第314話
翌朝、交流戦最終日。
腕やら血痕やら色々と置きっぱなしだったことを思い出して慌てたフィリップだが、諸々ナイ教授が処分してくれていた。
何故分かったのかというと、当然、朝食前にしこたま煽られたからだ。思いっきり蹴るからナイ神父の姿になれ、というフィリップの命令に素直に従い、そして素直に蹴られた辺り、ティンダロスの猟犬のことを誤魔化したことを、一応は悪いと思っているらしい。
朝食を終え、マリーに色々と教わりながらグループ戦を終え、交流戦最後のイベントが始まる。
学生どころか教員たちまでもが待望する、強者たちによる戯れ──エキシビジョンマッチだ。
“龍殺しの英雄”対“人類最強の魔術師”という触れ込みで、実際の対戦カードはフィリップ・ウォードペア対、ステラ・マリーペアだ。
龍殺しの英雄と、その師匠と、師匠と、師匠がいる。剣術の師と、戦闘の師と、武器操作術の師と表現すると的確か。
一般生徒は血の沸き立つような戦いを予期して胸を躍らせて。そしてフィリップとウォードは、公開処刑を予期して消沈していた。
基本的に、剣士と魔術師では魔術師の方が有利だ。何せ射程が違う。
ただし、戦闘距離に制限を付けるのなら、一転して剣士が有利になる。剣の届く間合いで「よーいドン」で戦闘開始するのなら、流石に剣士が勝つ。魔術師の持つ最速の防御は魔力障壁だが、これは通常、本職の剣士の一撃を防ぎ切る硬度を持たないからだ。
……で、ステラが「通常」の範疇にいるのかというと、勿論そうではなく。
フィリップが模擬剣を使おうが
「間もなく、エキシビジョンマッチが始まります! 生徒たちは中庭第三区画の周りに集まり、出場者の方は準備してください!」
間もなく太陽が天頂を通り過ぎようかという頃、生徒たちは教師の指示に従ってぞろぞろと移動する。
それはフィリップたちも例外ではなく、今はロープで区切られた試合エリアの真ん中で、審判役の教師からルールの説明を受けていた。
使用武器はオーソドックスなロングソード型の模擬剣のみ、攻撃魔術は中級まで……などなど交戦規定を列挙するのは、フィリップよりなお背丈の低い猫耳少女、ナイ教授だ。なんでも、「審判役には、万が一の時にはフィリップとウォードを守れる程度には強い教員を」という条件に他の教師が尻込みする中、率先して手を挙げたらしい。
「勿論可能だろうが、私の精神的安全は保障されるのか?」
「殿下に限ってオーバーアタックなんてしないでしょ? へーきですよ……手元が狂わなければ」
一応は敵であるフィリップとステラは顔を突き合わせ、ひそひそと言葉を交わす。
勿論、元よりフィリップに怪我を負わせるつもりはないステラだが、ナイ教授が傍に居るというだけで多少のストレスがあった。プレッシャーと違うのは、緊張感ではなく不快感を催すというところだ。
「信頼には応えよう。で、あいつが私のミスとは関係なく私を害する可能性は?」
「何らかの理由で僕を本気で怒らせようとしている、とかなら、或いは」
ステラは諦めたように嘆息し、ナイ教授の指示に従ってスタート位置に向かった。
フィリップも苦笑し、反対側のスタート位置に向かう。「僕が貴女を守ります」とでも言えたら格好のつくところなのだが、ナイアーラトテップ相手に人間風情が何かを守り通せるわけもなく、身の程を知るフィリップとしては、本当に苦笑くらいしかできない。
まあ、実際にナイ教授が介入してくることはないだろう。
ナイ教授、いやナイアーラトテップはフィリップを煽るし嘲るし、不快にするし怒らせる。だが、全て計算ずくだ。フィリップが望まないことはしない。
だから、フィリップが警戒すべきは中立不介入の審判でも、魔術制御をしくじるはずもないステラでもなく。
「両者、構えて──」
「──行くよ、フィリップ君! いつかと同じぐらい本気で! 私を倒してみせて!」
なんて叫ぶ、ハチャメチャにハイテンションなマリーだ。
三年生の彼女にとっては、これが最後の交流戦であり、卒業式を抜くと最後の学校行事だから──ではなく、フィリップが本当に強くなっていて嬉しいのだとか。二日前、フィリップが強くならなくてはと焦るあまり、ルキアやステラと多少の口論をした日から決めていたそうだ。
マリーのことをマイナー武器に魂を売った宣教師だと思っていたフィリップだが、バトルジャンキーの気質もあるのかもしれない。
「それとも、まだロングソードは使えない?」
口元を歪めたマリーの見え透いた挑発に、フィリップは鏡写しのような笑顔を浮かべた。
ロングソードが使えない弱い奴だと思われるのは、正直、どうでもいい。
だが──
「さぁ、どうでしょう。ソードウィップしか使えないかもしれませんし……もしかしたら、ウルミと同じくらい上手くなってるかもしれませんよ?」
「そりゃ楽しみだ。けど──率直に言って、どちらにしろアタシの敵じゃあない!」
マリーは吼えるがごとく獰猛な笑顔と共に、全速で突っ込んできた。
正解だ。『拍奪』を使わせたくないのなら、鍔迫り合いのような超至近戦に持ち込むのが最も手っ取り早く、そして純粋なフィジカル勝負でフィリップに勝ち目はない。
対策としては素晴らしい。どうせステラが指揮しているのだろうが、対フィリップにおける最適解だ。でも大人としてはどうかと思う。
「大人げないぞー! 僕の得意レンジで勝負しろー!」
「あ、こら、逃げるな!」
踵を返して全力で逃げ出したフィリップを、マリーが条件反射的に追いかける。フィリップは「ここで強くなったのを見せつけて恩返しするぞ!」なんて殊勝な考えはさっぱり捨てて、考え得る最適解を選択した。
ここまでは、フィリップとウォードが事前に想定した通りだった。
「──じゃ、交代だね」
気負いのない軽やかな言葉と共に、マリーの眼前を鼠色の模擬剣が通り過ぎる。
直撃寸前でスウェイしたマリーは、殆どタイムラグ無しに繰り出された唐竹割の振り下ろしを素早く受け流した。
「僕が先輩を、フィリップ君が王女殿下を担当するっていうのが、一番なんとかなる作戦なんですよね……っ!」
ウォードは受け流された剣を肩の柔軟性に任せて無理矢理に引き戻し、脇をすり抜けようとしたマリーを抑える。
流石のマリーも基礎筋力で負ける相手に鍔迫り合いを仕掛けることはなく、ウォードが押しのける力を利用して間合いの外まで離れた。
フィリップはウォードの後ろに回り、二人一緒にじりじりとマリーを迂回する。
しかしマリーもステラも二人の狙いにはとっくに気付いていたから、動きを合わせて正対を崩さない。
ウォードとマリーの真ん中を中心に、円を描くようにゆっくりと動く。
そんな甘い動き、普段のステラなら一瞬で見咎めてゲームセットだ。しかし──今すぐにエキシビジョンマッチを終わらせると、もう荷造りを終えているステラたちは、迎えの馬車が来るまで暇を持て余す。ルキアやフィリップと無為に駄弁るのも嫌いではないが、それよりは、フィリップの強化にもなる模擬戦に時間を当てた方が有意義だろう。
「──と、そんなことを考えてるんだろうけど」
フィリップは最も警戒すべき火力担当であるステラを観察しながら、未だ一発も魔術を撃って来ない理由を推察する。
ルール上、回避不可能級の範囲攻撃は飛んでこないだろう。
初級・中級・上級といった魔術の規模区分は、概ね魔力消費量と魔術式の演算難度で決まる。そして半径10メートル以上を一撃で焼き払う規模の魔術は中級レベル以上だ。
問題は弾幕。
拳大の火球を飛ばす初級魔術『ファイアーボール』は、炎の温度が摂氏300度ぐらいで、基本射程は10メートル、貫通力はほぼゼロ。言うまでもなく弱い。
しかし、いくら低温とはいえ炎は炎、当たれば火傷する。手足ならともかく、顔に当たったらキル判定だろう。
で、ステラは多分、これを同時に100発とか、そんなオーダーで展開できる。もしかしたら1000発スケールかもしれない。勿論、初級魔術故に弾速という言葉を使うのも物悲しい速度しかないが、密度が密度だ。避けるというか、どの弾に当たるか選べるよ、という状況になるのは想像に難くない。
「──正解だ」
ステラが口角を吊り上げ、そう呟いたのが聞こえた。
直後、周囲が俄かに暖かく、明るくなった。
まるで、日の光が雲間を縫って差し込んだかのように。しかし、冬の高い澄んだ青空には雲一つない。
では何なのか。攻撃を警戒して頭上を見上げたフィリップは、輝く天井を見つけて瞠目した。
頭部大の火球が紅蓮を並べ、格子状に冬空の蒼が覗く。
炎は並べるとくっつくと言うが、魔術で形成された炎だからか、触れ合う距離で整然と並べられた火球の全ては、“球”だと分かる形を保っていた。
明らかに100単位ではない。縦横共に、100近い数の火球が並んでいる。都合、4000か、5000か、或いは。
「絶対に避けられないぞ、どうする、カーター!」
楽しそうなステラに、フィリップは表情筋を引き攣らせ、外で見ていたルキアが「楽しそうね……」と呆れたように呟いた。
天井はまだ落ちない。
ステラはフィリップの答えを尊大な仕草で促す。顎をしゃくるだけなのに、フィリップがやるより何倍も威厳と気品に溢れた所作だった。
「……ウォードはマリーに、僕は殿下に肉薄する。これが最適解のはずです」
「ほう? では聞くが、敵と味方の距離が多少近付いた程度で、私が狙えないと思うか?」
フィリップは拍奪の姿勢を取り、無理矢理に口角を吊り上げる。
スカートの中にまで潜り込んで彼女の身体を傘にすれば、流石に狙えないはずだ。そしてフィリップの想像が正しければ、そこまでやる必要はない。
「マリーはともかく、殿下には耐魔力がありますよね。術者本人とはいえ、初級魔術程度じゃあ、近くを通るだけで勝手に消えるんじゃないですか?」
フィリップが「そうであってくれ」という内心を表出させないよう、自信たっぷりを装って言うと、ステラはすっと腕を上げ、一本指を突き上げた。
そして、ルキアと対峙した時のような獰猛な笑顔を浮かべる。
「お前の出した答えが最適解かどうか、実体験で確かめろ──!」
フィリップはステラの言葉を聞き終える前に走り出す。
マリーが接近阻止のために動いたが、ほぼ同時に動いたウォードによって抑えられた。二人の会話を聞いていたウォードは、マリーから離れないよう懸命に足を動かしている。
揶揄うようなステップで動くマリーを、ウォードは必死に追う。二人の足捌きに淀みは無い。さながら剣舞の如く──というには、女性の笑顔はニヤリという擬音の似合いそうな意地悪さだが。
剣士二人は、なんとかなりそうだ。問題は魔術師と、魔術学院生の方。
砂埃を蹴立てて駆けるフィリップを阻止するには、ステラは弾幕による面制圧攻撃か、魔力をばら撒いて「自分の魔力が無い部分」を狙う魔力照準法でフィリップの正確な位置を割り出すしかない。
ステラは獰猛な笑顔のまま、指を立てていた腕を振り下ろした。
「──行くぞ!」
愉し気な咆哮を以て、遂に、或いは終に、天井が落ちる。
フィリップは懸命に距離を詰めながら、酸素不足の頭で必死に思考を回転させた。
ステラは空を隠す密度の直下弾幕以外、迎撃の魔術を展開していない。そして弾幕の落下速度は、自由落下よりなお遅い。
彼我の距離は7メートルといったところ。天井が落ちるまでは三秒かそこら。フィリップは十分にステラのところに到達できるが、しかし、ステラは無防備に立っている。
間合いが埋まる。
ウルミの距離から剣の距離へ。そして──
「──、ッ!」
鋭い呼気と共に、ステラの足が跳ね上がる。
以前に武術は護身程度と言っていたが、彼女の脚は乗馬や舞踏などでしなやかに鍛え上げられている。筋肉質とまでは行かず、さりとて細過ぎることもなく、脚線美と運動能力を高度に兼ね備えた脚は、鞭のようなしなりと共にフィリップの首を目掛けて振り下ろされた。
タックルして組み付くつもりで両腕を開いていたフィリップは、打ち下ろし気味の回し蹴りを必死に躱す。身長も体重も筋力も勝る相手に組み付くつもりだったから、スピード重視で相対位置認識欺瞞が解けている。
蹴られる寸前に思いっきり姿勢を下げ、足の下を潜り抜ける。
敢えて動きの速度を緩やかにして、降り注ぐ火球の雨を凌ぐ。まさか本当にスカートの中に潜り込んで躱すことになるとは思わなかったが、予想通り、ステラの魔術耐性は自身の魔術ですら消し去る強度だった。
ステラは素早く振り返り、格闘戦の構えを取るが、フィリップはそのまま大袈裟に距離を取って模擬剣を構えた。
「正解だったな」
「おかげで火傷せずに済みました。ウォードは……うわ、天才だ」
垂直落下弾幕が落ちる寸前まではマリーに食らいついていたウォードだったが、最後の最後で距離を空けられ、敵の傘作戦は失敗していた。
しかし、ナイ教授のキル宣言は聞こえてこない。
それは当然、ウォードがあの回避不可能弾幕を凌ぎ切ったことを意味する。
ウォードの手には、所々に焼け焦げた跡のある軍学校の制服のジャケットが握られている。魔術学院の制服と同様、錬金術製の耐火繊維で編まれたものだ。
彼は被弾直前、それを自分の真上に放り投げ、即席の傘にしたのだった。
勿論、それは初級魔術の貫通力の低さを利用した、模擬戦限定の防御方法だ。中級魔術相手には流石に心許ないし、上級魔術相手なら確実に意味を為さない。
だがそれでも、フィリップには思いつけなかった方法だ。素直に称賛に値すると、フィリップは顔を輝かせた。
「素晴らしい機転だ。勿論、エーザーが自分から離れなければ、ジャケットを脱ぐ隙は無かっただろうが……状況を上手く利用したな」
ステラも感心したように称賛する。
フィリップは「なるほど……」なんて呟いていたが、あれはマリーとウォードの距離が離れていたからこそ出来たことだ。ステラに組み付く位置にいたフィリップにとっての最適解ではない。
「いや、目の前で徐に服を脱ぎ出したら、流石に蹴り倒していたぞ?」
「あ、そりゃそっか……いや、というか殿下、動きが変わりましたよね? さっきの蹴り、速さと威力はともかく、フォームはミナそっくりでしたよ」
フィリップの言葉に、ステラは感心したように頷いた。
「ほう。それが分かる程度には目が肥えて来たのか。いいぞ」
「まぁ、その二人プラス、ミナにも白兵戦を教わってますからね。謙遜抜きで、師匠が良いんですよ」
模擬剣とは思えない鋭い風切り音と剣戟の音を奏で始めたウォードとマリーには、フィリップの称賛は届かなかった。聞かせるつもりも無かったので、別に構わないが。
それより、フィリップにはもっと気になることがあった。
「でも、どうして? 殿下は近接戦でも、冗談みたいな硬さの魔力障壁とか、設置型魔術とか、それこそ無限の手札があるじゃないですか」
ステラの魔力障壁は、フィリップが本気で
それなら、格闘戦の練習をする時間は無駄なはずだ。ステラに限って、ちょっとやってみたかった、なんて甘い理由ではないだろうが。
フィリップの問いに、ステラは事もなげに微笑した。
「だが、そういう手合いばかりじゃないだろう? お前の訓練をする上で、白兵戦能力を持った魔術師を演じられると、強化メニューの幅が広がる」
「え、あ、それは……ありがとうございます」
まさか自分の為だとは思わなかったフィリップは、意外そうに頭を下げる。
ステラは少しだけ照れたように笑うと、「気にするな」とひらひらと手を振った。
「お前だって、召喚術に頼る場面は減らしておきたいだろう?」
「……流石」
その通りだと、フィリップは嬉しそうに口角を吊り上げる。
それはフィリップが武器術や戦闘技術を学ぶ最大のモチベーションであり、最優先課題の一つ。
フィリップは身体は矮小すぎる癖に、戦闘能力は両極端だ。
『萎縮』と『深淵の息』は非魔術師相手なら一撃必殺と言える殺傷力を誇るが、フィリップ自身の魔力が貧弱なせいで、魔術師相手には通用しない。往々にして白兵戦能力に劣る魔術師が相手なら、ウルミや蛇腹剣といった近接攻撃に切り替える必要がある。
では至近戦に秀でているのかというと、まぁ可もなく不可もなくといったところだ。特殊技術である『拍奪』の修得と、その戦闘スタイルに合わせて設計された龍骸の蛇腹剣を持ち、決して弱くはない。とはいえ、魔術師相手では接近するのが困難なこともあるし、ステラやジェームズのような接近戦にも対応できる魔術師だっている。
仮にジェームズがフィリップを本気で殺しにかかってきたら、フィリップに許された対抗策は、拍奪を使った数分の耐久と邪神召喚。その一択だ。
そしてミナやディアボリカのような化け物相手では、呪文詠唱に十分な時間、耐久できない。
故に、もっと強く。
力も、速さも、技も、今のままでは何もかもが足りない。
ジェームズはステラやミナのようなトップクラスと比べると、一段どころか十段ぐらい落ちるが、フィリップは更にその十段下だ。
いや、そもそも、人間風情に邪神召喚を切らされるようでは、衛士団の入団基準となるAクラス冒険者どころか、「比較的優秀」程度の評価であるBクラス冒険者にもなれはしないだろう。
「ほら、かかって来い。素手の女一人に負けてくれるなよ、“龍狩りの英雄”」
首元と胸元を守るような少し低めの構えを取ったステラは、そう言って獰猛な笑顔を浮かべる。フィリップは油断なく、そして容赦なく模擬剣を構え、再び突撃した。
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