第346話

 王都三等地の往来で起きた凄惨な殺人事件──もとい、傍迷惑な集団自殺から一週間。

 フィリップはルキアに招かれ、王都一等地のサークリス公爵邸でティータイムを楽しんでいた。


 華美な茶会……という風情ではない。

 勿論、会場のルキアの私室は魔術学院の学生寮以上に広く、整然としていながらも華やかに飾り立てられている。しかし部屋の中にはルキアとフィリップ、そして給仕役のアリアだけで、向かい合って座ったテーブルセットも小さなものだ。卓上のティーセットも簡素なもので、正式な茶会ティーパーティの作法には則っていない。


 だからこそ、礼儀も作法も必要ない、ただおやつを食べて紅茶を飲みながら友達と過ごすだけの幸せな時間が、二人の間には広がっていた。


 そして──穏やかな空間に罅を入れるような、冷たく硬質な靴音が二人の耳に届いた。


 公爵家の使用人ではない。

 彼らは下男から家令に至るまで徹底的に躾けられ、廊下を歩くときに足音を立てて主人たちの注意を引いてしまうような稚拙な者は一人もいない。靴音が扉を隔てても聞こえるほどの速足自体が、使用人には無作法な行為だ。


 しかし、現に高らかな靴音は廊下を進み、こちらに近づいてきている。


 「……誰か来たみたいですね?」


 公爵家の使用人のレベルの高さはとうに知っているフィリップは、そう言ったものの、特に興味は持たずにチョコケーキの最後の一切れを口に入れた。


 直後。


 すぱぁん! と盛大な快音を立てて、ルキアの部屋の扉が開かれた。


 「えっ!? げほっげほっ! えっほげっほ……」


 まさかルキアの部屋にこの勢いで──ノックもせずに入ってくるような馬鹿がいるとは思わなかったフィリップが盛大に咽る。ケーキが喉の変なところに引っかかっていた。


 「……随分な無作法だけれど、相応の理由はあるんでしょうね? ステラ?」


 立ち上がってフィリップの背中を擦っていたルキアは、ドアの前でアリアに阻まれ、睥睨するような一瞥の裏でメイドを退かどうかを計算しているステラに険のある声をかけた。


 「お前が納得する理由かどうかは知らないし、どうでもいい。カーター、お前に関することだ。落ち着いて聞け」


 焦っている様子のステラを見て、フィリップはルキアが柳眉を逆立てる前に動くべきだと直感した。


 「いや、まずは殿下が落ち着いてくださいよ……。ささ、一杯どうぞ」

 「…………まぁいい、貰おう」


 余程急いで来たのだろう、肩を上下させているステラに、フィリップは卓上のカップを手渡した。


 彼女の様子からすると相当に重大な用事なのだろうが、安穏としたフィリップにぶつけるべき叱責と小言は、口を突いて出る寸前で引っ込んだ。

 呑み込まなければ彼女自身の焦りを八つ当たり気味にぶつけてしまうと思ったからだ。ルキアの前でフィリップ相手にそんな不細工なことをしたら、本来の用件を伝えるまでに1時間はかかるし、1時間後に三人とも無事でいられる保証はない。


 なんだか複雑な顔で黙り込んでからカップを受け取ったステラに、フィリップは「流石に僕のカップは駄目だったかな」なんて首を傾げる。馬車での移動中なんかは、「一口ください」と水筒の貸し借りなんかも普通にしていたのだけれど。


 「……それで? フィリップがどうしたの?」


 ステラはカップに残っていた紅茶を飲み干し、深呼吸して息を整えてから口を開いた。


 「ディーチ伯爵から、カーターを被告人とした御前論奏の申し入れがあった」

 「──ふぅん?」


 ルキアが不機嫌そうに相槌を打つ。

 そのたった一言で、部屋の中の空気全てが鉛になったような重圧が襲い掛かった。


 気付かないのはフィリップ一人だけだが、フィリップが気付かないということはつまり、怒気ではない。感情に呼応するように昂った魔力が発散され、部屋の中を埋め尽くしている。


 「何ですか、それ?」

 「簡単に言えば、裁判だ。ただし、国王の御前で行われ、裁定は国王が下す」

 

 そう聞くと、単純に格の高い裁判のように思われるが──厳密には、それは裁判とも少し違う。

 一般的な裁判は法に則って罪人を裁くが、国王とは法よりも上位に坐するもの。法を使って臣民を治めはするが、その意思や行動は法に縛られない。


 そして御前論奏において、裁きを下すのは国王だ。

 つまり──法を無視した沙汰が下されることもある。


 原告・被告共に、法的な正当性を主張することに大きな意味がない場所だ。重要なのは、王の目から見てどちらが正しいか。


 自分は正常だと胸を張れないフィリップとしては、あまりいい舞台ではない。


 「裁判……罪状は何ですか?」

 「殺人。テイムしたモンスターによる間接的関与だそうだ。……ヴァンパイアらしいが?」

 「わお。ヴァンパイアは人間を殺すものだってことも知らないのに、訴訟なんて高等なこと出来るんですね」


 フィリップが言うと、ルキアがくっと喉を鳴らして顔を背け、ステラも顔を背けて失笑した。

 

 「んふっ……カーター、真面目な話だぞ」

 「すみません。で……あ、ちょっと待ってください? それ欠席したら叙勲の話が立ち消えになったりしませんか?」


 いきなり「裁判」と言われてもピンと来なかったのか、或いは国家に罪人として扱われることが怖くないのか、安穏としたことを言うフィリップ。


 アリアは感心したような目を向けるが、ルキアとステラは「まだ諦めていなかったのか」と呆れ顔だ。


 「国外追放の可能性を許容できるなら、試してみるか? 私は許容できないが」

 「あ、それは嫌ですね……。そうなると聖国くらいしか行く当てがないのが本当にイヤです。……というか、訴えられてるのは僕なんですか? ヴァンパイア──どうせミナのことでしょうけど、ミナが誰か殺したって、それは僕の所為じゃないでしょ。第一、僕はミナをテイムしたわけじゃないですし」


 というか、ミナはそもそもフィリップの命令に従って動くつもりなど毛頭ない。

 「あいつを殺して!」なんて言ったって、気分が乗らなければ普通に拒否するだろうし、あまり下手なことを言うと躾けられる可能性もある。ペットよろしく、というか、そのままペットとして。


 「あー……それなんだが。お前は一応、ミナの使役者ということになっている」

 「は? なんでですか?」

 「テイムされていない……安全である保証がない魔物は王都に入る際、錬金術製の特殊ケージに入れて運搬するよう王国法で定められている。ミナが王都に入るとき、衛士団が許可を出す決め手になったのは『エンフォースシャドウジェイル』だったな? あれが疑似的な召喚使役術式として認められて、ミナは名目上、お前の使い魔になったんだ。書類上、と言うべきか」


 あれは召喚でも使役でもなく拘束術式なのだが、そういうことになってしまった以上、この場でゴネたって意味はない。フィリップは文句を言おうとして、寸前で不貞腐れたように口を噤んだ。


 「……書類上、僕にはミナの行いに対する責任があると?」

 「そういうことだ」


 ふーん、と頷いて考え込むフィリップ。

 

 ペット(ミナ視点)兼飼い主(書類上)兼ペット(フィリップ視点)。

 アイデンティティが崩壊しそうな肩書だ。その程度で崩壊するほどヤワな自己認識はしていないが──どうせ、自分も他人も“泡”という認識に帰結するのだが。


 ちょっと拗ねていたフィリップだったが、その自分の考えが面白かったのか、今はくすくすと一人で笑っていた。


 なんか下らないことを考えているんだろうなぁ、と、心を読む力など持たずとも推察できたルキアとステラは、今一つ危機感のない友人に代わって大真面目に思考を回す。


 「相手の言い分は?」

 「先日、ミナが冒険者に絡まれて全員殺したのは知っているな? その一件は正当な防衛行為ではなく、不当な傷害行為だというのが大まかな論旨だ。“龍狩りの英雄”と、成龍一匹を単身で相手取れる化け物であれば、殺さずに反撃することも、その場を立ち去ることもできたはず。殺したのは過剰であり、カーターがミナを制御できていないか、その武力に酔っている……そう主張したいようだ」


 ステラから説明を受けて、ルキアは嘲笑を通り越して呆れの色が多分に強い苦笑を浮かべた。


 「力量差も見切れずに絡んで行って殺されて、その上……はぁ。無様すぎてぞっとするわね」

 「彼奴が殺した冒険者の一人が、ディーチ伯爵の娘だったらしい。それで、まあ、何というか……少し憔悴しているのだろう」


 狂った、という言葉を敢えて避けるステラ。

 ルキアにもその理由はなんとなく分かる。もしもフィリップが相手を「吸血鬼は人間を殺すということも知らない馬鹿」ではなく「狂人」と認識すれば、どんな対応をするのか想像もつかない。


 流石に即カルト判定を下して殺しにかかることはないだろうけれど──では人間に向けるべき最低限の敬意と尊重を持てるかというと、ちょっと怪しい。


 ただ、ディーチ伯爵の主張は全くの的外れというわけではない。


 冒険者たちとミナの戦力に大人と子供ほどの──人間と虫けらほどの差があった以上、防衛の域を逸脱していたという主張は正しい。

 冒険者ギルドのルール的にも、王国法としても、馬鹿が絡んで返り討ちにされた場合は返り討ちにした方は罪に問われない。しかし、過剰防衛を抑制する意味で罰則規定があるにはあるのだ。


 判例からすると、戦意を喪失した相手に追撃を加えたり、拘束代わりに四肢を切断したりした場合には過剰防衛になる。


 道理として考えても、子供の喧嘩を仲裁する大人が、どさくさで殴られたからと言って子供を殺せば罪になるだろう。そういう主張だ。


 過剰防衛行為。

 そしてそれは吸血鬼を制御できていない証左であり、使役術やテイムに関係する法に触れる。


 簡単に纏めると、ディーチ伯爵の主張はこの二点だ。つまり。


 「私たちが主張すべきは二点。自己防衛に過剰も何もない、絡んだ馬鹿が悪いということ。化け物を制御しようという試み自体がナンセンスであること。まず大前提として、法の上では相手が正当である以上、道理で語る必要がある。いいか? 王国法に照らしてどうこうじゃなく、常識と道理で説得するんだ」


 私たち、とさらりと言ったステラに、ルキアとフィリップは顔を見合わせてこっそりと笑う。

 ルキアは「あのステラが、すっかり保護者ね」と可笑しくて笑ったのだが、フィリップは「殿下が味方なら勝ちは確定だ」と安穏と笑っていたので、微妙に噛み合っていない。


 そして、フィリップの安堵は時期尚早だ。


 「でも、御前論奏だったら、ステラはあまり役に立たないわね。貴女は裁判所の側、フィリップの側にも、訴えた側にも付けない、付いてはいけない中立だもの」

 「まあ、流石に裁定者はお父様だが……正直、訴えが通ったのが不思議なんだ。そりゃあ、書類上はカーターを訴えることが可能なわけだが……」


 どういうことですか? と首を傾げるフィリップに向けて、ステラはぴっと指を差す。


 「お前は聖痕者と神官に近しく、衛士団に混ざって龍狩りを成し遂げた英雄であり、今はまだ平民であるものの爵位授与は確実……。どう考えても、王国側が問題を握り潰すべきだ。というか事実、文官連中は私のところにそう言いに来た。が──その時には既に、御前論奏は執り行われることになっていた」

 「臣下の掌握が甘い……わけではないでしょうね。貴女に限って」


 確かに、とフィリップも頷く。ステラは次期女王として国王や宰相からの信頼も篤く、能力的にも信教の面から言っても、反感を持つ余地がない。おまけに人類最上級の美人と来れば、彼女の足元に身を投げ出しその手足になりたいと望む声も多いだろう。


 フィリップだって、貴族になるのは勉強が大変そうなので嫌だが、彼女の臣下となり彼女のために働くのは嫌ではない。


 だから、ステラの人望がないわけではない。

 ないが──王宮の全てを掌握しているのは、今はまだステラではないのも事実。


 「予想だが、宰相か父上のどちらか──或いは両方が、何か企んでいるんだろう。カーターのことをもっとよく知るいい機会だとでも思ったか、ミナが狙いか。或いは、訴えてきた貴族の方に何かあるか……」


 面倒な、とルキアが眉根を寄せる。

 フィリップもルキアも「国王も奴隷も同じ人間だよね」と、強い平等意識を持っているわけだが──万人を平等に無価値と見ているわけだが、その能力に大きな差異があることもまた、知っている。


 二人が良く知る人間で一番頭が回って頼りになるのはステラだが、国王はその彼女をして「自分以上にこの国を善く治められる」と信頼する人物だ。能力、人望共にステラを上回っているというのは想像に難くない。


 もしも国王が“敵”になったのだとしたら、本当にフィリップが国外追放されるようなことも有り得る。まあ、龍狩りの英雄(デコイ)はともかく、ミナという強大な化け物と聖痕者二人に反感を持たれるようなことをするとは考えにくいけれど。


 「とにかく、私は当日まで色々と調べる必要があるし、本来ならここでこうしてお前と話しているのも多少不味い。ルキア、カーターのことは任せるぞ」

 「言われるまでもないわ。……ところで、そのディーチ伯爵を殺せばいいんじゃないの? 王族のを使えないなら、マルグリットを貸してあげましょうか?」

 「言うと思った……。まあ、それも一つの手段ではあるが、最終手段だ。カーターが今後貴族になるにあたって、この手の問題を武力──暴力だけで解決するのはよろしくないからな」


 言い聞かせるようなステラの言葉に、フィリップは曖昧な笑顔を浮かべて頷いた。

 まあ最悪の場合はかなぁ、なんて考えていたのがバレたのだろうか、と。


 ルキアはフィリップに聞こえないよう、声を潜めてステラに囁く。


 「……でも、書類と法の上では、フィリップは有罪なんでしょう? どうするの?」

 「どうするというか……法と書類だけで考えるなら、カーターが無罪になることはないだろう。ディーチ伯爵は馬鹿じゃない。娘を殺された報復を成し遂げるために、きちんと考えて動いている」

 「……そうなると、御前論奏はある程度好都合よね? 法に適っていなくても、陛下が「法の側に問題がある」と思えば放免されることもあるし」


 彼女らしくもなく、安心を求めるように尋ねるルキア。


 「あぁ。お父様の裁量で全てが決まる以上、カーターが重い処罰を受けることはないと思うが……」


 ステラは、そこは心配していない。

 ステラが個人的感情と主観を抜きにしても「フィリップを罰するべきではない」と考えている以上、ステラ以上に頭の回る国王ならば、間違いなく同じ考えのはずだ。


 だって、これは最適解でさえない、ただの一択。

 

 フィリップを敵に回すということは、ミナを敵に回すことと限りなく等しい。

 そしておそらく、聖国の黄金騎士、人類の最終防壁と称されるレイアール・バルドル騎士王までも。


 ディーチ伯だって、そんなことは分かっているはずだ。……多分。

 大陸中に蔓延した魔力感染性の奇病“眠り病”の治療器具、魔力浄化装置を聖国に貸し出したとき、その素材回収にフィリップが貢献したなんてことは王国は一言も教えていなかったのに、謝礼金の2割をフィリップ個人へ分与するよう聖国から要請があったことは、保管されている親書を見ればすぐに分かる。


 フィリップのことを調べているのなら、そのことも知っているはずだ。よしんばそちらは知らなかったとしても、ミナの強さは十分に理解しているだろう。


 それを分かった上でのことだから、国王と宰相もそれを利用して、何かの策謀を巡らせているはずだ。或いは、何か目的があってディーチ伯を泳がせているか。


 「……まあ、あまり過激なことは言われないはずだ。だが罰金程度でも、たとえ何の罰則もないとしても、非を認める必要は無いからな」


 勿論です、とフィリップは頷く。

 認めるも何も、事実、フィリップはほんの一片たりとも罪悪感を覚えていないのだから、罪の認めようがない。


 まあ、罰金の代わりに爵位の叙勲を取りやめにしてくれるというのなら、ちょっと考えなくもないけれど。


 ──なんて、この時には、まだそんなことを考えていた。



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