冒険実習
第316話
キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』
シナリオ13 『冒険実習』 開始です
必須技能はありません。
推奨技能は各種戦闘系技能、【科学(植物学)】、【サバイバル(森林)】、【目星】などの探索系技能です。
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新緑鮮やかな陽気な春の日、フィリップは新調した制服に袖を通し、教室の一番窓側の席から王都の街並みを眺めていた。校舎棟の最上階にある教室からは、一等地と二等地を隔てる水路の煌めきや、一等地の豪奢な街並みが良く見える。
白銀の輝きを放つ懐中時計を開けてみれば、時刻は8時を過ぎたところ。未だまばらなクラスメイト達がそろそろ登校し始めて、教室に活気が出てくる頃合いだ。
学校行事が盛り沢山だった二年生が終わり、進級試験をパスしたフィリップたちは、とうとう魔術学院の三年生になった。
ルキアとステラは在校生代表として、今まさに入学式の執り行われている大講堂に行っている。ミナはまだ部屋で寝ているか、起き出して図書館に居るかだろう。
教室には一年生から同じクラスの、成績上位の生徒が数人と、教卓に乗って黒板に落書きして遊んでいるシルヴァしかいない。静かで、穏やかな空間だった。
シルヴァは大陸共通語と、エルフ語と、フィリップも知らない記号のようなもの、そして森に住む動物らしき稚拙な絵なんかを描いていて、クラスメイトたちも微笑ましそうに見守っている。邪悪言語は書いてはいけないと、予め言っておいて正解だった。
ゴブリンっぽい小人みたいな絵の下には「のーむ」と書かれているし、「くろやぎ」と書かれた下には、控えめに言って六本足の低木か、大きな眼球の魔物であるゲイザーが描かれている。触手もモリモリだ。
「……シルヴァ、そろそろ皆が登校してくる時間だし、黒板を綺麗にしよう」
「んー……これだけのこしたい! けっさく!」
シルヴァがぴっと指差した先には、チョーク全色を使って仕上げられた超大作がある。色が重なりまくって輪郭すら判然としないが、どうやら三角錐状の何かだ。所々に、触手と思しき突起物が見て取れる。タイトルは共通語ではない記号で書かれていて、フィリップにも読めなかった。
「……すごい、大作だね。なんて言うタイトルなの?」
「もりかじにあったなるらとてっぷ」
シルヴァは「書いてあるじゃん」と言いたげに表題を示す。
フィリップはゲラゲラ笑いながら、その絵は消さないことにした。フィリップが分からないなら、ルキアやステラにも分からないだろう。……尤も、ナイ教授はタイトルを読めるだろうが。
しばらくシルヴァと雑談していると、ぞろぞろと登校してきた級友たちの海を割って、ルキアとステラが教室に入って来た。
フィリップを探す素振りも見せず、当然のように窓側最後尾、フィリップのいる机に並ぶ。一年次からの、所謂「いつもの席」だ。
「おはよう、フィリップ」
「おはよう、カーター。……なんなんだ、アレは?」
冷たく感じられるほど涼やかな声で挨拶するルキアとは裏腹に、ステラは楽しそうに、黒板に残されたシルヴァの絵を指して笑っていた。
「おはようございます、ルキア、殿下も。あれはシルヴァの作品で……あ、すみません! ナイ教授が来るまで消さないでください!」
親切なクラスメイトが黒板消しを持って絵に向かって行ったのを慌てて止めるフィリップ。新年度早々にナイアーラトテップを煽る絶好の機会を逃すなんてとんでもない。
「……ところで、ルキアはなんだかお疲れですね? 入学式って、そんなにしんどいんですか?」
「いや、大洗礼の儀や国王への謁見に比べれば、全然全くこれっぽちも煩雑じゃあないんだが……まぁ、こっちは聖痕者や貴族の義務ではなく、学院長に言われた余分だからな。心情的にかったるいんだろう」
ルキアは肯定も否定もせず、すまし顔のまま微かに肩を竦めた。
教室に人が増えてくるとシルヴァは自分から送還されて姿を消し、フィリップはルキアとステラと雑談に興じていた。
ややあって、教室前方の扉がからからと開き、長い黒髪と尻尾を靡かせた猫耳の少女、ナイ教授が入ってきた。
フィリップがニヤニヤと、ルキア達も含めたクラスメイト達が不思議そうに見守る中、彼女は黒板に描かれた抽象的、もとい中傷的な絵に目を留めて──腕を一振りして、黒板を新品のように綺麗にしてしまった。
「誰が遊んでいたのかは知りませんけどー、遊んだあとはきちんとお片付けしてくださいねー、フィリップくん」
「名指ししてるじゃん……」
媚びるような甘ったるい声で揶揄うナイ教授に、フィリップは不機嫌そうに呟いた。
ナイ教授はそれ以上小言を続けることなく、クラス全体に挨拶して、定型文的な話を始める。「皆さんは最高学年ですから、後輩たちの規範となるような生活を心がけて」とか、「今年は進路を決定する大切な年なので、自分自身とよく向き合って」とか、そんなよくある、いつもの話だ。
退屈そうに窓の外を眺めながら聞き流していたフィリップは、窓側の脇腹を小突かれて、視線を傍に戻す。三人掛けの机の窓側にはステラが、通路側にはルキアが座っているが、ステラがフィリップの放心を見咎めるのは、教師が重要なことを言ったときだ。ちなみに、ルキアは教師が言ったことを繰り返し説明するのも構わないというスタンスなので、右の脇腹が小突かれるのは先生に怒られそうなときだ。
教壇の方に視線を向けると、ナイ教授がにっこりと笑った。何か重要なことを言おうとして、演出の為に──フィリップの意識が戻ってくるのを待つために──間を置いていたらしい。
「なんとー、このクラスに特別編入生がやってきます!」
ナイ教授が朗らかに言うと、教室にざわざわと囁き合う声が満ちる。
フィリップたちも例に漏れず、顔を寄せ合ってひそひそと話し始めた。
「三年次で編入なんて出来るんですか?」
「普通は無理だな。特別編入生の特別性が、学院長を説得するだけのものなんだろう」
「貴女も詳細を知らないの?」
「あぁ。私に情報が上がってこなかったということは、カーターのような危険分子ではないということだろうな」
なんだって? と言いたげな目をしたフィリップだが、ちょっと考えて、何も反論できないことを思い出した。フィリップも編入生だが、当時は二等地の一部を吹き飛ばし、その召喚物を制御できない爆弾扱いだったのだから。
「ま、僕と同等レベルの爆弾ではないってことですよね」
「お前と同等の爆弾が居るなら、それは人類史上最大の悲報だよ」
楽観的に言ったフィリップに、ステラは揶揄い交じりに返す。フィリップは「酷い言いぐさだ……」と笑って、またナイ教授の方に向き直る。ルキアは同意こそしなかったものの、否定も出来なかったので黙っていた。クラス中でのひそひそ討論会は一旦落ち着き、「取り敢えずその特別編入生を見てから再開しよう」という雰囲気になった。
ナイ教授はフィリップの意識が雑談から帰って来たことを確認して、教室の扉に向かって「どうぞ!」と楽しそうに言った。
そして、からからと音を立てて扉が引かれ、女子用の制服を着た生徒が入ってきた。クラス全体から集中する視線に動じることも無く、堂々たる足取りで──というか、むしろスキップのように軽やかな、楽しそうな足取りで。
「エルフの王女様──エレナちゃんです! はい、はくしゅー!」
間延びした声に応じるように胸を張る、見覚えのある少女。
ポニーテールに結わえられた艶やかな金色の髪。活発な輝きを湛えた翠玉色の瞳。綺麗というよりは可愛いと評した方が適切な、人間以上の美貌。年頃はルキアやステラと同じくらいに見えるが、実年齢は90歳を超えている。
長命種、エルフ。
吸血鬼のような不老不死ではないものの、極めて長い寿命を持ち、肉体の成長や老化が著しく遅い。そして肉体と精神は強く結びついている。肉体の成熟同様、精神の成熟もまた遅い、永遠の少女。
クラス内から沸き上がる拍手がナイ教授赴任の時より僅かにまばらだったのは、年が近い──見かけ上──から、美しさに見惚れていた生徒が多いからだろう。人懐っこい明朗な笑顔は、異性だけでなく同性にも「仲良くなりたい」と思わせる魅力があった。
「ご挨拶をどうぞー!」
「はい! エルフ王エイブラハム二世の娘、エレナです! 人間のことをもっとよく知りたくて、この王国にやって来ました! 皆とは一年だけの短い関係になっちゃうけど、仲良くしてね!」
エレナがぺこりと一礼すると、また拍手が沸き上がる。
エルフたちからは放蕩王女とか呼ばれていたらしいが、拍手に鷹揚に手を挙げて返す様はステラとよく似ていて、彼女らしい明るさと気品を兼ね備えた所作だった。
それに、人語──大陸共通語が一段と流暢になっている。
脳のオーバーロードは鎮静したはずだから、王国に来るにあたって普通に勉強したのだろうが、それでもフィリップが龍のいた森で遭遇してから半年も経っていない。下地が出来ていたとはいえ、非凡な習得速度だ。
「ホントは三年生じゃなくて、一年生からやった方がいいって、学院長さんに言われたんだけど……フィリップ君がいるクラスがいいってゴネちゃった! ボクが人間のことをもっと知りたいって思ったきっかけはフィリップ君だしね!」
エレナが悪戯っ子のような笑顔で言って──教室内の全員が『拘束の魔眼』でも喰らったように凍り付いた。或いは、空気さえも。
例外は「久し振り!」と朗らかに手を振るエレナと、「共通語が滅茶苦茶上手くなってるなぁ」なんて感心しながら手を振り返すフィリップだけだ。
「……知り合いなの、フィリップ?」
ルキアの声は心なしか不機嫌そうだったが、表情はいつも通りに涼やかだ。
フィリップはその顔を見て安心したのか、普段通りに、何でもないことのように答える。
「あぁ、前に話した、龍狩りの時に魔剣をくれたエルフが彼女ですよ。所謂、僕らの命の恩人ってやつですね」
「僕ら、ということは、フィリップも助けられたのだったかしら?」
「え? あー……はい、確か」
そういえばアトラク=ナクアの蜘蛛を魔剣で斬り伏せたのは彼女だし、それはちょうどフィリップが負けそうになったタイミングだったような、とうろ覚えの記憶を手繰るフィリップ。
幼子が粘土を捏ねて作ったカリカチュアじみた醜悪な蜘蛛と戦い、死の寸前で救われた、なんて、普通なら忘れたくても忘れられないハードな経験だ。しかしフィリップには死の恐怖が無かったうえに、あくまで龍狩りのための寄り道、更に言えばルキアとステラを救うための過程に過ぎなかったので、どうでもいい記憶として脳の片隅に追いやられていた。
だからフィリップが「僕らの」といったのは、実際に自分の身を救ってくれたからではない。
「二人が死んでたら、僕の精神もどうなってたか分からないので。二人の恩人は僕の恩人ですよ」
さも当然のようにフィリップが言うと、ルキアとステラは顔を見合わせ、照れたように笑って目を逸らした。
フィリップの囁き声が聞こえたのか、エレナは教壇の上で照れ笑いを溢している。
「やだなぁ、ボクはエルフの皆を守るために戦っただけ。それを言うなら、あなたこそ、ボクたちエルフの恩人だよ!」
フィリップとエレナは教室最後尾の机と教壇上で視線を交わし、二人ともが照れ笑いを浮かべた。
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