第319話

 三年次の授業が本格的に始まってから、早くも二週間が過ぎた。

 国語や数学、歴史や神学といった学年共通のカリキュラムも一段と難しくなり、得意科目の文学までもが眠気を引き起こし始める。


 そんな中で癒しになるのが、思う存分身体を動かせる体育と──勿論、進路別科目の冒険者コースだ。学年の全員がコース選択を終了し、学校側がクラス分けなどを決定するのに一週間を要し、今日が初の授業となる。


 冒険者コースは元々希望人数が少ないらしく、フィリップたちが集められたのは定員20人の小教室だった。しかも、机には二つ空きがある。


 「……もしかして、この部屋にいるみんなで冒険するのかな? だとしたらすっごく楽しそうだね!」


 隣の席に座ったエレナが身体を傾け、ひそひそと囁く。その笑顔が本当に楽しそうで、フィリップは「流石にそれは無いと思いますけど」と冷ややかに切り捨てることが出来なかった。

 その代わり、基本的に森を出ないエルフ、しかも厳重に保護されるべき王族でありながら、“放蕩王女”と呼ばれるほどに冒険を重ねてきたエレナ自身のことを訊ねる。


 「冒険って、具体的にどんなことをするんですか? やっぱり、魔物を倒したりとか?」

 「人によって違うと思うよ。ボクは、森で勉強するのとか嫌いだったから、色んなところに行けたらそれで良かったんだけど……魔物とか獣は、「通りたいだけなんだ」って言っても通してくれないからね。戦う力は必要だけど、戦うことは目的じゃなかったかな」


 なるほど、とフィリップは頷く。

 確かに、エレナが闘争を求めて彷徨っているところは想像がつかない。むしろ、その強さから来る余裕で熊や狼にのんびりと話しかけているところが目に浮かぶ。唸り吼える狼の群れに、「東に行きたいんだけど、あっちで合ってるよね?」なんて安穏と尋ねる姿が……。


 フィリップは自分の妄想で笑いそうになり、そっと顔を伏せた。


 「ね、あなたはどんな冒険がしたいの? やっぱり、自分の力だけで龍殺しとか?」

 「いや、龍はもう十分です……。Aクラス冒険者になりたいっていうのは大目標なので……や、やっぱり、自分だけの魔剣とか……いや、龍貶しドラゴルードは良い武器ですし、僕専用に設計されてるので、一番手に馴染む武器なんですけどね!? でもやっぱり、ロマンは別腹というか……」


 早口に語ったかと思えば、今度はもにょもにょと語尾を濁らせるフィリップに、エレナは不思議そうな笑顔で首を傾げた。


 「いいんじゃない? コレクション……使わず集めるのが好きな人って、エルフでもいるよ。パパなんて、もう百年も狩りをしてないのに、強い弓を作ったり買ったりして、ママがいつも……って、あ! 先生が来たよ!」

 「……げ」


 フィリップは冒険者コースを受け持つ女教師の顔を見た瞬間、嫌そうな声を漏らした。

 無表情をやや不機嫌寄りにした薄い仏頂面で、教室の中を睥睨しながら入って来たのは、治療術担当のジョンソン先生だ。くすんだ金髪には白が混じり始め、いつも厚ぼったい化粧をしている。口さがない生徒などは、化粧のせいで表情筋が固まっているなどと揶揄するほどだ。


 元々は薬草に詳しく錬金術を担当していたらしいのだが、ナイ教授の方が適性があると学院長に判断され、担当科目が変更になったとか。ちなみに、年中不機嫌そうなのはそれ以前からずっとだ。

 フィリップは二年次から召喚術を取っていて、錬金術も治療術も選択していないのだが、いつもむっつりと睨みつけるような顔で廊下を歩いているこの教師が好きではなかった。


 「……冒険者コースを担当する、ベルベリン・ジョンソン教授だ。君たちがここに居るということは、将来構想の一部に冒険者という進路が入っているわけだ。素晴らしい。命懸けの冒険に繰り出す覚悟の決まった、勇猛果敢な戦士の集まりというわけだな?」


 素晴らしいとは微塵も思っていない仏頂面で言うジョンソン先生に、生徒たちは誰も何も言わなかった。

 決して心地よくはない沈黙にフンと鼻を鳴らした先生は、持っていた冊子を教卓に放る。


 「冒険者とは何か、どのような職業かが書かれた事前資料だ。当然、読んでいるな。……冒険者の死因に占める最大の要因は準備不足だと書かれている。では……一番前の君。何パーセントだ?」

 「はい!? わ、私ですか!? えーっと……」

 「資料を見るな。戦闘中や過酷な環境下でのんびりメモをめくっている暇はないぞ」


 不機嫌そうに──或いは、いつも通りに──言ったジョンソン先生に、指名された女子生徒は自分の冊子に伸ばしかけていた手を、熱いものでも触ったようにびくりと引っ込める。そして、しょんぼりと肩を落とした。


 「わ、分かりません……」

 「資料は見たのか?」

 「はい、勿論」

 「見ただけでは駄目だ。内容が理解できるまで読め。……有名な言葉だ。そして冒険者を目指す君たちには、更にこう続けよう。暗記するまで読み込め。一字一句暗誦できれば言うことはないが、最低でも要点くらいは暗記しろ。何故か──」


 ジョンソン先生は鞄の中からバインダーを取り出し、二枚の厚手の紙を取り出した。錬金術で作られた紙は薄いほど高価だから、かなりの安物のようだ。

 一枚は赤っぽく、一枚は白い。


 「これは依頼票というものだ。冒険者ギルドを通じて、一般人や他の冒険者、時には国家からの依頼は、全てこの依頼票を通して公募される。公募依頼と指名依頼の違いについては資料を読むように。まあ、名前から分かるとは思うが」


 挑発的なセリフだが、ジョンソン先生はにこりともしていない。


 「依頼票には二種類ある。一つは“実行依頼”、通称“白カード”。「○○というの魔物討伐」、「○○という薬草の収集」エトセトラ。依頼内容が具体的で煩雑さはないが、報酬が安い傾向がある」


 白い方の紙を見せながら話していた先生はそれを教卓の上に置き、もう片方の紙を掲げて見せた。


 「もう一つは報酬が比較的高額になる傾向のある“赤カード”。正式には委任依頼と呼ばれ、依頼内容が大雑把だ。例えば、「畑を荒らす害獣をなんとかしてほしい」「病気を治して欲しい」エトセトラ。害獣とは具体的に何という獣か。どのような生態で、ただ遠ざければいいのか、殺す方が楽なのか。最もリスクの無い駆除方法は何か。病気とは何で、どのような症状を緩和すればよいのか。それにはどんな薬が必要なのか。そういったことを調査する必要があるが故に、報酬が割高になる。言うまでもないが、未知こそ最大の危険だ」


 うんうんと頷くフィリップとエレナ。ルキアとステラがここにいたら、二人も頷いていただろう。

 どうやら価値観を共有できるらしいと知り、フィリップの中でジョンソン先生への好感度が少しだけ上がった。


 「では未知への対策とは何だ。……そこのお前」

 「魔術師の持つ最大の強みである、手札の多さ──汎用的で万能な強さです」


 また前の方に座っていた生徒が指される。後ろの方に陣取って正解だった、とフィリップはひっそり安堵した。


 答えを聞いて、フィリップは僅かに口元を歪めた。

 悪くない答えだが──不正解だ。いや、問題が意地悪すぎる、というべきか。


 「零点だ。万能な人間など存在するはずがないだろう。そも魔術に頼る時点で万能とは呼べない」


 相変わらず不機嫌そうに言うジョンソン先生の言葉に、フィリップは今度は小さく頷いた。

 隣の席のエレナがそっと身体を傾け、「答え分かる?」と囁く。──分からないはずがない。恐らくこの学院の中で、フィリップは三番目か四番目くらいに“未知”の恐ろしさを知っている。


 「この問題に百点の解など存在しない。未知に踏み込む時点で大減点だ。ではどのように減点を減らすかだが──事前準備だ。ありとあらゆることを調べ、頭に叩き込め。簡単な薬草採取でも、調べるべきはその薬草が何処に生えていて、どのように採取保管するかだけではない。生息地の環境、近辺にいる魔物、治安状況、天候、エトセトラ。未知が未知のまま踏み入るな。闇の中に踏み出すのなら、一歩目は必ず照らし出せ。照らし出し踏み込んだ先で、今度はその一歩先を探るのだ」


 フィリップはまた小さく、何度か繰り返し頷いた。薄く目を瞑っているのは感心の現れだ。


 素晴らしい答えだ。フィリップが教師でも、生徒にはそう教えるだろう。

 未知に踏み入ることは、必ず危険を伴う。未知というものは危険を内包していると言ってもいい。それは喩えるなら、昏い水の中に飛び込むようなものだ。足が付くかもしれないし、底なしに深いかもしれない。色とりどりの優雅な魚の楽園かもしれないし、人食い鮫の領域かもしれない。或いは、沈んだ神殿があるかもしれない。


 しかし、もしかすると伝説の癒しの泉で、ありとあらゆる病と怪我を治癒する祝福の水かもしれない。水底には無限の財宝があるという。その宝を手にするのは、危険を冒して飛び込んだものだけだ。


 それに──個人的に、未知を踏破するのは、とても尊いことだと思っている。


 「児童書に憧れて破天荒な冒険がしたいと望むのは結構だ。夢を見ろ。夢も見られなくなったら、人間はお終いだ。だが──忘れるな。未知を踏み越えることが極めて難しいからこそ、物語になるのだということを」


 フィリップは今度は実体験に基づいて頷いた。

 龍殺しは英雄譚の代表格とも言えるが、ヴォイドキャリアのような超級の魔剣を抜きにして龍が殺せたら、そいつはもう人間ではない。それほどの難事だからこそ、英雄の所業なのだ。


 「あらゆる状況に対応できる万能の力など必要ない。第一に、全能とは神にのみ許された御業だ。人の身では有り得ない。必要なのは知識と知恵。どんな状況が想定されるのかを考えるための知識、その状況を乗り切るための知恵と準備。いいか──知識とは、力だ」


 その通り、とフィリップは心中で一人笑う。

 知識とは力だ。だが、決して自分を守ってくれるだけの優しいものではない。力は必ず双方向に働く。壁を殴ると拳が痛むように、作用には反作用が付随する。


 人々よ無知であれ。しかし、自らが無知であることは知るべきだ。そんな矛盾した思想さえある。


 「一週間後、君たちには模擬依頼票が配られる。こちらで指定したメンバーでパーティーを作り、その依頼書に書かれた依頼を達成すること。冒険者コースではこの形の実習が定期的にあるので、各種装備の点検や物資の補充は怠らないように。……案ずるな、依頼は全て、資料にある基本の装備だけでこなせる簡易なものだ。実習中に殺すわけにはいかんからな」


 それで死んだらお前らが弱かっただけ。

 無表情を少しだけ不機嫌に寄せたような仏頂面からは、そんな声が聞こえてきそうだった。 


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