第322話

 フレデリカに教えてもらった薬草を王都の図書館で調べてみた一行は、本当にどこにでも生えているのだという情報とも呼べない情報を得た。


 図鑑の生息地の欄には「普遍」と書かれていたし、道中で見つけた薬草屋では二束三文で売られていた。店主のおじさんに聞いてみたところ、「流石に錬金術の調合に使うような良質なのは魔物が棲んでるような魔力濃度の濃い森とかにしか生えてないけど、普通の虫刺され用とかなら、王都の南にある小さい森にも生えてるよ」とのこと。


 フィリップはありがとうございますと愛想笑いで一礼して店を後にして、やがて深々と溜息を吐いた。


 ──何というか、がっかりだ。

 冒険というからには、もっとこう、わくわくするような危険と隣り合わせであってほしかった。


 いや、学生向けの課題として用意されたもの、それも優秀な魔術師の集まるAクラス用に設定されたのではなく、むしろ後方コースや宮廷コースには行けない成績の劣等生向けのものであるということは分かっている。それに相応しい、妥当な難易度設定だと納得もできる。


 でもそれはそれ、これはこれだ。龍殺しや魔剣探しとまでは言わずとも、もう少し歯応えのある冒険らしい冒険がしたかった。毒蛇の潜む砂漠を踏破するとか、魔物の棲む密林を探るとか、難解なダンジョンを攻略するとか、そういうのが。


 「……何なら王都の公園とかにも生えてるんじゃない? 探してみる?」


 目に見えてモチベーションの下がったフィリップが言うと、エレナがとんでもないことを聞いたように目を瞠った。


 「何言ってるの! それじゃ冒険にならないじゃん!」

 「いや、だって……」


 それなら遠出する必要もないし、何なら今日中に課題が終わる。あとはルキアやステラと遊ぶとか、図書館に入り浸るとか、なんでもできる自由時間だ。


 その方が効率的だし、合理的。

 ごく自然に、そんな言い訳が口を突いた。


 エレナは一瞬だけ息を詰まらせて、そして深い落胆を表すような重い溜息を吐いた。


 「いい、フィリップ君? 冒険っていうのはね、効率を求めてするものじゃないんだ。ボクに言わせれば、この国の冒険者ギルドっていうのもナンセンスだね! 依頼を主目的にするなら、冒険者なんて名乗るべきじゃない!」

 「ちょ、ちょっとエレナ、声が大きいよ」


 ヒートアップし始めたエレナを、フィリップは少し焦りながら諫める。

 夕方の二等地には依頼帰りの冒険者が散見される。近くには平服姿の人間しか見当たらないが、彼らが冒険者ではないという確証はないし、来年には冒険者になろうというのだ。あまり問題を起こすべきではないだろう。


 しかし制止も虚しく、エレナは拳を握って続ける。

 

 「強さのため、お金のため、有名になるため、そんな理由でやるのは冒険じゃない。冒険とは手段ではなく、目的であるべきなんだ! 冒険がしたい。わくわくするような、心が弾むような! 時には背筋が凍るようなことも、飛び跳ねたくなるようなことも、握り拳から血が出るようなことも経験して、まだ自分の知らない、この広い世界を探検したい! だから冒険に出るんだ! 依頼を受けたら、そのついでに人助けまでできる! 最高だ! この点については素晴らしいと思うよ! ……ねぇフィリップ君、思い出してよ! あなたはどうして、魔剣が欲しいと思うようになったの? 強さが欲しいの? 名声が欲しいの?」


 そんなわけはない。

 ミナの持つ悪性へ堕とす魔剣『悪徳』や問答無用で悪性の首を落とす魔剣『美徳』、エルフの宝剣だった次元断の魔剣『ヴォイドキャリア』。どれも強力な武器だが、邪神にしてみれば蚊の一刺しに等しい。そして、そんな邪神でさえ、フィリップと同じ泡沫だ。何の価値もない。


 名声も同じだ。

 唾棄される汚らわしい罪人であろうと、尊敬される聖人であろうと、傅かれる王であろうと、瞬きの後には消え去っているかもしれない夢幻に過ぎない。


 どちらも、フィリップが何かを決意するだけの魅力を持ってはいない。


 だが、心の内に。ぐちゃぐちゃに壊れて継ぎ接ぎにされた泥の中の宝石粒の中には、確かに憧れが宿っている。冒険者という、依頼をこなす便利屋にではない。物語の中に出てくるような、未知を切り拓き、自らの蒙を啓き続ける求道の徒に。

 その、心躍るような未知への探究そのものに。


 「違う……僕は……そうだ、僕は、かっこいいから欲しかった。かっこよくて、楽しそうで、でも楽しいことばかりじゃない、そんな冒険譚が好きだった。魔剣は、そのイメージ、代名詞でしかなくて……そうだ、僕は」


 衛士になりたい。冒険者になるのは、そのための手段。入団資格が得られるAクラス冒険者になるため。


 いつからだろう、そんな風に考えるようになったのは。

 衛士団にはなりたい。彼らのように、強く、勇敢で、輝かしい人間性を持った人になりたい。その想いは確かにある。


 だが、それでも──ずっと憧れていた冒険を踏み台にしたくないという思いも、この胸に宿っているというのに。


 「よく言ったぞー!」「かっこいいー!」と称賛と揶揄を投げてくる野次馬に自分が熱くなっていたことを気付かされ、照れ笑いで応じていたエレナが「こほん」と咳払いして続ける。


 「……勿論、過剰な危険は背負うべきじゃないよ。リスクを考えないのは冒険じゃなく、ただの自殺行為だからね。どこにでもある薬草を採りに、暗黒大陸まで行くのは馬鹿げてる。……でも、近くの森に行くくらいの冒険は許されると思わない?」


 フィリップは「仰る通り」と言わんばかりに、深く、はっきりと頷いた。


 しかし、フィリップがやる気になったところで、パーティーにはもう一人、フィリップどころではなくダウナーでモチベーションの低い人物がいる。冒険者になるのはフィリップで、自分はその御守りという認識であろうミナだ。


 彼女は面倒を嫌う。それも目先の面倒を避けるのが優先だ。フィリップが依頼に慣れるため、という理由では、態々快適な王都を出るには不十分と判断するだろう。


 ……どう説得するか。

 そう考えながら視線を向けたフィリップとエレナに、当のミナは軽く頷いた。


 「……いいわよ、行きましょう」


 フィリップとエレナは顔を見合わせ、意外な同意に目をパチクリする。一体、どういう風の吹き回しなのか。


 身体を動かしたいとか、そんな理由ではないだろう。

 龍狩りはともかく、そこいらの魔物を相手にしたところで素振りより多少マシ程度の負荷でしかないはずだ。王都に残ってルキアやステラ相手に模擬戦でもした方が、よほど運動になる。まぁ、ミナはどれだけ鍛えたところで筋肉がついたりしないし、どれだけ怠惰な生活を送ったところで贅肉が付いたりもしない。


 変わるのは技量だが、それも流石に物理存在の限界付近にある。近接戦のプロではないルキアやステラを相手にしていては成長出来ないだろう。そしてルキアやステラのような超級の魔術師相手で意味がないのなら、王都近郊の森に棲んでいるような魔物相手では論外だ。


 結局、二人ともミナが乗り気な理由は推理できなかった。


 「意外だね。面倒なのは嫌がるかと」


 やんわりと理由を尋ねたフィリップに、ミナは薄い笑みを浮かべた。


 「私も最近は冒険譚を読むから、感化されたのよ。飽きるまでは付き合うわ」


 布教しておいてよかった、と、フィリップは思わぬ恩恵に苦笑した。




 ◇




 旅の準備を終えた翌日、フィリップ、ミナ、そしてエレナの三人は、目星を付けた王都近郊の森に向かうため、朝早くに王都を出ようとしていた。

 

 一応は学校の研修なので外泊申請は必要ないのだが、目的地まで貸馬車を使う場合は利用代を学校が負担してくれるということで、その旨をジョンソン先生に伝えておく。

 朝礼中だった職員室を出ると、ルキアとステラが待っていた。


 職員室に用事かな? と扉の前から退くフィリップだが、そうではない。用事があるのはフィリップに、だった。


 「カーター、今日から実習だな?」

 「はい。一応、明日の夜には帰ってくる予定ですよ」


 そうだったな、と頷くステラ。どこか歯切れが悪く、落ち着かない様子に見える。

 彼女はらしくもなく躊躇いがちに口を開いたかと思うと、自分でもらしくないと思ったのか、深々と溜息を吐いた。


 「王都近郊の森に行くだけで、何をそんなに心配しているのかと思うかもしれないが──カーター、必ず自分を最優先にするんだぞ。お前の身体と精神を第一に考えて行動しろ。いいな?」

 「……はい、殿下。分かってますよ」


 死地に赴くがごとく悲壮な空気を漂わせて抱擁するステラに、ミナとエレナは顔を見合わせる。


 フィリップはちょっとした旅行程度のお出かけで大きな心配をかけてしまうことを心苦しく思いつつも、「まあ確かに人間はちょっとしたことで死ぬからな」なんて考えていた。ステラは何か、人類領域外の存在に出くわしたり、龍のような王都近郊の森に出るはずがない強力な相手に遭遇することを危惧しているようだが、人間を殺すには過剰だ。


 蜂の一刺し、蛇の一噛み。人間はただそれだけで、十分に死ねる。

 フィリップのダメなところは、それを知っていながら、結局は自分の命も含めた天地万物を軽視しているところだ。


 「気を付けてね、フィリップ」

 「はい」


 ルキアとも抱擁を交わすフィリップに、エレナは堪えきれないといった様子で噴き出した。


 「もう! みんな寂しがりやさんだなぁ! これから楽しい冒険に出掛けるんだから、こういう時は笑って送り出してくれなきゃ!」

 「……そうね。龍と戦う訳でもなし、心配し過ぎよ。私が居て、そこいらの魔物に負けるわけがないでしょう?」

 「……そうだな」


 フィリップでさえ恐れる『ティンダロスの猟犬』なる異常存在と戦ったミナの言葉だ、と自分に言い聞かせるように頷くステラ。ルキアは曖昧に笑うだけで、肯定も否定もしない。


 そんな二人を可笑しそうに見ながら、エレナはフィリップに咎めるような目を向けた。


 「もしかしてフィリップ君、捨て身アタック常習犯? だからこんなに心配されてるの?」


 何度目だろうか。エレナの言葉で、周囲の空気が凍り付いたように錯覚するのは。ぴし、と音が鳴ったような気さえした。


 おそるおそるルキアとステラの方を窺ったフィリップは、幼少期から鍛え上げられてきた表情筋を完璧に制御している二人を見た。

 

 ──笑顔だ。

 ただし、フィリップがこれまで見たことも無いような、背筋に氷柱を差し込むような凄味のある微笑だが。


 「捨て身アタック?」

 「常習犯?」


 フィリップはさっとミナの後ろに隠れた。


 「その話はまた今度……というか、龍狩りの前の話ですから」


 あのお茶会の前の話だからセーフ、という主張は、何とか認められた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る