第318話

 初日は授業が無く、昼前に放課後となったフィリップたちは、昼食を終えて体育館に来ていた。

 目的は言うまでもなく、いつも通りのフィリップ強化訓練。ミナも合流して万全の態勢だ。


 何度か模擬戦を終え、今はフィードバックの最中だった。


 「ソードウィップ形態は勿論、ロングソードへの習熟も十分ね。武器の性能もあって、魔力障壁の強度だけで語るなら、宮廷魔術師の守りも貫けると思うわ」

 「……まぁ、中級程度でも戦闘魔術師なら範囲攻撃の手札は揃えているのが普通だ。自分を過信するなよ」


 ルキアとステラに頷きを返し、模擬戦相手だったミナに「ありがとう」と手を振る。ミナも微笑と共に手を振り返し──何かに気付いたように、入り口の方に目を向けた。


 「珍しい来客ね。きみの知り合いではないの?」

 「え?」


 残念ながら交友関係が終ぞ広がらなかった──敬遠され続けていたフィリップには、友人と呼べる相手が殆どいない。数少ない例外は既にこの場に居るか、軍学校生なのでここに居るはずがない。


 では誰だろうとミナの視線を追っていくと、深みのある翠玉色の双眸と目が合った。

 エレナは扉に半身を隠したまま、やっと気づいてくれたとばかり嬉しそうに手を振っている。


 ルキアとミナは「何しに来たんだろう」と怪訝そうにしているが、フィリップとステラは顔を見合わせ、二人同時にぱちりと指を弾いた。


 「エレナさん、ちょうどいいところに!」

 「格闘戦の教導役、発見だな」


 何か用があったのだろうエレナは、「えっ? なに?」と困惑顔で目をパチクリした。


 それから一時間くらいして、フィリップが満足いくまでボコボコにされた後。


 「で、エレナさんはなんで体育館に? 学校探検ですか?」

 「それは二日前に済ませたよ。あなたを探しに来たんだけど……まさか、白兵戦を教えることになるとは思わなかったな」


 今更な質問に、エレナは苦笑交じりに答える。

 「なに? 何なの?」と困惑するエレナを体育館に引きずり込み、「格闘技術を教えてくれませんか?」と強引に教導役を押し付けたのだが。まぁ、事情を理解してからはエレナも乗り気だったし、最後の方はファイターズ・ハイになってフィリップを殴り倒す寸前だったが。


 恐ろしいのは、彼女の格闘技術は対人戦闘なんて甘いものを想定していないことだ。

 顔を打って怯ませるとか、顎を打って脳を揺らすとか、そんな戦術は一度も無かった。顎を打つなら頭蓋を粉砕するか脊髄を引き摺り出す、首を打つなら頸椎を砕く、胸を打つなら心臓を貫き、腹を打つなら腎臓をブチ抜く。


 致死。致命。或いはそれに至る重傷を。そういうコンセプトだった。


 そして彼女の技量は、秩序を持った連携を繰り出す狼や、無秩序だが大量に群れる魔物や、熊のような強力な個を相手に磨き上げられている。故に、徒手格闘のレンジに於いては明確な苦手が無い。


 「手加減が上手くて助かりました。素手で生木を抉るパンチなんて受けたら、痛いじゃ済みませんからね」

 「やだなぁ、そんなミスしないって。それより──」


 エレナはどこか恐々と、悪戯がバレた幼子のような様子で、フィリップの奥に視線を向けた。

 つられてフィリップも振り返るが、特に何もない。ミナがステラの魔力障壁を素手で割れるか試して遊んでいるだけだ。ちなみに罅が入っていた。


 「あのひと、人間じゃないよね?」

 「ん? そうですよ。あ、そういえば、ミナとエレナさんは親戚なんでしたっけ……あれ?」


 今の今まで背後にいたはずのエレナを振り返ったのに、彼女はもうそこには居なかった。


 「ねぇあなた、ボクの親戚なの!? エルフ王の血を引いてるってこと!?」


 いつの間にかミナのすぐそばにいたエレナは、目を輝かせてミナに詰め寄っている。

 ミナが不快感も露わに彼女を斬り捨てるのではという危惧は、幸いにして杞憂だった。


 ミナはフィリップに対する時の慈愛と愛玩と、配下に対して見せていたような無関心のちょうど中間の困り顔で「えぇ、そうよ」と頷く。

 エレナは今度は目だけでは足らず顔を輝かせて、更に一歩、ミナに詰め寄る。二人の距離は、もう二歩ほども空いていない。

 

 「あなた、幾つ? ボクは95!」

 「105だけど……」

 「じゃあ、あなたの方がお姉さんだね! ボク、ずっと兄弟が欲しかったんだ! ねぇ、姉さまって呼んでもいい!?」


 エレナはまた一歩、ミナの方に詰め寄る。もう抱き合っているのではと思わせる至近距離だ。

 ミナは高いヒール込みで190センチの上背があるが、エレナは精々160センチかそこらで、大きく見上げる形になっている。


 物理的にも精神的にも、やたらと距離を詰めてくるエレナに、ミナは面倒そうに、そして対応に困ったようにフィリップの方を見た。なんとかして、とでも言いたげだ。


 しかし、フィリップは頭の中で血統図を組み立てるのに忙しく、ミナを見ていなかった。


 「ミナのお母さんがエルフ王の妹だから、えーっと……従姉妹、なのかな?」

 「なるほど……どうりで、良質な血のエルフなのに食欲が湧かないわけだわ。死んだ母に似ているのね」


 ミナは形容しがたい、どこか苦しそうにも見える微笑を浮かべて、エレナの頬を撫でる。エレナはくすぐったそうに、そして嬉しそうに表情を綻ばせると、ミナの胸に顔を埋めるように抱き着いた。


 「ううん、それだけじゃないよ。ボクと姉さまも似てるんだ。姉さまはきっとお母さん……ボクの叔母さんに似たんだね」

 「……良かったわ」


 所在なさげに手を彷徨わせていたミナは、躊躇いがちにエレナの髪を梳くように撫でる。

 それを見たフィリップは「ミナの髪は父親似だよね」という言葉が喉元まで上がってきたが、口走る前に苦労して呑み込んだ。


 生き別れの姉妹が感動の再会を果たした神聖な空気に──正確にはたった今互いの存在を知った従姉妹だし、どちらかと言えばミナの困惑が大きすぎて微妙な空気だが──水を差すのも気が引けて、フィリップとルキアとステラは集まって、「どうしましょう?」「訓練も終わったし、何処か遊びに行くか?」「でもあの子、フィリップに用があったんじゃないの?」と囁き合う。


 それなりに離れていて、それなりに小声だったのに、会話の内容を聞き取ったエレナは慌てたようにミナの胸元から顔を上げた。


 「って、ちょっと待った! ボクはフィリップ君を探しに来たんだから、勝手にどっか行かないでよ!」


 しゅばっ、という擬音の付きそうな素早い動きでミナのところからフィリップの方にすっ飛んできたエレナは、フィリップの肩をがっしりと掴んだ。

 手指それ自体は細くて柔らかいのに、込められた力は人外のものだった。フィリップが本気で逃げようとしても押さえつけられるだろうと、簡単に想像がつく。

 

 「そういえばそんなこと言ってましたね。それで、ご用件は?」


 問われると、エレナは本題まで長々とかかったことも忘れたように、楽しそうにぱちりと手を叩いて言う。


 「あなたがどのコースを選ぶのか聞いておきたくってね! ボクは冒険者コースにするつもりなんだけど、あなたも先生の言っていたように、そうするの?」


 フィリップは「先生の言っていたように」という修飾語だけで首を横に振りたくなったが、エレナ相手に意地を張ったって意味がないし、Aクラス冒険者を目指す最短最速のルートを選ばないはずもないので、少し苦みのある作り笑いで頷いた。


 エレナはぱっと顔を輝かせて、つい先ほどミナに対してやったように、フィリップに一歩詰め寄った。

 

 「じゃあさ、ボクとパーティーを組まない? 書類は見たよね? 冒険者コースには実習っていうのがあって、生徒同士でパーティーを組んで、模擬依頼をやるんだって」

 「……それを言いに来たんですか? 授業が始まってからでも良かったんじゃ……」

 「だって、あなたは龍殺しを成し遂げた英雄でしょ? 早く言っておかないと、誰かに取られちゃうと思って。その感じだと、ボクが一番乗りだよね!」


 そんなに楽しみなのか、とズレた推測をするフィリップ。

 エレナの答えはその推測を正し、ついでにフィリップの心の健常な部分を鋭く突き刺すものだった。


 「ははは……いや、僕を誘ってくれそうな友達はいないので……」


 というか、そもそも友達と呼べるのはここにいる二人くらいだった。

 それが不味いことであるという認識はある。友人だろうが他人だろうが無価値と断じる価値観を持っていても、交友関係が広いに越したことは無いという常識もまた持っているのだから。


 乾いた笑いを溢すフィリップに、エレナは不思議そうに首を傾げ、ルキアとステラの方を見た。


 「あなたたちは、フィリップ君と組むんじゃないの?」

 「私たちは後方コースよ。冒険者になるつもりはないもの」


 答えるルキアは少しだけ寂しそうだった。

 二年後にはフィリップも貴族になり、また一緒に居られるのに。──或いは、フィリップがどうにかして二年間の猶予期間で逃げ道を見つけようとしていることを知っているのか。


 具体的な方針はまだ何一つ見つかっていないので、杞憂に終わりそうだが。


 「えーっ? そうなの? フィリップ君の友達だっていうから、一緒に冒険したかったんだけどなぁ……」


 エレナは本当に残念そうに肩を落とした。

 フィリップが龍殺しという難行に赴く理由、自分の命より大切に思っているという友達と一緒に冒険出来たら、それはどれほど楽しいだろうと期待していたのに。


 しかし、彼女は長々と気落ちしているタイプではない。ほんの数秒で顔を上げた時には、「まぁいっか!」と顔に書いてあった。


 「あ、そう言えば、ちゃんと自己紹介してないよね! ボクはエレナ。これでも一応、エルフの王女なんだ! よろしくね!」


 人懐っこい仕草で片手を差し出すエレナ。

 ルキアは「そう来たか」とでも言うように片眉を上げ、制服のスカートに僅かに触れるカーテシーをした。


 「……アヴェロワーニュ王国、サークリス公爵家が次女、ルキア・フォン・サークリスです。どうぞお見知りおきを」

 「アヴェロワーニュ王国第一王女、ステラ・フォルティス・ソル・アブソルティア・レックスだ。直接顔を合わせるのは初めてだが、エルフ王陛下から色々と聞いている。お会いできて光栄だ」


 ルキアが臣下で、ステラが主君。

 その関係性を示すようにステラが一歩進み出て、エレナの手を握る。握手を求めたのはエレナからだったが、先に手を放したのはステラだった。


 フィリップに対するものとは違う、明らかに隔意のある対応に、エレナは目を白黒させた。が、その程度ではへこたれない。


 「な、なんでそんなに畏まってるの? それとも、人間社会だとこれが普通なの……? エレナでいいよ。フィリップ君の友達なら、ボクたちエルフの友達だからね!」

 「貴女が「王女だ」なんて態々言うからでしょう」

 「あ、そっか、あはは! ねぇフィリップ君、あなたが言ってた助けたい友達って、この子たちだよね! じゃあ、あなたが「知り合いのお姫様」だ! フィリップ君から聞いてるよ、ボクたち仲良くなれそうだね!」


 エレナは面食らって言葉が出てこない様子のステラの手を取り、嬉しそうにぶんぶんと上下に振る。

 

 ステラは完璧に取り繕われた外交的笑顔を浮かべながら、フィリップが何を言ったのか、いや、エルフの集落で何があってどんな話をしたのか、微に入り細を穿って聞き出さねばならないと心のメモ帳に書き記した。




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