは分かる程度の勝ち誇った表情を微笑の仮面に混ぜた公爵と、それを物言いたげな顔で見返す国王の方が反応は大きい。


 しかし、反応らしき反応はそれくらいで、フィリップからすると極小というか、皆無と言ってもいいくらいのもの。


 「二人が戦ったら殿下の方が強いじゃないですか。二人ともが生き残る可能性を一番高めるのは、この選択肢だと思うんですけど……どうでしょう先生」 


 蛇足のような説明を加え、ステラに水を向けると、彼女は一瞬で思考を終えて首肯した。

 分かってきたじゃないかと言いたげなステラの笑みに、フィリップは安堵したように表情を綻ばせて応じる。


 「素直に喜びかねる理由だけれど……でも、心強いわ」

 「実際、お前が介入するなら一時休戦は免れないだろうしな……」


 気品を損なわぬよう穏やかに、しかし喜色を交えて微笑するルキア。

 ステラはその状況を想像して苦笑しているが、まあ、それは仕方ない。ステラがルキア相手に有利なのは、どんな悪辣で外道な手段でも最適解であるのなら選択できる精神性故だ。戦いの場に於いても美しさに拘泥するルキアとは、メンタル面で大きな差がある。


 しかし実力はほぼ拮抗している以上、フィリップに召喚術を使わせないように気を配りながら戦うのは流石に自殺行為だ。故に、休戦を選ぶしかなくなる。


 妙な言い回しをするステラに、国王も宰相も不思議そうな目を向ける。しかしステラがそれ以上言葉を続けることは無く、単に言葉選びを間違えただけだろうと納得した。


 自発的な行動を強いられる状況を表すのなら、普通は「休戦せざるを得ない」と言うべきだ。フィリップを巻き込まないよう休戦せざるを得ない、と。

 「免れない」なんて、まるで、何かに強制されるような表現だが──まさか戦闘状態の聖痕者二人に干渉できる者なんていないだろう。同格の魔術師なら或いは可能かもしれないが、フィリップはそうではないのだし。


 「うん、面白い話だったよ。ありがとう。それじゃあ──裁定を下そう」


 穏やかな、しかし自然と首を垂れさせる雄峰の如き厳然たる声で宣言される。


 フィリップは何ら身構えることなく、許容範囲を超えて面倒な沙汰だと残念だなぁ、とだけ思って、それきりだった。──殺すことになるかもしれない命に対する感傷は無かった。


 そして──。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る