第320話

 進路別選択科目の初授業から一週間後。

 フィリップたち冒険者コースは、先週と同じ少人数教室で講義を受けていた。


 今はジョンソン先生が板書しつつ、冒険者が持つ特権と制限について語っている。

 しかし、生徒たちはどこか上の空だった。それは勿論、今日の講義中に、これから一週間で達成するべき模擬依頼票が配られ、パーティーを組むメンバーが発表されるからだ。


 「──と、これらの王国法を根拠に、冒険者には特定状況下においてのみ、都市内部を重武装状態で移動することが認められる。通常は演習中の軍学校生と、衛士団と近衛騎士団、そして各都市の衛兵にのみ許された特権だ。その状況とは何か。前回はそこまで当てたから……カーター、答えろ」

 「依頼遂行中と、帰還から2時間以内です」

 「よろしい。他には?」

 「ほ、他ですか?」


 なんかあったっけ? と隣席に視線で助けを求めるものの、エレナはノートの端っこにミナの似顔絵を描いて遊んでいた。


 ジョンソン先生はフィリップが答えられないのを察して嘆息すると、答えを黒板に書きこんだ。


 「……冒険者ギルドで発行される認識票と依頼票。この二つの携帯が義務付けられる。きちんと復習しておけ」

 「はい……」


 それからしばらく冒険者が覚えておくべきルールについて講じたあと、ジョンソン先生は遂に、鞄から紙の束を取り出した。

 教室の中は先生の不機嫌に──平常通りなのだが──当てられて静かだったが、漸くメインイベントのお出ましに空気が浮足立つ。


 「ではこれより、第一回目の模擬依頼実習の依頼票を配布する。……いや、先にグループ分けを発表した方がいいか」


 ジョンソン先生は鞄から大きな紙を取り出すと、磁石を使って黒板に貼り付けた。


 「各自、自分のパーティーメンバーを確認すること。その後、グループ代表に割り当てられた者が依頼票を取りに来なさい。……混み合うから、窓側の列から順番だ」


 期待に胸を躍らせてばたばたと慌ただしく立ち上がった生徒たちが、順番と言われてしょんぼりと座る。前の方の席の生徒は、首を伸ばして座ったまま読もうと試みていた。


 フィリップは窓側だったので、やっぱり少し期待しながら黒板へ足早に近付いていく。

 パーティーは三人か四人で組まれているようだが、流石に魔術師が集まる学校だ。前衛・遊撃・後衛の陣形を組むのは無理だろう。


 ややあって自分の名前を見つけたフィリップは、班員の名前も確認する。三人パーティーだ。

 パーティーリーダーは“エレナ”。何日か前に「一緒に組めたらいいね!」「だったら心強いですね」なんて会話したことを思い出して、振り返ってサムズアップすると、意を解したエレナが花の咲くような笑顔を浮かべた。もう一人は“ウィルヘルミナ”。なんと、ミナと同じ名前──いや、ミナ当人だ。フィリップも含めて他の生徒はみんなフルネーム表記なのに、姓を持たないエレナとミナだけは名前しか書かれていない。


 「あの、先生──」

 「ん? あぁ、カーターはエルフの王女様の護衛だ。龍殺しの英雄に吸血鬼までいれば、誰も文句は言えんだろう。なんせ、龍が出ても殺せるんだからな」

 「いや、でも……ミナはOKしたんですか?」


 これで「君が説得しなさい」とか言われたら、学院長かステラに抗議しに行くが。

 フィリップは別に、ミナに対して命令権を持っているわけではないし、おねだりしたところで聞き入れてくれるかは五分五分だ。なんせ、ミナは自分の感情を最優先にする。面倒だと思えば100年の時を共にした配下でさえ見捨てるのだから。


 フィリップが確実に死ぬような場所に行くとなれば話は別かもしれないが、そうなったら同行ではなく、フィリップが行くのを阻止するように動くだろう。


 思いっきり眉間に皺を寄せたフィリップに、ジョンソン先生は事もなげに肩を竦めてみせた。


 「学院長が説得したそうだ。「どうせカーター君と一緒に冒険者をやるんだろうから、システムを理解しておいたら?」と言ったら納得したそうだが。……愛されているな」


 口元を吊り上げるような笑い方は、どうやら皮肉を込めたものらしい。

 まぁ、吸血鬼が人間を愛するなんて馬鹿げた話だし、それこそ皮肉か冗談みたいな話だが。


 フィリップの乾いた笑いで会話が途切れ、そのまま席に戻る。隣の列だったエレナがニコニコしながら紙を確認しに行って、「ホントだぁーっ!」と、満面の笑みで帰ってきた。赤とピンクの中間ほどの色合いの紙を大切そうに胸に抱いている。


 「それが僕らの依頼ですか。内容は?」

 「えーっとねぇ……『クロスジバチに刺されちまった! 虫刺されに効く薬草を採って来てくれ!』だって!」


 エレナが読み終えると、二人は顔を見合わせた。

 片や森育ちどころか森の住人であるエルフ。片や森近くの田舎育ちで、小さい頃は何度も虫取りをした元田舎少年。


 虫刺されなんて日常茶飯事、その処置だってお手の物だ。なんてイージー……とは、残念ながら言えなかった。


 「クロスジバチっていう虫だよね? どんなの?」

 「さぁ……?」


 親切にも虫の正式名まで書いてくれた依頼者──作ったのは先生なのだろうが──には悪いが、虫が山ほどいる環境で、どの虫が何という名前なのかなんて気にしない。重要なのはどの虫が害か、そしてどの虫が益となるのか。その二つだけだ。


 「幸い、この学校には医学と治療術の専門家がいます。あとで聞きに行きましょう」

 「いいね! ボクもエルフの端くれだし、薬学系に強い自信はあるんだけど、流石にどんな虫なのか、どんな症状なのかも分からない状態で効く薬草を挙げるのは無理だよ」


 二人とも経験上、蚊に噛まれた時と蜂に刺された時の症状の違い、その場合に使われる薬が違うことくらいは知っているが、具体的にどんな虫にはどの薬草が効くのかは知らない。

 ひそひそと言葉を交わしているのはフィリップたちばかりではなく、教室のそこかしこで行われていた。


 「達成期限は一週間後だ。つまり、採集にしろ討伐にしろ、一週間以内に行って帰ってこられる場所までしか想定していない。それを前提に行動しろ。いや──もっと大きなヒントをあげよう。君たちは一年次に野外訓練をしたと思うが、今回は野営技術を必要としない想定だ。どこかの街や村で宿を取れるように行動しなさい。もしも野営が必要になるようなら、その計画には無駄がある」


 ジョンソン先生はクラスを見回して質問がないことを確認すると、授業を結びにかかった。


 「全員、メンバーと依頼は確認したな? 私は今後一切、依頼についての質問は受け付けない。自分たちで考え、調べ、行動しなさい。……以上で本日の講義は終了とする」


 一斉に礼をして、それからぞろぞろと出口に向かう生徒たち。

 先日はクラスメイト同士で固まって教室を出ていた生徒たちは、今日はパーティーメンバーで集まっていた。


 フィリップとエレナもその例に漏れず、二人で教室を出て、その足で図書館に向かう。まずはクロスジバチについて調べる……わけではなく、ミナがそこにいると考えてのことだ。

 案の定、彼女は図書館の中で一番ふわふわだと評判の大きなソファに座って、ワイン片手に本を読んでいた。


 「ここ飲食禁止だよ、ミナ」

 「溢して本を傷付けるからでしょう? その可能性がないなら、何も問題ないはずよね」

 「いや、ルール……まぁいいか。今は何を……『R・グレイトマンの冒険記録3 荒野編』。僕が一巻で折れたやつだ……三巻は面白い?」

 「きみが面白くなかったのは、現実的なことしか書かれていなくて地味だったからでしょうね。冒険かどうかはともかく、野営に役立つ本ではあるわよ」


 そうは言いつつも、ミナがページを繰る手つきは普段の倍近い速さだ。物語を読んでいるというより、文字列から情報を抜き取っているだけのように見える。やはり面白くはないのだろう。


 「前にも聞いたかもしれないけど、ミナって野営慣れしてるよね?」

 「師のところではいつも野営だったもの。それより、何か用事があったんじゃないの?」

 「あ、そうだった。模擬依頼実習の話、聞いてるよね? あれの詳細が配られたんだけど、ミナ、クロスジバチって知ってる?」


 ダメ元で──というか、ほぼ苦笑しながら訊ねたフィリップに、ミナも似たような表情で首を傾げた。

 

 「さぁ? 見たことはあるのかもしれないけれど、私、虫の名前に興味を持ったことが無いから」

 「そうだろうね……じゃ、予定通り、ステファン先生に聞きに行こう」


 ステファン先生? と首を傾げる二人を連れて、フィリップは迷いのない足取りで医務室に向かう。

 フィリップももう三年生だが、一年生の終わりごろには医務室利用回数が全校トップだったとか何とか言われているので、勝手知ったる道だ。


 ステファン先生は貴族でその上二つ名持ち。他の生徒が気後れして医務室に行き辛いなか、「コケた!」とか、「寝違えた……」とか、そんな軽い症状で扉を叩くのはフィリップぐらいだった。ついでに、一年生の後学期からは近接戦闘の訓練、特にウルミという扱いの難しい武器を練習していたから、利用回数も数倍だ。


 顔見知りどころか、もうちょっとした友達くらいの距離感になっていたフィリップを見て、ステファン先生は「今日はどうしたの?」なんて困ったような微笑と共に出迎えてくれた。

 フィリップが「クロスジバチに刺された時って、どうすればいいですか?」と訊ねると、彼女は書き物をしていた机から離れて、薬の瓶が並んでいる戸棚に向かう。


 「クロスジバチ? まだ春なのに、珍しいわね? カーター君が刺されたの?」

 「あ、いえ、そうじゃなくて」


 エレナが少し慌てながら補足すると、薬棚に伸ばしかけていた手を止めたステファン先生は、「そっか、その時期か」と納得した。


 「あぁ、なるほどね。うーん……そういうことなら、私が助言しない方がいいわね。魔術学院って、たとえOBやOGでも軽々に入れないから、先生や図書館を頼るのは良くないかも」


 なるほど、とフィリップとエレナも頷きを返す。さっきジョンソン先生も「依頼についての質問は受け付けない」と言っていたのは、そういう意図だったのだろう。


 ミナはどうでも良さそうにしているし、フィリップもエレナも駄々をこねるほど子供ではない。大人しく医務室を後にして……さて、ではどうするか。

 一応はパーティーリーダーのはずのエレナは「じゃあ……どうする? フィリップ君」と丸投げの姿勢を見せている。いや、フィリップが訊けば彼女もきちんと考えてくれるのだろうが、フィリップは頼られると弱かった。或いは本人も自覚している通り、美人に弱いのかもしれない。


 「王都の図書館で調べるか、町医者に行って聞いてみるか……ん? いや待って。もう一人、この手のことに詳しい人がいたよ。そっちに行こう」


 素直に思考を回したフィリップは、幾つかの安直な答えを経て、やがてもう一人の専門家の事を思い出した。彼女は既に学院を卒業してしまったが、まだ王都に居るはずだ。






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