第325話

 超の付く希少植物さえ一瞬で見つけられるシルヴァにとって、広大な森の中から良質な薬草を探し出すのは簡単なことだった。

 特に、移動中にエレナが見つけた薬草を指定し、同種のもので最も栄養を溜め込んでいる個体や育っている個体を探すという方法をとったとき、効率と安定感が段違いだ。


 森に生き、100年近くを森で過ごしたエレナも脱帽だった。……まぁ、現在の個体シルヴァはともかく、ヴィカリウス・シルヴァの存在歴は4億年規模なので、95歳なんて赤子も同然なのだが。


 これとこれと、とシルヴァが指定した薬草を、エレナがホイホイと手際よく根っこ付近の土ごと掘り返し、簡易プランターに入れていく。フィリップとミナは成果物と荷物持ちだ。旅行鞄は宿に置いてきたものの、野外探索用の装備品類が入ったリュックに、湿った土の入ったプランターは流石に重い。


 「こんなところかな! 五種類一株ずつ、根っこから完全な状態だったら、流石に課題はクリアでしょ!」

 「まぁ、そうだろうね……」


 というか、それで不合格だったら合格基準を問い質す必要がある。


 そんなことを考えながら来たほうに戻り、森の中を村を目指して歩いていると、ミナと話していたエレナが歩調を速めてフィリップと並んだ。


 「ね、フィリップ君、例の足跡のこと、どう思う? シルヴァちゃんは、変な魔物はいないって言ってたけど」

 「森の中にいて、シルヴァが何か見落とすってことは考えにくいよ。あるとしたら、地下に潜ってるような連中だろうけど……一度も地上に出たことがないなんてあり得る? 有り得たとしても、地上に出てないなら、野菜泥棒とは関係ないよ」


 まぁ、カルトであるのなら、野菜泥棒でなくても森の肥やしにするが。……海水が植物や土壌に与える悪影響は、この際無視することにして。


 そんなことを考えたからか、フィリップの口元は嗜虐的に吊り上がっていた。

 普段なら、ステラが「仕方ないな」と言いたげな呆れ笑いを浮かべて、ルキアが少し怯えながらもフィリップの身を案じて、それで終わり。そこから先はフィリップの、フィリップだけの、誰にも邪魔されない至福のひと時なのだが──今はカルトの存在どころか痕跡すら見つかっていないし、いま一緒にいるのはルキアでもステラでもなく、エレナだ。


 「わ、怖い顔。駄目だよー、フィリップ君はニコニコしててくれないと!」


 言って、エレナはフィリップの頬を両手で挟み込むように吊り上げさせた。

 むぎゅ、と意図せぬ声が漏れて恥ずかしくなるフィリップを気に留めず、「おぉ」なんて感嘆を漏らしながらモチモチとほっぺを弄ぶエレナ。ステラとミナに続き、頬肉の柔らかさの虜になるのは三人目だ。が、


 「あたっ」


 フィリップはエレナの手を、羽虫に対するように雑な手つきで払った。


 「姉さまはいいのにボクはダメなのー!? ずるいよ!」

 「え……?」


 怪訝そうな顔のフィリップは、何言ってんだこいつと言わんばかりの冷たい目をしていた。


 しかし、じゃれあっている余裕があるのかどうかすら定かではない現状だ。エレナもフィリップも、それはしっかりと理解している。真剣な顔に戻ったのは、むしろエレナが先だった。


 「それで、真面目な話。この森以外から来た魔物って可能性もあるよね?」

 「村の周りは街道沿いの草原か畑ばっかりで、身を隠せるような場所はこの森ぐらいだけどね。で、ここにいないとなれば」


 より面倒な可能性が出てくる。

 あれは足跡なんかではなく、しかし野菜泥棒が残していった痕跡であることは間違いない。そして、身を隠せる森の中でも地上部にはいないとすれば──簡単だ。そいつは、地下を移動しているに違いない。


 あの奇妙な蹄跡は、足の跡ではなく、穴の跡なのだ。地下を掘り進んで、畑の位置で顔を出した何かが、退散するときに埋め戻した跡。


 「案外、モグラとかかも」

 「どんなサイズのモグラ……?」


 楽観的を通り越して呆けたことをいうフィリップに、エレナが苦笑する。


 野菜や果物はいるのだ。盗み食いされているのではなく、何者かによって持ち去られている。齧った跡がある程度ならモグラの可能性もあるが、状況はその甘い推測を否定する。


 あの奇妙な蹄の持ち主は、野菜や果実を収穫して持ち去る体格と知性を持っている。それは確実だ。


 「……じゃあ、アライグマとか?」

 「だといいね……今日はもう日が暮れそうだし、調査は明日にしよう。今夜は罠でも仕掛けておけば、案外引っかかってくれるかもだしね」


 敢えて惚けるフィリップにはもう突っ込まず、エレナは歩調を速めてフィリップより前を行く。


 話は終わりと言わんばかりの態度だが、フィリップには聞き捨てならない部分があった。明日? 明日といっても、明日は昼前には村を出て王都に戻る予定だ。のんびり調査している時間の余裕はない。まさかとは思うが、

 

 「明日……って、もしかしてエレナ、その魔物だか動物だかを見つけるまで続けるつもり?」

 「勿論だよ! 自分の旅程を理由に投げ出すくらいなら、初めから首を突っ込んでない!」


 即答だった。そして、フィリップの危惧した「まさか」だった。


 しかし、フィリップは即座に「駄目だよ」と否定できなかった。

 なんというか、彼女の言動は端々に善性が表れていて、感情的に否定しづらいのだ。


 そしてフィリップは、しばしば理屈より感情に重きを置く。


 「……その言い方はちょっとズルいなぁ」


 仕方ないなぁ、と、普段自分が言われているように、呆れ混じりに笑い、フィリップも長期戦の覚悟を決めたのだった。


 さっき会ったおじさんの畑のところまで戻ってくると、彼は既に農作業を終えて家に帰ってしまったらしく、畑に人はいなかった。周囲の他の畑にも、殆ど人がいない。あまり長々と留まって妙なことをしていると、フィリップたちも野菜泥棒の類と間違われてしまいそうだ。


 エレナも同じ危惧を抱いたらしく、「罠だけ仕掛けて、早めに宿に戻ろっか」と肩を竦める。


 「罠と言っても、そんな技能があるの? フィルもだけれど」

 「獣道に仕掛ける捕獲用のやつなら、お父さんに教わったから作れるよ。でも……」

 「ボクもだよ。でも、いま必要なのはそういうのじゃなくて、もっとこう、誰かが近づくと音が出るとか、そういう警報装置的な罠なんだよね。……姉さま?」


 フィリップとエレナが言っているのは、植物の蔓なんかでロープを作り、手近な木の枝のしなりを利用して小動物を吊り上げる基本的な捕獲罠のことだ。一応、使う素材次第では山羊やイノシシのような脚力の強い動物でも拘束できる。


 しかし、相手が高度な知性を持つ魔物や手先の器用な猿の類だと拘束を外されることもあるし、熊なんかの大型獣には効果がない。


 どうしよっか、と顔を見合わせたフィリップとエレナだが、エレナはフィリップの肩越しに、不審な行動をしているミナを見つけた。


 「なに?」


 空の片手を畑に向けている様子からして、何かの魔術を使っていたのは間違いないと思われるが、どんな魔術を使ったのかを見ただけで判別できる目の持ち主は、いまこの場にはいなかった。


 「反応起動型の魔術を伏せるのはいいんだけど、それ、どんな魔術?」

 「……?」


 問いの意味を測りかねたミナがぱちりと指を弾く。

 直後、畑をぐるりと取り囲んで乱立する、深紅の槍。かつて数万の悪魔を一息で磔刑に処した、赤い彼岸花畑の具現。


 警報というか処刑だ。しかも殺した後に晒すタイプのやつ。


 「やりすぎだよ姉さま! 魔物だったらこれでいいかもしれないけど、ただの獣かもしれないんだよ!?」


 慌てて諫めるエレナだが、ミナとフィリップは首を傾げる。それの何が問題なのだろう、と。


 「だって、獣には悪意はないんだよ? そりゃあ、殺しに来るならこっちも殺し返さなきゃだけど、そうじゃないなら、無闇に殺しちゃダメ」


 言い聞かせるようなエレナに、シビアなのか甘いのかよく分かんないなぁ、と苦笑するフィリップ。ミナはどうでもよさそうに魔術行使を止める。二人とも、見知らぬ町の見知らぬ人が野菜泥棒に遭っているからといって、殺意を伴うほどの怒りを覚えることはない。

 どうでもいい相手だから殺す、どうでもいい相手だから生かす、この二つはフィリップやミナの中では両立する。


 だから、まぁ、殺すなと言われれば殺さないけれど。


 「殺したほうが楽なのにね?」

 「そうだね……」


 めんどくさいなぁ、と、二人の心が一つになった。




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