第347話

 そして迎えた、御前論奏の当日。

 王宮の中に設えられた専用の裁判室で、フィリップは両手を鉄の枷に戒められ、半笑いで部屋の中央にある演壇に立っていた。


 「此度の御前論奏はケイリス・フォン・ディーチ伯爵より提起され、フィリップ・カーターの行いを弾劾するものである。あらゆる全ての裁定は国王陛下の御心のままに下される。両名及びその弁護人は、天地万物の祖にして全知聡慧たる唯一神と、偉大なりしアヴェロワーニュ王国67代国王アウグストス二世の名の下に、一切の虚偽なく語ることを宣誓せよ」


 威厳のある声で宣言したのは、部屋の最奥に据えられた玉座の隣、国王の傍に立ったサークリス宰相だ。いつもの穏やかな物腰は鳴りを潜め、触れれば切れる刃のような冷たい威圧感を放っている。

 国王を挟んで反対側にはステラもいるが、彼女は物憂げな顔で一同を見下ろしているだけだ。


 対照的に、フィリップの右手側の机に着いたルキアは、目に見えて不機嫌だった。指先で机を叩いたり貧乏揺すりをしたりといった明確な動作はないものの、腕を組んで眉根を寄せていれば、フィリップでなくても簡単に分かる。


 フィリップのいる演壇から見て左側の机に着いていた壮年の男が立ち上がり、片手を掲げて言われた通りに宣誓の文句を読み上げる。続いてフィリップもそれに倣うと、いよいよ本格的に御前論奏が始まった。


 「先ずディーチ伯爵より、論旨を述べよ」

 「はっ。まずは国王陛下と第一王女殿下、宰相閣下、サークリス聖下にまでご足労いただいたこと、深くお礼申し上げます」


 立ち上がったディーチ伯爵が深々と、確かな敬意と畏怖を湛えた所作で一礼する。

 彼は総白髪を豪快なオールバックに撫でつけた偉丈夫で、老いてなお猛々しい狼を彷彿とさせる威圧感を放っていた。


 国王と宰相は穏やかに笑って頷き程度の返礼で応じるが、ルキアとステラは礼を返さなかった。まあ家格やら地位やらを考えると返礼の義務は必ずしも無いし、特段無作法というわけではないのだけれど……隔意を明確にするというのは、貴族社会ではあまりよろしくないことだった。


 それは場合によっては敵対を意味するからだ。

 貴族間の抗争は地位や権力の取り合いだけではない。時に私兵を用いた領地の侵略や、直接的な暗殺に発展することもある。


 ディーチ伯爵は答礼がないことに気付いたが、仕方ないと言うように一瞬だけ目を瞑り、国王の方へ向き直った。


 「此度の御前論奏に於いて、私は先のフィリップ・カーターによる殺人行為──我が娘を含む四人の冒険者を死に至らしめた件について、公正なる再審を求めるものであります。当時の状況はカーター氏を無罪とした衛士団の論拠、自己防衛行為に該当せず、過剰防衛行為として処罰すべきであります。また、そのような状況に至る理由として、使役する魔物の不服従──安全化が不足していると考えられます。これは重大な王国法違反であり、厳正なる膺懲が必要であると主張致します」


 意外にも落ち着いて語るディーチ伯爵だが、青い双眸は爛々とした復讐心を湛えていた。

 憤怒、憎悪、悲哀、悲嘆、悔恨、疑念。肯定的な感情は何一つとして残っていないような、そんな目だ。


 言葉は続く。


 「安全化されていない魔物を王都内へ引き入れたこと。そしてその力を利用し臣民の身命を傷つけ損なったこと。今回の件だけでなく類例が既に4件以上報告されていることを鑑み、重大な罪科であることは明白であります」


 ふむ、と宰相が頷き、フィリップを見遣る。


 「被告、フィリップ・カーター。論旨の事実整合性について反論は? ……つまり、君の主張はさておき、事実と異なる点はあるかな?」

 「はい、宰相閣下。えーっと……その冒険者を殺したのは僕じゃなくてミナですね。類例に関してもそうです。……あと、ようちょうってなんですか?」

 「膺懲、簡単に言えば罰を与えることだね。……ふむ、両者の事実認識は概ね理解した」


 ばん! と大音響が広い部屋を震わせる。

 音源は机に恨みでもあるのかという勢いで両手を叩きつけたディーチ伯爵だ。


 彼は国王と宰相を見ながらフィリップに一本指を突き付ける。フィリップを斬り殺さんばかりの勢いだが、それこそミナでもあるまいし、遠くで腕を振っただけでは風さえ届かない。


 「陛下、宰相閣下! このような自らの責任を──ぐっ!?」


 ディーチ伯爵がトラバサミのような勢いで口を閉じる。言葉が途切れるほどの唐突な動作は、勿論、彼の意思によるものではない。


 「身勝手に口を開くな、痴れ者が。ここは自らの主張を憚りなく叫ぶ猿の立ち入れる場所ではない。陛下の御前に立つことを許された貴種として、振る舞いには節度を持て」


 殺すぞ、とでも言いそうなほど冷たい声色のステラ。ディーチ伯爵の口を閉じさせたのは、彼女が無詠唱で行使した支配魔術だ。

 ややあって魔術の効力が切れると、ディーチ伯爵は顔を赤くして項垂れるように頭を下げた。取り乱したことを恥じ入るだけの理性を、一応は持っているらしい。


 「……申し訳ございません」

 

 ごほん、と咳払いを一つ挟み、伯爵は先を続ける。

 

 「原告ケイリス・フォン・ディーチ伯爵より、国王陛下へ奏上致します。被告フィリップ・カーターに対し死刑を求刑致します。……以上を、私の主張とさせていただきます」


 うむ、と国王が重々しく頷く。

 まあ流石に、たとえフィリップが全面的に罪を認めて死刑を望んだとしても、求刑がそのまま通ることは無い。


 使役下にあるはずの魔物が暴走して貴族の子女を殺したとなれば、確かに断頭台送りも有り得る。が、フィリップは“龍狩りの英雄”──こそばゆい称号はともかく、間違いなく救国の英雄ではある。そしてその名前は、どうやら聖国にまで轟いているようなのだ。少なくとも国内に教皇領を有する聖国の長、レイアール卿は知っている。


 だから、死刑は有り得ない。ディーチ伯爵だって慣例的に求刑しただけで、特別な配慮が働くことくらい承知の上だろう。


 「では被告。反論、もしくは主張を」

 「はい。えーっと……まず……?」


 暫しの沈黙。

 フィリップは手枷に目を落とし、右側にいるルキアを見て、正面にいるステラを見て、ばつが悪そうにへらりと笑った。


 ……事前に二人から教わっていた台本が、頭の中からすっぽりと抜けていた。


 まあ御前論奏でなくても裁判の場なんてフィリップは初めてのことだし、ど忘れしてしまったとしても無理はない。ないが──フィリップはほとんど緊張していないので、台本が吹っ飛んだ原因は別にある。

 というか、手枷のせいだ。


 鉄製の手枷。ここに入るとき、騎士の一人が申し訳なさそうに「すみません、規則なんです……」と謝りながら付けた、何の変哲もない拘束。

 魔力制限も無く、錬金金属のような強靭さも持たない、ただの鉄。そりゃあフィリップにとっては重いし頑丈だし、腕を繋がれていては走りにくいので行動制限としては機能する。


 でもそれだけだ。

 フィリップでさえ、やろうと思えば『萎縮』なり召喚魔術なりでディーチ伯爵を殺せるし、ミナだって呼べる。平民がこの部屋に入るときには必要なものらしいが、何とも残念なセキュリティだった。まあ、魔術適性に優れた平民がそもそも稀なのだろうし、ここに呼ばれた時点で素性や素行に問題なしと判断されているのだろうけれど。


 ──と、そんなことを考えていたら、覚えた内容が吹っ飛んだのだった。


 何を主張すべきかはギリギリのところで覚えていたので、あとでルキアとステラに怒られる覚悟を決めて自分の言葉で話すことにする。

 

 「まず、冒険者四人を殺したのは僕じゃなくてミナです。まあミナは王国人じゃないので、御前論奏とか王国法に基づいた裁判には出られないっていうのは分かりますけど……まあ、だからって僕に責任を押し付けて呼びつけるって言うのもナンセンスだと思いますよ。というか、ミナを殴れないから代わりに僕を殴っておくみたいな八つ当たり感に溢れてるんですよね」


 国王に向けてそこまで言って、フィリップは言葉を切ってルキアとステラの方を窺った。


 ……大丈夫そうだ。二人とも呆れ笑いだが、怒っていたり、焦っていたりはしない。何も不味いことは言っていないようだ。


 「で、えっと、防衛の過剰っていう話についてですね。うーん……」


 フィリップはもう台本を思い出そうとはせず、端から台詞を考えて喋り出す。


 「目の前を蝿が飛んでいたとして、自分の部屋でもなく無理に殺す必要もない場所だったら、手で適当に追い払いませんか? しっしっ、って。あの血の杭の魔術は、ミナの感覚だと多分そんな感じなので……適切な労力の使い方だったと思いますよ」


 玉座の肘掛けに頬杖を突いた国王が相槌のように片眉を上げる。

 宰相は相変わらず仮面のような笑顔だったが、ルキアとステラが表情を変えないということは、多分このまま続行していいのだろう。


 「想像ですけど、冒険者の側が怖気づいて逃げ出していたら、ミナも追わなかったと思いますよ。どっかに飛んでいく蝿を追いかけ回して殺すのは無駄骨ですからね。挑んできたのは馬鹿だから、逃げられなかったのは弱いからですし、それを僕の所為にされても困ります」


 フィリップが言葉を切ると、またディーチ伯爵が激高した。

 が、まあ、これは仕方ないだろう。


 「おのれ、黙って聞いておれば! 私の娘を──貴殿らが殺した人間を蝿に喩えるなど、命の冒涜に──」


 ──他ならない。

 その通りだ。彼の価値基準に照らせば、人間には人間の、命の重みというものがある。それは飛び回る羽虫とは一線を画するものだ。


 その理屈はフィリップにも分かるし、人も虫も同じく泡だと認識してしまうフィリップだって、感情的優先度は確かに存在する。ルキアやステラ、衛士たちのようなフィリップが好む人間のためでなくとも、虫を殺すことに躊躇は無い。……まあ、平時でも人間を殺すことに躊躇いがあるかと言われると、無いのだけれど。


 いや、あるにはある。あるが、それは社会的・法的制裁や人間社会からの逸脱なんかが嫌なだけで、殺人行為に対する忌避感ではない。


 とにかくディーチ伯爵の言葉に否やは無かったフィリップだったが、彼の口から出たのは同意の言葉ではなく、失笑だった。


 「──ふふっ。……あ、すみません。“冒涜”という言葉が安く使われるのが面白くて、つい」


 呆然とするディーチ伯爵を無視してくつくつと喉を鳴らして笑っていたフィリップは、少し深呼吸してから先を続ける。


 「まあ人間は蝿を食べませんから、例えとして適切かどうかは微妙ですけど……。ミナも食べる人間と食べる部位は選んでるみたいなので、全部の人間が美味しそうに見えるわけじゃないらしいですけどね。……何の話でしたっけ? あぁ、そうそう。馬鹿が馬鹿なことをして死んだって、それは僕やミナのせいじゃないんですよ」


 泳げないにもかかわらず湖に飛び込んで溺死した者がいたとて、それは管理人の責任ではない。

 避けられないタイミングで馬車の前に飛び出してきた子供を撥ねたからと言って、御者や馬が悪いことにはならない。


 王国法や冒険者ギルドの規則を抜きにして、常識で考えたって、そうだ。


 「僕が今ここでルキアに襲い掛かったとして、まあ順当に塩の柱に変えられると思うんですけど……」


 さも当然のように言ったフィリップに、ルキアが形のいい眉を顰める。

 「そんなことしないわ」と言いたげだが、彼女自身、それは相手がフィリップだからだと自覚している。赤の他人だろうと顔見知りだろうと、大抵の場合は反射で殺す。例外はフィリップと、ルキアにじゃれついてくることもあるシルヴァ、実力的に反射程度の攻撃では殺し切れないステラとミナくらいか。


 それに、ここは別に「そんなことはしない」と主張すべき場面ではない。そんなことをしたってフィリップの話の腰を折るだけだ。


 フィリップは何も言わないルキアの物言いたげな顔に苦笑しつつ先を続ける。


 「……その後でルキアが罪に問われるって言うなら、この話し合いを続けましょう。そうじゃないって言うなら、この話し合いの結論は既に出てます」


 言い切る。

 ルキアとフィリップでは家格も立場も違いすぎるのだが、そんなことは気にならないらしい。


 自信満々な口調ばかりが理由ではないだろうが、国王は小さく頷き、フィリップの言を肯定した。


 「ふむ。……防衛行為は、防衛理由を作った側に責がある。その理屈は分かるな、ディーチ伯」

 「……はい、陛下」


 ふぅ、と安堵の息を吐いたフィリップは、ステラと目が合って口元を緩ませる。ステラも鏡写しのように顔を綻ばせたが、すぐに表情を引き締めた。

 まだだ。まだ──半分しか、話は終わっていない。





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