第327話
爆発。──いや、燃焼を伴う、所謂爆発ではない。フィリップとエレナがそう誤認したのは、地面の土が爆音と共に高々と噴き上がり、ばらばらと雨のように降ってきたからだ。
地面が爆発した。反射的にそう思ってしまう光景だった。
背後で村人たちがどよめき、足を止めた気配がする。
なんだ、と反射的に疑問の声を上げかけたフィリップは、口に入った土を吐き出すために言葉を中断せざるを得なかった。
もうもうと立ち込める土煙が晴れた後、土の臭いには血の臭いが混ざっていた。
続いて、苦悶の声が耳に届く。
「ごめんなさいね、フィル。思ったより土が柔らかかったの」
髪に付いた土を撫でるように払いのけながら言うミナ。その言葉で爆発の原因と、目の前の光景は簡単に理解できる。
一本、天を衝く赤い彼岸花。穂先に飾られているのは二本の脚だ。槍の威力のあまり、脚であることは一見して分からないほどぐちゃぐちゃになっている。
しかしそれが足であることを理解できたのは、地面に足以外があるからだ。
両足を吹き飛ばされ、大量の血を流しながら痛みに悶えている少年が。
「ね、姉さま、やりすぎ!」
「……?」
砂粒が目に入って目元を擦ろうとするフィリップを巧みに制御し、簡単な水属性魔術で目を洗い流していたミナは、愛玩の笑みから一転して、怪訝そうにエレナを見た。
生きているのにやりすぎ? とでも言いたげだ。
しかし爆発の──というか、土煙の影響から脱したフィリップが状況を確認すると、エレナと同じことを言った。
「うん、やりすぎだよ、ミナ。足を吹っ飛ばしたら蹄があるかどうか確認できないでしょ?」
同じではなかった。
言葉の始まりは同じだが、全体のニュアンスとしては真逆と言ってもいい。
「あぁ、それはそうね。でも、殺してしまえば蹄の有無なんて関係無いんじゃない?」
「一件落着だと思ったら後から真犯人が出てくる展開の本を、僕は何冊も知ってる。確証は取っておくものだよ」
そいつも殺せばいいじゃないと言いたげに片眉を上げるミナだったが、それ以上は何も言わなかった。議論する方が面倒だという結論に至ったのだろう。フィリップおすすめの本を何冊も読んでいるから、納得できる部分もあったのかもしれないが。
ミナと何か交渉する時は、もしかすると一方の選択肢を過剰に面倒臭くすれば簡単に誘導できるかもしれない、なんて考えるフィリップ。
その選択肢やミナの許容範囲を考えるだけの頭脳はないと自覚しているので、思いついただけだが。実行に移す頭はないし、そもそもミナは面倒な二択を突き付ける面倒な奴を殺す、第三の解を平気で選ぶ。妙な交渉は逆効果だし、自殺行為だ。
「両足が千切り飛ばされても本性を見せない根性があるヤツなのか、痛みがないタイプなのか、それとも隠れた本性なんて初めから無いのか……」
抜き身の蛇腹剣を持って近づいていくフィリップは、ぶつぶつと独り言ちながら考え込んでいる。
エレナが恐々と「何する気?」と背中に声をかけると、フィリップは振り向きもせず、当然のように応じた。
「そりゃ、確認だよ。ミナ、こいつの脚、治せる?」
「えぇ、いいわよ」
ティンダロスの猟犬という常識外を知っているからか、或いはそれに相対した時の、スイッチの切り替わったようなフィリップを知っているからか、ミナは軽く肩を竦めて手伝ってくれる。
ミナが薄く手首を切って血を垂らすと、無残な断面を覗かせていた両足はたちどころに癒えた。しかし強烈な痛みの感覚はしばらく残る。すぐに立ち上がって走り出すのは、痛みに慣れていなければ難しい。
果たして、少年はぐったりと横たわったままだった。
「それじゃ、ちょっと失礼して……」
フィリップは少年の足元で片膝をつくと、徐に足を取って見やすいように持ち上げた。
抵抗はないが、恐怖か痛みかで体がガチガチに強張っているから動かしづらい。
「……何してるの?」
「何って、だから、確認だよ」
問いを投げるエレナに、フィリップはまた当然のように答える。
手の中にあるのは五本指の人間の足だ。サイズも明らかにあの蹄跡より大きい。
とはいえ。
「それは全然、君が人間であることの証明にはならないよね」
虚ろな目で自分を見返す少し年上の少年に、フィリップは淡々とそう告げた。
「え……?」
困惑したような声を、フィリップはもう聞いていない。
フィリップにとって目の前の少年は、今のところ暫定人外だ。年齢、性別、種族、目に見える何もかもが擬態であるかもしれない以上、見た目から分かる情報のすべてが無意味だった。
「僕は人間に擬態する人外を知ってる。まぁ、奴らは野菜泥棒なんて意味の分からないことはしないと思うけど、そもそも存在からして意味不明な連中だからね。僕たち人間からは野菜泥棒に見えても、実は深淵に繋がる儀式の一部だったりするかもしれない」
まぁフィリップはそんな儀式を知らないのだが、それを言うならフィリップが知っている儀式なんて殆どないので、そんな儀式がないとも言い切れない。
ただ、フィリップの認識が「儀式をしようとしていた暫定カルト」ではなく、「目的不明の暫定人外」で止まっていることは、少年にとっては間違いなく幸運だった。
「な、なに言って……」
「分かんない? 君が人間か、自分のことを人間であると思い込んでいた場合のために言っておくと、僕は君が人間であることを疑っている。君が人外だと疑ってる。だから──」
フィリップは少年の足をぞんざいに放すと、立ち上がり、龍貶しの柄にある金具を操作した。じゃらら、と鎖のような音を立てて14の節が分離し、足元に垂れ下がる。
「……フィリップ君?」
倒れて動かない少年相手に追撃の意思を見せたフィリップ。エレナは肩を掴んで止めようとしたが、フィリップが龍貶しを整形するために空振りしたので近付き損ねた。
「今から君を拷問する。まあ、僕は異端審問官じゃないから拷問のノウハウなんてないし、何となく死ななそうだけど痛そうなことをするだけで、案外サックリと死んじゃうかもしれないけど……擬態って、死んだら解けるでしょ?」
自信なさげに言うフィリップだが、目の奥に宿る光は依然として剣呑だ。そして、もう殆ど少年に対する興味を失いつつあった。
拷問中に音を上げて擬態が解ければ良し、黙秘を貫き通して死んでも、死ねば擬態が解けるだろう。死んだ後でも姿が変わらなければ人間だ。
状況は確定し、推理の必要性は無くなった。あとは頭ではなく体を使うだけ、ただの作業の開始だ。
別に、彼が人間であろうと人外であろうと、大差はないのだけれど──謎を謎のままに、未知を未知のままにしておくのは、気分が良くない。
「や、やめて──」
「──駄目だよ、フィリップ君!」
背後からの声に、フィリップは振り上げていた手をぴたりと止めた。
制止するエレナの声は、怒声とか、警告というべき鋭いものだったからだ。カルトや邪神が絡まない限り、怒られの気配には敏感なフィリップは反応してしまう。
そして、その隙を見逃すエレナではない。
するりと滑り込むようにフィリップと少年の間に割って入り、少年を庇うようにフィリップと正対する。
「この子が化け物だって確証もないのに拷問だなんて、何考えてるの!? もしもこの子が人間だったらどうするつもり!?」
どうって? 首を傾げるフィリップ。別にどうもしないというか、人間か否かを確かめるための拷問なので、確認したら終わりだけど、なんて考えている。
「……あなたがボクと会う前にどんな経験をして、あの手の怪物にどれだけの警戒と知識を持っているのかは知らないよ。でも、これだけは言える。それはやりすぎだよ。彼が人間だったとしたら、ただ野菜を盗んだだけだ。お腹が空いていたのかもしれないし、もっと大きな理由があるかもしれない。たとえ純粋な悪意からの行動でも、拷問されるほどの罪じゃないとボクは思う」
少年をただの人間だと思っているエレナと、人間ではないと疑っているフィリップでは、絶対に通じ合わない。
それは二人ともよく理解していた。エレナは人間社会に興味を持ってやってきたエルフで、フィリップは外神の視座を持つ人間。異なる価値観への理解は人一倍だ。
そして。
エレナは自分を信じている。
自分の信じる“善”こそは、誰に恥じることもない正義、王道であると信じている。それは危うさを伴う性格ではあるものの、いまこの場において、そしてフィリップと一緒にいる上では有利に働く。
フィリップの感性は他人を毒する。ルキアやステラのような強固な自我がなければ、いつか呑まれてしまうだろう。エレナには呑まれないだけの強さがある。
対して、フィリップは自分の中にある善性や良心というものを全く信用していない。
常識的に、「人を殺してはいけません」とか「人のものを盗んではいけません」とか、そういう良識は持ち合わせているが、それに従うかは状況次第だ。それに、それは悪だと教わってきたから悪だと思っているだけで、フィリップ自身の感性ではない。
厳密にいえば、フィリップの中に「善と悪」という区分はない。だって──善悪とは、根本的には人間社会の秩序と存続のための共通認識だ。感性の根本が人間ではないフィリップには、どうしたって理解ができない。
何が善で何が悪か。そういう論争になると、エレナは最強で、フィリップは最弱だった。
「……フィリップ君」
「……なに」
どんな説得の言葉が飛んでくるのか。思わず身構えたフィリップだったが、エレナのパンチはフィリップのガードをいとも容易く打ち砕いた。
「──あの日の、衛士団のみんなと一緒にいたあなたなら、絶対にそんなことはしないよ」
フィリップは面食らったように瞠目し、しばし沈黙した後、さっぱりと両手を挙げた。
「オーケー、僕の負け。拷問はまだナシにするよ」
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