第328話

 相手が人間かもしれないうちは過度な暴力は振るいません、とエレナに約束させられたあと──まぁこれは相手が人外か人間かという判別に拷問を使わないというだけであって、カルトをぐちゃぐちゃにするのは何の問題もないというか、それを問題にするなら、むしろエレナの存在が問題になってくるのだけれど。

 それはさておき、とにかくちょっと怒られて方針を転換したフィリップは、極めて穏当な方法で審問を続けていた。


 人間と人間、或いはエルフや吸血鬼ともそうするように、言葉による会話で。言葉のみで。


 「そういうことになったから、君が人外だったとしたら有利な状況だね。君は縛られているし、周りには村人もたくさんいるけど、みんな戦闘に慣れてるワケじゃない。対して、こっちの最高戦力は飽きて宿に帰ってしまったし、僕も剣を納めてる。それでも擬態を解いて襲い掛からないのは、人間と同等程度の出力しかないからなのか、或いは本当に人間なのか」


 少年はロープで両手両足を拘束され、篝火を持った村人たちにぐるりと取り囲まれている。

 包囲の中には野菜泥棒の少年の他にはフィリップとエレナだけだ。ミナは眠いし飽きたからと宿に戻って寝てしまった。


 シュブ=ニグラスに与えられた智慧が警告を発しないということは、少なくとも外神の視座から見て人間を殺し得る存在ではないか、認知もされない劣等種かだ。ミナがいなくても対処できると踏んで引き止めなかった。


 「……何言ってるのか分かんねー。頭おかしいんじゃねーの?」


 最大の恐怖であった蛇腹剣が遠ざかり、どうやら一番穏便なエレナが意思決定権で上位にあるらしいと知り、少しだけ元気を取り戻した少年が悪態を吐く。


 ……だが。


 「だといいんだけどね」


 と返したフィリップの目があまりにも暗く、逆に気圧されてしまった。


 かと思えば、一転して優しげな声で、


 「それより、君の話をしよう。僕は何も、人間である証拠を見せろと言うつもりはないんだ。それは無理だと分かってる。僕だって、自分が人間であることを論理的に証明できない」


 なんて寄り添ってくるものだから、少年は怪訝さと恐怖が綯い交ぜになった目で黙り込むしかなかった。


 フィリップは「今日は疲れたなぁ」なんて言いながら少年の前に座り込み、少し高い位置になった少年の目を見つめる。

 早起きして乗合馬車に揺られてこの村にやってきて、森を練り歩いて薬草を探し、夜中──そろそろ寝ようかな、というタイミングで罠が起動して今に至る。魔術学院の超健康志向の学生寮生活で生活サイクルが作られているフィリップには、中々に堪える一日だった。


 どうやって化けの皮を剝がそうか、と考えているのは思考の20パーセントくらいで、八割方寝ている。


 「お、俺は確かに野菜を盗みに来たけど、そりゃ今日が初めてだ! お前らが言ってることなんて全然分かんねーよ!」 


 少年の言葉に、村人たちがじりじりと焦げ付くような怒気を放つ。

 時間と労力と愛情を込めて育てた野菜を盗みに来たのなら、そんなのは初犯だろうと常習犯だろうと許す理由はないし、即刻衛兵に突き出して領主裁判送りだ。


 フィリップも田舎育ちだから気持ちは理解できるし、そういうシステムがあるのも知っている。だが、彼が法的にどんな処遇を受けるかは、フィリップにはどうでもいいことだ。


 「僕は別に、野菜泥棒の善悪や君に下される罰に興味はないんだ。僕は王都の人間だから、正直、泥棒したことを怒ってもいない」

 「は、はぁ? だったら──」

 「うん。僕が君を責める理由はない。というか、僕は君を責めてなんかいない。ただ、君が人間であるかどうかを確かめたいだけなんだ」


 淡々と言うフィリップだが、そのロジックを理解できているのはフィリップとエレナだけだ。村人はみんな頭の上にクエスチョンマークを浮かべたような顔をしていたが、エレナが「魔物が化けてるかもって疑ってるんだ」と言うと、「そんな可能性があるのか!」と驚きつつも納得していた。

 流石は冒険者だな、なんて褒められるが、これは冒険者というよりフィリップやエレナに特有の感性だろう。


 「僕が恐れていることは二つ。君が人外で、何か邪悪な儀式や魔術で人間社会を損なおうとしているかもしれないこと。もう一つは、君がそもそも人間社会を損なうレベルの人外であること。……というと、なんだか僕が人類を守ろうとしているような、物凄く高尚な人間に聞こえるな。“僕の住みやすい世界を”くらいにしておこうか」


 フィリップは少年をじっと見つめ、睡魔が侵攻を開始した頭で考える。


 彼の言葉の真偽を、どうにかして見極めたい。

 別にこの村がどうなろうと知ったことではないが、ここは王都から馬車で半日、フィリップたちの生活圏からかなり近い位置だ。何かの用事でルキアやステラが経由地にすることもあるかもしれないし、できるならクリーンな状態にしておきたい。


 何か、嘘を見抜くような魔術でも使えたらいいのだが──そんな魔術は存在しない。例外的に、ステラは支配魔術を使って「嘘を吐くな」と命令すれば疑似的に嘘を見抜くこともできるが、ルキアは自前の観察眼と社交界での経験を使うしかない。あの二人でもそんな便利な魔術を使えない、作れないということは、人間には無理なのだろう。


 そこまで考えて、フィリップの眠気に侵された頭に雷光の如き閃きが走った。

 ──人間には無理。では、人外では?


 「エレナ! ミナ呼んできて! 起こして連れてきて!」

 「えっ? いいけど、どうして?」


 フィリップの勢いに押されてつい「いいけど」なんて口走っているエレナだが、立場が逆ならフィリップは「嫌だ、自分で行って。そしてミナを起こすことの難しさを知って」と突き放すことを、彼女は知らない。


 「『契約の魔眼』だよ! あれなら嘘を吐けないようにできるんじゃない!?」


 天才的閃き。そして正解だ。

 フィリップにしては珍しく、なんて意地悪を言う必要もないくらいの、ステラがいれば満足そうに頷くだろう最適解。拷問の前に、ミナが宿に戻ってしまう前に思いついていれば、言うことはなかったのだが。


 「契約の魔眼……は、よくわかんないけど、とにかく姉さまを起こしてくればいいんだね? ちょっと待ってて!」

 

 駆け出したエレナがあっという間に見えなくなったのは、夜闇のせいばかりではない。あれほどの健脚ならすぐにミナを連れて戻ってくるだろう。


 予想より少しだけ遅れて戻ってきたエレナは、滅茶苦茶に不機嫌そうな顔のミナを連れていた。ミナはフィリップの予想通り、睡眠直後に起こされて死ぬほどかったるそうだ。ちなみに死ぬのはミナ以外の全員である。


 「……ねぇフィリップ君、もしかして、もしかしなくても、知っててボクを行かせたよね?」

 「まぁね。……ミナ、悪いんだけど、この人に契約の魔眼を使ってくれない? 『嘘を吐くな』って」

 「……どうして?」

 「それで人間かどうかわかるでしょ?」


 フィリップがそう言うと、ミナは深々と溜息を吐いて、それから口元を隠して欠伸を一つ。溜息が本体なのか欠伸が本体なのかは判然としなかったが、なんとなく、赤い双眸からは呆れたような気配が感じ取れた。


 「……はい、掛けたわよ」


 ミナが何かしたような気配は、フィリップにも少年にも、エレナにも分からなかった。ただ、少年は赤い双眸が血よりも鮮やかに輝いた気がした。


 「ありがとう。じゃあ改めて……君ってホントに人間?」


 フィリップは穏やかに、拷問などするはずもない、朴訥な田舎少年のような態度で尋ねる。態度の温度差が激しすぎて演技臭いが、どちらかといえばこちらの方が素に近い。尤も、フィリップの“素”は、およそ人間の精神性とは呼べない自己中心的の極みじみたものなのだけれど。


 「だ、だから、そうだって言ってんだろ! なんなんだよお前!」


 叫ぶように答えた少年に、フィリップはミナの方を見て、彼女が頷くのを確認した。

 レジストされてはいない──嘘を吐ける状態ではない。


 つまり、本当に。


 その確証を得て、フィリップはにっこりと笑った。


 「──ならいいんだ! じゃ、僕たちは宿に戻るので!」


 村人たちに手を振って去っていく、その、やけにあっさりとした引き際が、少年にはむしろ恐ろしかった。

 契約の魔眼なるものに聞き覚えはないし知らないが、きっと嘘を吐けなくなる魔術なのだろうと察せられる。そんなものを使ってまで訊くことが、「君って人間?」なんて意味不明な質問だった。


 それはつまり、フィリップは本気で、心の底からその一つを確かめるために行動していたということだ。

 全く理解できない。野菜泥棒がどうしても許せなくて、無理やりに「魔物の擬態かも」と口実を付けて甚振っていたと考える方がまだ納得がいく。というか、少年はそうだと思っていた。


 なのに、フィリップは本当にすっきりした顔で、ミナと一緒に村の方へ戻っていく。


 頭がおかしいと、さっきは悪態として、定型文としてそう言った。

 だが、今は確信していた。、と。確信して、恐怖していた。


 人一人、或いは村人たち数人も含めた幾人かの心胆を寒からしめたことも知らず、「今日は本当に疲れたなぁ」なんて言いながら宿への道をミナと並んで歩くフィリップ。エレナはぷりぷりと怒っていたが、「あんなに簡単なら拷問なんて要らなかったじゃん」とか言っているので、フィリップの異常な思考には気が付いていない。


 「結局、あの人は蹄の持ち主じゃなかったんだね……何なのかな、アレ」


 明日の出発時刻までに分からなかったら嫌だな、と安穏と考えるフィリップ。最悪の場合は周囲一帯を丸ごと吹き飛ばすというのも、安心を得るための一つの手段として視野に入る。

 万が一の場合の安全策が一つでもあるというのは、ある程度の安心感を齎してくれるものではあるものの……ここは王都から馬車で半日の近郊だ。フィリップの生活圏にほど近いし、あまり迂闊なことはしたくない。


 「あぁ、あの蹄跡の正体なら分かったわよ」


 困ったように眉尻を下げたフィリップに、同じく眉尻の下がった──こちらは眠気のせいだろうが──ミナが欠伸交じりに応じる。


 そっか、と眠たそうに答えたフィリップの眠気に侵された頭に、言葉の意味がじわじわと染み込んでいって、漸く。


 「え!?」

 「そうなの、姉さま!?」


 妙なラグを挟んでの反応に、ミナが怪訝そうに片眉を上げた。

 しかし特に何も言わず、どこか不満そうな溜息を吐いて言葉を続ける。


 「……認めるのは癪だけれど、あの聖痕者たちがいれば一瞬で看破できたでしょうね。……あれは土属性魔術、初級にも満たないような、土の表面を僅かに震わせるような魔術の結果。見てなさい」


 ミナは道を少し外れて畑の方に踏み出したかと思うと、すぐに戻ってきて、指先を畑の方に指向した。


 村の明かりを頼りに歩いていたフィリップには、周りの景色はぼんやりとした暗がりに覆われていて不明瞭だ。ミナが何かしたのは分かるが、細かいところまでは判然としない。


 「わ、ホントだ!」

 「……暗くて見えないよ」


 不満そうに言ったフィリップに、ミナは「仕方ないわね」と面倒そうな溜息を吐いて、フィリップにも見えやすい道の上で再演してくれた。


 高いヒールの靴跡のついた土が、小麦粉を篩いにかけたように震えて砂粒が動き、靴跡が外側から徐々に崩れていく。最終的にヒールの部分が消えて、爪先部分が二回りほど小さくなり、靴跡とは判別できないへこみになった。


 箒や整備具で掃き均すより、もっと低次元な整地、隠滅だ。だが、“靴跡”の消去には成功している。

 

 「あの人間の魔力と畑に残っていた魔力残滓、多分、同じものなんじゃないかしら」


 なるほど、とフィリップとエレナは声を揃える。


 さっきの少年は「泥棒は今日が初めて」と言っていたが、それは魔眼を使われる前のこと。嘘だったのだろう。


 これまでの犯行は靴跡という証拠を消しているから、現行犯で捕まっても罪に問われるのは一回分だけ。領主裁判でも大きな罰は下されないと、そう踏んでのことか。


 「でも、魔術が使えるなら、足跡を変えるんじゃなくて消すんじゃない? だって、その方が調べられる確率は下がるでしょ? 足跡がないだけなら鳥の可能性もあるけど、変な足跡なんて、野菜が無くなってること以上に怖いもん」


 エレナが言うと、ミナは「さぁ?」と突き放した。いや、突き放したというか、初めからフィリップやエレナほど真面目に考えてはいないのだが。


 フィリップは少し考え、一つの仮説に辿り着く。

 ミナには想像もつかないような、しかしフィリップやエレナにとっては、そこそこ当たり前の仮説に。 


 「いや、本人としては、消したつもりだったんじゃない? それとも、消せなかった……消しきるほどの力が無いとか」


 「どういうこと?」とミナとエレナが声を揃える。

 フィリップはまず、一番目の仮説から説明することにした。「本人としては消したつもりだった説」、人間という昼間に生きて夜に眠ることを大前提にした身体設計をしている生物の、構造的弱点が生んだ陥穽であるという仮説。


 「暗闇に目が慣れたと言っても、人間の夜目には限界があるよ。ミナやエレナみたいに、昼間同然に物が見えたりはしない。本人としては消したつもりでも、朝になってみたら残ってたってこと」


 なるほど、と二人。

 反論が飛んでこないことに幾らか気を良くした、というか、自信をつけたフィリップは第二の仮説について語る。


 「消したくても消せなかった説」、フィリップもきっと同じ状況になるだろうという、実現に足る能力を持ち合わせていないという仮説。


 「それに、あの人は僕より二つ三つ年上っぽかったけど、魔術適性があるなら15歳になる年に魔術学院に入ってるはずだよ。つまり入学許可が下りない程度の魔術適性しかないんだ。土の表面を震わせて足跡を消したくても、足跡の周りの土をちょっと崩すのが精々か、全部消すと魔力枯渇で倒れるか、そんな程度しかね」


 ボクと同じ程度の、貧弱な魔術適性しかないんじゃないかな、と、自虐ではなく実感を込めて語る。水の槍を飛ばすのではなく水の塊を作るだけ、稲妻の槍は冬場のドアノブ以下の電圧・電流量で、火球を飛ばすというかマッチを投げる。初級魔術すら満足に扱えないフィリップにとって、そのレベルの無能は何も珍しいものではなかった。


 「……なるほど。じゃあ多分、その両方だね。あの子本人としては、足跡は完璧に消したつもりだったと思うよ。でないと、拷問されそうになったとき、タネを全部明かしてるはずだから。痛めつけられそうになってまで隠すようなトリックじゃないでしょ?」

 「かもね」


 いやあスッキリしたなぁなんて安穏と伸びをするフィリップ。

 例の少年が野菜を盗むに至る理由なんて、毛ほども興味がなかった。その後の処遇にも。


 謎が解けて気分爽快、懸念が杞憂に終わって安心。その程度の感傷しかないフィリップとは違い、エレナの表情はどこか物悲しそうだった。ミナはフィリップ同様に興味薄だが、それ以上に眠そうだ。


 「どうして学院はあの子に入学許可を出さなかったんだろう。あの子、独学で魔術を習得したってことでしょ? すごくない? ボクなんて爺に教わっても魔術が苦手なのに」


 すごいよね、と、数年前のフィリップだったら頷いていたところだ。先天的な才能があったのか、良い師に巡り合えたのかは分からないが、才能ゼロではないのだろうし。


 しかし今の、魔術学院で数年を過ごしたフィリップは、学院のカリキュラムに触れて、魔術教育でさんざん落ちこぼれて、才能の格差というものを実感している。


 才能ゼロではない──そんな程度の才能なら要らない。魔術学院とはそういうシビアな場所だ。

 いずれ王に仕え、国をより良い方へ導く統治機構、或いは知恵の湧出元、文明を発展させるモノとして有用であるものしか必要としない、最上位教育機関。


 「そりゃあ、箒で掃く程度の魔術を使って魔力枯渇するような、もしくは箒で掃くよりショボい魔術しか使えないようなのは要らないんでしょ。僕も入学したのは拘束代替措置だったし」


 フィリップが冷たく言った答えこそ、魔術学院と、王国の答えだった。


 何ならフィリップも学院の入学基準に照らせば“要らない子”だったはずだ。ルキアとステラに教わってそろそろ三年が経とうとしているが、未だに初級魔術の成功が安定しない、非才の身など。


 まぁ爆弾を野放しにするよりは、特例で15歳に満たなくとも編入を許可し、衛士団の言う通りに召喚術を教えるべきだという判断を下したわけだが。


 「え、なにそれ?」

 「……また明日話すよ」


 話していたら宿についていた一行は、欠伸交じりに自分の部屋に戻っていった。






 

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