第326話

 宿に戻り、王都のものとは比較にならないほど簡素な夕食を終えたフィリップたちは、部屋に集まって穏やかな食後の時間を過ごしていた。

 ミナもフィリップの血を吸って空腹が満たされ、フィリップをそのまま膝に乗せて満足そうに微睡んでいる。


 フィリップはというと、膝上で抱かれたままエレナとトランプゲームをしていた。ちなみにエレナが王都で買ってきたものだ。


 運が絡むカードゲームには無類の強さを誇るフィリップがポーカーとブラックジャックでエレナをボコボコに負かし、今はババ抜きをしている。これが意外といい勝負なのだった。

 ミナは上がり、フィリップとエレナの残り手札は二枚対一枚。ジョーカーはフィリップの手にあり、エレナの手番。エースを引けば彼女の勝ちだ。


 「フィリップ君、右利きだよね?」

 「そうですよ。前に言いましたよね?」

 「なのに右手で持ってる一枚の方が、掴む力が微妙に弱い。これは取ってほしいから? それともブラフ?」


 フィリップは何も答えず、ただ笑っている。

 表情を隠す仮面の笑顔ではない。単純に心の底からの、『なんでそんなの分かるんだよ怖いよ』という苦笑だった。フィリップ本人としては、両手の力は同じくらいのはずだった。


 「うーん……こっち! またジョーカー!? もう!!」


 エレナが二択を外すのはこれで三回目だ。自分に呆れたように、そして楽しそうに笑って、手札をシャッフル。二枚ともを片手で持って差し出した。


 「はい、どうぞ」


 フィリップはカード越しにエレナの翠玉色の双眸をじっと見つめるが、好戦的な光はまっすぐにフィリップを見つめ返し、カードに向かない。

 心理戦は諦めて適当にカードを引くと、ジョーカーだ。フィリップもジョーカーを引くのは三回目になる。


 ツキがどっか行っちゃったかな、なんて考えるフィリップだが、違う。フィリップは三回中三回、エースを引いている。いや、引こうとしていた。

 しかし、フィリップの手がカードに触れる直前で、エレナが手の中でカードをスライドさせ、左右を逆転させている。古典的なトリック、イカサマだ。


 トランプゲームは今日が初めてだというエレナだが、発想力と指先の器用さは天才的だった。何より運動神経が段違いなので、フィリップに見切れるはずがないというのが恐ろしい。


 ちなみに、ミナは位置関係的にフィリップの手札が見える上に、記憶力と動体視力がエレナ以上に飛び抜けているので、カードの位置を追いかけて記憶するカードトラッキングで一抜けしている。


 実力系イカサマ対小手先系イカサマ対運だけ。地獄のようなマッチアップだった。


 「ふふん、フィリップ君の力加減も分かってきたし──おっと、これは」


 心理戦になると弱い自覚のあるフィリップは、引いたカードを裏返してシャッフルし、自分でも見えないように伏せて差し出した。どちらがジョーカーか知らないなら、力加減に不随意の意図が混ざることもない。


 ちなみに、ミナはジョーカーの行方を完全に追跡できている。フィリップから見て右側にあるのがジョーカーだ。


 エレナがそっと手を伸ばし──ぱっと、窓の外に白い光が瞬いた。

 二人は同時にカードを置き、窓に駆け寄る。


 「起動した!」

 「ホントだ! 見て!」 


 光源は窓の外、畑の方だ。

 さっきエレナとミナが仕掛けた、反応起動型の魔術。畑に侵入すると照明弾が打ち上げられるだけの、ただ驚かせるだけの代物。殺意のかけらもない、ミナに言わせれば手間の無駄、フィリップに言わせれば甘い魔術だ。


 しかし、効果は十分。夜の闇を払い畑を煌々と照らし出す光は、畑のそばで驚いたように空を見上げる影を映し出していた。影──人影だ。


 「人間!? もう、おじさんには夜中に近づかないでって言ったのに! いや、まさか野菜泥棒!? 行こう、フィリップ君、姉さま!」


 言うが早いか、エレナはあっという間に部屋を飛び出していった。

 ドアを開けてダッシュで、ではない。窓を開けて、ジャンプで。飛び出して──飛び降りていった。


 「あ、ちょっとエレナ! 人型だからって人間とは──そこ窓! ここ二階! ……あ、いや、余裕か。僕たちも行こう、ミナ!」


 突然の暴挙に慌てるフィリップだが、よく考えると彼女の故郷、エルフの集落は地上二十メートル近い林冠部に据えられたツリーハウスと回廊が主な居住空間だ。彼女はその高さまで一跳びで飛び上がり、怪我一つなく飛び降りるような種族。王都外の建物の二階なんか、誤差みたいなものかもしれない。


 「……まぁ、いいわよ。行きましょうか」


 ずっとフィリップを抱いていたから眠たいのか、死ぬほどかったるそうなミナだが、五秒ぐらい考えこんだ後、億劫そうに頷いた。


 ミナは欠伸交じりに窓を開け、体重を感じさせない動きで窓枠を飛び越えた。

 

 ぽつんと一人残されたフィリップは開けっ放しの窓から下を見下ろし、高さを確認する。宿の部屋から漏れる明かりで、下でミナが「早くしなさい」と言いたげな顔で待っているのと、畑に向かう道を疾走する人影がうっすらと見えた。


 エルフのツリーハウスから見下ろすよりは、かなり地面が近い。いけるか? なんて、一瞬だけ考えるフィリップだが。


 「……やめとこう」


 すんなり着地できる自信はないし、ミスしたら凄く痛い目に遭いそうだと首を振る。

 死への恐怖は希薄でも、痛みへの恐怖は人並みだった。


 龍貶しドラゴルードを引っ掴み、大人しく階段を下りて玄関から外に出ると、ミナが「何やってんだこいつ」と言わんばかりの怪訝そうな目で見てくる。無駄な遠回りではなく、普通のルートなのだが。


 「……さっき見えたアレ、人間かな?」

 「魔力規模的には、そうね。尤も、体格や魔力が人間に近い魔物という可能性もあるけれど」


 畑に続く道を小走りで通り抜けながら、フィリップとミナはそんな会話を交わす。


 ミナの魔力視の情報収集力は、意外にもルキアやステラより少し低い。あの二人は魔力の情報だけでフィリップの体調まで判別するが、ミナは精々がフィリップと他の人間を判別する程度だ。

 より正確には、情報と結びつく知識の量に差がある。三人とも見えているものは同じだが、その後で差が出るのだ。


 仮に魔力の情報が文字列だとすると、「ちょっと風邪気味」という情報を得たとき、ルキアやステラはすんなりと理解できる。風邪というものを、知識と経験の両方で知っているからだ。対して、ミナにはそれがない。「風邪」という人間の間では至極一般的な病気のことを知らない。知識の上でも、勿論、経験でも。吸血鬼はアンデッド、病気に罹らない性質だ。


 魔物を見た時もそうだ。

 ルキアやステラは一応、幼少期に魔物を相手に多少の戦闘訓練を積んでいる。相手にもならない魔物相手には、多少の。あとは同格のお互いを相手に、血が滲むほどの。だから魔物の魔力情報も希少種でなければ多少は知っているし、王都や王宮を歩いていれば魔術師はそこら中にいる。情報を取り込むには最高の環境だった。


 対して、ミナは訓練の過程で狩ったことのある相手──幼少の身とはいえ、多種多様な強力な種族特性と血に刻まれた才能を持った、最高位吸血鬼の敵に相応しい相手しか知らない。


 だから人間程度──家畜や食料と同等の魔物の魔力情報なんか、知っているわけがなかった。


 「人間に擬態するなんてまだるっこしいことをするヤツも、いないわけではないんだよなぁ……」


 面倒くさそうに言うフィリップ。

 その脳裏には、人間に擬態して人間社会に溶け込んでいる四体の化身が浮かんでいる。即ちナイアーラトテップの化身であるナイ神父とナイ教授、シュブ=ニグラスの化身マザー、そしてマイノグーラの化身レイアール卿。


 もっと弱い例だと、過去に遭遇したショゴスなんかも擬態能力を持っている。ジェヘナにいた劣等個体には無理だろうが、ショゴス・ロードと呼ばれる上位個体は人間に化け、時に医学や錬金術のような高度な技術を身に着けることもあるほどの精度の知性を誇る。


 あの奇妙な蹄跡はどう考えても人間のものではない以上、人外が何処かで絡んでいるのは間違いない。罠を起動させたのが農家のおじさんでないのなら、ただの野菜泥棒でも人間かどうかを疑うべきだ。


 だから、


 「野菜泥棒だったよ! 二人とも構えて!」


 なんて、ナイフを持った男……外見的にはエレナと同い年くらいに見える、少年と相対しているエレナを見たときには、正直、溜息が出そうになった。

 まぁ、そりゃあ、エレナの身体能力と戦闘センスを以てすれば、ロングソードで武装した大の男でも子犬みたいなものだろうけれど、人間である確証もないのに戦闘に入るのは迂闊すぎると、呆れの嘆息が。


 上空をふよふよと漂っている照明弾はゆっくりと降下しているが、まだ暫くは輝きを保っているだろう。

 唐突に畑の辺りを照らし出した光につられて、村の方から農家や野次馬が集まってくるのが見える。


 「仕方ない。エレナ、手っ取り早く済ませよう」


 言って、フィリップは黒塗りの鞘から淡い光を放つ刃を抜き放った。

 龍骸の蛇腹剣──ティンダロスの猟犬の外皮すら切り裂く、人造の魔剣とさえ言える業物。人間を斬ったことはないが、試し切りでは斬撃の効きにくい魔物であるスケルトンを一撃で両断し、錬金金属製の鎧さえ真っ二つにした。


 ただの盗賊だろうが、人間に擬態した何かだろうが、大概の相手は斬れるはずだ。


 「ち、近付くなよ、お前らッ!」


 短剣を振り回す少年は、威嚇が通じると思っているようだ。

 無理もない。剣で武装しているとはいえフィリップは子供、あとは素手の女が二人だ。舐めてしまう気持ちは理解できる。フィリップに理解されることが良いことかどうかはさておき。


 声は微妙に裏返って甲高く、もしかするとフィリップとそんなに年が離れていないのではないかと思われた。


 「……取引しよう。君が人間ではないなら、今すぐ正体を明かして……そうだな、あっちの森に逃げ込むなら、僕らは何もしない。でも村人たちがこっちに来てから事を起こしたら、僕たちも本気で殺しにかかる。どう?」


 淡々と語るフィリップだが、青い目の奥に宿る光は剣呑だ。


 正確には、邪神召喚に掛かるリミッターが外れると言うべきか。

 フィリップのことをよく知らない村人たちは「目と耳を塞げ」と言っても従ってくれないだろうが、ミナとエレナなら。人類領域外の存在を知る二人なら、似たようなモノが姿を現した時点で、より詳しい者の言葉に従ってくれるはずだ。


 いま邪神召喚を使うと、何も知らない村人たちも高確率で巻き込まれる。だが人外がその姿を現し、そのせいで発狂した後でなら、もうどうなろうが知ったことじゃあない。狂人が重ねて発狂できるのかは知らないけれど、廃人になる──精神的死を迎えられるなら、それはなんとも羨ましい話だ。


 「何言って……クソ、もう村人がこっちに……この魔術はてめぇらの仕業か!」


 唾を飛ばして怒鳴る少年を、フィリップは虫でも見るような目で見る。観察する。

 僕の臭いに反応しないなら、少なくとも鼻が利くタイプじゃあないな、なんて考えながら。


 少年は幾つか罵倒の言葉を残して踵を返し、逃げ出した。その直後。


 彼の踏んだ地面が爆発した。





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