第315話

 魔術学院と軍学校の交流戦は、エキシビジョンマッチの終了を以て全課程が終了となった。

 生徒たちはぞろぞろと列を為して荷物を運び、魔術学院生から順番に馬車に乗り込んでいく。夜までに王都に到着したければ、あと1時間以内に砦を後にする必要があったから、みんな駆け足気味だ。


 フィリップが荷物を取って中庭に出てくると、一つの馬車の近くでルキアとステラが話しているのを見つけた。その馬車を目指していると、背後から声を掛けられた。


 「カーターさん。すみません、少しだけお時間を頂けませんか?」

 

 振り返ると、ジェームズがどこか気まずそうに立っていた。


 昨日のペア戦の時、フィリップにオーバーアタックを仕掛けてしまい、咄嗟に目を閉じたフィリップが闇雲に振った模擬剣が顔面にクリーンヒットして失神して以来の邂逅だ。フィリップがステファンに聞いた話によると、顎の骨に罅が入っていたらしい。


 「あ、ルメール様。昨日はすみませんでした。あの時は前がよく見えてなくて……」

 「い、いえ、とんでもない! あれは私のミスが招いた自業自得ですから、謝らないでください!」


 フィリップが先んじて言うと、ジェームズは慌ててぶんぶんと大袈裟に首を振り、それからきっちりと踵を揃えて深々と頭を下げた。


 「私の方こそ、申し訳ございませんでした。あれは、最近修得した僕の切り札で……焦りのあまり、つい咄嗟に……」


 深い反省の意を窺わせる声色の謝罪に、フィリップは鷹揚に笑い、肩に手を遣って頭を上げさせた。


 フィリップは別に、あの一件で怒ってもいなければ、何か注意するつもりも無かった。

 なんせ、以前には効果の判然としない魔術をぶっつけ本番でクラスメイト相手にぶっ放し、肺の中を海水で満たして地上で溺水させ、半殺しにしたことがある身だ。尤も、あれは決闘の場でのこと。模擬戦とは違う、両者納得ずくでの殺し合いの場でのことだ。むしろ半殺しで済んで良かったね、といったところだが。


 「気にしないでください。僕もウォードも、怪我も後遺症もありませんし──」

 「──それで済んだのはルキアのイカレた反応速度と演算能力のお陰だということを、忘れずに生きていくんだな」


 へらりと笑って手を振りかけたフィリップは、背後から抱き寄せられて言葉を切る。

 優しげではありつつも有無を言わさない感じの手つきはステラのものだ。見上げると、やはり彼女だった。顔に浮かぶ威厳に満ちた表情は、フィリップからすると珍しいものだった。


 「咄嗟に上級魔術を撃てる才能は素晴らしい。だが、才能に振り回されるな。その全てを制御し、支配しろ。それが出来ないのなら、才能は祝福ではなく呪縛になるぞ」

 「……御言葉を胸に刻み、精進して参ります」


 どう聞いても叱責だったのだが、ジェームズは嬉しそうに──というか、感動に打ち震えた様子で一礼して立ち去って行った。ステラが平然としているからそれが普通なのだろうが、フィリップは困惑顔だ。


 「……具合はどうだ?」


 何事も無かったかのように尋ねたステラに、フィリップはびっと親指を立てた。


 「あんなのステファン先生にかかれば無傷も同然ですって。っていうか、あれぐらいの怪我はいつもの事じゃないですか。心配いりませんよ」


 先刻──エキシビジョンマッチは、ステラたちの勝利で決着となった。


 格闘戦の構えから全くの無挙動で繰り出される、100発近い『ファイアーボール』の弾幕を前に、フィリップは成す術がなかった。というか、フォームだけはミナにも匹敵するキレッキレのパンチやらキックやらを見せられて警戒しているところに、ほぼ壁みたいな火球の群れが飛んで来たら、流石に対処できない。当然のように被弾して、軽度の火傷を負ったのだった。


 冷静になって考えてみると、格闘戦の最中には拍奪の歩法を混ぜにくいから、フィリップの回避を封じるための作戦だったのだろうが。


 「けど、あれはズルでしょ」

 「戦いにズルも何も無いだろう? ……まあ、ルキアには怒られたが」

 「さっき話してたのはそれですか……」


 心なしか、ステラはちょっとしょんぼりして見えた。


 「そう言えば殿下、格闘戦はマリーに?」 

 

 今更ルキアに叱られたくらいで落ち込みはしないだろうが、なんとなく話題を変える。


 「パンツが見えるぐらいじゃ照れもしなかったですし、流石ですね」


 流石というか、王族の宿命というか。ステラは王城に居る間は、着替えどころか風呂で身体を洗うのも侍女任せだ。他人に肌を見られるのも、下着を見られるのも慣れっこになっている。まあ、当人は魔術学院の学生寮で自由を知って以来、城に帰った時が面倒くさくて仕方ないとぼやいているが。


 「これはアンダースコートだ、下着じゃない」


 ステラはスカートを摘まんでひらひらと弄びながら、憮然としたように言う。

 流石に公衆の面前でスカートをたくし上げるようなことはしなかったが、もしスカートをめくったとしても、見えるのは白く厚ぼったいハーフパンツのような布だった。アンダースコート。運動用の、見えても問題の無い衣服だ。


 それを聞いたフィリップは「なるほどね」と何事か納得したように頷き、爆弾を投下した。


 「殿下、赤が好きですもんね」


 ぴし、と音を立てて空気が凍り付く。

 辺りの生徒たちは荷物の搬出や移動で騒いでいて、会話の内容は周囲に聞こえなかったはずだが、ステラが一瞬だけ放った強烈な魔力に気圧される魔術学院生はそれなりにいた。


 「……どうしてそう思う?」

 「え? ルキアと遊んでるときとか、たまに見えてますよ?」


 さも当然のように言ったフィリップに、ステラは仮面のような微笑を顔に貼り付けた。


 普段、放課後にフィリップの訓練を終えた後、ルキアとステラが遊ぶことがある。遊ぶと言っても、飛び交うのは上級魔術のコンボや、魔術式を改変された半オリジナル魔術ばかりだが。お互いがお互いの新しい手札を試している実験でもあり、間を通るだけで跡形も残らず消し飛ぶだろう。


 未だに中級戦闘魔術師程度の魔力障壁を削り切れないフィリップを相手にして、まさかスカートを翻すことなんてない。部屋までアンダースコートを取りに行くのも面倒だし、このままでいいか。──そんな考えで、運動着どころか制服そのままで体育館に行くことはザラにある。そしてフィリップがバテた後、興が乗ってルキアとの遊びに突入することも珍しくない。


 「……そうか」


 ルキアもステラもお互いの魔術を見逃さないよう、視界のチャンネルを魔力に合わせているのが仇になった。でなければ、ルキアが気付いて注意するだろう。


 「そういうことはもっと早く言ってくれ」

 「あ、はい……」


 ルキアのを見た時にはその日のうちに言ったのだが、その時は「教えてくれてありがとう」とお礼を言われた上で、「でも、そういう時は見ていないふりをする方が紳士的かもしれないわね」と、やんわり嫌がられた。だから黙ってたのに、結局どっちなんだ、と思うフィリップ。

 迂闊に口走らず早々に忘れることが紳士的なのであって、話の流れでポロリと漏らしたからダメなのだが。


 「まぁ、私は別に構わないが、ルキアにはそういうことを言うんじゃないぞ? 元はカーターだった塩の柱、なんて見たくないからな」


 ステラに曖昧に笑い返しながら、「一度は許されたけど、多分二度目は無いんだろうな」なんて考えるフィリップだった。



 馬車に乗り込むと、既に乗っていたミナが読んでいた本をぱたりと閉じ、フィリップを手招きして呼び寄せる。

 ふらふらと従いかけたフィリップだが、ルキアがその手を掴んで自分とステラの間に挟んだ。


 「……まぁ、いいわ。昨夜の奴、砦の中を探し回ってみたのだけれど、見当たらなかったわ」


 淡々と言ったミナに、フィリップは「そうだろうね」と頷く。


 「見つけたら呼んで、って言ったしね。魔術の痕跡はどうだった?」

 「それもナシよ。尤も、あんなのを呼び出す愚かな魔術師が居るのかさえ疑わしいけれどね」

 「だよねぇ……」


 ミナが言う「あんなの」とは、ティンダロスの猟犬ではなく次元を彷徨うもののことだ。

 フィリップは予想される両者の関係を大まかに、概ね「猟犬は次元を彷徨うものが拉致した人間を追ってここに来た」と伝えてある。となると当然、「じゃあ次元を彷徨うものはどうしてここにいるの?」という疑問が浮かび、ミナはそれを確かめるために砦の中を探索していたのだった。


 一応、フィリップは次元を彷徨うものの性能を知っているから、ただ人間を拉致して色々な次元を連れ回し、発狂させたりさせなかったり、殺したり殺さなかったりする気紛れな化け物を、好き好んで使役する馬鹿はいないだろうと分かる。


 しかし、あれが何者かによって召喚されたものではない、野良だという確証はない。

 外神の視座と智慧を持つフィリップにとっては笑ってしまうような無能の雑魚でも、人間から見れば神にも等しい強大なモノ、ということもある。修学旅行で遭遇した、あの枢機卿道化もそうだった。


 「なんだったんだろうね、アレ」

 「……フィリップが分からないなら、誰にも分からないんじゃないかしら」


 冷酷にも聞こえるほど淡々と言ったルキアに、フィリップとステラは「確かに」と笑って頷く。

 しかし、フィリップにとって、この砦に次元を彷徨うものやティンダロスの猟犬がうろついていることは、もはや然したる問題ではない。今日でこの砦とはおさらばなのだから。


 砦の保守や、もしも来年度も交流戦があるのならその準備のために駆り出される人は、もしかしたら不幸な遭遇を経験するかもしれないが──そんなのはフィリップが知ったことじゃあない。フィリップの知らないところで、知らない誰かが何人死のうが何億人死のうが、どうでもいい。


 ティンダロスの猟犬がこの時間に居た理由は推測できたものの、確証はない。次元を彷徨うものは野良の可能性もあるが、こちらは魔術で使役できるかもしれない。フィリップはそんな術法を知らないから、こちらも作為的なものである可能性があるとは断言できない。


 結局、この古びた砦で起きた出来事の殆どは、その原因さえ分からないままとなった。次元を彷徨うものの口の中に閉じ込められたあの“顔”の一つに既視感を抱いたことなど、フィリップは自覚さえしないままだ。


 だが──それもすべて、どうでもいいことだ。


 フィリップは両隣に座る二人と腕を組み、抱き寄せて嬉しそうに笑った。


 「何にせよ、二人が無事でよかったです。……ミナも、ありがとね」

 

 その年相応に無邪気な笑顔に、ルキアとステラは顔を見合わせて柔和な微笑を返す。

 ミナも読みかけだった本を途中のページで開き直しつつ、妖艶な笑顔を浮かべた。


 「えぇ。また誘ってね」


 そもそも二度と遭いたくないんだけど、と、フィリップは苦々しく笑った。



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 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ12 『砦に蠢く影』 ノーマルエンド


 技能成長:【剣術(直剣)】+25 【拍奪の歩法】+10 【鞭術(ソードウィップ)】(鞭術(ウルミ)を引き継ぐ)+20

      【回避】+10 


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