第297話

 交流戦が始まって二度目の夜が来た。

 昨日は旅の疲れ、今日は訓練の疲れで、学生たちは泥のような眠りに就くことが約束されている。尤も、今日以降は「真面目な生徒は」という但し書きが必要になるが。


 夜遅く、消灯時間ぎりぎりでフィリップたちの部屋を訪れた軍学校生は、どうやらその範疇には無いらしかった。彼はマシュー・デイビスという名で、ウォードのクラスで一番のお調子者だった。


 「おいウィレット、肝試ししようぜ!」


 楽しそうなマシューの声に疲労の色は無く、昼間をただの余暇として過ごしたことが窺えた。

 ウォードもフィリップよりはマシだが、かなりヘトヘトだ。彼は暇を見つけてはルキアやステラに魔術を撃ってもらい、それを避けるという去年と同じ練習をしていた。


 ウォードは疲労のせいかどこかうんざりしたように、マシューが立っているドアの方を見た。


 「いや不味いよ。女子A棟だろ? 貴族の子女も沢山いるし、見つかったら大問題だ」


 ウォードが「大問題で済めばいいが」と思っていることは顔を見れば分かった。顔色が蒼白なのは疲労ではなく、恐怖によるものだろう。


 宿舎の分け方は貴族・平民という区分では無くなったものの、学校の生徒には貴族が多い。

 もしも見つかって、さらに不埒な目的を持って侵入したと思われたら、退学では済まない。良くて地下牢送り、最悪処刑だ。


 特に最上階は不味い。

 部屋自体はフィリップたちが使っているのと同じ士官用の個室で、二人で泊まっても十分に広い。ただ中にはベッドを搬入できなかったとかなんとかで、個室がいくつか残っている。


 ルキアと、ステラと、ミナの部屋だ。


 中でも三つの個室の真ん中、ミナの部屋は本当にヤバい。

 何かの間違いで入ったが最後、「夜食かな?」と勘違いしたミナに心臓だけ喰われてを窓から捨てられることになる。


 ミナがまだ学生寮のフィリップの部屋におらず、適当な宿で過ごしていた時のことだ。「上位吸血鬼がいるらしいぞ!」と噂を聞き付けた冒険者たちが彼女の部屋を襲い──翌日、フィリップは「サービスの良い宿だったわ」と上機嫌なミナと、困り顔の衛士たちの「心臓を抉られた死体が四つ、路地裏から見つかったんだ」という言葉を一瞬で結び付けることが出来た。


 「恋人に会いに来たって言えば、しこたま怒られるぐらいで済むって。それに、二重の意味で度胸が試せるってモンだ。だろ?」


 ウォードは馴れ馴れしく肩を組み、部屋の外に連れ出そうとする友人が嫌いになりつつあった。

 大方、軍学校の学生寮なんかより余程素晴らしい士官用の個室に興奮して、ちょっと調子に乗っているのだろうが──巻き込まないでほしい。


 フィリップだって肝試しには反対だろうし、と部屋の中を振り返ったウォードは、剣を佩くためのベルトを付け直しているフィリップを怪訝そうに見た。


 「あー……何してるの、フィリップ君?」

 「僕も行きます。お化けの正体を確かめちゃえば怖くないと思うので」

 「いや、道具は無しだぜ? それじゃ度胸試しにならないじゃないか!」


 フィリップはマシューに木の棒を魔剣と言い張る子供を見るような、或いは騎士の真似をして棒を振る猿を見るような目を向けた。


 「お化けが出たらどうするんですか。丸腰で殴り倒せるんですか?」

 「え、えぇ……? 戦う気なの……? ウィレット、お前のペア怖くね?」

 

 やけに好戦的なフィリップに、ウォードとマシューは苦笑を浮かべる。肝試しは丸腰で行って、逃げ帰ってくる奴を揶揄って、目的を達成した奴が褒められるという遊びだ。


 「ま、いっか! じゃあ度胸試し兼、お化け調査ってことで! 行こうぜ!」


 と、そんなわけで、フィリップたちは消灯後の女子宿舎に忍び込むという、色々と試されそうなイベントに臨むこととなった。


 まず最初の難関は、城壁の中を通って女子A塔に向かうことだった。

 砦を上から見ると、フィリップたちの泊まる塔は正方形の右上の角。ルキア達の泊まるお化けが出る女子A塔は左上の角だ。だが残念ながら、二つを結ぶ辺である城壁の真ん中には食堂などがある中央塔が聳え、中では先生たちが酒盛りしている。


 中庭を通るルートもあるが、外はクソ寒い上に真っ暗で、お化けも凍えるような風が吹いている。外を通るくらいなら帰って寝る方を選ぶと、三人の意見は一致した。


 「先生たちがこっちを見てないうちに、こっそり通り抜けよう」


 ひそひそと作戦──正面突破を作戦と呼ぶかは疑問だが──を立てて、出来る限り静かに決行する。

 まずはウォードが食堂の死角を通り抜け、フィリップがその後に続き、最後はマシューだ。ウォードはもう既に、先陣を切ることで度胸があると証明した。


 次の難関は、女子宿舎エリアに続く回廊に立った哨戒兵、もとい、巡回の教師と軍学校生だ。二人とも平服姿だが帯剣していて、嫌な威圧感を放っていた。流石に生徒相手に抜くことは無いだろうが。

 相手は二人、どちらも非魔術師だ。これが実戦なら『萎縮』の出番だが、お化け探しで殺人なんて洒落にもならない。


 今は回廊に差し掛かる曲がり角で身を潜めているが、回廊は一本道で、壁に等間隔に並んだ燭台が暖かな光で照らしている。隠れる物陰の一つも無い。


 「……どうしますか?」

 「……選択肢1、どうにか陽動。ただし相手は哨戒訓練を受けた騎士候補生と教官。選択肢2、強行突破。ただし相手は以下略。選択肢3……迂回。クソ寒い中庭を通る。たったいま何とか通り抜けた酒盛り会場をもう一回通ってな」


 マシューは三本の指を立てて「どれがいい?」と振る。

 前の二つは現実的ではないし、中庭からの入り口にも鍵がかかっているはずだ。流石に見張りはいないし篝火も無いから、鍵さえどうにかすれば入れるとは思うが。


 では鍵は何処なのかというと、本棟の何処かにあるはずだが、生徒にその場所は知らされていない。


 「どれも無理だろ。諦めて……ふぁ……寝よう」

 「駄目ですよウォード。お化けがホントにいるのか、いるのならその正体を確認しなくちゃ!」

 

 妙に乗り気なフィリップに、ウォードは眠気で蕩けた胡乱な目を向けた。

 お化けは怖いのに、肝試しにはやたら乗り気なやつは確かに居る。共感は出来ないものの、怖いからこそ確かめたくなる気持ちは理解できた。


 だがその積極性を発揮すべきは、絶対に今ではない。

 これが薄暗い森とか、廃墟の街とか、深い洞窟とかなら「いい度胸じゃないか」と囃し立てるところだが、ここは女子用宿舎だ。


 お化けが出ても怖いだけだが、巡回に見つかれば即拘束、一般生徒に見つかればぶっ飛ばされるに違いない。特に魔術学院生だった場合、軍学校生よりよほど殺意の高い攻撃が飛んでくることだろう。


 「……じゃあ、何か案はある?」

 「んふふふ。任せて下さい」


 フィリップは妙な笑いを漏らすと、身を潜めていた角から姿を現し、隠れる場所の無い回廊を堂々と進み始めた。

 マシューは「何やってんだあの馬鹿!」と唸り、ウォードは一緒に怒られる覚悟を決めて嘆息する。


 当然のように見張りの二人はフィリップを見咎めて呼び止め──二、三言だけ話すと、扉を開けて通してくれた。


 「え? なんで……?」

 「あー……僕、分かったかも。あの吸血鬼だ」


 得心がいった顔で頷くウォード。その推察は正解だった。

 フィリップは「今日の分の血をあげるのを忘れていた」と言って、ミナの部屋に行く風を装ったのだ。ミナが毎日血を吸わなくてもいいということを知っているのは、この砦の中ではフィリップに近しい一部の人間だけだ。飢餓状態の吸血鬼に襲われては堪ったものではないし、彼女たちとしては通すほかない。


 それに、フィリップはまだ子供だし、不埒な目的があってのことではないだろうと判断が甘くなる。まぁ事実として、フィリップが行動基準を歪めるほどの性欲を、人間相手に抱くことはないのだが。


 「……あれ? 俺たちは?」

 「……あ、ホントだ」


 後に残された二人は顔を見合わせる。フィリップは二人のところに戻ることなく、そのまま塔の中に入ってしまった。

 まぁ肝試しのルールは決めていなかったから、一人ずつ行くこと自体に否やは無い。しかしそうなると、残る二人ともが門番を突破する言い訳を考える必要があった。


 ウォードは「フィリップくんを迎えに来ました」という言い分が通るかもしれないが、「外で待て」と言われそうな気がする。マシューは……その付き添いという言い訳は苦しそうだ。


 「……中庭ルートか?」

 「冗談。それなら僕は帰って寝るよ」


 結局、ウォードとマシューは物陰でフィリップの帰りを待つことにした。



 ◇



 女子用の宿舎とはいえ、建物自体はフィリップたちのものとほぼ同じ士官用の宿泊施設だ。特に女子っぽい装飾で彩られていたりはしないし、古い建物に特有の不思議な匂いが漂っている。フィリップはなんとなく実家の倉庫を思い出す匂いだ。埃っぽくて、木と石の匂いが乾いた空気に混じっている。


 壁に等間隔で並んだ燭台の一つを拝借し、薄明りに照らされた廊下を進む。

 大半の生徒はベッドに入っているし、そうではない不真面目な生徒も部屋の外にまでは出てこないはずの時間帯だが、見つかったら怒られると思うと妙な緊張感があった。


 そしてそれ以上に、お化けが出るという情報が背筋を冷たくする。

 ゴースト系の魔物か、もういっそ何かしら邪神かそれに連なるモノであってくれとさえ思う。流石にルキア達と同じ建物の中でハスターやクトゥグアは呼べないが、中央塔まで戻ればナイ教授がいるだろう。

 

 不意に背中に視線を感じて、ろうそくの火が危険に揺らぐのにも構わず勢いよく振り返る。……気のせいだった。廊下は全くの無人で、蝋燭の暖かな光に照らされている。


 「思ったより怖い……!」


 フィリップは足音を殺して歩きつつも、大声で叫びたい衝動に駆られた。後頭部を何かに見られているような、背後を何かが追ってくるような、空気が粘度を持ったまとわりつくような感覚を拭い去るには、それが一番だと本能的に理解していた。

 

 しかしそれではフィリップの侵入が大勢にバレるし、そうなるとお化け探しどころではない。


 フィリップはここで、漸く一つの問題点に気が付いた。

 この五階建ての塔のうち──地下階層を入れると六階──具体的にどの辺りにお化けが出るのか、フィリップは知らない。ぱっと思いつく怪しい場所は地下倉庫とトイレくらいなものだが、どこか特定の個室とかだと詰んでいるのでやめてほしい。


 「また未知か。やだなぁ……」


 左手に燭台を持ち、左腰に佩いた剣の柄に右手を添えて、忍び足で廊下を歩く。

 古い建物だが石造りで、床板が無いから軋むことはない。その代わり、ひた、ひた、と薄いカーペットが僅かな足音を立てる。


 廊下を進み、角を曲がるときはとても緊張したが、身を隠して覗き込んだ先の景色は、たったいま通り過ぎた廊下と変わらない。向きの関係で、窓から差し込む月光が翳っているくらいだ。

 

 その通路を何事も無く通り抜けると、上下に分かれる階段に差し掛かった。

 フィリップはいま三階にいて、ミナは五階にいる。万が一生徒に見つかった場合に言い訳が利くのは上のルートだが、露骨に怪しい地下へ行くには降りるしかない。


 フィリップは少しだけ悩み、結局、上に登る階段に足を掛けた。

 階段にある燭台は踊り場の一つだけで、廊下よりずっと薄暗くて寒かった。足早に階段を上り終えたフィリップは、また曲がり角から先の様子を窺い──目の前を、青白い何かが通り過ぎた。


 「……へ?」


 たったいま、外壁を通り抜けて塔の中に入って来たように見えるそれは、一歩たりとも踏み出さずに前進し、石造りの上から薄いカーペットが敷かれた廊下を滑っていく。


 それは一見すると、ヒトガタのように見えた。フィリップの三倍近い身長があって、頭は天井と擦れている──いや、僅かにめり込んで、すり抜けているのだろうか。

 輪郭は曖昧で身体も半透明だったが、二足二腕で頭部と胴体が縦に並んでいるように思われた。しかし震える手で蝋燭を掲げて目を凝らすと、明らかに人間ではないことに気が付いた。


 腕は床を擦るほど長く、鎧のような甲殻を纏っている。明らかに比率の合っていない小さな手は、別の生き物から移植したような歪さだ。その中ほどからは巨大な鉤爪を備えた付属肢が生え出でて、蟹のハサミにも似ていた。

 頭部に毛は生えていない。いや、肩の部分から生えたもの、青白い球体が酔ったように揺れるそれが頭部であるという確証は無かった。

  

 「でっっっっ!?」


 声が完全に裏返るほどの衝撃だった。


 ゴースト系の魔物──ゴーストやゴースト・ドッグといった手合いは、必ず何かの生物に似た姿をしている。青白くて半透明だったり、足が無かったりするが、今見た異常はそんな程度では済まなかった。


 あれは明らかにゴースト系の魔物ではない、本物の正体不明だ。


 フィリップは燭台を適当に放り投げ、古龍の骸で作られた蛇腹剣を抜き放った。

 あれはいまフィリップの目の前を通って、フィリップは驚きのあまり声を上げてしまった。そうなればもう隠れるとか逃げるとか、そんな甘い考えは持っていられない。


 燭台は運よくカーペットのない石床の部分に転がっているから火事の心配はないが、フィリップは曲がり角から身を乗り出した時、投げ捨てた火種の行方を捜す余裕を失った。


 ──いない。


 影も形も曖昧なやつだったが、今や廊下は完全に無人で、影も形も無くなってしまった。


 最悪だ。

 正体不明は行方まで不明になってしまった。あれが何処にいるか分からない。今まさに真後ろに立っているかもしれないと思うと、フィリップは偏執的に背後を確認せざるを得なくなった。


 しかし、剣を構えて右往左往している余裕すら失われる。フィリップが漏らした驚愕の声は、同じ階どころか階段に反響して階下にまで届いていた。


 「誰だー? 消灯時間過ぎに廊下に出てる馬鹿娘はー?」


 こつり、こつり、呆れ声と共に階段を上ってくる人がいる。教員か軍学校の生徒か、どちらにせよ巡回役の誰かだろう。「ミナのところに来ました」という言い訳が通ることは確認済みだが、今の一幕で完全に気が動転しているフィリップは完全に忘れていた。


 あわあわと慌てふためいて階段を上り、慌ただしく廊下を駆け抜ける。お化けと先生を怖がって頻りに後ろを気にしていたフィリップは、部屋の扉の一つが軋みながら開いたことに、激突の瞬間まで気付かなかった。






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