第341話

 「偽物? いやね、私は歴とした人間よ」

 「僕とお前では“人間”という言葉の範囲が違うのかな。生憎、僕は立ち上がって動く死体を人間だとは思わない」


 何を言っているのか分からないと言いたげな顔のエレーヌに、フィリップは辛辣な答えを返す。

 相手の気持ちなど慮る必要は無いと言わんばかりの態度は、武器もなく縛られているとは──生殺与奪の権を握られているとは、とても思えない横柄さだ。


 実際、フィリップにそんな意識はない。


 相手がカルトであると分かった時点で、フィリップが縛られていようと、死の直前であろうと、決定することはただ一つだけだ。即ち、眼前敵の死。

 自分が死ぬかもしれないなどという懸念は頭の中から完全に消え、カルトを如何に苦しめて殺すかが思考の大半を埋める。


 こうやって逃げて、こうやって倒そう。とか、そんな甘い考え方ではない。

 。それだけだ。


 まあ今回の場合、相手はもう死んでいるのだけれど。


 「死体……? 何を言っているの? 私は──」

 「さっきの昏睡性ガス、あれは魔物駆除に使うヤツの弱い版でしょ? 獣除けに使うとでも言えば、錬金術師とかその手の知識のある冒険者が作ってくれるだろうけど……どうしてお前には効かない? それはお前が呼吸していないからだ」


 エレーヌではなく、エレナに説明するために態々語る。

 いつものフィリップなら「カルトか。じゃあ惨く死ね。お前と語る言葉なんぞ持ってない」とばかり殺しにかかり、縛られているならハスターに解いて貰えばいいじゃない、と召喚魔術を切りかねないことを考えると、エレナは枷としてそこそこ有用なようだ。


 ルキアやステラ、衛士たちとは比べるべくもないが。


 「それに、僕はここ何日かで、お前がトイレに行っているところを見たことがない。まあ偶然である可能性だって大いにあるけれど──ミナと同じで、食べたモノが消化ではなく魔力に分解されると考えると納得は行く」


 「そういえば!」なんて指を弾くエレナ。彼女もフィリップと同じく、エレーヌがトイレに行くところを見ていないらしい。


 まあ、一つの小さなコテージ内で一緒に寝泊まりしているとはいえ、たった三日のことだ。たまたまタイミングが合わなくて見掛けなかっただけ、という可能性だって十分にあるし、態々「ちょっとトイレ」なんて宣言していくのは学院でだってフィリップくらいのもの。偶然である可能性も十分に高い。


 だが、そんなことはもう、どうでもいい。


 「というか、率直に言って、僕はお前が生きていようが死んでいようがどうでもいいんだ。僕の憎悪は、ただお前の苦痛によってのみ払われる」


 エレーヌはカルトだ。厳密にはただの邪神崇拝者であり、それだけなら状態的にはルキアと同じ。フィリップが殊更に憎悪を向けることはない。

 ないが──フィリップは彼女をカルトであると断定した。定義し、決定した。ならばその時点で、エレーヌはカルトなのだ。


 ならばその生死に意味はない。

 痛覚があるのなら肉体的苦痛を、感情があるのなら精神的苦痛を背負わせて殺す。殺し直す。

 

 「手始めにお前の神を引き摺り出そう。殻を剥いて素焼きにして、小さく切り分けてビヤーキーの餌にしてやる。次にお前の夫の墓を暴こう。骨を砕いて森に撒けば、きっといい養分になる。そして最後にお前を解体バラそう。無人の墓前に揃えて供えてあげるよ」


 背中合わせに座ったエレナが、びくりと震えたのが肌感覚で分かったフィリップだったが、頓着はしない。


 いまはエレナの感情に気を配っていられるほど、フィリップにも余裕がない。

 殺したくて殺したくて堪らないのだ。


 飢えている。

 餓えている。

 渇いている。


 まるで本当に飢餓に陥ったかのような攻撃衝動に襲われているのだ。


 「カルトは絶滅しなくてはならない。ただし、あらん限りの苦痛を味わった上で、ゲロと血と絶望に塗れて死んで貰う必要がある」


 そして──フィリップの目の前で、出来るならフィリップ自身の手に掛かって死ぬ必要がある。


 「必要?」とエレナが呟く。

 囁くようなその問いに、フィリップは誰がどんな気持ちで問いかけた言葉なのかに一切の気を払わず、淡々と答えた。


 「あぁ。僕が望む──故に、それは必要なんだ」


 “神がそれを望まれた。故にそれは必然である。”

 一神教の聖典の一説を改変した言葉だと分かったのは、エレナではなくエレーヌだった。


 「神にでもなったつもり?」

 「まさか。天地万物に平伏されたってなりたくないよ」


 冷ややかなエレーヌの言葉に、フィリップはにっこり笑って──劣等種に向けるに相応しい侮蔑に満ちた嘲笑を浮かべた。

 馬鹿にして面白がっている、というわけではない。ただ単に見下しているだけだ。ナイアーラトテップがフィリップに向けるものとはまるで違う、薄ら寒い笑顔だった。


 「……まるで狂人ね」

 「お前から貰うには最高の誉め言葉だよ」


 ほんの少しの怯えと、フィリップと似たような軽蔑の感情を滲ませて言うエレーヌに、フィリップは嬉しそうに笑う。

 その笑顔には曇りや裏が一寸たりとも感じられず、嫌みの類ではないと直感的に理解できる。だからこそ、不可解だった。


 まるで、神を見下しているかのような物言いは。


 「……月が昇ったわね。じゃあ、始めましょうか」


 恐ろしいものから目を背けるように、エレーヌはフィリップから視線を切って湖の方を見た。

 決して美しいとは言えない緑色に汚濁した水面は、微かに映る白銀の月の光さえ穢すように思えて、フィリップは得も言われぬ不快感を抱く。


 まあ、その不快感なんて無くても、どっちみち。エレーヌの死は確定しているのだけれど。


 「……貴方たちには本当に申し訳ないと思っているわ。分かってとも、許してとも言わない。けれど、夫を──セオを生き返らせるためなら、私はなんだってするわ」


 本当に申し訳なさそうなエレーヌに、フィリップはまるで慰めるかのようににっこりと笑いかけた。


 「あっそう。ところで旦那さんの名前ってなんだっけ?」


 エレナが不思議そうに振り向こうとして、縛られているのを思い出して諦めたのが背中に感じる動きで分かった。

 問われたエレーヌの方がむしろ平然としていて、ちょっと首を傾げた程度で普通に答える。


 「言っていなかったかしら? ルークよ。ルーク・ルモンド」


 エレナはまた振り返ろうとしたが、「え?」と口走る前に、フィリップが体重をかけて「静かに」と示す。


 反応から察するに、エレナもコテージの裏にあった墓石を見たのだろう。

 ぴかぴかに磨き上げられた御影石に彫られた『ニコラ・ルモンド』の銘も。


 「そうなんだ。髪の色とか目の色は覚えてる?」

 「勿論。貴方と同じ金髪に青い目だったわ」


 ふむ、とフィリップは頷く。

 ボート小屋で見た肖像画に描かれていた男は、確かに金髪に青い目だった。


 つまんないなぁ、なんて口走りそうになりつつ、先を続ける。


 「ふーん。あれ? そういえば、旦那さんの名前ってなんだっけ?」


 問いかけると、背後でエレナが身動ぎしたのが分かった。

 たったいま聞いたばかりの質問を繰り返されて流石のエレーヌも眉根を寄せるが、これから生贄にする子供への罪悪感か、はたまた違和感を抱き続けるだけの健常性がないのか、素直に答える。


 「え? だから、アンリよ。アンリ・ルモンド」


 十数秒前とは違う答え。

 それを聞いて、フィリップはにんまりとほくそ笑んだ。


 「ルーク=アンリ・ルモンドさん? それとも複数人いるの?」

 「何を言っているの? 私の夫は人生でただ一人、アイクだけよ」

 「アイクさんってどんな人だったの? 髪の色は?」

 「綺麗な茶髪よ。すごく癖の付きやすい髪質でね、毎朝大爆発だったの」

 「あはは、そうなんだ。じゃあ──」


 畳みかけるように──或いは傷口に塩を塗り込めるように、心底楽しそうな笑顔で問いを重ねていたフィリップの愉悦に浸るひと時は。


 「もうやめて!」


 と、そんな悲壮感漂う叫び声で終わりを迎えた。


 「フィリップ君、お願い……もう十分でしょ? エレーヌさんは、もう──」


 今にも泣き出しそうに湿った声で紡がれる説得の言葉は、しかし、尻切れに終わる。

 その先を口にすることが憚られた、とか、その必要が無かった、とか、そんな優しい理由ではない。


 エレナが口を噤んだのは恐怖ゆえだ。

 背後から感じる、首筋が焦げ付くような敵意に気圧された。


 自分の背丈を優に超える熊や、6匹以上の狼の群れ、武器防具で武装したオーガの一個小隊をさえ相手取った経験を持ち、その全てを退けてきた歴戦のエレナが。


 敵意の出処は言うまでもなくフィリップだ。


 正気を失ってしまったらしいエレーヌを弄ぶような物言いが気に障ったとか、フィリップが他人を執拗かつ残酷に嘲弄するところなど見たくなかったとか、理由はいくらでも思いつく。フィリップだって、エレナの思考はある程度分かってきたのだから。


 で。


 それがどうした、という話だ。


 今この場に限らずとも、フィリップは意思決定に自分の感情を介在させることに躊躇いがないし、その比重は合理性を容易く上回る。他人の感情なんかが、今更どれほどの意味を持つと言うのか。


 いや──そもそも。


 のは仕方ない。それはフィリップ自身が勝手に枷を付けているだけの、いつものことだ。


 だがのなら。

 そんなやつは要らない。誰であれ。その理由がなんであれ。


 しかしフィリップが募らせた苛立ちを言葉に変換して口走る前に、じわじわと空の頂上へ向かい始めた月を見たエレーヌが慌てる素振りを見せた。


 「もう、なんなの、二人して……。あぁ、時間だわ。もう儀式を始めないと」


 月は未だ頂上には届かない。昨日の月から考えるに、日付が変わるまで1~2時間と言ったところか。

 フィリップが読んだ日記の魔導書の写しの部分に書かれていた、生贄奉納の儀式に適した時間帯だ。ちなみに交信儀式は月が天頂を過ぎてからが最適なので、昨夜はボートに乗って湖の真ん中まで出て、そこで交信していたのだろう。


 まあ、今更そんなことが分かったって、特に意味はないのだけれど。


 儀式の方法は知っている。さっき読んだ。

 エレーヌが呪文を唱えると湖から棘のように鋭利な触手が出てきて、生贄を貫く。そして大量の負のエネルギーを送り込まれ、贄はアンデッドの軍勢として自ら水底に沈む。


 フィリップもエレナも、流石に触手で貫かれたら死ぬだろう。シュブ=ニグラスの精神防護が隷属効果を弾くとしても、物理攻撃に対して、フィリップは意外と無防備だ。


 フィリップは暫し、無言で考え込んだ。


 眼前のカルト。背後の少女。──妙に覚えのある状況だ。

 違和感が既視感だと気付いた後は、以前に経験した類似の状況を思い出すのにそう時間はかからなかった。


 一瞬の過去回想の後に、フィリップは悲壮感にも似た何かを滲ませる、泣き笑いのような笑みを零した。


 「あぁ──ルキアは本当に凄いなぁ。一緒に居なくても、僕を導いてくれる。僕を……引き留めてくれる」


 ルキアみたいに、自分の力だけで誰かを守れるほど強くはない。

 何より、そんな感情よりもカルトへの憎悪の方がずっと大きい。


 けれど──ルキアならきっと、ここでエレナを見限ったりはしない。

 ほんの一瞬だけでもそう思ってしまったら、フィリップはもう笑うしかない。──もう、エレナのことをどうでもいい相手と見捨てるわけには行かない。


 だから、フィリップは。


 「《エンフォースシャドウジェイル》起動」


 神様ではなく、飼い主を頼ることにした。




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