希死

第345話

 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ15『希死』 開始です。


 必須技能・推奨技能はありません。


──────────────────────────────────────


 王城のとある一室、国王でさえ滅多に立ち入ることのないその部屋に、フィリップはいた。

 部屋はステラの私室より小さい上に、玉座と、それに向かい合うように置かれた演壇、そして演壇の両側の壁に据えられた机と椅子のセットのせいで実際以上に手狭に感じた。部屋最奥の玉座には国王が坐し、両隣にステラとサークリス公爵を従えている。


 部屋にはルキアと、もう一人の大人がいる。護衛の騎士を除いて、重要なのはこの六人だ。


 国王と向かい合うように演壇に登ったフィリップは、部屋の中を見渡して嘆息する。

 そして両手を戒める鉄の枷を見て、皮肉げに口元を歪めた。


 フィリップから見て左側の机に着いていた、国王より幾つか年上に見える壮年の男性が徐に立ち上がる。

 そして国王へ整った所作の立礼を送り、苛烈な怒りを湛えた口調で話し始めた。


 「原告ケイリス・フォン・ディーチ伯爵より、国王陛下へ奏上致します。被告フィリップ・カーターに対し──死刑を求刑致します」

 

 自分を睨みつけ、死を願う男に、フィリップは困ったように笑った。


 どうしてこんなことになったのか。その原因は、一週間前の出来事にあった。



 ◇



 王国内ではそこそこ有名な観光地だった『心鏡の湖』の水質汚染が突如として改善されたとあって、その場所の人気は以前を数倍しているらしい。

 神の御業だとか、精霊の奇跡だとか、そんな感じの噂が盛況の源だ。ステラにはある程度“事実”を話してあったので、それを聞いたときには二人してゲラゲラ笑ったものだが──さておき、フィリップたちはかねてより計画していた避暑旅行に行くことになった。


 夏休みの時期にはエルフの首都で大事な祭事があるとかで、残念ながらエレナは不在だ。

 「フィリップくんと姉さまと水遊びしたかったー!」なんて、馬車に乗って王都を発つギリギリまでゴネていたので、選べる機会があれば水辺の依頼を受けよう、なんて思ったフィリップだった。


 「それで……何を探しているの、フィル?」


 三等地外縁の王都の門までエレナを見送りに来ていたフィリップは、夏休み中の滞在先であるタベールナには戻らず、三等地の店をあちこち覗いて回っていた。


 ミナは夏の日差しを鬱陶しそうに見上げつつ、リードを引っ張って散歩の延長を主張する犬を見るような目でフィリップを見守っている。


 「浮き輪。地元だとフロートと言えば水筒に使う革袋だったんだけど、王都にはレジャー用のものが売られてるらしいから、探してみようと思って」

 「フロート?」

 「浮き具のことだよ。川で遊ぶときとかは、それと子供を結んでおくとか、それに掴まって泳いだりするんだ」


 三等地には置いてないのかなぁ、なんて言いながら真剣な眼差しで大通りに面した店を吟味しているフィリップ。

 「浮き具……?」と今一つ理解できていない様子のミナも、現物を見た方が早いかと素直に後ろについてくる。


 「フィル、泳げないの?」

 「泳げないってほどではないけど、そんなに速くはないかな。流れとか波が激しくない限り、フロート無しでも溺れたりはしないよ。……ミナこそ、荒野育ちでしょ。泳げるの?」

 「泳ぐという行為を試したことはないけれど……水中でも問題なく飛べるし、溺れることはないわね」

 「いや、そりゃ呼吸しなくてもいいんだから溺れはしないでしょ……」


 というか、水中を“飛ぶ”というのもおかしな話だが。

 多分、手で水を掻いたりバタ足をしたりせず、自由自在に水中を移動できるということなのだろう。それはもう「飛翔」とは呼べなさそうだけれど、絵面を想像すると面白かった。


 ──と、そんな話をしている時だった。


 「ねぇ、そこの美人さん。ちょっといい?」


 明らかにフィリップとミナの行く手を阻むように、四人の男女が立ちはだかる。

 軽鎧や刀剣、魔術補助具の杖などで完全武装しており、如何にも物々しい雰囲気を纏っている。一団に武装の統一感はなく、騎士や衛士の一個部隊という感じではない。盗賊ほど小汚い身なりではないので、冒険者か傭兵だろう。


 フィリップが足を止めて漸く自分たちのことだと気付いたミナが、フィリップの二歩ほど前で立ち止まった。


 「……?」


 まさかナンパか。正気かこいつら。

 そんな内心を窺わせる胡乱な目を向けるフィリップだが、そんなワケはない。


 吸血鬼相手に純粋に「綺麗」とか「美人」とか思えるのは、人外への恐怖心が欠如しているごく一部の人間だけだ。


 「貴女──吸血鬼よね?」

 「……そうだけど?」


 道行く人に「キミ人間だよね?」と問いかけた時に向けられるであろう、正気を疑うような顔のミナ。


 しかし彼らにとってそれは当然のことを確認したわけではなく、むしろ、決定的な糾弾──弾劾のつもりだった。


 「だったらさぁ、なんでそんなに堂々としてるワケー? ちょっと人間舐めすぎじゃなーい? 気付かれないとでも思ってんのー?」


 両腰に対の短剣を佩いた痩躯の男が笑う。

 挑発的な笑顔だが、ナイ神父の嘲笑を見慣れているフィリップには挑発的というより単に不自然に見えた。


 「ミナは一応、衛士団に認められて王都に入ってますよ。無闇に人を食わない、万が一の場合は僕が拘束するって条件にも、ちゃんと同意しました」

 「いやいや、流石にそれを「はいそうですか」って認めるワケないじゃーん?」


 じりじりと首筋の焦れるような敵意を放つ、武装した一団。

 周りの店にいた客や店員がそっと離れていく──戦闘慣れしていない一般人にも感じ取れるほど、濃密であからさまな敵意。


 しかし──フィリップは丸腰のまま、ぽりぽりと頭を掻く。構えもせず、逃げもせず。


 「認める、ねぇ……。衛士団が認めた以上、何処の誰とも知らない人の許可なんて必要としないわけなんですが……というか、冒険者みたいですけど、王都の人じゃないですよね?」

 「私たちはディーチ伯爵領から王都に出てきたのよ。支部から王都行きの許可が出た、所謂“一握り”ってわけ」


 ふーん、と適当に頷くフィリップだが、そこそこ凄いことだ。

 

 王都の冒険者は魔術学院や軍学校の卒業生が多く、戦闘能力に長けている。戦闘力や経験などを総合的に判断して区分される冒険者ランクは、一応は王都内外で一貫した等級区分になっているものの、同じランクでも王都の冒険者の方が強いとされているくらいだ。


 それに、そもそも魔術師のいないパーティーが殆どの王都外の冒険者では、出来ることの幅が大きな差がある。


 だから王都外からやってくるということは、そこそこ以上の実力があることの証明だった。少なくとも、今のフィリップの白兵戦能力では敵わないだろう。──魔術は普通に効くだろうけれど。


 ともかく、フィリップは「やっぱりね」と軽い納得に落ちた。

 冒険者は知識と情報が命だと冒険者コース担当のジョンソン教授に教わったが、フィリップは王都ではそこそこ顔の売れた『龍狩りの英雄』だ。主に衛士団が凱旋パレードに引きずり込んでくれたせいなのだが。


 そしてミナの強さと危険度も、王都の冒険者はミナが来てから数週間で厭というほど思い知っている。寝首を掻きに行ったパーティーが丸々一つ、心臓だけオヤツにされて残飯は捨てられていたこと、知らない者はいない。


 「やっぱり。冒険者ギルドに行って説明を受けるとき、ミナのことも教わりますよ」

 「えー? そんなまだるっこしいことしなくたってー、もーっと簡単な方法があるじゃーん?」


 獰猛に笑って、双剣使いの男は踊るようなステップで飛びかかった。

 一対の短剣は毒々しい紫色の煌めきを纏い、妖しい存在感を放っている。斬られるどころか、掠めるだけでも悪影響がありそうだと直感できる色合いだ。


 そして。


 ぞぱ、と。耳障りな音を立てて、三つの赤い彼岸花が咲いた。


 「……え?」


 振り返る前に気配で分かったのだろう、男は斬りかかる動作の途中で硬直し、恐る恐るという動きで振り返る。


 その目に映るのは、援護のため構えた、背中を預けるに足る頼れる仲間たち──赤い彼岸花の穂先に磔にされた彼らの、鮮やかに赤い姿だった。


 死者たちの名誉のために言っておくと、彼らとて本気でミナを殺すつもりで斬りかかったわけではない。

 攻撃に対する反応を見て、ミナが本当にかどうか確かめようとしただけで、攻撃は全て寸止めや足元狙いのつもりだった。尤も、彼らの武器ではミナを一回殺したところで、10万以上の命の一つを削るだけだ。魔剣『美徳』のようなアンデッド特攻性能はないので、殺し切ることなど到底不可能なのだけれど。


 そしてミナの名誉のために言っておくと、彼女とて、攻撃の狙いが甘いことは分かっていた。やけに動きが遅いのは、単純に弱いのか加減なのかは判断しかねたが。


 だが──まあ、だからどうしたという話で。

 刺さない虫。咬まない虫。小さく、無力な羽虫。──飛び回るそれを適当に払って殺すことに大多数の人間が意味を見出さないように、適当に払った小さな命の顛末に興味を持たないように、ミナもそうだ。


 性格的に、人間を積極的に殺したりはしない。

 しかし絡んでくるのなら、面倒なら、殺す。なるべくシンプルに、労力を使わない方法で。そして速やかに。


 王都で自分たちの実力を誇示する手っ取り早い機会だとでも思ったのだろう。

 過去に吸血鬼を倒した経験があるからと、自分たちの力を過信した。いや、無知だったのだ。


 この世には、『試しに挑んでみよう』なんて考えを許さない──逃げることさえ許されない、強大な存在がいるということを知らなかった。


 「な、なんで……」


 震え声の呟きに、フィリップは冷たい目を向ける。


 なんで死んだのか、という意味なら、彼我の実力差も見えないほど弱くて愚かだったからだ。

 そして、なんで自分だけは磔刑に処されていないのかという意味なら、ただの気まぐれだ。ただ、ミナが気まぐれに──彼をおやつにすることに決めたから。


 「ぁっ」


 聞くに堪えない凄惨な音を立てて、男の胸の中から赤黒い塊が引き摺り出される。断末魔は限りなく小さかった。

 フィリップがついまじまじと正体を見てしまったそれは、まだビクビクと痙攣している心臓だ。


 無挙動で三人を殺し、最後の一人も無造作に殺したミナは、血を噴いて頽れる死体には一片の興味も示さず、王都の石畳にじわじわと広がっていく血のように鮮やかで艶やかな唇を手中の心臓へ近づける。


 そして心臓の左側、厚い筋肉の外皮に牙を立てて引き裂くと、中から零れ出したほんの少しの血液だけを舌の上に垂らした。

 オレンジの果汁を絞って飲むような仕草だが、赤く艶めかしい舌と唇を同じくらい赤い血液が濡らす様はいやに色気に満ちていて、フィリップは思わず見入ってしまった。


 「ん……微妙ね。栄養状態が悪いのかしら」


 言って、ミナは手にしていた心臓を適当に放った。

 石畳に落ちた心臓は熟れすぎた石榴のように汚らしい音を立てて潰れ、それきりミナの興味を完全に喪失した。ゴミのように、というか、事実、残飯ゴミとして。


 「ポイ捨て……いや待って、そんなこと言ってる場合じゃない」


 ゴミはゴミ箱へ、というか、自分のものではなくてもゴミを見つけたら拾って捨てるのが当たり前の元宿屋の丁稚としては、ちょっと顔を顰めるところだ。

 が、流石に、そんなことを気にしている場合ではない。磔刑にされた三人からは絶えず鮮やかな血液みつが流れ出し、鉄と内臓わたの匂いが立ち込めている。


 綺麗に整備された石畳の上を血の川が流れ、そこかしこから押し殺した悲鳴が聞こえてくるさまは、小さな地獄のようだ。


 その中で、フィリップは──庶民だった。


 「なんか、物凄く贅沢なことしなかった? リンゴをひと齧りして捨てるみたいな」


 傷んでいたわけでもあるまいし、勿体ないことをせずにちゃんと全部食え、なんて考える小市民。一応、フィリップも王宮の金庫に預ける程度の財産はあるのだが、一度も手を付けていない。というか、額が大きすぎて怖いので忘れようとしている。ゼロがあともう2つくらい少なければ、「大金持ちだ!」と喜べる程度だったのだけれど。


 「ここの血が一番フレッシュなのよ。血液いのちのストックはまだまだ余裕があるし、全部飲む必要はないわ」

 「あ、そう……」


 つまみ食いを終えて完全に興味を失ったらしいミナは、「普通に売られているものなら取り寄せられるでしょう? あの二人に頼みなさいな」なんて言って帰りたそうにしている。


 日差しを浴びても灰にはならないミナだが、日光下では各種能力が半減するという種族特性があるから、ただ暑いだけのフィリップより夏の日差しが鬱陶しいのだろう。


 確かに買い物ならルキアかステラに言えば取り寄せてくれるから、欲しいものがどうしても見つからない場合は頼るのも一案だ。

 しかし流石に王宮や公爵家が使う店は高級品ばかりだし、金銭感覚が一般人の域を出ないフィリップとしては、やっぱり二等地から三等地レベルの値段が丁度いいのだった。


 「ミナは何か持って行きたいものとかないの?」

 「大体のものは魔術で作れるし、特に思いつかないわね」


 適当な答えのミナに、フィリップは血の杭を一瞥して苦笑した。


 清涼感溢れる湖畔に禍々しい血の色をしたパラソルなんて置かれたくないので、日除けになるものを探しておくべきかもしれない。まあ森に囲まれた湖なので、木陰には困らないだろうけれど。


 と、そんなことを考えつつその場を立ち去ろうとすると、背後から物凄い勢いで駆け寄ってくる人影があった。

 走っているだけなのにガチャガチャと喧しいのは、彼の全身を覆う金属鎧のせいだ。鎧に施された意匠はフィリップにはもう馴染みの深い、王都衛士団のシンボル。


 「ちょ、ちょっと待ってカーター君! ウィルヘルミナさんも! なーに何事も無かったように立ち去ろうとしてるんだい!? これ君たちがやったんでしょ!?」


 慌ててフィリップとミナを引き留める、全身鎧姿の男性。

 フルフェイスヘルムで顔が分からないから、くぐもった声からの判断になるが、多分、一緒に龍狩りに行った中の誰かだろう。聞き覚えがあるような気がする。


 「え? ……もしかして、この掃除って僕たちがやるべき……ですよね、やっぱり。ごめんなさい。えっと、道具の貸出とかってありますか?」

 「うん、違う違う、そういうことじゃない。いや、それもなんだけど……え? 俺が間違ってる? 今ってどういう状況?」


 死体の処理は投石教会にでも頼もうか、なんて考えるフィリップに、衛士は真顔で──顔は見えないが──頭を振った。


 問われたフィリップだが、それはフィリップとしても尋ねたいくらいだ。まあ、尋ねるべき相手はもう死んでいるのだけれど。

 

 「この人たちが斬りかかってきて、ミナが反撃した……っていう以上の説明はないですけど……」


 フィリップの説明は端的で正確だ。

 類似のケースを既に何件か知っている衛士団にとって「ああまたか」程度の感情しか呼び起こさない、状況の推察には必要十分なもの。


 ミナが絡まれるところを見るのは、フィリップはこれが初めてだ。しかし衛士たちにとってはそうではない。

 血気盛んな冒険者たち、中でも王都外から実力でのし上がってきた手合い──つまり、魔力視ができるような高位の魔術師がいないパーティーが、実力を誇示するためとか正義感とかで挑みかかることは、頻繁ではないにしても、一回や二回ではない程度にはままあることだった。


 そして、生存や和解の余地なく一瞬で殲滅されることも。


 この手のトラブルは、命懸けの冒険で心の余裕をすり減らした冒険者たちにはよくあることだ。刃傷沙汰もそうだが、人死にだって珍しくはない。

 絡んで殺したらペナルティは重いが、絡まれて殺した場合のペナルティが微々たるものに設定されているのは、彼らに自重と自己防衛を促すためだ。


 トラブルは、まあ、起こる。人間の集合だ、それは仕方のないこと。

 だからせめて殺さない程度、喧嘩程度にしなさいね。自分の身は自分で守っていいからね。


 と、そういうルールになっている。


 だから──化け物に絡んで瞬殺されても、ルールは化け物に報いを与えてはくれないのだった。


 「またか? ギルドの連中、ちゃんと説明……いや、見たことないツラだな? 王都に出てきたばっかりの奴か?」


 衛士は凄惨な状態の死体をゴソゴソと漁り、一枚の紙を探し当てた。

 王都のパンフレット。入口のところで「一人一枚まで。ご自由にお持ちください」と山積みになっている、フィリップにも見覚えのあるやつではなく、冒険者が王都に入るときに配布される、衛士団から手渡しされるものだ。


 「やっぱりそうだ。でもパンフ持ってるってことは、門で説明は受けたはずだし……可能性は二つだな」


 二つ? と首を傾げるフィリップ。

 ミナは完全に興味を失って、指についた血を舐めていた。


 「カーターくんは自分から喧嘩売るタイプじゃない。ウィルヘルミナさんのことはよく知らないけど、カーターくんが一緒にいて止めないはずはないから──こいつらが馬鹿だったか、門のとこにいるウチのヤツが説明をサボったか。どっちかだ。……とりあえず死体は俺たちが回収するから、フィリップくんたちは俺と一緒に来て、調書だけ作ってくれるか?」


 衛士団のファンボーイは「取り調べてくれてもいいですよ」なんて言いつつ、上機嫌に了承した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る