第321話

模擬依頼が開示されてから一週間、冒険者コースの生徒たちは一斉公欠扱いになり、他の授業への出席が免除される。

 そのことを予め知っていたフィリップたちは、医務室を出たその足で、フィリップの案内する先に向かった。


 そこは一等地で魔術学院図書館の次に大規模なことで有名な図書館──ではなく、二等地まで足を伸ばしていた。

 そこそこの規模の商店が並ぶ繁華街を抜け、閑静な住宅地に入った頃には、エレナもミナも困惑顔だ。ミナはどちらかというと、いつまでも家に帰ろうとしない犬を見るような、呆れ混じりの愛玩に満ちた目をしていたが。

 

 「ここだよ」


 と、フィリップは足を止め、一つの民家を指した。

 周りの家より少しだけ小綺麗だが、一等地の建物とは比較にならない、小ぶりで簡素な造りの家だ。


 「……ここは?」

 「ま、ここでちょっと待っててください」


 ヘタクソなウインクなど残して、フィリップはノッカーを三度鳴らした。

 「はーい」と応える声は少し低めだったが、女性のものだ。


 扉が開くのを少し下がって待っていたフィリップは、扉のすぐ向こうからの「どちら様でしょう?」という丁寧ながらも警戒心を窺わせる声色の問いに、「フィリップ・カーターです」と応じた。


 動揺したように気配が揺れ、扉が開く。

 驚いた顔でフィリップを出迎えたのは、一年生の時に一緒に使徒に襲われ、去年には一緒に龍殺しに赴いた妙な縁のある先輩──フレデリカ・フォン・レオンハルトだった。


 「カーター君。久しぶりだね、また会えて嬉しいよ。それに──」


 最近また背が伸びたフィリップより更に背の高いフレデリカは、フィリップの頭上から同行者二人に目を向ける。

 まずはフレデリカ以上に背が高く、そればかりが理由ではない存在感を放つミナに。そしてもう一人に目を向けた時、当の彼女はもうフィリップの横をすり抜けてフレデリカの目の前に出るところだった。


 「フレデリカさんだ!! 久しぶり! ボクのこと覚えてる!? 森の皆に聞いたよ、あなたもボクの治療を手伝ってくれたんでしょ? キチンとお礼を言えてなかったの、ずっと気にしてたんだ! ホントにありがとう!」


 フレデリカの手を掴んで激しく上下させるエレナ。フレデリカはその勢いに押されて、見るからに困惑していた。「なんでここに?」と顔に書いてある。


 「あぁ、いや、貴女はカーター君を助けてくれたわけですし、そうでなくても、怪我人を癒すのは治療術師としても医師としても当然のことです」


 その高潔な物言いに、フィリップだけでなくエレナも口元を綻ばせた。

 エレナは手を握ったまま、殊更に嬉しそうな笑顔で言葉を続ける。


 「あなたとフィリップ君のどっちに会いに行くか迷ったんだけど、王国や人間のことを学ぶなら、フィリップ君のいる魔術学院の方がいいだろうって言われたんだ」

 「そうでしょうね。私のところに来ても、機密事項が多すぎて殆ど一緒には……いえ、それより、何の御用でしょう? 例の吸血鬼にカーター君まで。また龍殺しに同行しろなんて言わないでね」

 「それは僕も嫌ですよ。そうじゃなくて、実は──」


 フィリップが模擬依頼実習という単語を出すと、彼女はすぐに「あぁ」と納得の声を上げた。

 フレデリカにとってもほんの一年前の経験のはずだが、懐かしそうに「そっか、そんな時期か」なんて頷いている。彼女は錬金術か医学を選んだのだろうな、なんて話しながら考えていたら、ちょっと噛んだ。


 「なるほど。何かあったら頼ってくれと言ったのは私だし、ここにいることも手紙で教えたからね。早速、私を頼ってくれたわけだ。……あはは、思ったより嬉しいし、照れ臭いな。さあ、どうぞ入って」


 促されるまま玄関を潜るフィリップは、二年ほど前にこの家で見たもののことを完全に忘却している。フレデリカがフィリップたちから見えないようにさっと隠した小瓶にも、「護身用かな? 警戒心が強いんだな」なんて安穏とした感想しか持っていない。

 それが一滴の龍血を混ぜた、強い気化性を持つ毒物の中では最強とも言える代物であることには、フィリップも含めて誰も気付いていなかった。


 客間はアンティーク調の家具はそのままに、フレデリカに合わせて、医学書や錬金術関係の書物や雑貨が飾られていた。棚の一つには紫色から赤色まで100以上の色相に分けられた小瓶が並んでいて、クリアな輝きを放っていた。


 「それで? 私にどんな頼み事かな? もしかして、武器に何かあった? 私たちの最高傑作、成龍と古龍の素材をふんだんに使った龍貶しドラゴルードに」

 「いえ、頂いてからずっと変わらず、最高の性能ですよ。そうじゃなくて──」


 フィリップたちが詰まってしまった部分、つまり「クロスジバチとは何ぞや?」という疑問について語ると、彼女は同情するように笑った。


 「……なるほど。それなら、祖父が作っていた標本がある。少し待っていて」


 使用人は雇っていないのか、フレデリカは自ら立ち上がって客間を出て行った。

 標本を探すのに手間取っているのかと思い始めた頃、彼女は小ぶりな標本箱と、盆に乗ったティーセットを持ってきてくれた。本当に使用人はいないらしい。


 上品なアンティーク調のカップに注がれた紅茶を飲みながら見るには、小指の先ほどの虫の標本は些か以上に風情に欠けている。しかし、フィリップを除けば、あとは人間以上の美貌を持つ妖艶な美女と明朗な笑顔の絶えない美少女、そして貴公子然とした中性的な美人だ。ピン留めされた羽虫が混ざっていても、十分に華やかな空間だった。


 「この小さいのがそうだよ。蜂じゃなくて蠅の仲間なんじゃないかって、祖父が言ってた」


 なるほど、と分かったような相槌と共に標本箱を覗き込んだフィリップとエレナは、二人ともがあっと閃いたように指を弾いた。エレナの方が音がクリアだった。


 「あー、こいつか! カユイバチだ!」

 「え? いや、シムリでしょ。コクロシムリ」


 「え?」と顔を見合わせるフィリップとエレナ。

 フィリップが出した名前は俗称とはいえ、どちらも記憶にある名前を正しく出力している。人間とエルフでは名前が違うのも当たり前だ。特に、固有名詞では。


 いやいや、いやいやいや、と譲らない二人に、フレデリカが「いや、一応王国では「クロスジバチ」って名前が決まってるんだけど」と口を挟む。すわ三つ巴かと思われた──フレデリカが独り勝ちするのだが──その時、ティーカップを上品な所作でソーサーに戻したミナが面倒そうに嘆息した。


 「名前なんてどうでもいいわ。重要なのは、何の薬草が効くのか、よ」

 

 それは確かに、と頷く三人。

 フレデリカは顎に手を遣って、これまた様になる格好で少し考え、幾つかの薬草の名前を挙げ始めた。


 「それなら、ヨモギネとかクロアサガオとか……もっと強力なので言うと、ドクアオギとか、アロエノフリとか、その辺りかな。どれもそんなに珍しくない草だから、近所の森でも見に行くといいよ。私が持ってるサンプルをあげてもいいんだけど……“知は力なり”ってね。何処に生えているのか、良質なものと劣悪なものの見分け方、近くに生える他の植物。そういったものを知っておくと、必ず役に立つよ」

 「あ、いえ、今回の課題はお店で買ったりしちゃいけない決まりなので」


 一応、冒険者ギルドのルール上では、依頼された物品を店で買うことは禁止されていない。

 たとえば今回のようなケースでも、依頼を受けた冒険者が何処かの店で薬草を買い、依頼者に渡して完了しても何ら問題ない。依頼を出すということは、クライアントが何かの事情で薬草を買いに出られないとか、その薬草が効くことを知らない場合が殆どだからだ。そういう場合、冒険者は労力と知識を以て報酬分の働きをしたと見做される。ただ、勿論薬草の買い値と報酬額に差が無ければ利益にはならない。


 しかし、一般的な店で買える薬草は、この世に存在する薬草の1割にも満たないとされている。そして往々にして、冒険者に依頼されるのは残りの九割の方。学院の制定したルールも当然だ。


 「そうなんだ。もし必要なら、傷薬とか虫除け薬くらいなら調合してあげるよ」

 「あー……実は、その辺の道具類はもう全部買い揃えちゃって」

 「流石、準備が良いね」

 「学校からの指示ですよ。……それじゃ、ありがとうございました」


 ティーカップを空にして立ち上がったフィリップに、ミナとエレナも続く。

 最後にフレデリカも立ち上がり、ぺこりと頭を下げたフィリップに鷹揚に手を振った。


 「なに、お安い御用さ。最近は例の一件のせいで、まともな話し相手にも難儀していたから、君に会えて嬉しかったよ。ステファン先生の気持ちが分かったかもね」


 フレデリカは玄関まで一緒に来て、フィリップとエレナと握手を交わし、ミナにも微笑みかけて見送ってくれた。

 

 「今度はティータイムにでも来てよ。勿論、錬金術師として頼ってくれるのも嬉しいけれどね」


 フィリップとエレナは手を振って別れてしばらく歩いたあと、感じ入ったような溜息を吐いた。


 「……やっぱりいい子だよね、フレデリカさん!」

 「ですね。……ところでミナ、さっきからずっと怖い顔だけど、何かあった?」


 怖い顔……というか、不愉快そうな顔、というべきか。

 以前にティンダロスの猟犬の放つ死体安置所の如き悪臭を嗅いだときほどではないが、眉間に皺が寄っている。


 もしやフィリップには感じ取れない神話生物の気配を、その鋭敏な感覚で検知したのでは。そう思ったフィリップの方が、表情は険しい。


 鬼が出るか蛇が出るか。

 だがどちらにしても、フレデリカと、この王都に住む人々のため──延いてはフィリップの生活空間を守るため、駆除しなければならない。場合によっては、また王都の一部を吹き飛ばすことになっても。


 そんな決意を抱いたフィリップだったが、幸いにして杞憂に終わる。


 「あの家、妙に血の匂いがこびりついていたわ。ゴミ捨て場みたいに酷い臭い。老人の血は好きじゃないのよ」


 それなら、フィリップにも心当たりがある。正確にはいま言われて思い出した。

 フレデリカが住まいにしているあの民家は、元は彼女の祖父の家だ。


 「あー……まぁ、その件については解決したから、気にしないで。それにしても、やっぱり凄い嗅覚だね。僕は全然分からなかったのに。エレナさんは?」

 「ボクも全然……ん? 待って? フィリップ君は、姉さまのことは「ミナ」って呼び捨てなのに、どうしてボクは「エレナさん」なの? ボクの方が姉さまより年下だよ?」


 思い出したように言ったエレナは、ふくれっ面でフィリップの脇腹を擽った。

 精神は死体並みに鈍感なくせに肉体は意外と敏感らしいフィリップは、声にならない声を上げて飛び退いた。


 何をするんだとか、今更何を言い出すのかとか、色々と言いたいことはあったフィリップだが、飛び退いた拍子にぶつかったミナに抱き留められて、文句は一言も出てこなかった。


 「だって、私とフィルは家族だもの。ね?」

 「ん……そうだね。それに、エレナさんはエルフの王女様だし……いや、ミナも血統的にはそうなのかな?」


 ミナの病的に低い体温と月夜のような匂いに微睡みそうになりながら、赤い双眸を見上げる。

 彼女よりも先に、エレナの方が答えをくれた。


 「そうなるね。それに、吸血鬼の始祖の末裔って、他の吸血鬼にしてみれば神様みたいなものじゃないの? 姉さま?」

 「さぁ? 確かに他の吸血鬼より数段は強いし、魔王軍の中では吸血鬼陣営の総領になっていたけれど……吸血鬼にとっては“親”が神よ。生みの親ではなく、自分を吸血鬼にした者、という意味」


 「ディアボリカが?」と見るからに可笑しそうな顔をしたフィリップに、ミナが呆れたように補足する。「そんなわけないでしょう」とでも言いたげだ。

 フィリップも「だよね」なんてけらけらと笑いながら、眠気が本格化する前にミナから離れる。それでも手の届く距離を出ない辺り、ペット根性が染み付いていた。


 そんな会話に疎外感を覚えたのか、エレナはちょいちょいとフィリップの袖を引いた。


 「ねぇフィリップ君、ボクたち、お互いに命を懸け合った、賭け合った仲だよね」

 「そうですね」


 命を懸けた実感もないままに頷くフィリップだが、それはエレナの欲していた答えではあったようだ。

 彼女は満面の笑みを浮かべ、ぴょんと跳ねるように距離を詰めた。フィリップとの距離は、もう手を伸ばす隙間もないほどだ。


 「それに、これから一緒に冒険する仲でもあるよね」

 「そ、そうですね?」


 なんでこんなにグイグイ来るんだろう、と、未だにエレナの言いたいことが分からないでいるのは、フィリップも友達が少ないからだ。自信を持って「仲のいい友人です」と紹介できそうなのは、ルキアとステラとウォードくらいのものである。


 「じゃあ、ボクたちは仲間だよね。仲間に対して、敬語とか敬称は要らないんじゃないかな?」


 心なしか怒気を感じる笑顔のエレナに、フィリップは少したじろいで、そして少し照れた。

 これまでの経験上、年上の女性を呼び捨てにすることには慣れていない。ルキアとミナは例外だが、ミナには例外になるきちんとした理由がある。彼女はフィリップを毛ほども人間扱いしていない──いや、より正確に言えば、吸血鬼から見た人間として正しく扱っている。だから「年上の女性」というより、「異種族」という認知の方が大きいのだ。


 対して、エレナはその特徴的な耳と極めて整った容姿を除けば、ルキアやステラと年の変わらない少女にしか思えない。

 人間より人外の方が気楽に接していられるというのはフィリップは気に入らないだろうが、事実としてそうだった。


 照れ臭そうに明後日の方を向いていたフィリップは、はにかんで笑いながら、おずおずと口を開いた。


 「……エレナ?」

 「……いいね! “友達”って感じがする!」


 彼女は嬉しそうに、そして楽しそうに笑って、フィリップをぎゅーっと抱き締める。そして。


 「じゃあ、次は姉さまも! これからは「貴様」っていうのナシね!」


 そう言って笑ったエレナに、ミナは面倒くさそうな苦笑を溢した。



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