第317話

 「それじゃ、皆さんお待ちかねの質問たーいむ!」という、ナイ教授のハイテンションな声に当てられたか、クラス内が色めき立つ。

 「好きな食べ物は何ですか?」とか、「何属性の魔術が得意ですか?」とか、そんなありきたりな質問に始まり、「実年齢は何歳なんですか?」とか、「人間の国はどうですか?」とか、少し特異なものもあった。


 ちなみにそれぞれの回答は「お肉!」「無属性の身体強化かな。デコピンでフィリップ君の鞭と同じくらいの威力は出るよ!」「95歳!」「すっごく快適! 蛇も熊も狼も虫も魔物もいないしね!」だった。年齢のところでどよめきが起こったのは言うまでもない。


 年齢の割には精神が未成熟だと思った生徒は何人かいたようだが、物語や歴史書なんかでエルフについて知っている者は、「なるほどこういうことか」と知識と経験の擦り合わせに成功する。


 一通り質問が出尽くしたあと、エレナも着席してHRに入ることになったのだが、当然のように争奪戦になった。

 教室は三人掛けの長机が四列四段になっており、この3-Aは全38人だ。空きのある机に座っていた生徒たちは、皆「是非に」と挙って手を突き上げる。


 しかし、エレナは再びクラス内の空気を凍り付かせた。


 「折角だから、フィリップ君の隣がいいな! あなたたち、どちらか代わってくれない?」


 教室中が一斉に静まり返ったのは、クラスメイト達がフィリップに対して嫉妬したわけではない。

 エルフが王国と国交を回復したのはフィリップを含む龍狩り遠征部隊のおかげだと知っている者は多いし、今は衛士団長が持つエルフの秘宝、龍殺しの魔剣を手に入れたのがフィリップだということは、主に衛士たちの口から広がっている。


 この教室の中でエレナが知っている人間はフィリップだけだ。知らない異種族に囲まれれば、いくら陽気な性格でも友人を頼りたくなるだろう。

 だから、フィリップの隣がいい、という希望は理解できるし、納得も出来る。同情だってしよう。


 だが──相手が悪い。それも絶望的に。


 にっこりと、友好的な笑顔を浮かべているのはエレナだけだ。

 現在フィリップの隣に座っている、言葉の宛先である二人──ルキアとステラの顔を、エレナ以外の誰も見ることが出来なかった。


 「……貴女が何処に座りたいと思おうと、誰に懐こうと勝手だけれど、他人の場所を奪おうとするのは感心しないわね」

 「……分からないことがあってもすぐに訊けるように、前の方の席がいいと思うが?」


 警告、一回目。

 そんな声すら聞こえてきそうな冷たい声色で言ったルキアをフォローするように、ステラが片手で教卓の前の席を示す。


 エレナは特に拘泥することもなく、「確かにそうだね!」と納得して、ステラが指した席に座った。隣になった生徒は嬉しそうに挨拶している。


 フィリップはエレナの笑顔が曇らなかったことに安堵しつつ、ちょんちょんとステラの腕を突いて尋ねた。


 「そういえば、殿下もエレナと面識がないんですか? 公務とかで顔を合わせたりは?」

 「ん? あぁ……エルフ王とお父様の会談に同席したことはあるし、使者……宰相だったか、その二人と話したことはあるが、彼女とは無いな。確か、公務に就くにはまだまだ早いとか」

 「長命種らしいスケールの話ね……」


 苦笑気味のルキアに、フィリップも頷いて同意を示す。確か、向こう800年くらいは“放蕩王女”で居ても問題ないとか言っていたはずだ。


 「はーい、それではー、真面目なお話をしますよー。静かにしてくださいねー」


 ナイ教授がぱんぱんと手を叩き、賑やかになりつつあった教室内の注目を集める。

 幼子に対するような態度だったが、生徒はほぼ全員、素直に背筋を正して口を閉じた。頬杖を突いたまま「そこはかとなく腹立つなぁ」なんて考えているのはフィリップだけだ。


 ナイ教授はチョークを魔術で浮き上がらせると、それを指先で操って黒板に文字を書き込んだ。デカデカと、しかし可愛らしい丸みを帯びた字で、『コース分け』と。


 「魔術学院の三年生はぁ、進路ごとに二つのコースを選択して所属してー、別々のカリキュラムで授業や実習を行いまーす。一つはもちろん、Aクラスの大半の方が所属するであろう、統治・研究・開発職を目指す後方コースですねー。そしてもう一つはー、バリバリ戦ってー、国を守ったり冒険したりするのがだーい好きなフィリップくん向けのー、実戦コースになりまーす」


 フィリップは目に見えてむっとした顔になった。

 確かにそっちを選ぶつもりだったが、そう言われると反骨心が芽生えてしまう。……とはいえ、後方コースは貴族向けというか、研究職に必要な高度魔術理論に傾倒したり、政治学や財政学といった統治に必要な技能を身に付けるための過程だ。


 コース内で更に科目選択があり、それぞれの専攻分野で上位の成績を取ると、宮廷魔術師や宮廷錬金術師、衛士団といった特別な職に繋がる道が開ける。


 「後方コースには『錬金術』『魔術理論』『医学』『薬学』『魔物学』『内政』『外政』『軍事戦略』とー、今年は特別にー、先生が担当する『考古学』もありますよぉ。どうですかー、フィリップくん」

 「結構です」

 「そうですかぁ、残念ですー。そんなフィリップくんが選択する実戦コースにはー、衛士団や騎士団を目指す『宮廷コース』とー、『冒険者コース』の二つがありますよぉ」


 後方コースと実戦コースで細分化に差があり過ぎるが、まぁ、仕方ない。

 魔術学院は戦闘魔術師の養成校ではなく、より広範の知識を教授し、王国の中枢を為す文官や武官を育て上げる教育機関だ。そして後方に必要なのは特化した知識や技能を持つ専門家で、実戦に必要なのは平凡でも万能な群。少なくとも王国はそういう風に定義している。


 衛士団を目指すのなら、宮廷コースで上位成績を取るのが最短最速なのだが──当然、フィリップには無理だ。上級魔術をバンバン撃ち合うような連中に混ざって、成績上位に食い込めるわけがない。

 ……いや、ルール無用の殺し合いで成績を決めるのなら、拍奪と蛇腹剣でどうにかなるかもしれないが、まさかそうではないだろう。近接縛りで魔術を撃ち合うとか、上級魔術の発動速度を競うとか、そんな感じのはず。そしてフィリップの発動限界は初級魔術。論外だ。


 「フィリップは冒険者コースなのよね?」

 「ですね。Aクラス冒険者になって衛士団を目指すなら、それしかないです。二人は後方コースでしたよね」


 フィリップの確認に、二人は揃って頷く。

 ルキアとステラは当然、卒業後には王宮入りだ。後方コースで『内政』とか『外政』を選択して、三年次はのんびり過ごすらしい。これまでの貴族や王族としての教育で、その辺りは完全にマスターしているそうだ。


 「カーターも『内政』を取っておくべきだと思うが……」

 「ヤですよ。絶対難しいじゃないですか」

 「だ、そうだ。その時が来たら頼むぞ、ルキフェリア」


 ルキアは「えぇ」と事もなげに肩を竦め、フィリップは「どうにか逃げる方法を探さなくちゃ……」と頭を抱えていた。ステラが無理だと判断したのなら、フィリップ風情がどれだけ考えても無理なのだが。


 それからコース選択の書類が配られ、詳しい内容が書かれた冊子が配られ、追加で二、三説明があって、漸くSHRが終わる。

 クラスメイト達が一斉にエレナの方に押し寄せるのを横目に、フィリップは二人と話し続けていた。


 「実際のところ、僕が逃げ切れる確率ってどのくらいですか?」

 「楽観的過ぎる質問だな。お父様やサークリス公爵の評価を著しく下げるような……例えば、重大な法律違反でもすれば、心変わりするんじゃないか?」


 流石にそれは、とフィリップも尻込みする。

 フィリップは自分の人間性が環境に左右されることを理解しているからだ。人間社会の中にいれば、人間社会に適応するための振る舞いを忘れずにいられるだろう。しかし犯罪者になり、逃亡生活になれば心が荒むし、牢獄生活はカウントダウンにも等しい。


 どうにか貴族位の授与から、正当な手段で逃げ切れないものか。


 「……公爵は「然るべき時に」って言ってましたけど、これってもしかして」

 「まぁ、二年後だろうな。お前が15歳になった時だ」


 少し考えての答えに、フィリップは形容しがたい呻きを漏らした。


 「……殿下、なんか抜け道とか作っといてくれませんか」

 「無理だな。誰が何と言おうと、国王の意向は絶対だ。そのくらい、田舎にいた頃でも知っていただろう?」

 「それはそうですけど……」


 国王の意向は絶対。それは勿論、フィリップだって知っている。

 国家における最上位意思決定。法律、道徳、不文律、ありとあらゆるルールは、国王の言葉の前に首を垂れる。


 だがそれはそれとして、やっぱり貴族は無理だと思うフィリップだった。


 ルキアとステラは顔を見合わせ、何か説得できる材料は無いかと思考を回す。説得して貴族にするのではない。説得に失敗したとて、貴族にはなるだろう。乗り気か、そうでないかの違いだ。


 「……フィリップ、貴族になったら、お金だけじゃなくて、それなりの権力も貰えるのよ?」

 「要らないですよそんなの」


 何ならお金も要らないかもしれない、などと考えるフィリップ。

 今までのフィリップなら「まぁ貰えるなら貰います」と庶民ぶりを発揮していたところだが、今やその気になれば一等地に屋敷を構えて使用人まで雇える大金持ちだ。龍狩りの折、王国からだけではなく、聖国の騎士王レイアール・バルドル卿からも謝礼金おこづかいを貰ったからだ。


 無駄遣いを全くしないのは金銭感覚が庶民のままだからか、単に真面目なだけなのか。


 「そう? でも、貴方のお気に入りの作家を援助したり、どこかの劇団に口利きして作品を演劇にしたりできるし……メリットは多いんじゃない?」

 「んむむ、それは確かに……!」


 なにそれやってみたい! と顔を輝かせるフィリップ。

 少し気乗りしてきたフィリップは、自分でも「他に何ができるだろう」と考える。


 貴族になり所領を与えられると、領内の統治権が委任される。

 刑法・民法・政治体制から税率、税の支払い形態まで、思いのままだ。ある貴族の所領では、税を農作物や貨幣ではなく、鉱物によって納めているらしい。


 そして法律を決められるということは、勿論、罰則の形態もだ。

 勿論、王国法と著しく矛盾するような法を敷くことはできない。基本的に王国法が優先され、王国法で禁止されていることを解禁したり、罰則を緩くすることは無い。例外的に、極端に治安が悪い地方では都市内部での重武装が許可されたり、国境線を有する領地では身分検めを拒否した者をその場で処断出来たりするくらいだ。


 フィリップは暫し考え、ややあって、最悪の答えを出した。


 「あ、牧場が作れる!」

 「やるなよ」


 即答だった。

 流石に無辜の民を無理矢理拉致してミナの食料にしたりはしないが、例えば、死刑級の罪人や決闘の敗者なんかを有効活用できると考えれば、そこそこ良い政策に思えるのだが。


 「駄目なんですか?」

 「いや、現行法上では問題ない。というか、そんなことを考える貴族は今まで居なかったから、態々規制する法が存在しない。が、それをやるなら法を変える」

 「王族の横暴だー、ぶーぶー」


 フィリップの軽口に、ステラは悪役っぽく「ふははは」と笑って返した。


 「……で、真面目な話、僕が逃げ切れる確率はどのくらいで?」

 「ゼロだな。今年で学院は卒業だが、長い付き合いになりそうで嬉しいよ」


 ステラは嬉しそうに、そして揶揄い交じりに笑ってフィリップの肩をポンポンと叩き、席を立って教室を出て行った。多分、トイレだろう。


 その背中を憮然とした表情で見送るフィリップの手に、ルキアがそっと自分の手を重ねた。ミナほどではないがフィリップより冷たい手は、心をすっと落ち着けてくれる不思議な魔力に満ちていた。


 「……その時には私が補佐に就くから、心配しないで?」

 「よろしくお願いします……僕も二人と長い付き合いになりそうで嬉しいですよ」


 フィリップは本心からそう言って、言葉通りの笑顔を浮かべた。





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